《第二話「銀河の光」・前半》
「第六、仇は取るぜ! ……また今度な」
方城一尉が何やら呟くのが聞こえた直後、フライトスーツを着た久作の体はシートにぎゅうぎゅうと押し付けられた。千歳を飛び立ってからずっと、久作はこの〈シューティングスター〉というVTOL(垂直離発着)戦闘機に感心していた。
今では化石とさえ呼ばれるジェットエンジンでありながら、ヘリコプター並の旋回性能と、瞬時に最高速に達する機動性は、空自の主力戦闘機、JFⅡ〈ソニック〉とまではいわないものの、しかし大した物だった。ふわふわと漂っていたかと思うと弾けるように飛び跳ね、そしてくるくると宙返りしてみせる。余りのめまぐるしさで、酔う暇もないほどである。
航空技術に詳しくはない久作でも、この機体がなかなかのじゃじゃ馬らしいことは解ったから、前部シートで久作のパイロットを務めてくれている方城一尉の腕もまた大した物なのだろうと半ば確信していた。先刻、方城一尉は自らをエースと呼んでみせ、その自信もまた久作には好意的に映った。終始おどけてはいても、パイロットとしての誇りが方城一尉には確かにあるようだった。
何故今そのようなことを改めて思ったのか、久作には解らなかった。恐らく、と考える。
この方城という名の空自パイロットに対し幾らか申し訳ないと思ったからだろう。目の前で同胞であるソニック編隊が散ってゆき、しかし彼に課せられた任務はそれへの反撃を許さず、それどころか今のシューティングスターにはたかだか三十ミリの豆鉄砲二門のみ、ミサイルの一本すら装備されていなかった。
空自のパイロットは飛行機を操るだけが任務ではなく、だからこそ彼らはセスナや旅客機ではなく、戦闘機を駆るのだ。彼らはただのパイロットではない、空飛ぶ兵隊なのだ。
自分は方城一尉の成すべきことを邪魔したのではないか、そんな罪悪感が久作の胸に生まれた。日本スペースガード協会の後ろだてがあったにしても、所詮自分は単なる天文台職員であり、そんな自分が方城の本来の任務を翻弄してしまったのではないだろうか、と。そしてその僅かだった感情は、砂埃で霞むキャノピー右手に湾曲したオレンジ色の壁が迫った瞬間、久作の胸をあっという間に占拠したのだった。
一瞬だけ衝撃を感じた。意識が消え入る直前、久作は勇の声を聞いた気がしたのだった……。
ぬるま湯のような眠りからの目醒めは、夢の続きのように久作には感じられた。
寝付きの悪さは生まれつきであり、寝覚めの悪さもしかりである。辺りを覆う空気が糊のようで、指を動かすのも億劫だった。溶けた鉛のような意識で最初に捉えたのは休憩室の白い天井だった。吸音素材が等間隔で並び不愛想な蛍光燈がそこにしがみついている。見慣れた天井だ。
「……む、何時の間にか眠ったらしい」
長い欠伸{あくび}を噛み殺し体を起こす。狭い休憩室には久作と幾つかの事務椅子だけで、他の研究員は見当たらなかった。
ファーストライト(初受光)の最終スケジュールはどうだったかと思い当たり、錆付いた蝶番のように首を曲げ時刻を確認しようと壁に目を向ける。簡易ベッドの頭の側の壁に掛けてある丸時計、二本の針は数字を指し示している、当然だ。しかし霞の掛かった久作の頭はその数字と時刻とを結び付けることはせず、だから久作はその数字を何の感情も抱かずにただ見詰めた。休憩室は暖かかった。いつも聞こえていた空調設備の静かな騒音が無く、暫くして久作は、一切の音が消えていることに気付いた。発声練習の如く声を出す、聞こえる。耳は正常らしく、やはり音の方が消えているようだった。芝居がかった仕草で掌を耳に当ててみるが、自らの呼吸音以外何も聞こえない。
「流石は最新鋭だな」
訳も無く微笑み、久作は傍らの上着に袖を通し、連絡通路へと続く扉のノブを握る。アルミ製のノブは生暖かかった。連絡通路のその先には観測室があり、そう意識すると手に思わず力が入る。
