第参拾参話 終結
「はぁ……はぁ……」
「すぐに済ませるつもりだったが、存外粘るじゃないか」
「当たり前だ、我は絶対に負けん!」
あれからシュラは、ファウストの猛攻をなんとか凌いでいた。
凌ぐといっても、頭や口や片腕と至る所から酷い出血が見られ、いつ倒れてもおかしくないほどの満身創痍。
対してファウストは一撃も喰らっておらず、無傷のままだった。
それはそうだろう。物理や魔法攻撃が一切通じない存在をどう攻略すればよいというのだ。
「クソがぁ! テメエはさっきぶっ飛ばしただろーが!」
「ハハハ! 同じ手は喰わないぞ! 今度は力尽きるまでいたぶってやる!」
復活したネクロマンサーが、スケルトンファイターを操ってクレハを囲う。
体力を失って先程よりも動きが鈍くなっている彼女では、スケルトンファイターの包囲網を突破することは難しかった。
苦戦しているのはクレハだけではなく、どこもかしこも同じだった。
一度は倒した相手であっても、状況次第では不利になってしまう。こちらは体力も魔力も失っているのに、敵は無傷の状態。
しかもこちらの手の内を知っていて、対策も取られてしまっている。そんな敵を倒すのは骨が折れるどころの話ではない。
まだもち堪えているが、いつ瓦解してもおかしくなかった。
「諦めて私の軍門に下れ。死者はいいぞ、永遠の命が手に入るからな」
「笑止! そんなものに興味はない!」
「残念だ、なら望み通りトドメを刺して――っ!?」
シュラを殺そうと手を翳した刹那、凄まじい悪寒がファウストの背骨を駆け巡る。慌てて周囲を見回すが、思い当たる節はどこにも見当たらない。
(何だこの感覚は!? 恐ろしい何かが近づいてきている……いったいどこから――上か!)
ばっ! と、ファウストは遠くの空を見上げる。
すると、黒い何かが徐々にこちらへ飛んでくるのを確認する。はっきりと姿を見えるようになった時、ファウストは“それ”に驚愕した。
様々な生物を組み合わせたような、不気味で悍ましい怪物。
小山と同じくらい巨大な身体からは、禍々しいオーラが迸っていた。
「ここで現れるか……破壊者め!」
ファウストはあの怪物を知っている。
古の時代から存在する、無差別に破壊を繰り返しては長い眠りにつく迷惑な災害。
皆に怖れられ、【破壊の権化】と呼ばれるようになった漆黒の破壊者。
ジャガーノートが、大空を悠々と飛んでいた。
「ふむ、予想より敵の数が多いな」
『どうしますか~ご主人様~?』
真のジャガーノートの姿になった小夜の頭の上に乗っているサイは、戦場を見下ろしながら顔を顰めた。
ナポレオンから報告は受けていたが、戦況はかなり不利になっている。来るのがもう少し遅れていたら、最悪の結末を迎えていたかもしれない。
「敵兵を一掃するぞ。視覚を俺と共有する、味方に当てるなよ」
『もう、当てませんよ!』
「当てそうだから注意しているのだ……。まぁいい、やるぞ。“千里鑑定眼”」
サイの両眼が紅く輝いた直後、視界が全方位に加え遠方まで見渡せるようになった。
この半年間で成長したのはシュラ達だけではなく、サイも同じだった。とりわけ成長したのは、ユニークスキルの【鑑定眼】。
元々万能な力だったそれは、鑑定した対象の潜在能力まで調べることが可能になった。シュラやミコトの力を開花させたのも、この力のお蔭である。
進化したのはそれだけではなく、遠い場所まで見えるようになる。
しかも、俯瞰しているように四方八方を見ることができるのだ。
特に前触れもなく突然この力に目覚めた時は困惑したが、サイは訓練して自在に操れるようになった。
魔力の消費が激しく、目の疲労も激しいから長時間は使えないが、それでも大変便利な能力である。
遠くまで見渡せることから、サイはこの眼の力を“千里鑑定眼”と名付けた。
さらに千里鑑定眼は使い魔である小夜と視覚を共有することで、凶悪な力に様変わりする。
『やっちゃいますよ~』
ジャガーノートの巨大な蝙蝠の翼が目一杯展開し、飛膜に夥しい数の目が現れる。無数の目は全てサイの視覚と共有されており、地上にいるアンデットに狙いを定めた。
