怪異とミステリー
「……見たんだね?」
リビングに飛び込んできた僕を見て、さかえ義兄さんは無造作に、ゲームのコントローラーをソファに放り出す。目の前でプレイヤーキャラが敵に殴られ、「YOU DEAD」と表示される。それを振り返って悲しそうにため息をついたあと、義兄は僕を見上げて、確認するように問いかけてきた。
「なん、です。あれ」
僕はそれだけ言うので精一杯だった。写真の異様な人影は、それだけでおかしなものという印象が強く、だからこそ、咄嗟に冷静に、警告を発したさかえ義兄さんが何かに気付いたのでは、と感じた。
しかし僕の予想と期待に反して、義兄の反応はやけにあっけらかんとしたものだ。
「知らないよ、あんなの」
あまりの言いぐさにきょとんとしていると、さかえ義兄さんは虚空を睨んで、癖っ毛の髪をひとつまみ。鼈甲柄のメガネをあげてから口を開いた。
「そりゃぁ、ねえ。心霊スポットで撮影されたとはいえ、謎の人影がはるちゃんが撮った写真に写り込んでるんだよ。俺としちゃ、可愛い弟を怖がらせて、何してくれちゃってんのー、って思うでしょ」
「………………」
その言葉に同意できないさまざまな要素があり、僕は黙り込んで遺憾の意を表明した。だがさかえ義兄さんはそのことに気付いていない。
「つまり義兄さんは、あの人影が僕に向かって手招き——」
「はるちゃんストップ」
なぜか言葉を遮られ、僕は思わず仰け反った。
「言葉は大事に使いなね。君ライターなんだから。そう見えた、と思ったから言ったんだろうけど、口にした時点で、それが真実になっちゃうよ」
意味がわからない、謎かけのような言葉。僕は首を傾げるほかない。
するとさかえ義兄さんは長い指をぴっと立て、唐突に問いかけてきた。
「『橋北中学校水難事故』——知ってる?」
知ってるも何も、オカルト関連では有名な話だ。尤も、その原因に超自然的な何かがあるわけではないことは、もう解明されているが。
「1955年に発生した水難事故ですね。多くの女子生徒が水泳の授業中に溺れてしまったという」
「はるちゃんは物知りだねぇ」
長い腕が伸びて、またぽんぽんと頭を撫でられた。僕はその手を振り払って続けた。
「言いたいことはわかりますよ。実際は離岸流で生徒が沖まで流されたのが原因なのに、ずいぶん最近まで、空襲で海へ逃げた者たちの怨念、なんて噂されていたんですっけ」
「そう。言葉っていうのは意味がある。力がある。だから、誰かがそうだと言えば、それが真実になってしまう。言葉は大事にしないとね」
つまり義兄さんは、今回のことで言えば、「あの人影は手招きしていた」と僕が言えば、あれは手招きしていた「ことになってしまう」——、と言いたいのだろう。どうにも迷信的なうえ、例えがずれているように感じはしたものの、これ以上話を続けても本題から離れていく気がしたので、僕はそれについてはあえて触れず話を戻すことにした。
「義兄さんは、僕の言葉遣いや行動にいちいち文句をつけたりしないでしょう」
「まあ、ねえ。はるちゃんももう大人だし」
「なのに、あのトンネルについては行くなと言い、僕の言葉の選び方を訂正までした」
僕の頭には、過保護、の一言が浮かんでいた。なぜこんなにも、義兄さんは僕の行動を制限してまで、このトンネルと関わらせたくないのか。
「心配なんだよ、はるちゃんが変なのに絡まれないか」
「それ、いつもの子ども扱い……以上の心配ですよね。義兄さんが特別このトンネルを警戒する、何かがあるんだ」
「買いかぶりだよぉ」
ヘラヘラ笑うさかえ義兄さんを無視して、僕は続ける。
「そう考えると、ピースがうまくつながるような気がするんです」
「ピース?」
表情の読めない笑顔で僕を見上げるさかえ義兄さん。僕は息を吸いこんで、少し緊張をほぐすように目を閉じてから話を始めた。
「不思議に思ったのは、驚くほどあのトンネルの動画が少ないことです」
取材に協力してくれた人は、動画の撮影や肝試しで、多くの若者があのトンネルを訪れていると言っていた。でもなぜか、動画はない。あったのは悪戯動画だけ。
「撮影に入った若者は一体、撮影データをどこにやったんでしょうか」
お菓子の空袋や花火のゴミ。間違いなくあのトンネルに若者は来ていたはずだ。取材した地元の方も、スマホを持って叫ぶ若者を目撃している。
なのに、動画は上がっていない。不自然だ。
「撮れ高無さすぎて、お蔵入りにしたとか」
「考えにくいですよ。昼間行った僕が変なの撮って帰ってくるような場所ですよ、何人か何も起きなくて肩透かしを食ったとしても、それが全員、とはとても思えない」
それに、何も起きていないなら何かしらフェイクを入れて、心霊動画を作ることだってさほど難しいことじゃない。
「逆です、義兄さん。何も起きなかったからお蔵入りにしたんじゃない。あのトンネルで何か起きてしまったんだ。行ったほとんどの人はそれを経験して、逃げ帰った。動画データをもう2度と見たくないって思うくらいの恐怖体験を」
叫んでいた、と取材した地元の人は言っていた。騒いでいた、じゃない、叫んでいた、だ。彼らは叫んでいた。悲鳴だったのかもしれない。
「……なるほど。だからはるちゃんが怖い思いをしないように、俺は2度とあのトンネルに行くなって言った、と」
「まだあります」
俺ってばなんて弟想い! と自画自賛するさかえ義兄さんをピシャリと黙らせ、僕は続けた。
「トンネルで若い人が叫んでいたら——もっというと、悲鳴をあげたら。普通心配になりませんか。でなくても文句を言いに行ったり、誰か入り込まないように立ち入り禁止の立て札を立てたり、柵を設置したり」
「……まあ、来るなって思ってるならそれが一番手っ取り早いよね」
少しばかり不貞腐れたさかえ義兄さんの反応は無視して、僕は続けた。
地元民の対応は、あまりにも無関心だ。トンネルの怪奇、話題になっても良さそうだし、本当に迷惑なら、何かの対策を取っても良さそうなのに。そう言ったものは、何もなかった。
「やらないんじゃない……やれない、んじゃないでしょうか」
「住民にとっては、近づくのも怖いスポットってことか。それで?」
「だから、あそこは怖いから近寄ってはダメだよ、と警告する以外の対策が取れない。——本当は実害、出てるんじゃないでしょうか」
だから近づくのも、それについて考えるのも嫌なのだ。
「……うーん、じゃあさ」
ポリ、と頬をかいて、それからさかえ義兄さんはまた鼈甲柄のメガネをあげた。
「道そのものをぶっ潰しちゃえば良くない?」
「……………………」
僕は黙り込んだ。言われてみれば……たしかに。
トンネルは廃道の奥にあるのだから、道を閉鎖してしまえばおしまいだ。
「はるちゃんの推理を聞かせてもらったことだし、僕もちょっとお話を聞いてもらおうかな」
さかえ義兄さんは、不思議な笑顔を浮かべてソファに座り直した。