第漆拾肆話 上に立つ者としての度量
「んじゃまぁ、ボチボチ始めるとしますか」
「幸せそうな人間達の顔が絶望に染まる瞬間がたまらないんだ。早く拝ませてくれ」
曇天の空に魔法陣が浮かび、悪魔の軍勢が召喚される少し前。
王宮から少し離れた建物の屋上に、怪し気な影が二つあった。どちらも身体をすっぽり隠す黒い外套を羽織っており、赤い傘を差している。
外見も相まって見るからに怪しいが、高度な隠蔽魔法によって二人を認識することはできない。サイの千里鑑定眼すらも欺いていた。
「おいおいサレオスさんよ、オレ達の目的はあくまでも“左腕”だ。それを忘れないでくださいよ」
「一々言われなくてもわかっている。調子に乗るなよ、殺すぞ」
「はぁ~やれやれ、何でオレがこの人と組まなきゃならんのかねぇ。まぁいいか、さっさと終わらせよう。【悪魔降臨】」
一人が空に向かって手を翳しながら呪文を唱えると、巨大な魔方陣が浮かび上がる。すると魔方陣から、レッサーデーモンを始め多くの悪魔が這い出てきた。
作戦の第一段階が成功したことで、傘を持つ者は深い息を吐いた。
「よし、こんなもんだろう。後は王宮の中にいる左腕が一人で出てくるのを待つだけだな。流石に白竜と【五星天】がいる王宮に突っ込みたくはない」
「出てくる。奴は今魔王の配下を破って調子に乗っている。賢い人間でも、調子に乗っている人間はまともな判断ができない」
「ひゅ~、人間を知り尽くしている人は怖いねぇ」
◇◆◇
「竜王騎士団を出動し、魔物を排除してください。軍隊もこれに加勢し、平行して市民の避難と誘導を急がせなさい」
「はっ、ただちに」
国内に魔物が現れたことは、大陸会議を行っていたアルミラ女王を始め各国の要人の耳にも入っていた。アルミラは側にいるエイダン宰相に命令を下し、エイダンは軍の指揮を執るために『円の間』を出て行った。
「まさか魔物の襲来とは……」
「ドラゴニス王国は平和な国ではなかったのか? いったいどうなっているんだ!?」
「ちょっと待ってくれ、ここは安全なんだろうな」
「アルミラ女王、ご説明願いたい!」
魔物の襲来は寝耳に水で、各国の要人達は激しく狼狽えていた。そんな中、アルミラは毅然とした態度で代表達に話しかける。
「このような事態を招いてしまい、お詫び申し上げます。ですが皆様、どうか落ち着いてください」
「落ち着いてなどいられるか! 魔物が襲ってきたらどうするのだ!?」
「そうだ! この国は魔物と戦った経験がないのだろう! ろくな戦力もないのに安心できる訳がないだろ!」
「そもそも何故魔物が侵入したのだ。お得意の『竜魔結界』とやらはどうなっている!」
「我等に何かあったらどう責任を取るつもりだ!」
代表達の怒りが収まるどころか逆に燃え上がり、アルミラが方々から糾弾される中、突然ダンッと叩くような音が響き渡った。
驚いて静まり返った代表達が音の方へ視線を向けると、ゼーラ帝国第五皇子のクリフォードが円卓に拳を叩きつけていた。
「くだらない。国を代表する者が揃いも揃って文句しか言えんとはな、恥を知れ」
「「……」」
何を若造が偉そうに! とは誰も言えず皆が押し黙ってしまった。相手が若造であってもゼーラ帝国の皇子で、英雄と呼ばれるクリフォードだ。下手なことを言ったら国ごと消される可能性だってあり得る。
それぐらい、どの国もゼーラ帝国を敵に回したくはなかった。
「ふん、だんまりか。これだから弱小国は……もういい、俺が魔物を蹴散らしてくる」
「ちょ、殿下!?」
言い返して来ない代表達に呆れたクリフォードは席を立って『円の間』を出て行く。配下のゴルドーも慌てて追いかけ、主君に問いかけた。
「魔物を蹴散らすとはどういう意味ですか」
「そのままの意味だ」
「なりませぬ。左腕のこともあって殿下はまだ体調が戻っていません。それにわざわざこの国の問題に殿下が関わる必要はありません」
「ゴルドー、お前までくだらん事を言うな。例え自国でなくても、目の前で民が苦しんでいるんだぞ。ならば一人でも多くの民を助けるのが皇子としての役目だ」
「殿下……」
クリフォードの皇子としての発言に、ゴルドーは感動していた。彼がやろうとしている事はまさに英雄である。やはり皇帝に立つべき者はクリフォードこそ相応しい。
そんな事をゴルドーが考えているとは知らず、皇子はにやりと口角を上げた。
「丁度いい、平和ボケした国に来て身体が鈍っていたんだ。やはり戦いこそが俺の居場所だ、行くぞゴルドー」
「はっ、はい!」
やっぱりただ憂さ晴らしをしたいだけなんじゃないか? と疑うゴルドーだった。
クリフォードとゴルドーが颯爽と王宮を出て行く中、『円の間』では微妙な空気が漂っていた。場の空気を荒らしたクリフォードが出て行ってしまったからだ。
(ほっほっほ、英雄と呼ばれるだけはあるの。一気に場の雰囲気を変えおったわ)
