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本当に恐ろしいことっていうのは、どんなものなのだろうか……。


目の前に広がる光景を見つめながら俺はふと、そんな場違いなことを考えていた。


血の匂いはほとんどせず、ただ幾人もの死体が転がっている光景を目の前にして、俺はそんなことを考えていた。


辺りには本来であれば木々が生い茂り、美しく紅葉した葉を風に揺らしているはずなのだろうが、今は木々は立ち枯れ茶色がかった葉を散らしている。その中にあって、俺が立つ場所は、そんな立ち枯れた木々が何らかの強い力でなぎ倒され、無残に半ばから折られている。


うっそうと茂っていた森の木々はただただ折れて重なり合い、ぽっかりと開けた空間がそうやって森の中に突如として出来上がっていた。


その開けた場所に、数日前に顔を合わせたばかりの討伐隊員の亡骸があった。俺から離れた場所のあちらこちらに彼らは横たわっている。動かずうめき声もあげず、死んでいるのは明白だった。


そして、足元から少し離れた場所に目をやれば、さきほどまで俺たちと同行していた男の死体が驚くほどすぐそばにある。遠くには部下であるルイスやライリーや他の仲間たちも……。


呆然とする俺たちの目の前で、一塊の闇が白日の下ゆらりと身じろぎした。この惨劇の元凶。夜の闇を集めて型に流し込み、押し固めて生き物の形を成したような存在。それはおとぎ話の中でしか聞いたことがなく、ともすれば、夢幻のようなものにも思われたが、こちらを射抜くように鋭く、そして朝日を受けて輝く一対の双眸と吐き気を催す異臭、さらには地を震わせる獰猛なうめき声が、これが現実であると教えている。それの発する存在感が俺の体を竦ませる。


背後にいるマーカスとジャンが恐怖に震える声を出すのが小さく聞こえた。その声に俺は後ろを振り返る。互いに肩を寄せ合い震える彼らの姿を見た。


いや、場違いな思いなどではない。俺はそう思い直す。


俺は知っている。本当に恐ろしいこと、それはきっと――



*********



本部から討伐隊が森の調査目的で派遣されてきた。補給部隊とは別に総勢二十名。指示書の通りであった。最初不思議だったのは彼らの身につける制服が二種類あるということだった。彼らの半数の十人は凝った刺繍の施されて生地から質の良いものだとわかる軍服を着ており、残り半数の十人は俺たちと同じ一般兵の軍服を着ていた。


制服だけでなくそれを身につける者たちの態度や様子にも確たる差が見られた。それは歴戦の猛者とも言うべき威厳のような何かであったと思う。


これは後でわかったことだが、十名が精鋭部隊で、残りは彼らに付いてきた見習いということらしかった。こういう現場仕事で自らの有能さをアピールしたものが、討伐隊に引き抜かれるのかもしれない。


俺はこの塔の責任を預かる者として、彼らの到着を出迎えると互いに簡単な挨拶と自己紹介を交わした。


遠目に見た時に最も貫禄があるように見えた年長の男を俺はリーダーだと思ったが、彼は副長で、その横に立つ無表情を絵にかいたような細身の男が隊長だった。言葉少なく、人を無感動に眺めるあまり関わりたくないと思わせる男だった。


短いやり取りの中で俺の名乗りを興味なさげに聞いていた彼は、バートラム・エヴラールと名乗った。貴族階級については一切触れなかった。


寡聞にして俺には、彼が貴族階級の人物なのか平民出身なのかが分からなかった。もし貴族であるのなら普通は名乗りの際に、箔付けあるいは平民の俺に対する優位さを示すために自分の家あるいは自らの貴族位を口上として述べるのが普通なのだが、それについては言及されなかったのだ。


それは彼なりの信条なのか、それとも本当に平民であるのか、少し気になった。貴族であるのなら珍しいことだと思うと同時に面倒くさい。というのも、彼へのもてなしに不手際があった際に、その者の処遇をどうすべきなのか判断に困ることになりかねないから。バートラムが平民であるなら軍の規律通りの対処で問題ないのだが、貴族だった場合規律通りの処罰では満足しないだろう。


そんなことを考えながら俺たちが守っている拠点へと彼らを引き入れた。


最初俺は、彼らがエリート風を吹かせて俺たちをあごで使うのだろうと思っていたけれど、実際にはそんなことはなく、こちらにも的確に指示を出しながら、彼らは自分たちでもどんどんと作業を進めていった。その様は噂に違わぬ有能ぶりだった。


