13*
翌朝、別れを悲しむ子供たちに別れを告げて、故郷の町を出発した。
来る時と同じように一日徒歩で進み、四日馬車に揺られて王都へと戻ってきた。戻るとすぐに、俺は提出する書類の準備と魔法大会へ向けた魔法の練習に戻った。
静かな朝食、邪魔されない勉強、耳に残る歓声、暗闇の中の囁き声、穏やかな寝息、そういった数々のことを思い出しながら、俺は徐々にそういう子供らのいた日々から抜け出していった。
そんな風にして残りの休暇を過ごした。夏休みはあっという間に過ぎた。あっという間に過ぎ去っていった。
学園が再開し、俺はまた日常へ戻った。
相変わらずどこかの性格の悪い貴族連中が俺を見てくすくすと笑ったり、つまらない嫌がらせをしてきたりしたが、そういうのはもうどうでも良かった。逆に、いまだにそんなことをしている連中が哀れで可哀そうだとすら思った。強がりなどではなく、心からそう思った。
九月の残暑が徐々に緩み、秋の気配が感じられる頃、自分にとっては二度目の参加となる魔法技能演習大会の日がやってきた。
王都から離れた山の麓の森の中に、その会場はひっそりと佇んでいる。魔法の発動に学生が失敗するなどの不慮の事故による被害を抑えるためだ。会場自体にも防護魔法がかけらており、観客に被害が及ばないよう工夫もされている。
そこへ俺は学園が用意した馬車に揺られて到着した。
会場の観客席は、剣術大会のそれよりもぐっと中央ステージから離れている。そのため、こまごまとした魔法は見えづらさのために採点結果が低くなる傾向にあった。それに対して、見た目の派手な魔法は評価が高くつく。そしてそんな魔法を複数扱える魔力の大きい者ほど上位に食い込むことは、過去の入賞者の記録から確認済みだった。
俺の魔力は可もなく不可もなくといった程度だ。平均よりも多いとは入学時点で言われていたけれど、突出しているかというとそれほどではない。俺なんかよりも魔力量の多いやつはこの学年にはたくさんいる。俺の学年で最も魔法に優れていると噂のデミアンは当然その保有魔力量も図抜けているし、あの王子もかなりの魔力量を保持しているらしい。さらには他にも突出した魔力を持つ者が何人か。
そんな連中と比較すれば俺は全然目立たない方だった。
この魔法大会では下の学年から、そして授業の成績順位が下のほうから魔法を披露していく。一人一人の実演の後、八人の審査員が個々の評価項目について採点する。しかしその結果はその場では伏せられており、全員が魔法を披露した一番最後に全参加者の合計得点が順番に発表される。ここが一番盛り上がる瞬間でもある。
そして、各学年ごとに上位八人が表彰され、三位までの人物がそれぞれ特別に国王陛下から賛辞を賜るのだ。去年はデミアンが俺の学年での一位で、王子は四位だった。
会場の熱気はなかなかのもので、初参加ということで緊張した面持ちの一年生の実演から、今大会は始まった。
爽やかな九月の日差しと目に鮮やかな森の緑が会場を彩る。
その中央で、次々と個性豊かな演目が披露されていった。
俺が見ている間に、すわ失敗か、はたまた魔力の暴走かと思われるようなひやりとする場面はいくつかあったが、一年生の演技は恙なく終了した。新入生らしい魔法構成は、迫力とは程遠かったが十分練度が推しはかれる演技ばかりだった。
そしておそらく出場者の家族なのだろう、一塊の貴族たちが平民のそれと全く変わらずに一生懸命応援している様子がとても微笑ましかった。
休憩を挟んで午前の遅い時間から二年生の演技が始まる。俺は体調確認や魔法の最終調整、そして緊張を和らげるために、二年生の実演は見ないことにして一人会場から離れて時間を過ごすことにした。
