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ヴィオラ小隊長の指導は俺の隊が魔の森へ配備されるまでの二か月間行われた。もちろん彼女自身も忙しい地位にあるので毎日訓練というわけにはいかなかったが、彼女の手が空いた時なんかは問答無用で呼び出されてみっちりとしごかれた。


指導するよう上からの命令があったにしろ、子供でもない俺にこんなに丁寧に指導していただいたことは大変ありがたくはあったが、それはそれとして、とんでもなく辛かった。


まず彼女の指導は、ガス小隊長もかくやと言わんばかりのきつさで、訓練中の彼女は完全に鬼か悪魔かといった具合だった。冷やかしで訓練を覗きに来ていた俺の部下たちは、日を追うごとに苛烈になっていく指導内容と彼女の叱咤激励に青い顔をして帰っていき、最後には必要がないときに見に来ようなどと考える者はほぼいなくなっていた。


彼女との特訓は事前に立てた予定以外にも、彼女の手が空いたときに突然組まれることもあった。だから、自分の隊の訓練をした後にそのまま魔法の訓練が入ってくるということもよくあり、そんな時は晩飯も食わずに帰宅後そのまま眠りに落ち、気づくと朝になっているなんて日がざらにあった。


指導を賜る側の俺としては辛いなんて言えるわけはないし、まして断るなんてことができようはずもなく、書類仕事のような机仕事は全て残業に回して時間を作った。


日に日に死人のような様相になっていく俺を隊員たちは化け物を見るような目で遠巻きに見ていた。


しかし、彼女の指導は実に筋道だっていて、俺の魔法の腕はめきめきと上達していったのは事実だった。さすが卓越した魔法技術を持っているだけあって、たくさんのことを学ばせてもらった。


俺が彼女から教えてもらった攻撃魔法の威力はすさまじいものだった。昔三人で見学に行った際に見せてもらった魔法に威力は落ちるが、それでも個人で扱う魔法としてはなかなか強力なものだ。彼女はそれが複数扱えるのだという。化け物か。


俺は彼女からそのレベルの魔法のうちのいくつかを初めに教わり、日々の練習による成長度合いを見ながらの細やかな指導を受け、最終的に二カ月で氷の魔法を一つだけ修得することができた。二カ月という短期間でなんとか目に見える成果を出すことができて、彼女とマティウス隊長への面目がたった。


俺が身に付けた新しい魔法は、多大な魔力の消費量も相まって気軽に使えるようなものではなかったけれど、きっと今後役に立つだろうという確信があった。


彼女から合格をもらった最終日、ヴィオラがおめでとうと一言言って解散となった。この魔法を使う上での注意点などは特に何も言われなかった。それは、実務的で余計なことを一言も喋らない実に彼女らしい振る舞いだった。


そして、それと同時に重い責任を俺は感じた。ただ必要だろうという理由で、軍の秘匿魔法の一つを伝授してくれた意味を考える。それから、マティウス隊長もヴィオラ小隊長も俺に多くを語らなかったことも。


それはつまり、彼らの俺への信頼の証だった。俺が、むやみやたらに危険な魔法を行使しないだろうという、そういう信頼だった。俺は、二人の期待に応えなければいけないと自分に言い聞かせ、同時に彼女から習ったこの魔法を間違っても必要のない場面で使わないと心に誓った。


この二か月間で辛い訓練や死にそうなほどの残業と引き換えに新しい魔法を修得した以外にも、嬉しい誤算があった。


それは、俺の必死な訓練の様子に感化されたか、あるいは俺の魔法の実力が向上したことへの恐怖からかわからないが、ともかく、なんと俺の部下たちもこの二カ月実によく真面目に訓練にそして任務に励んでくれたことだった。問題児のジャンとマーカスが随分大人しくしていたようで、俺がでしゃばらないといけないような大きな問題はほとんど起きていなかった。班長や分隊長たちが頑張ってくれたのだろうが、そのこともありがたかった。


やれば出来るじゃないかあいつら……なんて思ったりもした。


しかも、手の付けられなかったはずのやんちゃ坊主たちは、訓練が終了し通常業務に戻った今も変わらず真面目に俺の指示に従っていて、これならなんとか危険な森の任務にも対応できるだろうと期待が持てた。