「要点観測望遠鏡〈ほむら〉、か。とうとうファーストライト、ちっぽけな僕に一体何を見せてくれるんだろう。宇宙の産声、星の記憶、未知の天体、物質の終着、……奇麗な星座か月の兎というのも悪くない。ついでに学会に貢献でもするか?」
軽金属の軋む音、ノブがゆっくり回り灰色のドアが久作の動作に合わせ緩慢に開いて行く。
「……あ、れ?」
ドア枠をくぐった先の連絡通路は暗闇だった。
夜だったのか、久作は照明を消したまま何処かに雲隠れした研究員に悪態を吐く。連絡通路は気密保持の為でもあるので、久作は後ろ手でドアを閉じた。途端に暗さが増し、窓一つ無い連絡通路は目を閉じているのと同じになる。右手をかざし壁を探す。到着したばかりだがしかし歩きなれた通路だ、見えようが見えまいが不自由はない。ひらひらさせる手はしかし空を掴むばかりで、あの冷たい金属の感触は無かった。
ふん、と鼻を鳴らし久作は数歩を横に歩く。と、声が聞こえた。聞きなれない、柔らかな微笑みが。見えないと知りつつ辺りをうかがう。再び声、耳元のようにも、また頭上のようにも聞こえるその声は「こんにちは」、そう云った。
「こんばんは、ですね」
久作はその声に誘われるように天を仰ぐ。連絡通路の天井は真っ暗闇、ではなかった。何かが見える、それは……。
「……オリオン?」
久作は呟き、頭上に広がる星空を見詰めた。暗闇に目が慣れてきたのか、星空は徐々に明るさを増していった。
「ああ、お久しぶり、かしら?」
くすくすと笑う。
次第に星の瞬きの数が暗闇を超え、久作の頭上は白や青、赤や黄色の輝きで満たされていった。その明るさは眩しいほどで、まるで遥か高い宇宙から眺めているようだった。体が星の光で照らし出されている。
満天の星空にすっかり見惚れた久作は、その光景をまぶたに焼き付けようとゆっくりと首を回し、一回りしてから足元を見た。そしてそこに一際美しく輝く星を見つけ、思わず溜め息を零す。暗黒の宇宙にひっそりと浮かぶ星、静かな藍と漂う白。遥かな恒星に照らし出される小さな青い星。手を伸ばせば届きそうな距離にその見慣れた星はあった。
「そうか、ここから見るとこんなに奇麗なんだ。知っているつもりだったけど、でも僕は何も知らなかったらしい」
「本当、奇麗ね――」
女性、いや、幼い女の子だろうか? 蝶の羽ばたきを思わせる優しい声だ。
「――あなたの星は」
そう、と久作は頷く。
「あなたの星、奇麗な星。でも、その美しさは脆さの証。儚さは美しさなのね。薄い氷のような脆弱さ、触れただけで砕け散ってしまうのでしょう?」
そうなのだろう、と久作は思う。
「だから……」
「だから?」
足元を見詰めていた瞳を声の方、頭上に向ける。星、銀河、宇宙、あらゆる輝き。それを見詰める久作の眼差しは一変して鋭い。
「だから誰かが守らなければいけない。その美しさを守らなければならない」
「そう。でも、誰が?」と女の子の声。
刺はなく、あくまで柔らかい。仲の良い妹、そんな温かさを感じさせる声だった。
「誰が? ……誰、だろう」
オリオンの中央、澄んだ青のトラペジウムを見詰め久作は呟く、誰だろう。オリオンの傍で小さな星が瞬いた。
小さな、それでいてくっきりとした黄色い星はゆっくりと輝きを増し、脇のトラペジウムよりも強く光を放った。その一筋の光は永遠の距離、底無しの暗黒を突き抜け、一直線に久作に注がれた。迷うこと無くただ一直線に。
久作は閉じた瞼を通して暖かいオレンジ色の光を感じる。草木の息吹く春の日差し、命の輝き、生命の炎、オレンジ色の……瞳。光に抱かれ眠るようだった久作は、その脳裏に刻まれた記憶により弾けるように両目を見開き、叫んだ。
「オブジェ! 勇!」
前触れも予告も無く景色が変わった。
視界は暗闇から一転、青空とまばらな白い雲。白く波立つ海と立ち上る黒煙が眼下に広がる。そこは茨城県つくば宇宙センターの上空だった。しかし久作は自分の体の実在を一切感じられなかった。まるで目玉だけが勝手に動き回りそのまま空高くに飛び上がったか、或いは精神と呼ばれるものが体をすり抜けた幽霊のようだった。人間的とはとても呼べない視点からは瓦礫と化した宇宙センターが一望でき、その上空には巨大な銀塊、オブジェが舞っている。