残暑の熱を孕んだ秋の風が梢を揺らして通り過ぎる。その音に耳を澄ませていると、緊張感もいつの間にか遠ざかってしまった。
魔力を体の中で巡らせる訓練を一人黙々としていると、足音が近づいてくるのが分かった。そちらに顔を向けると、同級生のマルコとリヴィだった。彼らは森を通る小道を辿ってここまで来ていた。
彼らが俺を見つけると周りも気にせず話しかけてきた。二人とも平民仲間で、この大会の参加者だった。彼らは貴族の中にいては緊張もほぐれないということで、俺と同じように会場の外へでてきたらしかった。
三人で倒木に腰かけながら他愛のない話をした。これまでのこと。夏休みのこと。これからのこと。
彼らはもうすでに勤め先が決まっていて、この大会が終わればもう何もかもから解放されるのだと喜んでいた。重荷を肩から下ろした彼らは、夏休み以前よりも柔らかな雰囲気を纏っている。もはや、ぴりぴりとしたところはほとんどなかった。入学したばかりのころの、恐れを知らない頃の雰囲気と似ていると思った。それは喜ばしいことのように思えた。
他愛のない話の流れで、二人は俺が今後どうするつもりなのかと尋ねられた。俺はその質問に正直に、国家官吏になりたいと言った。なんの気兼ねも無くそう言えた。俺の返答を聞いて、二人はそれが当然と言う風に頷き合っていた。
その時、わっと会場の方からひと際大きな声と拍手とが響いてきた。俺たちは会話を止めて、その歓声に耳を澄ます。二年生の演技が終わったのだと分かった。つまり、もう間もなく俺たちの番だ。
会場からの高く低く響いてくる音を聞いて二人が腰を上げた。彼らは俺よりも順番が早いので、先に行って準備をしなければならない。
それを見て、頑張れという気持ちで手をふる。自然とそうすることができた。歩き出した彼らが途中で立ち止まって俺を見た。
「今まで、お前が貴族たちから難癖つけられていても助けてやれなかったのは申し訳なく思ってる。なのにお前はこうして俺たちと普通に接してくれる。ありがとう。お前は俺ら平民の期待の星なんだ。今更こういうのもおこがましいけれど、頑張ってくれよ」
マルコが意を決したようにそう言った。その声は幾分硬質な響きを持っていた。
「私も、今まで勉強手伝ってくれたこと感謝しているの。ありがとう。あなたのおかげで無事に勤め先が決まったわ。私の未来が開けたの。本当に嬉しい。あなたなら優秀な官吏になれると思う。応援してる」
リヴィがはにかみながら言った。その笑顔は一年生の時のそれとほとんど同じだった。
それだけ言って二人は自分たちの準備のために去っていった。俺はありがとうと、なんとかそれだけを言うことができた。
俺は自分の番がくる直前まではここにいようと考えていたけれど、思い直して会場へ向かうことにした。観客席は人でいっぱいで、俺は空いていた会場の隅の方にある席に腰かけて、同級生たちの実演を見た。
マルコもリヴィも、嫌味を言ってくる貴族のオーガスもレイノルドも緊張しながらもすばらしい技術を披露していた。俺は惜しみない拍手を送った。
それから、とうとう俺の番が近づいてきて、参加者用の通用口へと向かった。途中控室があって、俺はそこを素通りして会場の入り口へ向かうつもりだった。
控室前には、デミアンと王子が立っていた。会いたくない人物に出会ってしまった気まずさに俺はどうしようと逡巡しながら、彼らの前で立ち止まったり回れ右をしたりするのは失礼だし、恥ずかしいと思うと、歩みを止めることはできなかった。
彼らが俺を見ている。
彼らの視線に射殺されるのではないかと、全身に緊張が走った。肌が泡立つ感覚と視線が突き刺してくるような錯覚に耐えて、俺は彼らの前を何でもないことのように振舞って通り過ぎようとした。