彼らは到着後すぐに塔内に用意された彼らの居住空間を整えると、そのまま休む間もなく打ち合わせに入った。


話し合いは明日になるだろうと思っていたが、俺の予想は完全に裏切られた。会議の招集が夕暮れ前にあり、呼ばれた俺は部下の二人を伴うと、事前に準備していた報告書の写しを持って慌てて会議室へ向かった。


討伐隊の副隊長であるロバート・ロンメルの司会のもと、開始の挨拶もそこそこにすぐに今後の予定に関する話し合いが始まる。だが、俺はそれに先んじて言わねばならないことがあった。あの森の不穏な気配についてだ。これを先に話し合わなければ、今後の予定も立てる意味を為さない。


「すみません。先に一つよろしいでしょうか」


俺がそう言うと、その場にいた他の者たちの視線が一気に俺に集まった。


この場には俺をいれて総勢二十五人。小さくも大きくもない部屋が、今は特別狭く感じられてしまう。


俺に向けられる視線は鋭いものだった。一般兵が何を、とでも言いたげな目つきに、しかし俺は怯んでなどいられない。言うべきことは言わねば、自分の職務を全うしたとは言えないから。


あれから、俺の方でも夜の監視任務についてライリーらと共に周囲の様子を観察してみた。すると、ライリーの言ったように遥か遠くのほうから、何やら不思議な気配を感じることがあった。森の生き物が騒いでいる。残念ながら視認することはできなかったが、音と振動とが微かにここまで届いていた。大きな質量を持つ何ものかの動き回るような気配とそれによって生き物が騒ぎ立てる騒めき。そうとしか言えない何かがあった。


俺は確かにそれをこの二週間で何度も確認していた。そして一つの重大な事実にたどり着いた。


そんなことがあって、俺は以前書いていた手紙の草案に手を加えて昨日のうちに清書していた。そして、つい先ほど会議の前にすでに補給部隊の隊長に、今までの報告書の写しの束とともに懸念事項をまとめた手紙を添えて、マティウス中隊長に届けてくれるように頼んでいた。彼らは問題がなければもうすぐ帰ってしまうからその前に渡しておいたのだ。


「どうぞ」


副隊長のロバートが口を開いて俺を促す。


俺はその言葉に感謝の言葉を述べると、一つ呼吸を挟んで俺は言葉を紡ぐ。


「最近の森についてです。これから森の調査に向かわれる皆さんの耳に必ず入れておくべきことだと思い、少しお時間を頂戴致します。まずはこちらをご覧ください。全員分のものを用意できればよかったのですが、何分森の中ですので、半数も用意できません。恐縮ではありますが、お近くの方とご一緒にご覧ください」


俺はそう言って、資料を配る。枚数自体は多くはない。


目の前の男たちが興味深げに資料を一部手に取ると、次の人へと回していく。


資料が行き渡ったことを確認してから、俺は話始める。中隊長に報告する手紙に書いたものと全く同じ内容の報告を目の前にいる精鋭部隊にも。最初彼らは半信半疑と言った様子だったが、資料と俺の話す内容に少しずつ眉間のしわを深くする。


過去の記録も確認してみたが、今回のような森の奥の異変について言及したものはここ一年分の記録の中には見つけられなかった。念のため、この季節に特有の現象なのかと思って数年分の秋期の記録も遡ってみたが同様だった。


つまりこれは、今に限られた特殊な出来事なのだ。森の中で何かいつもと違うことが起きているという徴。


俺がする説明を聞きながら、俺のまとめた報告書を見ていた彼らが隣同士で何事かを囁き合っている。


「夜行性の正体不明の巨大な魔物の活発化、か……」

「これはここ二週間のことです。これから森の奥の調査に向かわれる皆様に何かあってからでは遅いと考え、不確定情報ではありますがお伝えせねばと思いこうして簡単な資料を用意をしておりました」


「ふん。どうせ巨大と言ってもトロールやトレント程度のものだろう?その程度の魔物なら何度も討伐してきた。馬鹿馬鹿しい」


若手の隊員が自信ありげにそう言った。笑い声が追従するように上がる。


「私が今まで見たことのある生き物のなかで最も大きなものは、今あなたが仰ったトロールとトレントです。ここドラケンヴァルトに来てから見ました。なので、その魔物についての知識は多くはありませんが持ち合わせています。そして、だから私はこう言うことができます。この度の調査対象はそれよりもはるかに巨大であると」