オブジェの大きさにより埃くらいにしか見えない黒い影、それが空自のシューティングスターだった。一つはオブジェから距離を取って浮かび、もう一つは今正にオブジェに衝突するところだった。遥か高みから見下ろす久作は、オブジェに近い方が自らの乗り込んだ機体だと知り、漸く今の状況を振り返る。
数十倍のオブジェにより弾き飛ばされ、次の瞬間には爆砕する運命にある久作のシューティングスターは、しかしそのまま凍り付いている。シューティングスターだけではない。オブジェも、勇の搭乗した機体も、黒煙も、雲も、海も、大気も、何もかもが凍り付いている。まるで……。
「時間が、止まっている、のか?」
ごくりと鍔を飲み込み、久作は振り絞る。
「あなたの星は今――」
再び声が聞こえた。
「――砕け散らんとしているようですね。あなたがオブジェと呼ぶものにより」
悲壮感も緊張感も無い声色だったが、訴えかける何かを感じた。
「生まれては消え、消えては生まれる。誕生と消滅の繰り返し、それはここでの秩序であり真理であるともいえます。でも……」
言葉を切り、沈黙により久作に次を促す。
「……でも、誰かが守らなければならない?」
くすくすと微笑みが聞こえた。
「ええ、その通り。消滅は秩序ではあっても、しかし誕生の目的ではありません。いずれは訪れる単なる状態、消滅という状態。真理ではない、そうでしょう?」
相手が自分を見ていることを確信して、久作は力強く頷く。
「ある存在の価値は為し得た結果ではなく、如何に存在したか、過程にこそあるのだと、いずれは消え行く私は信じています。だから……」
「……だから?」
辺りの景色が陽炎のように揺らぎ始めた。空や海の色が徐々に薄らぎ、灰色から黒へと変わって行く。
「だから、力を貸しましょう、久作さん。私からのせめてものお礼です、遠慮なさらずに」
「どうして僕の名前を? 礼? あなたは……」
色と形が混ざり合い、久作は自らが落ちて行くのを感じた。真下にはシューティングスター、久作の体が待ち受けている。
「人間は素晴らしい力を持っていますね。この宇宙において二つと無い力。私はあなたのそんな力により存在を与えられた。漂う塵の塊だった私に、物質でしかなかった私に実在を与えてくれた、そのお礼です」
「……僕が、与えた? 何を?」
くすくすと笑い声が響き、それは次第に小さくなっていった。
緩やかに流れる景色の果て、シューティングスターのコックピットと共に、凍り付いた速河久作の体が見えた。声を追って空を仰ぐとそこには星空が広がっていた。眼下は夕刻、しかし頭上は既に暗く、ゆっくりと降下する久作に再び暖かい光が降り注いだ。オリオン座中央のトラペジウムよりも明るい一つの黄色い星から放たれた一条の光。輝く帯の中で久作は、その黄色い星を見詰め、漸く記憶の欠片を呼び起こしたのだった。
「オリオンの脇……僕の見付けた星、僕が「名付けた」銀河? 君は、NGC999999999+(ハイナイン・プラス)なのか!」
輝きは爆{は}ぜ、時は流れ始める――
RRペガサスMk260ジェットエンジンを日没に向けたシューティングスター、丘陵に沈み掛けた夕日が放射状に広がり勇の目を眩ませている。キャノピー越しに射し込んだ陽光がコックピットを紅く染め上げ、その顔は返り血を浴びたかのようだった。
勇はシートに正座して後ろを向き、太陽を両断して屹立する垂直尾翼を睨み付け、呆然としていた。超高熱により歪んだ一枚尾翼は、機体識別のペイントが判別できないほどの煤で真っ黒になっている。その先端、僅か数センチ幅に〝何か〟が……立っていたのだ。
それは人のようにも見えたが、その光景に対し勇の持ち得る全ての知識はただの一つも解答を示してくれなかった。奇妙だとか不思議だとか、そんな言葉では到底役に立たない。