直後、無数の目が妖しく輝いた。
「撃て」
『えいやー!!』
サイが命じると、全ての目から紅い閃光が照射された。
紅い光は雨の如く眼下のアンデットに降り注ぎ、光を浴びたアンデット共は悲鳴を上げることすらできず、存在全てを破壊されていく。
七百近くいたアンデットが、文字通り一瞬で殲滅した。
現実離れしたその光景は、まるで神が人類に裁きを与えているようだった。
【破壊光線】。
翼の飛膜に浮かぶ無数の目から照射される破壊の光は、万物の法則を無視して破壊する、ジャガーノートの究極能力である。
「なんてことだ……不死身のアンデット軍団が全滅だと。あれが……魔王様でさえ手を出さなかった【破壊の権化】の力なのか!?」
破壊の光から唯一逃げ伸びていたファウストは、ジャガーノートの恐るべき力に驚愕した。理不尽なまでの破壊力。どの魔王も手を出すことを躊躇った破壊の権化。
魔王リョウマは、よく人知を超えた化物を手懐けたものだと感心してしまう。
いやいや、感心している場合ではない。
何故ここにきて、ジャガーノートが現れた? 姿を消したのではなかったのか? しかもアンデット軍だけを殲滅するなどおかしい。
あの化物は、生きているものを無差別に攻撃すると聞いていたのに。
目の前にいるシュラ達程度ならファウストだけでも勝てるが、ジャガーノートは話が違う。戦ってみないと分からないが、あの化物に勝てる見込みは今のところなかった。
ファウストが交戦か撤退か迷っている間、小夜の頭の上にいるサイは地上を見下ろしていた。
「ふむ、一体だけ当て損ねたか。恐らく奴が敵の大将だろうな」
『もう一発イッときますか? ご主人様』
「いや、それには及ばん。小夜はよくやってくれた、奴は俺が叩こう。小夜はここで待機しておいてくれ」
『はい、いってらっしゃいませ』
小夜の頭の上から飛び降りると、サイは魔力で外套を広げて操る。それはまるで、忍びが布を広げて空を滑空している様とよく似ていた。
減速しながら落下するサイは、シュラ達の近くに着地する。窮地を救いに来てくれたサイに、シュラは喜ぶというよりも申し訳なさそうに謝った。
「申し訳ございません……サイ様。我等だけで勝たなければならなかったのに、結局サイ様のお力を頼ることになってしまいました」
「そう卑下するな、シュラ。お主等の頑張りはナポレオンから聞いている。自分達の力でやり遂げたいという気持ちは汲むが、俺としてはナポレオンと政宗が来てくれて助かった。お主達を失う前に駆けつけられたのだからな」
「サイ様……っ!」
(何がどうなっている? ジャガーノートから下りてきたアレはどう見ても人間の子供だ。それが何故、魔族共がこぞって頭を垂れているのだ? まさか、あの子供が率いているとでもいうのか……そんな馬鹿な!?)
優しい声音で労うサイに、シュラは喜びの表情を浮かべる。
否。彼だけでなく。ミコトやクレハにスイゲツ、タロスにゴップにシンゲンと、魔王軍の主力達がサイの言葉に感極まっているようだった。
それほど、人間の子供に対して絶大な信頼が表れている。
目を疑うような光景を目にしたファウストは、子供が何者であるかと見極めようとした。
『ステータス
名前・サイ=ゾウエンベルク
種族・人間
レベル・666
スキル・【???】【???】』
(なんなんだこのステータスは!? レベル666だと!? 十年も生きてなさそうな人間の子供が、千年以上生きている私よりレベルが高いなど有り得ない! その上、プロテクトされているのかこの私ですらスキルを見破られないだと!?)
サイを鑑定したファウストは愕然する。
見た目はただの子供だ。黒髪黒目で、全身黒い服に包まれた黒ずくめ男の子。しかしその中身は、ファウストすら凌駕する化物だった。
はいそうですかと信じられる訳がない。
千年以上生きてきた者として目の前の事実を受け入れたくなかった。
「ほう、貴様も鑑定スキルを持っているのか」
『ステータス
名前・ファウスト
種族・魔族(死霊王)
レベル・444
スキル・【鑑定】……etc.
