廃トンネルのウワサ
——ええ、お問い合わせいただいた、あの○○トンネルのことです。
もともと地元の人はあんまり使わない道だったんですよ。山道ですから狭くて、暗くて、道が通ってた時も結構事故も多かったらしいですし。そもそも、その先の道が完全に通行不能になってて、今や廃トンネルですから。
でも割と今でも行く人が多いみたいですね。なんでも、雑誌で取り上げられたらしいですよ、なんて言ったかな、そうそう、「ヒトバシラトンネル」。
あそこのトンネル通す時に、何人か工夫さんが亡くなったとかで、今でもあの壁には死体が埋まってるとか、そんな話があるんです。
——誰から聞いたか?
さあ、なんていうか、あのトンネルの話が出ると大体、そういう話題になりますからねぇ……。最初に誰から聞いたか、だなんて、考えたことも……。
まあ、でも迷惑な話ですよ。撮影用のスマホもって大騒ぎして、肝試しだか動画撮影だか知りませんけど、夜中あの辺りで叫ぶやつが多いのなんの。
ヒトバシラさんも近所に住む我々も、とんだ安眠妨害ですよ、まったく……。
ああ、あなたも取材に来たんでしょうけど、間違ってもあの辺りで大騒ぎなんかしないでくださいよ、迷惑なんだから。
◆ ◆ ◆
自身のSNSで取り上げるため、とある心霊スポットで取材した内容をICレコーダーで聴きながら、僕はため息をついた。
フォロワーさんからいただいた情報に出てきた、「心霊現象が起きる廃トンネル」。地元の方に頼み込んで取材に応じてもらったものの、今回はなんだか無駄骨に終わりそうだ。
廃トンネルは中部地方のとある廃道にある、小さなトンネル。森の中を通るその道は、過疎化や道の先にある施設が閉鎖されたこともあって、やがて使われなくなっていったという。今ではトンネルの奥で土砂崩れがあり、完全に塞がれた廃トンネルだ。
怪談としては、いわゆる「事故が多い」「トンネル途中で止まると誰かが中に入ってこようとする」「走っているとボンネットに手形」といったありがちなものばかり。地元の方の話でさらに「建設中に死んだ工夫が埋められている」という情報も出てきたが、あのトンネルで事実人柱が立ったのなら、近くに慰霊碑くらい建てそうなものだ。
「でも、なかったんだよなぁ」
トンネルまで撮影に出かけたが、結局それらしいものは見つけられなかった。
人柱が埋まっていたトンネルの話は、実際話題になったことがある。ただそもそもくだんのトンネルが、人柱を立てるレベルで古いという話は聞いていない。よくある、高度経済成長期に作られたコンクリート製のトンネルだ。非人道的な史実はなかったと見るべきだろう。
肝試しや廃墟突撃動画の撮影に若者が来ていたという話もあったが、YouTubeにもそれらしい動画はほとんどなく、あったのはフリー素材の幽霊の声だの影だのを使った悪戯動画が1件。
所詮噂。人柱の噂も、その他怪奇現象も、雑誌か何かに取り上げられた際、それがさも真実であるかのように信じられているのだろう。
まあ、こんなことはよくあること。簡単に報告を投稿して、また新しいネタを探しに行くのが良さそうだ。
もう一度ため息をついて、それから僕は投稿用の文章を作成しようと、メモ帳を立ち上げた。メモリカードの写真を表示させたまま、さて書き出しをどうしようかと頬杖をつく。と、傍にあったコップにシュワシュワと音を立てて炭酸水が注がれた。
「ずいぶんとご機嫌ナナメだねぇ、はるちゃん」
言いながら、僕の頭をポン、ポンと2度優しく叩くようになでつけ、手元を覗き込む人。僕は頭に置かれたままの手を振り払い、振り返って唸った。
「いい加減、子ども扱いしないでもらえませんか、さかえ義兄さん」
さかえ義兄さんというのは、僕の姉の夫にあたる人だ。姉のれおなは去年事故で他界。義兄さんは今は僕と同居している。……いや、これについては僕が、姉夫婦の新居に転がり込んだ、というのが正しいか。
