《第一話「プラス、降臨!」・後半》
勇は扉らしき苔だらけの板を数回ノックした。力を掛けると喜劇よろしく建物全体が崩壊しそうな気がしたので、中指の節でそっと、慎重にこつこつと叩いた。
「……新聞も保険も間に合ってるよ」と、すぐに薄暗がりからしぼんだ声が聞こえた。
建物の内部は外観から想像した通りの、くたびれた様相を呈していた。板天井にぽつぽつと並ぶ剥き出しの白熱灯はその半数くらいしか電球が無く、残りの半分も灯るのかどうか怪しいものだった。埃の臭いのする空気は入り口の扉を開いたくらいではびくともせず、その場に居座っている。足元にあるビニールのスリッパは長らく使われた形跡も無く、その傍らに革靴が一足だけ揃えられていた。
どうしたものか、勇は下唇をとがらせて久作を窺う。
「間に合ってるってさ」
勇の癖を真似て唇を尖らせた久作は云い、肩を竦める。「だから?」ぷいと顔を背け、勇は再び扉をノックした。
「あの、永山教授の指示で――」
それに重なるように、暗がりから誰かがどたどたと駆けて来たので、勇は言葉を切った。現れたのは若い、二十代前半の男だった。鮮やかな黄色のシャツが壁や天井の様子から浮いている、久作と同じく中肉中背のその男は、無精ひげに覆われた角張った顎、削げた頬と太い眉を器用に操り、驚きと感嘆を同時に表現してみせ、同じことを両手を広げる仕種でもやった。
「……ひょっとして、ほむらの人? なんだ! それを早く云ってくれなきゃあ! さ、狭いところですけど遠慮無く」
早口で捲{まく}し立てるやいなや、彼は勇と久作の後ろに回り込み「さあ」と二人の背を押した。
「待ってたんですよ、実際」
軋む廊下の中ほどで男は二人の前に躍り出て、右手の扉を開き
「掛けていて下さい。お茶でもいれますから」
と、廊下と同じく薄暗い部屋を指し示し、返事も聞かずに廊下を進んでいった。
ふんと鼻を鳴らしてから、久作は扉を覗いた。
十畳ほどの部屋の北側の壁には、頑丈さだけが取り得といった事務机が一直線に並び、大小様々なモニターが陳列されている。その白い民間仕様のパソコン用モニターの全てにそれぞれ別の映像が映っており、その幾つかは焼き付き防止のスクリーン・セイバーの幾何学模様だった。
モニターの反対の壁(久作達のいる方だ)を占領する天井に達するスチールラックは、不揃いのファイルで埋め尽くされ、そこに収まらなかったファイルとダンボールが床に積み上げられ、さらにそこから崩れたいろいろが床の至る所にかき集められている。暗めの照明がモニターを見る為なのか、非力で時代遅れの照明器具の為なのかは定かではないが、本を読んだり談笑したりするような雰囲気ではなさそうである。
地震直後の貨物倉庫のごとき乱雑ぶりのその部屋の東の壁際に、男が薦めた応接セットらしきものを見付けた久作は、たじろいでいる勇を戸口に置いて部屋に入り、ソファに腰掛け「どうやら座れそうだ」手招きした。仕方なく勇は、床を這いずるケーブル群を必死でかわし、うっすらと埃を被ったソファの久作の隣に座った。合皮がぎゅうと妙な音を立て、勇の体形に合わせて沈んだ。
暫くして先程の男、おそらく唯一の住人であろう彼が、四角い盆を持って帰ってきた。
「申し訳ない、ミルクを切らせてるんです」
ソファの前の小さな円形テーブルに乗った書類を肘で押しのけ、コーヒーカップを三つとスティック入りのグラニュー糖を一掴み置いた。勇は無言で小さく会釈し、久作は、お茶にミルクはないだろう、と思ったが取り敢えず黙ったまま、勇と同じく頭を軽く下げた。
「おっと、申し遅れました……」
云いかけて、男はくるりと向き直り、横手の事務机の引き出しを二つ三つ抜き出し、目当てのものを見付けてから再び「申し遅れました」と云って、小さな紙切れを勇に差し出した。
「日本スペースガード協会の露草{つゆくさ}です。宜しく」
頭を上げて、露草と名乗った男は口を引き伸ばして笑顔を作った。勇の手にあるそっけない名刺には、確かにそうだと書いてあった。横からそれを覗き込んだ久作は、文字と露草の顔を交互に見て、ほんの少し間を置いてから、
「名刺はありませんが、僕……失礼、私がほむらの速河久作で、こっちは叶勇です」
膝から僅かに掌を浮かせた。
前世紀末の国際スペースガード協会発会に関する経緯や、様変わりした今日の同協会の意義を手振りを添えて語る露草を、勇は熱すぎるコーヒーに舌を焼きつつ、味に対する興味も知識も無い久作はただただ喉を通過させながら、もう三十分余り眺めていた。
なおも続くであろうことに二人はうんざりしつつも、それを顔に出さないだけの技術を年相応に身につけてはいた。
