第肆拾参話 邂逅
「王女の元気がない?」
「ああ……食欲がないと言って食事も全然取られていないし、夜も余り眠れていないようだ。ナポレオン殿もオリアナ様を元気づけてくれているのだが、満足に作り笑いもできないぐらい疲弊されている」
「我輩の力が足りず、面目ないであります……」
「私だって、何の力にもなってない」
「いや、二人はよくやってくれている」
自分を卑下するエリスとナポレオンに労いの言葉をかける。
来る継承の儀の日に備えて侍女のエリスと打ち合わせしようとしたのだが、オリアナ王女の元気がないと彼女から報告を受けた。
どうやら儀式が近づくにつれ、日に日にやつれてしまっているそうだ。
無理もない。
王女自身、自分の命が狙われていることには既に気が付いているだろう。今は王宮の中だから暗殺される可能性は低いが、外に出たらたちまち殺されてしまう。
その外に出なければならない儀式の日が、刻々と迫ってきているのだ。
王女とはいえ、十歳の女子が正気でいられる筈がないだろう。
エリスの話では、王女は元々元気がなかったようだ。
ナポレオンと出会ってから一時は明るさを取り戻したようだが、やはり恐怖の方が大きくなってしまった。
このままでは、継承の儀を迎える前に体調を崩されてしまうな。
「その事については俺がなんとかしよう」
「できるのか?」
「うむ、やるだけやってみせるさ。それより、日にちも近づいてきたので儀式の情報が欲しい。王女の護衛はどれくらいつくのだ」
「王国軍の一個分隊で、恐らく数は十人程だろう」
「ふむ、少ないな。次期女王となる王女が十日かけて僻地に向かうのに、たったそれだけの護衛しかつかないのか?」
「僻地といっても、我が国は『竜魔結界』があるから魔物に襲われる心配がないからな。問題なのは、護衛全員がコーネリア様の息がかかっていることだろう」
「うむ……」
やはり仕掛けてきたか、コーネリア王女。
あの御方は軍属の出である父君のオズワルド公の娘であるからして、王国軍に顔が広い。というより、コーネリア王女自身も時間があれば軍人達に混ざって訓練を行っているそうだ。
自分達に親身になってくれる王女に、絆されない兵士なんていない。
ドラゴニス王国の軍部は、コーネリア王女の支配下に置かれていると考えていいだろう。
そして今回のドラゴニックバレーに向かう旅路の編成にも手を加えてきた。コーネリア王女は、継承の儀のどこかでオリアナ王女を確実に抹殺する気だ。
「コーネリア王女は、どの機会にオリアナ王女を襲ってくると考えている?」
「私の予想ではあるが、継承の儀を終えた帰り道だろう。大方、ドラゴンに襲われたなどと理由をでっちあげると思われる。ドラゴン相手なら、護衛が王女を守れなかったとしても仕方ないで済まされるからな」
「ふむ、それは考えられるな」
「それに、儀式の後ならドラゴン達にも面目が立つ。一応竜紋継承者との顔合わせは済ませましたよ、といった具合にな」
「なるほど、それなら竜にも世間にも言い訳が立つな」
「だろう? だがオズワルド殿下とコーネリア王女は、ドラゴンに対して余り良い印象を抱いていない。王女暗殺を利用して、ドラゴンとの共存関係を白紙に戻すかもしれん」
「お二方は何故竜を毛嫌いするのだ?」
エリスの話に疑問を抱く。
ドラゴニス王国は遥か昔から人間と竜が共存している国だ。なのに何故、今になって竜との関係を拗らせるような真似をするのだろうか。
そう問うと、エリスが事情を説明してくれる。
元々オズワルド公とコーネリア王女は、竜に力を借りている今の状況に不満を抱いているのだそうだ。
他者に力を借りず、自国の力で国を守る。だから軍事力を上げて、いずれは『竜魔結界』も撤廃したいと考えているらしい。
その改革を成す障害となるのが、正当後継者のオリアナ王女という訳だ。
「詳しく教えてくれて感謝する。これで王女を守る対策もできる」
「そうか、どうか王女をお守りして欲しい」
「それは当然だが、お主の力も借りるぞ。勿論、ナポレオンもな」
「ああ、分かっているさ!」
「安心してくださいサ……シノビ様! この身に代えても、我輩は王女をお守り致しますぞ!」