2年前、心を病んで仕事を辞めて、実家に帰りにくくなっていた僕をみかねて、姉が同居を申し出てくれた。新婚だったのにその時姉の申し出を却下せず、同居してもいいと言ってくれたさかえ義兄さんには、今も頭が上がらない。上がらない、のだが、困ったことに義兄は何かにつけて僕のことを「はるちゃん」と呼び、子ども扱いしてくる。僕ももう25歳。いい加減対等に接してほしいと思うのは、僕のわがままだろうか。
義兄さんは僕の抗議に肩をすくめると、ごめんねぇ、となんの言い訳もなく謝ってきた。この謝り方、やっぱりまだ、子ども扱いなのだろうな。
「それで? 何がそんなにお気に召さないのさ?」
……こういう質問の仕方もかなり子ども扱いだろう。もっとも、さかえ義兄さんは姉と干支半回りも年上で、僕とは10歳の差。諦めるほかないのかもしれない。
「……このトンネルの噂、所詮噂なんだろうなって」
僕はもう何も言わず、画面を覗き込む義兄が見やすいように椅子を引いた。それからこのトンネルについて、これまで分かったことを簡単に説明する。
「それで一応、取材には行ったんですけど、あまりその……話題性に欠ける、というか」
「なるほどねぇ」
ため息混じりの相槌と共に、さかえ義兄さんは撮影した写真のデータをスクロールしていく。しかし、やがてぴたりとそれを止めると、静かに静かに、マウスから手を離した。
「……はるちゃん」
「……なんですか」
またちゃん付ですか。うんざりしながら問いかけると、いつになく真面目な声音で、さかえ義兄さんは囁いた。
「このトンネル、もう行くのやめなね」
「……は?」
「リビングでゲームしてるね」
なぜそんなことを言うのかわからず、僕はさかえ義兄さんを振り返った。しかし義兄さんはそれ以上何も言わずに、部屋を出ていく。
「……?」
僕は首を傾げながら、先ほどまでさかえ義兄さんが見ていた写真データを見直した。
義兄はデータを最後まで見終わったわけではないし、特大サムネイルにしてあるとはいえ、表示は小さな画像。僕自身、大量に撮影したデータを全て確認できているわけではなかった。必要な写真を中から選べばいいか、と思った、の、だが。
「何を、見てたんだ……?」
もしかして、さかえ義兄さんは、この画像の中に何かを見つけたのか。
僕は写真データをビューアーで開き、スクロールで一枚ずつ確認していった。入り口の写真、周囲の写真、入り口から奥を見た写真、壁一面に書き込まれた落書きの写真、菓子の空袋や、花火のゴミの写真……。
「——!?」
その中の、ある一枚が表示された時、咄嗟に僕は仰け反った。
前後もほぼ同じアングルで撮影されているのに、一枚だけ、言葉では言い表せない、不安と嫌悪と、恐怖が表に湧き出てくるような、そんな風に感じるデータがあった。
——その写真は、トンネルの半ばから、外に向かって撮影したものだ。向こう側、逆光になったトンネルの出口近く。
そこに、人影があった。
僕は一人で取材に行った。そこに人がいる心当たりはない。何より、他の写真には写っていないのだ。同じアングルで撮った直前、直後の写真にすら。
「なんだ、コイツ……?」
人影というだけなら、まだそこまで動揺しなかった。その人影が、異様に髪が長く、異様に背が高く、異様に手足が長く、頭がトンネルの天井に接し、髪と片手が地面を這うような見た目でなければ。
これを、さかえ義兄さんはサムネイルで見つけたのか。他の写真にはない、この写真にだけ写り込んだ、この人影を。
その写真データを睨み続け、あることに気付いた僕は、気づけば席を立って部屋を飛び出していた。
——「このトンネル、もう行くのやめなね」——
さかえ義兄さんが言ったその言葉の真意を、ようやく理解できたと思った。
その異様な人影は——
撮影者、僕の方をまっすぐに見て、まるで、手招きをしているように見えた。