「――そもそも、近傍を漂う小天体はごまんとあり、そのうち地球軌道をかすめるものは文字通り無数ですから、観測・警戒には少なくはない意味がありました、確かに。しかしそうやって近い将来に飛来するであろう小天体を、一般でいうところの隕石ですね、それを前もって予測できたとして、その予測にそれほど価値が無いことに気付いていた人々もいた訳です。というのも、例えば一週間後にどこかの都市にさしわたし百メートルくらいの小天体が落下することを観測技術によって前もって知り得たとしましょう。百メートルというのは小天体の規模としては日常的なものです。それくらいの質量になると、もはや地球大気による保護力は働かないですから、そのものずばりが大地に突き刺さることになります。かくして一週間後にその都市は、地上から蒸発してなくなってしまう訳です。ねえ速河さん、そんな巨大なものが頭上から降ってくると知らされて、あなたならどう思います?」
天井や壁に目掛けて弁舌を披露していた露草は、くるりと振り向き久作に左手を翳し首を傾げた。泥水の入ったマグをいまいましげにテーブルに置き、久作は小さく喉を鳴らして腿の横をさすった。
「余計なお世話ってとこでしょう。知らない方がいいことも世の中にはある、科学とは逆行する意見ですがね」
露草は人差し指をぴんと突き立てて「そう!」と照明を仰ぎ見た。
「昔、五十年くらい昔に、長距離ミサイルを使って小天体を迎撃しようなんて馬鹿げた発想があったことを速河さんはご存知です?」
眉をひくひく動かして露草は再び指を立てて振り返る。
「『宇宙防衛構想』の延長線上で、水爆だか核ミサイルだかの再利用ってやつでしょ? ええ、知ってます。……良かったら久作と呼んで下さい。長らくそうだったので、どうも姓での呼び掛けには反応が遅れるんです、慣れてなくて」
神妙な顔つきで久作は提案した。隣の勇が俯いて肩を揺らし、笑いを堪えている。
「成る程……了解しました、久作さん。なら、叶さんの方も――」
「ええ。勇で、お願いします。理由は久作と同じです」
といってから、小声で「初対面だってのに」と久作の耳元に囁いた。
目を細めそれに応えた久作はソファで弾みを付けて立ち上がる。
「無意味であろう観測・警戒を未だにあなた方が続けているということはつまり、その都市を穴ぼこに変えるだけの小天体をどうこう出来る手段を手に入れたと、そう解釈していいんでしょうか? 露草さん?」
「手に入れつつある、その程度です」
それまでの道化めいた仕種とは打って変わり、露草の瞳は冷たい光を放った。久作にソファに座るように無言で促し、それを見届けた露草は胸の前で腕を組んで瞼を軽く閉じる。
「スペースガードの『地球圏防衛網』計画、発案はもう十年も前です。軍事仕様の人工衛星による宇宙規模の哨戒任務とそれを支えるだけの圧倒的火力、当然宇宙用のです。地上からの迎撃と大差ないように思われるかもしれませんが、効率が段違いです。技術的問題をなぎ倒した具体案を提示したのが五年前、予算を取り付けて本格的に発動したのがつい二年前、準備は今現在も進行中、だが……」
唐突に言葉を切った露草は、ゆっくりと振り返り「だが遅すぎたようです」と何も読み取れない表情で云い、二人を交互に見詰めた。漸く話の区切りを見付けた勇が、前髪をいじりながら立ち上がって言葉を割り込ませた。
「そろそろ私達が呼ばれた理由を聞かせて欲しいんですけど」
声色に僅かな苛立ちが混じっている。
「これまでの話、当然関係があるんですよね? 私達……いえ、ほむらと」
学者然とした顔つきを崩し、露草は勇の切れ長の瞳を見詰めた。
「勿論です。すいません、長話が私の悪い癖でして」
二人を居並ぶモニターの一つへと手招きする。そこには良く見知った太陽の電波観測映像がモニター一杯に映し出されていた。日付は一週間前になっている。
「これは――」
露草を手で制して久作が「僕が撮影しましたから」と映像を凝視したままいった。
「何か問題でもありましたか?」と勇。
「ここの――」と露草はモニターの一端を指差す。
「――これです。何だと思いますか?」
露草の肩越しに二人は映像を睨み付ける。巨大な太陽表面に黒い染みがちらほらと浮かんでおり、その一つを露草の指が指し示していた。
「黒点です」
久作がきっぱりと云い、勇が「間違いありませんよ」と付け加えた。
「では」
と露草は煙草のヤニですっかり茶色に変色したキーボードを左手でぱたぱたと叩き、映像を切り替える。同じくほむらによる太陽の映像で、日付は二週間前に変わった。
「ここから最後の映像までを繋げます」
露草がキーを叩き、ぎこちないコマ撮り映像が流れる。太陽がぎくしゃくと回転していることが表面のムラと黒点の移動で見て取れる。くるりと回った太陽が一週間前の日付で止まり、再び頭から映像がリプレイされ、それを三回繰り返した後露草が「どうです?」と事務椅子を軋ませて振り返った。
「黒点が現れたり消えたりするのは自然現象ですけど、それはご存知ですよね?」
嫌みにならない様に慎重に言葉を選んで久作は云った。