そして、七月の末になった。俺を含むマティウス中隊長以下の面々がそろって、魔の森での任務に出発する日がやって来た。向こうについてからは一週間ほど別の部隊から業務の引継ぎが行われ、その後半年間魔の森周辺及び内部に駐屯し哨戒任務に従事する予定だった。また、討伐隊や調査隊のサポートなども請け負う。


だから、十月にある今年の慰霊祭は見られそうもなかった。今年は特に大々的にやる予定だと聞いている。隊員たちはみな一様にがっかりした顔をしていた。


俺自身はもう何度も辺境の森へ来ているが、中隊長としてここへ赴くのは初めてのことで若干の不安はぬぐい切れず、慰霊祭がどうこうという気分ではなかった。


俺の一番の懸念事項は無論今年入隊してきたばかりの新人たちだ。彼らにとってはそもそもここに来ること自体が初めてなのもあって、何が起こるかわからない。子供のころから身近な場所であるこの森について、まことしやかにささやかれる噂を嫌というほど聞いて育ってきている彼らは、目に見えて怖気づき緊張している者もいるが、半数は眉唾だとでも思っているのだろう、全く普段通りの様子だった。そんな彼らに事前に口を酸っぱくして危険性については話をしたが、実感がついてくるのはこれからだ。なんとか怪我もなく無事に最初の一か月を越えたいと俺は願っていた。


俺の指示に従って、到着早々に作業に移った部下たちを見ていると、先輩風を吹かせて新入りに過去にあった凄惨な事件事故の話を語って聞かせ、その青ざめた顔を笑っている奴らがいた。お前らも去年一昨年は似たようなものだったくせに、それをすっかり忘れてしまっているかのようだった。


俺は彼らの脅しを見逃した。あまり委縮させるのもよくないが、程よい緊張感は生存率に大きく貢献する。この森では一歩間違えれば簡単に命を落とすし、一つの油断が部隊全体の大きな被害へとつながるのだ。実際毎年、魔の森の任務にあたった部隊は数人から十人の死者が出る。けが人を含めればもっと多い。そして、犠牲になるのは入隊したての隊員が一番多いが、なんと二年目三年目の隊員の死傷者数は新人のそれとさほど変わらないらしい。慣れて油断しがちな二年目三年目のやつらもまた危険なのだ。


俺のとこは入隊三年以下の奴が特に多いから、気を配らねばならない。直接指揮を執る分隊長には俺と同程度の経験をもつ者に任せてあるので、彼らの手腕に期待していた。


そして、その期待は見事に当たった。


ここへ来て最初の一カ月は少々やらかしがあったが、部隊を離脱するものがでることもなく無事に過ぎ、二カ月目はさしたる問題も起こらなかった。これは大変なことだった。当初期待したように平穏無事な最初の月を越えただけでなく、穏やかな二カ月目を過ごすことができたのだから。


それもこれも、思ったよりも部下たちはしっかりと俺たちの指示を聞き、誰も無茶をしてくれなかったからだ。これは嬉しい成果だった。その上、事前に聞いていたほど魔物の襲撃も激しいものではなかったのも良かった。もちろん、ヒヤリとさせられる場面はあったが、みんなで協力して事に当たることで、起きた問題に難なく対処することができた。


そもそも、四六時中気を張り続けなければならいというのは、やはり精神的にも肉体的にも疲労のになる。疲労は不注意へと繋がり、不注意が大きな事故へと繋がる。


これまでの二か月間、ヴィオラから教えてもらった魔法を使う機会は一度もなかったことは実に幸運なことだと言えた。





任務着任の三カ月目、暦は十月になっていた。森の木々は赤や黄に色づき、日に日に葉を落とし続けている。冷たい風が吹いて、もう秋の終わりを感じさせた。冬が近づくと魔物の活動は低下する。寒さという危険はどうしようもないが、魔物の脅威は下火になるのは喜ばしいことだった。


しかし何事もそう上手くいくなんてことがあるはずはなく、この秋の風景に似つかわしくない不穏な一報がもたらされた。それは、ガスの小隊と入れ替わる形で、森の周辺での任務から森の中の砦での任務に配置換えがあって一週間たったころのことだった。