通り過ぎざまに無言で会釈をした。
彼らは何も言わなかった。
二人が俺の視界から外れた時は、安堵とともにため息が零れた。どんなテストや発表よりも緊張していた。
そのまま通り過ぎる。俺は話しかけられなかったことにほっとして、すっかり緊張が緩んでいたところに前触れもなく背後から名前を呼ばれたため、飛び上がりそうなほど驚いた。
意志の力で過剰に反応してしまいそうな体を押さえつけ、辛うじてそんな恥ずかしい振る舞いはせずに済んだが内心の動揺は大きかった。
俺は自分の心臓が激しく鼓動するのを感じていた。
それから一瞬心を落ち着けてから、何気ない風を装って振り返る。
なんと言っていいかわからなくて、黙って二人を見つめていると王子が口を開いた。そして一言だけ言った。
「がんばれ」
たったその一言だけだった。
その言葉の響きの中には、こちらを心から慮るような労わりが籠められているような気がした。
王子はそれ以上は何も言わなかった。ただ、じっと俺を見ていた。緊張した面持ちだった。
俺は知らず微笑んでいた。それだけで満たされたような気がした。
「うん。ありがとう」
俺は、余計なことを言ってはまた言いすぎてしまうのではないかと恐れて、そして、思いがけない励ましの言葉に驚いたために、たったそれだけしか言えなかった。それだけを言って歩き出した。
扉をくぐって会場に出ると、わっという人々のざわめきが熱気とともに押し寄せてきた。
俺は去年と同じようにまっすぐにステージ中央へ歩く。
司会者がいるその隣へ進み出ると、静かにするよう司会者が観客に語り掛ける。しばらく間があって、静かになった頃合いに、司会者が俺の名を告げる。家名のないただのキースと。
それから、所定のやりとりののち、俺の演技が開始された。
一つ息を吸い込んで、まっすぐ前を見た。上空から、まぶしい日差しが降り注いでいる。足元に黒い影が落ちている。
人々の視線が痛いほど俺に注がれている。そのほとんどは俺のことなどなんとも思わない人々の視線だった。興味の無い人間に注がれる透明な視線。それは逆に喜ばしい。なぜなら、緊張しなくて済むのだから。
俺はそっと息を吸って集中する。大丈夫。やれる。なぜか、何の心配もなくそう思った。そんな確信があった。
俺の順位がどうなるかは知りようがないけれど、俺のやりたいこと全てが俺の思った通りに上手くいく気がした。
日差しが暑い。俺は少しだけ太陽を見上げた。大丈夫。
俺は魔法を展開する。自分を中心に半球状の空間を生成した。それは、魔法技能演習大会にあっては、地味すぎる魔法だった。何が起こっているのか、ほとんどの人には見えないだろうから。
何が起きているのかわからない観客から、ざわざわといぶかる声が届く。他の三年と比べれば地味でつまらないからだろう。
けれど、これは俺のこれからやろうとすることにとってはとても重要だった。
半球状の空間内の温度が下げる。今日は予想していたよりも暑いから、ぐっと温度を下げなければいけない。そこが少し気がかりだった。
俺の魔力が消費され、徐々に空間内の温度が下がっていった。それに伴って、ステージの石畳に冷やされた空気中の水分が水滴となって落ち始める。俺の制服も濡れていく。
目標となる温度に到達した。そこから、今度は冷気の魔法を使いステージ上に氷の魔法陣を描き出す。俺は水滴で濡れそぼったステージに薄い霜の幾何学模様を生み出した。
歪な形になると上手く魔法を発動させられないため、俺は慎重に文様をステージ上に描く。汗が首筋を流れた。
やっと変化が起きたことに気付いた人々が、ほぉっとため息を吐くのがかすかに聞こえてきた。