〈オブジェ〉と呼称したあの物体を前に、シューティングスターは最大速度で離脱を掛けたのだ。どんなに少なく見積もっても機体は音速以上で飛んでいる。そんな機体の尾翼に、いや、尾翼でなくても、人が立っている? しかも、背中から生えたふかふかで柔らかそうな翼を、まるで真空中であるかのようにはためかせているではないか! 騙し絵のような光景だったから、背中に翼が生えていることなど、どうということはなかった。そよそよと揺れていた白い翼が奇麗に折り畳まれ、その姿形が見えた。
頭のてっぺんから爪先までを黄金色の甲冑が覆っている。甲冑、そう、まさに甲冑だった。
中世のものとは違うようだが、それでも関節毎に継ぎ目を持つ金属質の体表と、そこに刻まれた幾何学的な紋様は、勇には甲冑に思え、騎士に見えたのだった。人の筋肉をなぞるように緩やかに湾曲しつつ、肩や爪先などの端部はところどころ鋭く突き出た、密度の高そうな金属的質感を持つ甲冑。それでいて全身を精密機械のような秩序が支配しており、いうなれば空想世界の未来技術により誕生したハイテク騎士、形容矛盾のようでもあるが、勇の目にはそう映ったのだった。二枚の白い翼はさながらマントである。
幻覚、勇の脳裏に都合の良い単語がよぎったが、そうではないことは他ならぬ勇自身ではっきりと解った。
その黄金色の騎士は、先のオブジェに比べればまだまだ常識の範囲だった。あの奇怪な銀塊に比べれば受け入れにさほどの抵抗はない。瞬間の思考、或いは引き伸ばされた時間でそこまで辿り着いた勇は「あ!」と声を上げた。オブジェ、あれは一体どうなったのだ?
掠{かす}れた記憶を手繰るように勇は眉間に皺を寄せる。ソニック編隊が尽く爆砕し、離脱しようとした久作の機体をオブジェが弾き飛ばし――奥歯を噛み締める――勇のシューティングスターにあの光線が浴びせられ……。
掴んだシートに深い皺が刻まれ、ぎゅうと音を立てた。シューティングスターの爛れた背中と垂直尾翼、その上に爪先立ちした黄金色の騎士、それら全ての向こう側に片側を夕日の赤で照らされた銀塊、オブジェが翅を震わせて見え隠れしている。機体が少しだけ傾きオブジェの全貌が見て取れた直後、真っ白な光十字が出現し、勇は反射的に両手で顔を覆った。あの光線だ! しかしながら完全には目を閉じなかったので、勇はその驚愕する光景を目の当たりにしたのだった。
赤かった空が一瞬で白へと塗り変わり、身じろぎ一つしなかった黄金色の騎士が……動いた。
それまでだらりと下げていた右手を左肩の辺りに振り上げ、僅かな間を置いて腕を真横に振り払った。同時にシューティングスターを激しい振動が襲い、プラズマ放電にも似た青白い瞬き、遅れてスパーク音がキャノピーに叩き付けられる。真っ白な筋が勇の視界を横切り一直線に左舷眼下に向かい、墨のように黒々とした海洋を深々とえぐり取った。白い飛沫が舞い上がり、吹き出した水蒸気が海に蓋をする。大きく窪んだ着弾部分に向け巨大な波が押し寄せ、ビルほどもある水柱が立ち上がった。
「……まさか!」
勇は叫び、放り出していた観測装置を大急ぎで担ぎ上げ、ヘルメットからインカムを引っ張り出し、パイロット目掛けて怒鳴る。
「ねぇ、見たでしょ?」
「どこをよ!」
パイロットの須賀{すが}二尉もまた怒鳴るように聞き返した。須賀二尉の睨むレーダー表示、スロットルを一杯に引いているのにオブジェとの相対距離は一向に縮まらない。焦燥の直中である彼女を無視して勇は続ける。
「信じられない! オブジェの熱線を弾き返したわ! それも……片手で!」
興奮そのまま、勇はファインダーを右目に押し付けた。緑色の明滅表示に囲まれ拡大された黄金色の騎士は真横に翳した腕をゆっくりと下げ、海流を無視した波紋の広がる海の方に刃物のような顎を向け様子を窺っている。
勇の鼓動はぐんぐん加速していった。こちらも依然不明なオブジェについては取り敢えず棚上げにし、黄金色の騎士について考える。あれは一体誰……いや、何だろう?