笑い声が波が引いていくように収まった。


「どれくらいだ?」


副隊長が言う。


「トロールの体重の十倍はくだらないだろうと思われます」

「そんな馬鹿な!」


悲鳴のような声が上がった。それをきっかけに部屋中にざわめきが起きる。身長がゆうに五メートルに達するトロールよりも大きい存在という情報に調査隊たちですら色を失う。


「どうやってそんなことがわかる!」

「そうだ。夜間でしかもこの塔から離れずに対象の情報を得るなど不可能だ」

「魔法を使って調べたと資料にはあるが、そのようなことができる魔法があるなど聞いたこともないぞ。適当なことふかしてんじゃねぇぞ」


何人かが野次を飛ばす。


「はい。その通りです。そのような限定的な効果の魔法、調査に都合の良い魔法が存在するなど、寡聞ながら私は存じ上げません。ですが、出来るのです。そして、それはあくまでも基礎魔法の応用です。ご希望であれば今原理をご説明することも可能ですが」


俺はできるだけ冷静を装って言葉を続ける。


「少し黙れお前たち」


それは実に小さな声だったが、効果は絶大だった。一瞬で野次が収まる。振り上げかけた拳がそろりそろりと下ろされた。


ずっと無言だった討伐隊の隊長が俺に向かって話し始めた。それはよく通る声だった。


「貴重な情報を感謝する。それで一つ確認したい。君の説明では、日中はこの二週間何も起きていないことから夜行性の魔物であると推察されると、そして、振動を増幅する魔法によってその警戒対象の生物がトロールの十倍以上にもなる巨大な生物であると言っていたが、それはどれほど信頼がおける?君たちが何かを見落としている可能性は?貴重な情報の提供はありがたいが、不確定なことで現場に不必要な混乱を引き起こされてはたまったものではない」


バートラムが重々しく言う。


「相手が魔物である以上、不必要な警戒は別の事故を呼び起こしかねない。情報は慎重に取り扱わなければならない」

「はい。仰る通りです。それは私も重々承知しております。そのため我々はこの二週間、森の観察には万全を期して取り組んでおりましたが、今のところ日の出ている間には些細な兆候すら見つけられておりません。もちろん、こちらの不手際によって見落としているという可能性は捨てきれませんが、私はその可能性は低いとみています」

「ほう」

「私の部下たちは新人から入隊三年以内の経験が浅い者が多く、戦闘面の実力はまだまだです。ですが、監視任務については腕は確かであると私は思っています。と言いますのも、私はこれまで平民である彼らが、彼らなりに軍で生き残れるよう、その方法を模索してきました。そして、そのためには索敵が最も重要であろうという私の個人的な判断から、基礎的な魔法で音や光、匂いや振動などを感知する技術を重点的に指導してきました。こういった魔法は使用者の知識や経験に大きく影響を受け様々な応用が可能です。また、消費魔力量も多くありません。消費する魔力が少なくてすむため、魔力量の小さい彼らにも問題なく扱うことが可能です。これらの技術を活用して日々の任務にあたらせておりますので、他の隊よりも情報を集めることに関しては秀でていると自負しています」


ここで初めて目の前の男が笑った。


「聞いたことがないぞ」


誰かが小声でそう言うのが聞こえた。にわかに室内にざわめきが広がる。


「面白い。続けろ」

「はい。そういった理由から私は彼らが森で起こる様々なことを見逃す可能性は低いと思いました。なのに、日中は特に異常が起こっていない。なぜか?そう考えた時、我々の観測で情報が得られない理由、その答えは一つしかないと思い至りました。それは、日中は本当に何も起きていないのだろうということです」

「それで?」

「はい。もちろんいきなりこの結論に至ったわけではありません。最初私たちは日中は活動する生き物の多さと、その生き物たちの活動のために、些細な変化が覆い隠されてしまっているのだと考えました。そのため、さまざまに手法を変えて観測を続けました。音や匂い振動など生物固有の情報というのがあります。それを集めようと思いました。そして、最終的に我々は振動に着目しました。音声と地面を伝わる振動です。それにより、目的の対象は日中には活動していないことを突き止めました」

「……ほう」

「私は専門家ではありませんので、これから述べることは私の個人的な想像にすぎませんし、単なる推測の域を出ない考えです。それを承知の上で聞いていただけたらと思います」