ユニークスキル・【亡者復活】【闇黒の衣】【対絶対物理】』
『【亡者復活】とは、アンデットを蘇生させる能力。使用する魔力量によって効果は変わる』
『【黒闇の衣】とは、光属性魔法と神聖魔法以外の魔法を無効化する能力』
『【対絶対物理】とは、全ての物理攻撃を無効化する能力』
『空間の指輪とは、魔力を使用し空間魔法を使えるアイテム』
ファウストがサイを鑑定したのと同時に、サイもまたファウストを鑑定眼で見ていた。
レベルは444と、測定不能なリズと小夜を除けばサイが出会った中でも一番高い。
スキルも【鑑定】以外にも沢山あるが、何よりも目立つのは強力な三つのユニークスキル。アンデットを復活させるスキルと、物理と魔法を無効化するアンチスキル。
両手にはめている十個の指輪は全てステータスを増強するマジックアイテムだが、中でも空間魔法を使えるアイテムが厄介だろう。
卑怯臭いステータスのファウストにシュラが勝てないのも頷ける。
古びた王冠や分厚いマントといった、王様のような格好をしている骸骨。
サイからしたらそこまで強いとは思えない見た目だが、それはファウストだって同じ気持ちだろう。
(視られている!? あの目は何だ!?)
サイの目が紅く光った直後、全身に寒気を感じた。
隅々まで見られ、丸裸にされているような気持ち悪い感覚が襲ってくる。
「ふむ、本当に攻撃が効かないのか試してみるか」
「――ッ!?」
「駄目か……手応えがない。スキルの力は凄まじいな」
(私は今、何をされた?)
サイが言葉を発した刹那、唐突に姿が消えていた。
背後から声が聞こえて振り向けば、右手に刀を持っているサイが訝し気に首を傾げている。
ファウストは感知すらできなかったが、サイは目にも止まらぬ速さでファウストの首を斬っていた。
【対物理無効】スキルがあるファウストは無事だが、むるりとした嫌な感覚が首の骨に残っている。
「スキルがあってよかったな。なければ今の攻撃で貴様は死んでいるぞ」
「子供風情が調子に乗るな! 【闇の手で殺す魔法】」
「前・在・陣・前、隠遁・影縄の術」
「何っ!? 【闇の手で殺す魔法】を使えるのか!? いや、これは違う魔法!?」
「臨・闘・在・臨、火遁・火吹の術」
「ちっ! 【黒炎を放つ魔法】」
ファウストが身体から闇の手を放出するのに対し、サイは影から触手を出して相殺する。敵が驚いている間にサイは間髪入れずに火炎を吹くも、ファウストが慌てて黒炎を放ち相殺させた。
「何故防いだのだ、貴様には魔法が効かないのだろう?」
(この子供、私のスキルを知っているのか!? 不味い、距離を取らねば!)
サイの口ぶりからして、ファウストの【闇黒の衣】が見破られている可能性が高い。もしサイが光属性か神聖魔法のどちらかを扱えていたら、ファウストにも攻撃が通ってしまう。
危機感を抱いたファウストは空間転移で空に逃げた。
空ならばサイは追ってこれず、上空から攻撃し放題である。さらにシュラ達を巻き込むような全体攻撃をすれば、一人で逃げることもできやしないだろう。
“ファウストがそう考えているだろう”と行動を読んでいたサイは胸中でほくそ笑み、彼奴を屠る為の仕掛けを作るために印を結んだ。
「者・在・列、水遁・多重水鏡の術」
「無駄だ、雑魚共と消え失せろ! 【燃える岩石群を放つ魔法】ッ!!」
「兵・者・闘・兵・階・陣、土遁・土牢守壁」
ファウストが両手を上げると、彼の真上に黒い空間が広がる。
その空間から燃え盛る岩石郡が出てきて、サイ達がいる地上に降り注いだ。
対してサイは印を結ぶと、両手を地面につける。
ゴゴゴゴゴッ! と地響きが鳴り、全ての仲間達を囲うほど大きなドーム状の土壁が完成した。
直後、燃える岩石郡が土の壁に衝突する。
ズドドドドッ! と衝撃音が鳴り、地面と視界が揺れた。
「フハハハハッ! そんな薄っぺらい土壁でどこまで持つかな!?」
魔法を継続しながら高笑いするファウスト。
【燃える岩石群を放つ魔法】は火属性と土属性の融合魔法であり、ファウストが使える攻撃魔法の中でも随一の殲滅力を誇る。
その威力は上級を越えて超級魔法に匹敵し、サイの忍術であっても防ぎきることは不可能だった。
「サイ様、このままでは……」
「ああ、もたないだろうな」
「何寝ぼけたこと言ってんだ! だったらアタイ等なんか放っておいてガキんちょだけでも逃げろってんだ!」