「森の中の雰囲気がおかしい?」


そう知らせてくれたのは分隊長のライリーだった。


夜勤と日勤とが入れ替わる午前。昨夜の監視状況の報告書を受け取った際に、簡単なやりとりをしながらいつもなら他愛もない話をするときに、思い出したように彼が言ってきた。


彼は平民出身の中肉中背の男で、ずけずけとものを言うせいで最初は他の隊員たちと軋轢を生みがちだったが、最近では随分他人を慮れるようになってきて分隊長を任せられる人材にまでなってくれた。俺が班長時代からのメンバーで、彼自身は意外と細かいことに気付く性格で、かつ索敵魔法に長けており、些細な情報でも気になったことはなんでも上げてくれる有能さを俺はかっていた。


毎日の日課の報告で、彼自身も話していることに確信があるという感じではなかったが、それでも一応懸念事項として報告を上げてくれたようだった。俺はガスから引き継いだ報告書の束をめくりながら、ライリーに話の続きを促す。


俺の視線を受けてライリーが事の次第を話してくれた。曰く、いつものように森の監視中の明け方ごろに森の奥で魔物が騒いだというのだ。それは微かなざわめきだったそうで、ほかの隊員は気づかなかったらしい。不穏な気配があったのは、俺たちが詰めている森の中の塔の近くではなかったと言う。風にのって普段とは違う気配や音が知覚されたのだそうだ。


しかも、三日前の真夜中にも同様の出来事があったらしい。それは短時間で収まってしまったことと、その時も彼以外の誰もそのことに気付いておらず、現場の混乱を避けるためにこうして同じような異変が起こるのを確認してから俺に知らせてくれたという。


ざっと目を通したガスからの引継ぎ書類にも特に何かがあるといったことは書かれていなかったが、俺はひっかかりを覚えた。それは根拠のないただの勘だったかもしれない。もしかしたら、新しい環境と危険な任務で警戒心が敏感になっていたのかもしれない。しかし、俺は自身の勘を信じることにした。いや、ライリーの勘を信じたと言ったほうが正しいかもしれない。


森の中に建てられたいくつかの塔は森を監視する最前線だ。それらは森の魔物と戦うための施設ではあったが、どちらかと言えば森の内部を監視し、いち早く危険や変化を察知して後方部隊へ報告を上げるための施設だった。あるいは、森と魔物の調査のための仮の宿り。あるいは、獲得した資源の一時保管場所。あるいは、森の内部での任務における緊急避難場所。


そういった種々の重要な役目を負った施設だった。


俺たちはその塔の警護を今任されている。周辺の木々を切り倒し、背の高い草を刈り取り、視界を確保し日々周囲の様子を観察する。討伐部隊ではないので、俺たちが積極的に魔物と交戦するというようなことはないが、塔に近づいたり塔周辺に居座るような魔物はとりあえず追い払うか、倒せそうならば倒すといった非積極的対処も任務に含まれた。


特に今は討伐部隊と調査隊が森の中に入り森の異変の調査を行っている。ここへも一週間後には本部から派遣された調査隊の一団が来ることになっている。そのための休憩場所の準備もしなければならない。今後の彼らの任務がスムーズに進むよう、些細なことも見逃すわけにはいかない。その前にライリーからもたらされた情報の信憑性を確認しておかなければならない。場合によっては彼らに調査報告を上げて、事実確認を行う必要も出てくるだろう。


俺はすぐにライリーに、夜勤組に監視の強化を周知させて今まで以上に周囲に気を付けるよう指示を出すと、その後で日勤組の班長に彼に伝えたのと全く同じ指示を伝えることにした。それから、次の補給のタイミングで中隊長宛の報告書とともに送れるように、ほかの部隊にもこの異変に気付いた者がいないかの確認を取ることを促す手紙の草案も書いた。


たんなる思い過ごしならばいいのだけれど、現段階で結論は出せない。情報が揃わない中で早急な結論は出せないが、出せないなりに彼らの到着するまでの間に、監視の強化と些細な変化がみられるかの詳細な報告をまとめないといけないだろう。


俺は今後のために、過去の記録をもう一度あたることにした。それから、自分でも夜間の監視に加わる必要があるだろうと考えた。そしてそのために任務の体制をもう一度調整しようとスケジュール帳を開いた。


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