第陸拾肆話 秘密の練習と祭りの準備
「なに、俺がダンスの練習相手だと?」
『はい! タイカンサイ? という祭りの間に舞踏会が行われるみたいなのです! それに王女も参加なされるのだそうです!』
「それは分かったが、何故俺が姫様の練習相手に選ばれるのだ」
『王女は踊り方を一回教えてもらったきり、それ以降教えてもらえていないのです。仕方なくエリス殿が付き合っておりますが、エリス殿もダンスを知らなくて中々上達しないようなのです。我輩も紳士として助けてあげたいですが、残念ながら我輩もダンスの踊り方を知りません』
「うむ? エリスは男爵家の娘の筈だが」
『エリス殿は剣ばかり習って踊りはからっきしだそうです!』
「……なるほど、それで俺が練習相手になる話になったのか」
『はい!』
はい、じゃないだろナポレオン。
急に念話で話しかけてきたから姫様の窮地だと焦ったのに、そんな用事か。
俺だって姫様の力になれるのならなりたいが、“国家の影”である俺が姫様にお会いすることは本来許されないのだ。
『継承の儀』の時のように、姫様が憔悴していたりと命の危機であれば正体を隠してお会いすることもやぶさかではないが、ただのダンスの練習で易々とお会いする訳にもいかんだろう。
『確かサイ様も人間の国のお貴族様でしたよね?』
「(こ奴、こっちにいる間に人間について勉強しているのだな)ああ、そうだが。とはいっても、辺境の田舎貴族だぞ」
『でも、サイ様ならダンスなんてお手の物ですよね?』
「うむ、人並みにはな」
どれだけ執事のアルフレッドに扱かれたことか……。身体を動かすのは得意な方だが、ダンスを覚えるのには苦労した。何度アルフレッドに駄目だしされたか分からんくらいにな。
『ならやっぱりサイ様が適任ですよ!』
「う~む」
そもそも俺が踊りを知っていること自体まずいのではないか?
踊りを知っているとなれば、貴族に近しい人間である手がかりになってしまう。それくらいで俺の正体が見破れる可能性は低いが、危険は避けた方がいいだろう。
そう考えて断ろうするも、その前にナポレオンが強い語気で申し立ててくる。
『それに、王女もサイ様にお会いしたがっていますよ! 夜寝る前に、我輩にサイ様のことを聞いてきたりするのです!』
「姫様が俺のことを?」
『はい! も、勿論サイ様のことは何も話しておりませんからご安心ください! ただ王女は、サイ様が元気にしておられるのか気になるようです。なんだか凄く寂しそうで、我輩も心が痛むであります……』
「……」
そうか……姫様が寂しがっているのか。
『ご心配なさらずとも、俺は常に姫様の側にいます』
そう言っておきながら、姫様にお会いしたのはあの日の一度だけだ。
姫様からしたら、あんな事を言ったのに全然会いに来ない俺に対して怒りを抱いても無理はないだろう。ナポレオンの話では寂しがっているそうだが。
う~む、悩ましいな。
余り姫様と接触するのはよくないが、姫様の踊りが下手だと自国の者からは恥晒しだと罵られ、他国の者からは馬鹿にされるかもしれん。
姫様の僕として、主君が馬鹿にされるのは心が痛むし、許せない。
(仕方がない)
また禁忌に触れてしまうが、今回も特例としておこう。
と言いつつ、俺も姫様にお会いしたいだけなのかもしれんがな。
「わかった、行こう」
『流石はサイ様! きっと引き受けてくださると我輩は信じておりましたぞ!』
「会う時間は夜だ。姫様のご都合が良い日時を教えてくれ。それと、俺が行く時は白夜殿を遠ざけておいてくれ」
『承知しました! では、そのように王女とエリス殿に伝えておきますぞ!』
「ふぅ……」
短いため息を吐く。
ダンスか……久しくやってないな。姫様の練習に付き合う前に少し復習しておくか。
隠れ家にある大きな鏡の前で一人練習していると、アルフレッドに見つかってしまい「若様、何ですかその踊りは? それでは全然駄目ですよ」と本格的に指導させられてしまったのだった。
◇◆◇
「お待ちしておりました、シノビ」
「お久しぶりでございます、姫様」
真夜中。
開かれた窓からオリアナ王女の部屋に入ると、俺を待っていたかのように姫様が部屋の中で立っていた。
姫様は俺が来ることを知らない筈だと疑問を抱きながらも――俺とナポレオンが繋がっていることはエリスしか知らない――、すぐに姫様のもとへ近寄り、跪いてから挨拶する。
すると姫様は、頬を膨らませ怒った顔で俺を見下ろしながら口を開いた。