「そう慌てるなクレハ、たった今奴を倒す仕掛けが完成したところだ」
「マジかよ!?」
自分達を庇う為に、サイに無理はさせられないと皆の思いを代表してクレハが怒鳴ったのだが、当の本人は問題なさそうに通常運転。
それに、ファウストを倒す準備が整ったと言われたら驚くのも無理はないだろう。
「奴は自分から罠に飛び込んでくれたからな、後は殺すだけだ。もしこの攻撃が効かなかったら、次の策を考えればいい」
そう告げるサイだったが、効くだろうという根拠はある。
時間をかけてつくった仕掛けを発動する為に、印を結んだ。
「在・者・陣・闘・在。陽遁・天照大神」
サイが忍術を発動すると、準備していた仕掛けが作動する。
その仕掛けとは、上空に出現した巨大な水鏡であった。
ジャガーノートと戦った時にも使用した水鏡の術。その巨大版を、上空に幾つも作るのはサイであっても時間がかかった。
巨大な水鏡はファウストの真上に展開されており、一番上から下に向けて徐々に小さくなっている。
そしてサイは忍術によって、水鏡の性質を虫眼鏡に変質させた。
するとどうなるか。
自然界の中で最も強い力である太陽の光が水鏡に集まる。光は何十枚もの水鏡を通過する度に強度を増していき、ファウスト目掛けて勢いよく降り注いだ。
「フハハハッ! 私の勝ちだ――ギャアアアアアアアッ!?」
半壊している土壁を見て勝利を確信していたファウストから絶叫が迸る。
極光を注がれた彼は、訳も分からずその身を焼かれたのだ。
「き、綺麗……」
「なんという力だ……」
「これは驚きましたな」
「ムフー!」
「サイ様はカミであったか……」
地上に降り注ぐ光の柱を眺めている魔王軍のメンバーは、それぞれ何かを感じていた。
ミコトは美しさに目を奪われ、ゴップとスイゲツはその威力に驚愕し、タロスはなんか興奮して、シンゲンはサイを崇めた。
いち生物があんな神の御業のような真似ができるなんて信じられない。
だが、サイならばやれてしまうという納得感が皆にはあった。
「ふむ、上手くいったようだな」
とんでもないことをした本人は、頑張って作ったものが動いて良かった~ぐらいの感想しか抱いていなかった。
気配を感じたサイは、一人その場所に向かう。すると、地面にファウストと思われる頭骨が転がっていた。
「ほう、あれを喰らってまだ生きているとはな。貴様も大概化物のようだ」
「お、教えてくれ……私は何をされたのだ」
「ふむ、冥途の土産に教えてやろう」
ファウストに戦う力が残っていないのを確認してから、サイは慈悲としてからくりを説明する。
「簡単に言えば、虫眼鏡で集めた日光を貴様に当てただけだ。貴様の真上に多くの水鏡を作り、機会を見計らって虫眼鏡に変えた」
「その理屈だと私は魔法ではなく、ただの日光にやられたのか」
「そうだな。まあ厳密に言えば、魔力と組み合わさった日光だが」
「ハッ……何故やられるまでそれに気付けなかったのだ、私は」
「準備を整えるまでの間、貴様の視線を地上に向け続けたからだ」
「わざと地上にいたのか? 空中移動の手段があってなお、注意を引きつける為に使わず敢えて地上にいたと?」
「そうだ。貴様が勝手に空に移動してくれたから手間が省けた。それに、本来は黒い影を作らなければならないのだが、それも貴様がやってくれたお蔭で作る手間が省けたぞ」
「私の魔法も利用したと……全て貴様の思い通りに動いていたというのか」
「そう仕向けるように俺も動いたが、まぁ殆どは貴様が自分でやったようなものだな」
「ハッ、敵わぬな……」
今になってやっと、ファウストは負けを認めた。
自分とこの子供では力の使い方……いや戦い方が余りにも違い過ぎる。同じように強大な力を持っていても、自分はただ力任せにしているだけ。
だがこの子供は、力をそのまま使うのではなく利用している。
まさに戦いの申し子。千年以上生きてきた自分よりも遥かに経験値が勝っていた。
まだ十歳も満たしていなさそうな子供に何故そこまでの経験があるか気になるところだが、今となってはもうどうでもいい。
「言い残すことはあるか」
「ない」
サイの問いにファウストは即答した。
偉大なる太陽の光にあてられたからか、魂が浄化されたように清々しい気分だった。
「そうか。ではさらばだ」
短くそう告げて、サイはファウストを介錯する。
こうして、魔王軍防衛戦はサイと小夜の介入によって終結したのだった。