調査隊の面々がとりあえず話を促すために頷く。


「我々は今までの経験から、生物はそれぞれが固有の振動を生み出すことを知っています。それは種としての生物、個体としての生物、両方の意味です。考えてみてください。例えば私たちの声は個人個人で違います。この声というのは言い換えれば空気中を伝わる振動です。この振動の周波数や波形などが、個性的な音として響くのです。そして、我々は魔物も動物も固有の声を出していることを経験上知っている。猫と犬の鳴き声は違うし、遠吠えの下手な狼だっています。また、巨大な生物、或いは群れをつくる動物などは、声以外にも振動を生みます。それは地面を伝わる振動です。この振動についてもまた、固有の周波数があることを我々は発見しました。声ほど精度は高くありませんが、重量のある生物とそうでない生物との区別はつけることが可能です。それは、重い生物が生む地面を伝わる振動と体重の軽い生物が生むそれとでは響き方が違うからです。これらは他と区別がつけられる情報です。我々は魔法で補助することで、そういった固有の振動から求める対象とそれ以外とを区別する手法を確立しています。この手法を用いて二週間の観測を行った結果、日中にはその対象は活動をしていないということが分かっています。記録した音や振動から、日中は目標と合致するものを今まで観測できていないからです。そしてまた、過去の記録から今回我々が警戒している対象が、トロール以上の重量を持っていることも判明しました。以上のことから、この度森に入られる皆様に何かあっては良くないと判断し、未確定の情報でありますが、先にお知らせさせていただきました。信じて頂けるかは、そちらの判断に全て委ねたいと思います」


俺はそれだけ言うと、さっと椅子に座った。後は彼ら次第だ。俺は問題の判断を全て偉い連中に丸投げすることができてほっとしていた。


「いや、ありがとう。すばらしい。なかなか有意義な情報だった」


副隊長のロバート・ロンメルが手を叩いた。


「君たちが提供してくれた情報にも、その君らが確立したという特殊な魔法の使い方についても私は興味がある。君たちにはその原理について明日にでも時間を作って実演を願いたいが可能だろうか」


バートラム・エヴラールが幾分か先ほどまでよりも親し気な調子で言う。


「はい。問題ありません。特殊な道具などは必要ありませんので簡単な準備があればすぐにでも可能です」

「良し。では、明日の彼らの実演如何によって今後の方針を固めようと思う」


すっかり静まり返った部屋中の視線が、バートラムに集まっている。


「彼の言うことはにわかには信じがたいことだ。しかも魔法の専門家でもないものが魔法の技術を語るなど片腹痛いと思う者もいるだろう。そして、なるほど彼の語った話はもちろん、あくまで可能性の一つに過ぎないものだ。だが、もしこれが事実であるならば早急な対処が必要となる。トロールは年に数件は遭遇情報がある相手で我々にもなじみのある魔物だが、その有害度は群を抜いている。毎年何人もの民間時のみならず多くの軍人までもがその討伐の最中に命を落としている。その凶悪なトロールを越える大きさの魔物となると、サイクロプスやエルダージャイアント、そしてドラゴンなどその種類は極わずかだ。しかもそのような脅威存在の発生など、ここ十年以上に渡って一度も報告されていない……」


討伐隊リーダーのバートラムの声は、重大な判決を述べる裁判官のように重々しいものだった。


「ゆえに、本当にそのような脅威存在がいるのならば、準備は早ければ早いほど良い。今我々がここへ調査に来たのも運命と考えることもできる。今後の作戦は彼らの情報を元に組み立て慎重に進める。肝心の森の調査には明日の彼らの実演を持って判断したいと思う。明日の内容如何によっては、明後日から早速森へ入ることになるかもしれない。森の奥に何が発生したのかを確定することは、この辺境の地の安寧を守るという点で重大な意味を持つ。皆そのつもりで調査の準備を進めろ」

「しかし、我々だけで人手は足りますか?もし本当にトロール以上の魔物がいるとして、個体数も把握できていない今、我々だけでは手に余ります。これから急いで別の部隊も呼びますか?」


副官のロバートが冷静に言う。


「当然だ。もちろんそうするつもりではあるが……」


そこでふとバートラムが俺を見た。その目には一つの決意。


「せっかくここに探索に長けている部隊がいるのだ。彼らにも協力を仰ごうではないか」


俺たちを見ながら、そう彼が言った。


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