【五星天】のシリウスは胸中でクリフォードを褒めていた。代表達が憤慨して歯止めがきかないところを、皇子が一言で黙らせた。鶴の一声とはまさにこの事だろう。
ゼーラ帝国の皇子だからというのもあるが、彼の風格に怯んでしまったのだろう。ここにいる代表達よりも王に相応しい風格に。
シリウスは微妙な雰囲気を斬り裂くように口を開いた。
「アルミラ女王を責めても何にもならんじゃろ。恐らく魔物は召喚魔法とかで『竜魔結界』の内側から侵入したんじゃろうしな」
「そ、そうなのですか……」
「儂もちょっと外に出てくる、ここに居っても魔法が使えないからの。な~に、心配せんでいいぞ。王宮に結界を張っておくから、ここにいる者は安全じゃ」
「そうですか! 【五星天】のシリウス殿がそう仰るのなら心強いですな」
「ジニー、お主もついてこい」
「はい、師匠」
王宮内だと魔法を使うことができないため、シリウスは弟子のジニーを連れて王宮の外に出ていく。
彼等に続くように、シロエもレオガルド国王に発言した。
「王様、シロエも魔物の数を減らしに行ってくるにゃ」
「うむ、深追いはするなよ」
「わかってるにゃ。クロメ、王様のことは任せたにゃ」
「ああ、そっちも気をつけるんだぞ」
レオガルドの護衛をクロメに任せたシロエは、王宮の外に出ては目に付く悪魔を片っ端から屠っていった。
「大丈夫かな~モティ」
「心配ございませんよ、陛下。ここにいるのが一番安全でしょう」
不安がるスナック国王に、モティ宰相が安心するような言葉を送る。脅えているのは彼だけではなく、非力な代表達も同じだった。
竜王騎士団やシリウスといった戦力があるとはいえ、魔物の大群が攻め入ってきたと思うと怖いものは怖い。
情けなく脅えている代表達とは違って、アルミラとレオガルドの二人は全く同じことを考えていた。
((気になるのは、誰がどんな目的で攻め入ってきたのか))
ただ魔物や魔族が人間を滅ぼそうと攻め入ってきたのならそれでも構わない。だがもしもこの事態を招いたのが人間だとするならば、何かしらの思惑が絡んでいる筈だ。
そう考えるのが妥当だろう。何故なら余りにもタイミングが良過ぎるからだ。各国の代表が一堂に会するこのタイミングで仕掛けてきたということが。
一番に考えられるのは、この場にいる代表達を一網打尽にしたいからか。もしかすると、この中に魔物を引き入れた犯人がいるかもしれない。
疑ったらキリがないが、アルミラとレオガルドは代表達を用心深く観察することにした。
(でもまずは、事態を収集しなければなりませんね。王国の兵士達、頼みましたよ)
◇◆◇
「うわ、何ですかあれ……あんなデカい召喚魔法陣見たことないですよ師匠」
「うむ、儂もあの規模を目にしたのは初めてじゃ。もしかしたら術者は儂以上かもしれん」
「そんな……」
シリウスとジニーは王宮を覆うように強固な結界を張ってから、飛翔の魔法を使って空を飛んだ。そして、曇天に浮かぶ巨大な魔法陣を眺めて驚いていた。
魔法使いだからこそ、あの魔法陣がどれだけ凄い代物なのか理解できる。召喚魔法は一体召喚するだけでも魔力を相当消費するのに、あの魔法陣は維持した状態を保ち、魔物も出ずっぱり。
あれ程大きな魔法陣を維持し続けるのはかなりの技量と魔力が必要だ。
「でも不思議ですね。あんなに魔物が出続けているのに、思っていた以上に町に被害がありませんよ」
「そうじゃな、竜王騎士団とやらが頑張っておるんじゃろ……むむっ」
「どうしました?」
「こりゃ驚いた。誰かが市民全員に守護魔法をかけておるぞ。それもかなり強固な奴じゃ」
「何言ってるんですか師匠、そんな事できる訳ないじゃないですか……って嘘でしょ? 本当だ」
ジニーも優秀な魔法使いだ。市民に守護魔法がかかっているのがすぐに分かった。それでも彼女は信じられないといった顔を浮かべて、
「王都にいる市民全員に守護魔法をかけるとかおかしいですよ。あの魔法陣にも驚きましたけど、こっちの方がやってる事は馬鹿げてる。桁違いの魔力が必要とかそういうのは置いておいて、何千何万人の人を目視もしないで守護魔法をかけるなんてできる訳がない。それも手当たり次第じゃなくて、ちゃんと力のない市民だけに限定されているんですよ」
「そうじゃな、儂でもこんな芸当はできん。じゃが現に儂等の目の前で行われておる、それが全てじゃ」
「それはそうですけど……」
「上には上がおる、儂等もまだまだということじゃな」
「う~、悔しい~!」
才能の差に絶望することなく“悔しがれている”愛弟子にシリウスは笑みを溢しながらも、内心では心穏やかではなかった。
(それにしても術者は誰なんじゃろうな、探知魔法にも引っかからんぞ。この国の戦力は竜だけじゃと思っておったが、どうやら他にも怪物が潜んでおるようじゃな)
天位魔術師を凌駕する実力者を隠していたドラゴニス王国。この国は侮れないと考えるシリウスは、ジニーと共に王宮を襲ってくる悪魔を魔法で撃ち落としていったのだった。