氷の魔法陣が完成した。複雑な文様は、繊細な魔法を発動させることの証だった。俺はそれに魔力をゆっくりと注ぎ込む。遅すぎてはいけない。制限時間があるから。早すぎてもいけない。作りたいものがうまく形を成せないから。
静かに静かに俺の計画は進行していく。
足元から氷柱が立ち上る。それは幾本も幾本も、ゆっくりと、歪な形を為しながら生えていく。伸びながら枝分かれしていく。
慎重に。そう自分に言い聞かせる。
折れ曲がり曲がりくねりながら、細い氷柱が徐々にその正しい姿を形作る。それはどれも幾重に折れ曲がり、枝分かれし、重なりながら伸びていった。そして、その先に透明な葉をつけた。氷の薄い葉をつけた。
氷の茂みが生まれる。
太陽の日差しを受けて、それらはきらきらと輝いた。けれど、暑い日差しのせいで解け出しそうになる。俺は半球状の空間内の温度をさらに下げた。汗をかいた体が冷えてぶるりと震えた。
俺は途切れそうになった集中を意志の力で繋ぎとめる。ここからが重要だった。
俺は魔力を流し込んで、生まれた氷の茂みにさらなる変化を起こす。
それは、徐々に起こり始めた。じっと見ていると、茂みの上に静かに何かが生まれ始める。最初は小さな氷の塊のように見えていたそれは、徐々に大きくなり、そしてゆっくりと形が出来ていく。
はらりと、バラの花が咲いた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
観客席から感嘆の吐息が徐々に響いてきた。
いける。そう思った。
俺はさらに多くのバラの花を生み出すと、今度は出来上がった氷のバラ園の中央に意識を集中させる。
体から魔力を絞り出して、大きな氷塊を二つ生み出す。こんなに寒いのに背中を汗が伝って流れた。
バラの茂みに囲まれた二つの大きな氷の塊を風の魔法を使って成型していく。
いつかアルベルトと見た劇を思い出す。興奮気味に語り掛けるアルベルトの顔が思い出された。
二つの氷の内、一つは王子の、もう一つは平民の娘の形になっていく。
限界が近い。思ったよりも魔力の消費が激しかった。気温と日差しのために、魔力を使いすぎてしまっていた。眩暈がする。呼吸が苦しい。
でもあと少し。あと少しで完成する。俺は意識を繋ぎとめてなんとか集中しようとした。それなのに頭がぼんやりして、氷像の顔がうまく作れない。まずい。
なんとか吐き気を抑えようと大きく息を吸った。
その時、遠くから声がした。群衆のざわめきの中から、はっきりと声が聞こえた。
俺はつい、その声のしたと思われる方をみた。声のしたと思われる方を見遣ると、アルベルトがいた。俺を見ていた。真っ直ぐに。遠くにいるけれど、はっきりと見えた。
互いの視線が交錯した気がした。
その瞬間、かっこ悪い所は見せられないと強く思った。
俺は最後の力を振り絞る。もう一度、吐き気を意志の力だけで抑え込んで集中しようと試みる。
俺はこの舞台上に、輝く瞳、輝く髪を再現したかった。自分の茶色い目と茶色い髪とは全く違う、青い瞳と金の髪を再現したかった。
そのことだけをただひたすらに願った。
そして、全身から力が抜けて立っていられなくなったころ、やっとそれは完成した。完成の合図をした。
二つの氷像が向かい合い互いに手を取り合っている。日光を反射してきらきらとまぶしく輝く。
「王子と町娘のワルツ」
俺がそう名付けた演目。その全貌が今衆目にさらされている。
それが完成したとき、生まれて初めて万雷の拍手に迎えられると言う経験をした。鳴りやまない拍手と称賛の声が耳に届いた。
なんとか完成させることができて、こうして大きな歓声に包まれて、俺はもう結果などどうでもいいと思った。それだけの達成感が俺の心と体を満たしていた。
記憶の中の悲し気に俯く彼の顔が笑ったような気がした。