「うむ、任せたぞ」
儀式までの道中には、身の回りの世話をする為に侍女のエリスも同行することになっている。密かにナポレオンもな。
俺も側についてはいるが、やはり一番近くにいるこの二人が頼りだ。
「それはそうとシノビ殿、妹のユリスのことなんだが、シノビ殿のお蔭で順調に回復しているぞ」
「うむ、それは何よりだな」
「そこでなんだが、今度ユリスに会ってやってくれないか? 病気を治してくれた其方に直接感謝が伝えたいとユリスが言っているのだ」
「別に構わぬが、俺は素性を明かせられないぞ」
「それでもいい。是非会ってやってくれ」
「分かった。だがそれは、継承の儀を終えた後だ。まずはこちらに集中してくれ」
「勿論だ」
力強く頷いた後、感謝の言葉を述べてくるエリス。
よし、これで継承の儀の段取りは整えられた。
(後は、オリアナ王女を元気づけなければな)
◇◆◇
「はぁ……」
オリアナ=ウル=ドラゴニスは、ベッドの中で深いため息を溢した。
首の下あたりに刻まれた、竜の頭を彷彿とさせる紋章にそっと触れる。
(どうして私なんかに……)
次期女王となる者。
王家の血筋で正当後継者に相応しい者にだけ発現する竜紋が宿ったその日から、オリアナの気が休まる日は一度もなかった。
毎夜、ベッドの中で恐怖に脅えながら神に問いかける。
何故、自分なんかに竜紋が宿ってしまったのかと。
自分よりも女王に相応しい者がいる。
姉である第一王女のマーガレットに、第二王女のコーネリア。
何故その二人ではないのだろうか。
誰もが皆、姉たちが女王になることを期待していた筈だ。自分なんか眼中にもなかっただろう。
まだ十歳の第三王女に竜紋が宿るなんて寝耳に水。国家は驚愕に包まれてしまった。
竜紋が宿ったその日から、オリアナの生活は一変した。
今まで大人しく静かに暮らしていたのに、戴冠式やら祝賀会の為に儀礼を学んだりと大忙し。
大変なのに、少ない侍女たちが皆辞めてしまった。
それは仕方がなく、オリアナも引き留めることできなかった。
自分自身も気付いているが、竜紋が宿ってから周囲の目の色が変わった。誰も彼もが、オリアナに対して敵意を孕んでいる。
周りは全て敵だらけ。
いずれ殺される王女の侍女なんか、誰がやりたがるだろうか。
だけどそんな中、エリスだけは侍女になってくれた。
元々侍女ではなかったので仕事は余りできないが、それでも居てくれて心強かった。
戴冠式と祝賀会を終えて、やっと一息吐くことができた。
だがすぐに、竜王ジークヴルムとの顔合わせである継承の儀が迫っている。王宮の外に出るその間に、きっと自分は殺されてしまうだろう。
その日が近づくにつれ、ご飯が喉を通らず、夜も全然眠れない。
可愛らしくて頼もしい喋る鼠のナポレオンが励ましてくれるが、それでも死の恐怖に心が打ち砕かれそうになっていた。
「怖いです……死ぬのは怖いです、お父様」
唯一味方だった父親はもうこの世にいない。
オリアナがまだ幼い頃に“とある理由”で亡くなってしまったからだ。
助けてくれる者はいない。
守ってくれる者はいない。
湧き出てくる死の恐怖に身体を振るわせ、瞳から涙が零れた――その時。
「安心してください、王女。貴女は死にません」
「えっ」
不意に、近くで優しい声が聞こえた。
顔を上げると、目の前に子供がいた。
白い仮面を被り、黒ずくめの格好をした怪しげな子供。
ついに暗殺者が自分を殺しに来たのかと覚悟したオリアナは、起き上がってベッドの端に腰掛けると、黒ずくめの格好をした子供に震えた声音で問いかけた。
「私を殺しに来たのですか?」
「いえ、違います。俺は王女の味方です」
「み、味方……ですか?」
「はい」
暗殺者ではなく味方だと聞いて驚くオリアナ。
てっきり自分を殺しに来たのかと思っていたが、どうやら違うそうだ。じゃあ誰なんだと王女が困惑している時、黒ずくめの子供――サイは懐かしい感情に囚われていた。
(似ているな……顔も、声も、纏う空気も織姫様と同じだ)
前世の才蔵が主君として仕えていた藤堂織姫。
その織姫とオリアナは瓜二つだった。顔立ちも、声も、纏う雰囲気も同じ。違うのは髪の色が黒ではなく金色であることぐらいだ。