「あの日の夜のことは夢かと思いました。だってあなた、側にいると言ってくださったのに全然会いに来てくれないんですもの」
「申し訳ございません」
「でもね、側にいなくてもシノビがずっと見守ってくれていることは何となく感じていたました。それにこうして再び会えて、あの日の夜が夢ではなくて安心しました」
「姫様……」
顔を上げると、姫様は怒っておらず穏やかに微笑んでいた。
姫様が言うように、俺は時間があれば王宮に忍び込んで姫様を見守っている。が、気配を完全に消しているので絶対に分からない筈だ。
それでも尚、姫様は俺が見守っていると感じているのか。
(また一段とお美しくなられた)
満月にも劣らない黄金の長髪に、染みのない綺麗な肌。
気品のある美しい顔立ちは、幼さを残しながらも大人び始めている。背も伸びていて、以前会った時より成長しておられた。
そういえばリズが、「女の子の方が心も身体も成長が早いんですよ」とどうでもいい事を言っていたな。
リズの言う通りだったようだ。
そして成長した分、織姫様に益々似てきている。
頭の中に浮かび上がった織姫様の幻影を払うと、オリアナ王女に本題を尋ねた。
「今日参ったのは、姫様が舞踏会のダンスに困っていると耳に入ったからです」
「実はそうなんです……振付師さんが一度だけ教えてくれたのですが、私に近寄るのが恐いのかそれ以降は教えてくれなくって。エリスと練習しているのですが、中々上手くいかないんです。シノビはダンスが踊れますか?」
「はい」
「では私に教えてくれませんか」
「勿論でございます。姫様」
差し出した手を優しく取り、立ち上がった。
うむ、こうして並ぶと頭一つ分姫様の方が背が高いな。少しだけ悔しさを抱きつつ、姫様の腰に手を当てた。
「では踊りましょうか。振り付けは分かりますか?」
「はい……自信はないですけど」
「ご心配なさらず、俺が合わせます」
そう言ってから、一歩ずつ緩やかに足を動かしていく。俺の動きに合わせて、姫様もぎこちなさそうに足を動かしていく。
ダンスで大事なことは三つだと、耳にたこができるまで老執事に教わった。
踊りの基礎を覚えること。律動に合わせること。相手の呼吸に合わせること。
この三つさえできていれば、多少下手でも見栄えは良くなる。この三つの要素にもう一つ付け加えるとすれば――。
「あっ、ごめんなさい! 足を踏んでしまいました」
「これくらい問題ありません。落ち着いて、失敗しても構いませんので楽しみましょう」
「はい」
そう、踊りを楽しむと身体が解れるのだ。
俺の助言が効いたのか、緊張してぎこちなかった姫様の動きも段々角が取れてくる。すると踊りも格段に上手になった。
元々基礎ができているようだ。姫様はただ、踊りができる者との練習が足りなかっただけだ。
「もう少し速度を上げます」
「はい」
月明りに照らされる部屋の中、俺と姫様は静かに踊る。ここは姫様の部屋なのに、音楽まで聞こえてきそうで、まるで舞踏会場で姫様と踊っているかのように思えた。
踊っている姫様の表情も可憐で、つい目を奪われてしまう。この時間は俺にとっても、至福の時だった。
「お見事です、姫様。これなら当日も問題ないでしょう」
「シノビが練習に付き合ってくれたからです。ありがとうございました」
「姫様のお力になれたのなら幸いでございます」
そう言った後、俺は姫様に忠告をした。
「姫様、もしかすると戴冠祭では面倒事に巻き込まれる可能性がございます。くれぐれもご注意ください」
「わかっています。コーネリアお姉様が戴冠祭で動いてくるだろうと、私も思ってますから」
(流石にもう誰が敵なのか、姫様も理解しているようだな)
王家。貴族。軍隊。
次期女王候補である姫様の敵は数え切れない。その中でもマーガレット王女とコーネリア王女の二人の姉が姫様を疎ましく思っている状況を、この一年で嫌というほど理解しただろう。
「ですが、どうかご安心ください。戴冠祭で何が起ころうとも、姫様は俺がお守りいたします」
「はい、それもわかってます。頼りにしてますよ、シノビ」
「俺は姫様の信頼を裏切りません。では、そろそろお暇させていただきます」
そう言って踵を返すと、姫様が俺の背中に言葉を投げてくる。
「次は……次はいつお会いできますか?」
「いつでも……とは言えませんが、必要とあらば」
敢えて振り向かないままそう告げると、姫様の部屋の窓から飛び出て夜の闇に紛れ込んだのだった。