幻覚の次に勇が想定したのはある種の軍事テクノロジーだった。戦闘用のロボットか或いは装甲服の類……無理がある。軍事に通じている訳ではなかったが、しかしこれだけはハッキリしていた。現代のあらゆるテクノロジーを総動員してもあんなものは作り出せる訳が無い。ソニック戦闘機という新合金の塊を一瞬で蒸発させる得体の知れない光線を弾くなど。あの光線にたとえ一秒でも耐える素材など、恐らくあと数世紀は出現しないだろう。傍目に見ても先の光景は異様だった。何というか、そう、物理法則を全く無視している、そんな気味悪さである。
「――勇さん!」
いきなり耳元で呼ばれ、勇は文字通り飛び上がった。
「勇さん! 無事なんですか?」
「露草さん?」
声はヘルメットに仕込まれたスピーカからで、観測装置と連動しているので漸く回線が復活したのだった。
「久作さんからの連絡が突然途絶えたのですが、一体何が……」
勇は観測装置の端末を操作し耳障りな空電をカットして露草に声を向ける。
「事態はもはや、予測不能だとしか云えません」
露草の言葉をわざと無視した。
「何というか……人知を超えた、そんな状況です。観測を再開しますからモニターして下さい」
「……何が起こっているんですか?」
露草の声はノイズと不安でくぐもっている。
「何が起こっているんでしょうか……」
おうむ返しにした勇はファインダーで目を凝らした。
「ちぃっ! どんどん近付いてくるじゃないのよ! 振り切れない!」
須賀二尉が叫び、勇は観測装置を黄金色の騎士からオブジェに移し、うめいた。ズームアップされた頭部と思しき部分が余りに生々しく蠢き、勇の嫌悪を逆なでしたのだ。隕石だという先入観と実体に余りにもギャップがあった。それは何処から見ても奇怪な生物でしかなく、にもかかわらず生物らしからぬスケールが恐怖すら生む。
「だったら、これでどうだぁ!」
須賀二尉の絶叫。不意に機体が大きく傾き、勇はシートに鼻っ柱をしたたか打ち付けた。機体が垂直になり観測装置がキャノピーと衝突して派手な音を立てる。不意をつく加速に身動きの取れなくなった勇は両目を硬く閉じてシートの縁にしがみついた。警報ブザーがコックピットに響き、程なくシューティングスターは雲海から浮上した。眼下には黒い海と街明かり、頭上に満天の星空が覆い被さっている。
「もう幾らも飛べないんだから、これでどうにか――」
須賀二尉の言葉を遮るように再び警報が響き、眼前の雲海が音も無く裂けオブジェが巨体を顕わにした。高速で振るえるガラス質の翅{はね}が雲をかき混ぜる。
「……ふ、ふざけんなぁあ!」
二本の大顎に向けてシューティングスターの三十ミリ機関砲が吠えた。突然の射撃音に勇は悲鳴を上げる。真っ赤な弾丸が夜気を裂き、シューティングスターとオブジェを鋼鉄の破線で繋ぐ。三十ミリの弾丸はしかし猛速度で迫るオブジェの体表で次々に弾け消え、暗闇で鈍く光る銀塊が須賀二尉の視界一杯に広がった。
「わっ!」須賀二尉、「あ!」後ろを向いたままの勇、声を上げた二人を耳障りな羽音が襲い、鼓膜を破る激突音。
須賀二尉は訓練により強化された動体視力により、それを捉えることが出来た。僅か十数メートルにまで迫っていたオブジェが、上空より飛来した光弾により撃ち落とされたその瞬間を。猛速度で直進していたオブジェが突然直角に近い角度で落ち、すぐ上をシューティングスターが音速で通過したのだ。コンマ五秒遅ければ確実に衝突していた、それくらいのタイミングだった。
「何だ!」
操縦桿を引き機体を大きく旋回させながら、須賀二尉は夜空と眼下を交互に見る。黒い海に向けきりもみするオブジェ、そして頭上には……。
「……と、鳥?」
星座の瞬く夜空に白々とした翼が翻っている。距離感がはっきりしない。
「やっぱり!」と後部座席の勇が叫んだ。
「彼が助けてくれたのよ!」
「……彼?」
須賀二尉はうめいて目を凝らした。
「ほら!」勇はキャノピーに指を突きつけた。
「あの黄金色の騎士よ!」