才蔵の腕の中で死んでいった織姫と再会できたような、そんな懐かしい気持ちに駆られてしまう。
だが、姿が似ているだけでオリアナは織姫ではない。サイのように、生まれ変わった訳ではないのだ。
突然味方だと言われて戸惑う王女に、サイは柔らかい声で話しかけた。
「もう一度言いますが、俺は王女の味方です。こんな格好では、信じられないかもしれませんが……」
「いいえ、信じます」
「えっ」
「何故でしょう。自分でもよく分かりませんが、あなたのことは信じられるんです」
「――っ」
「おかしいですよね。私とあなたは初めて会ったのに」
くすりと笑うオリアナに、織姫の面影が重なったサイは胸が苦しくなった。
つい、“あなたは姫様でしょうか? 俺は才蔵です”と言ってしまいたくなる。
ただの自己願望だと分かっているけれど、確認したい欲求が溢れて出てくる。しかし、今はその時ではないだろう。余計なことを話して混乱させるべきではない。
ぐっと堪えて、サイはオリアナに跪き、顔を上げて伝える。
「貴女は一人なんかではありません、王女。常に俺が王女をお守りしております」
「儀式にもついてきてくれるのですか?」
「勿論です。側にいることはできませんが、影ながら王女のことをお守りいたします。なのでどうか、お身体を労わってください。このままでは、その日が訪れるまでに倒れてしまいます」
「私を心配してくれたのですね。ありがとう……えっと、何てお呼びすればいいでしょうか?」
名前を尋ねてくるオリアナに、サイはこう名乗った。
「忍び……とお呼びください」
本来、“国家の影”は女王と接触することは許されない。
影は光に近付いてはいけないからだ。だがサイは、その禁を破りオリアナに会ってしまった。
一応サイ=ゾウエンベルクではなくシノビとして正体を隠してはいるが、それでも駄目なものは駄目だ。もしディルやエイダン宰相にバレたら確実に罰せられるだろう。
でも、オリアナを元気付ける為には直接会って励ますしか方法がなかった。
否――そんなのはただの建前に過ぎず、ただ単純にサイがオリアナに会いたかっただけなのかもしれない。
「シノビ……さん?」
「俺に敬称はいりません。シノビとお呼びください」
「分かりました、シノビ」
「王女、実は俺からも一つお願いがあるのです」
「お願い? 何でしょうか」
「“姫様”……とお呼びしてもよろしいでしょうか」
サイはずっと、オリアナのことを口でも心でも“王女”と呼んできた。その理由は単に、オリアナが織姫ではないから。
だけどこうして直接会って話してみて、やはりオリアナのことを姫様と呼びたくなってしまったのだ。
突然姫様と呼んでいいかと聞かれたオリアナはキョトンとした顔を浮かべた後、疑問げに口を開いた。
「王女も姫も同じなので構いませんが、何か理由が?」
「俺の個人的な理由です」
「そうですか、勿論いいですよ」
「感謝いたします、姫様。早速ですが、俺はもう行かねばなりません」
「次はいつ会えますか?」
残念そうな顔を浮かべるオリアナに、サイは優しい声音でこう伝えた。
「ご心配なさらずとも、俺は常に姫様の側にいます」
「ええ、分かりました」
「では、失礼いたします」
「えっ……」
そう言った後、サイは一瞬で姿を消してしまった。
オリアナは驚いて部屋の中を見回すが、誰かがいる気配はどこにもない。
そう思うと、あの人は夢か幻だったのかと思えてくる。
「どうされました、王女?」
「聞いて、ナポレオンさん。私ね、一人じゃなかったみたい」
ベッドの枕元で寝ていたナポレオンが起きて――実は最初から起きていたが、二人の邪魔をしてしまうので頑張って口を閉じていた――オリアナに尋ねると、王女は笑顔で答える。
夢でも幻でもなかった。
シノビは確かに存在していて、影ながら守ってくれているのだ。
根拠はないが、不思議とそう思えてしまう。
「おやすみなさい、ナポレオンさん」
「おやすみなさいませ、王女」
オリアナはベッドに寝転がり、毛布をかける。
その日は久しぶりに、安心してぐっすりと眠ることができたのだった。