「はい。ところで地上から太陽を観測している天文台は、ほむらだけだと聞いていますが間違いありませんか?」
「おっしゃる通りです」
勇が応える。
「観測衛星の方が精緻な情報を得られますから、誰もやりたがらないし、ほむらにしたって別段力を入れている訳ではないんです。実際、大した発見はなくて、単なる補足データ収集に付き合わされただけですから、ねえ?」
語尾は久作に向けられたものだった。
「これを見て頂けますか」
露草は鍵の掛かった引き出しから一枚の写真を取り出し、久作に渡した。
「むぅ、観測機だかの影が映り込んでいるじゃあないですか。それに随分と劣化してますね。素人の撮影か……これが何か?」
写真はノイズが酷く、乱れていたが、宇宙空間から電波撮影された太陽だと辛うじて解った。傍の事務椅子を手繰り寄せて二人にあてがい、露草は重々しく口を開いた。
「久作さん、それ、映り込みではないんです。ほむらの最終観測から丁度まる一日後の太陽の、装置的には完全にクリアな映像です。撮影したのは素人ではありません。出所は極秘なのですが……お二人なら問題無いでしょう。それを撮影したのは、地形解析用の衛星〈いざなぎ〉です」
それを聞き久作は、派手な音を立てて唾を飲んだ。勇は「え?」と小さく声を上げ久作の手にした写真を覗く。
ほぼ中央に据えられた太陽の中心から僅かに左下にずれた部分に、表面積の二割を越えるほどの黒い真円が映っていた。先程久作が映り込みだと云ったのはこれのことだった。
「あの……何かの影がレンズに映り込んだという可能性は?」
一応勇は云ってみたが、あくまで可能性を潰す為であり、写真の質感がそれを否定していることを誰よりも勇自身が痛感していた。露草もそれを承知しているようで、念の為といった口調で応える。
「入念に解析した被写体、その影までの距離はきっかり一天文単位です。何かの影だとしても、それはレンズにではなく、その……太陽に落ちた影ということになりますが……」
語尾はしぼんでゆき、後を久作が継いだ。指で銀縁フレームを押し上げ事務椅子を後ろ手で押しのけると、久作はすっくと立ちあがり細い顎をそっと撫でた。
「光源に落ちる影とは、なかなかどうして詩的なことで。形容矛盾ってやつですね。良いでしょう、我々は時として、詰め込んだ知識を一切捨て去ってから取り組むしか手がないほどに厄介な問題に直面する。今がその時だということさ、勇」
芝居掛かった声色で久作は勇と露草に交互に視線を向けてから、眉間を寄せて目を閉じた。驚いたのは勇だった。照れもあり、人前で自分を「勇」と呼ぶことをあれほど嫌っていた久作が、今確かにそう呼んだ。議題をいっとき棚上げにして、勇は耳を真っ赤に染め上げて、そのことに一人浸った。
「ほむらで僕らが撮影した黒点の一つは丁度成長期にあった。これは間違い無いが、別段取りたてて騒ぐことでもない。日常的といえばこれほどのことはない。きょうび小学生でもそれくらいは知っているからね。さて、そのちょうど二十四時間後に撮影されたこの写真の意味するところは……」
久作は、突然流暢になった語調にたじろぐ露草をちらりと見る。自身の撮影したほむらの映像に向けぱちんと指を鳴らし、勇に軽く流し目を向けた。しかし勇の頬が赤らんでいることには全く気付かなかったようだ。
「……直径三十万キロの黒点だって? ……よろしい、それが現実というものなのさ。そうですね、露草さん?」
不敵、そんな視線に露草はこくりと一つ頷いた。一息つき、久作は事務椅子に掛け「そろそろ具体的な話題にしませんか?」と上目遣いで云った。
「これで終わりだというのなら、わざわざパルナソスくんだりから僕らを呼び付けたりはしないでしょう」
咳払いを一つ、
「だからとて、僕らに何が出来るでもないですがね。それに、或いは取りたてて騒ぎ立てるような事柄でもないのかもしれない」
険しかった表情がふっと和み「当然、天文学的には大いに騒ぐべきですが」と付け加えた。
いっとき、沈黙が薄暗い部屋を渡る。
そして、押し黙った露草が口を開こうとした時だった。三人の左手に据えられたパソコンのスピーカが、電子合成された女性の声で「緊急連絡! 緊急連絡!」と二度続けて金切り声を上げた。
仰け反るようにして露草は後ろを振り返り、ビニールスリッパで力いっぱいリノリウム床を蹴り事務椅子を走らせる。がらがらとキャスターが音を立て、露草はすぐさま黄色と黒の縞模様で瞬くモニターの前に躍り出た。
「どうしたんです?」
半ば叫ぶように久作は云い、後を追って飛び跳ねる。少し遅れて勇も二人に取り付いた。取り出したインカムを定位置にセットし、露草は左手でキーをめまぐるしく叩き「解りませんが」と喘いだ。
「この回線が使われたことなんて、テスト以外では一度も無い筈です!」
二十二桁のパスコードを素早く入力し、露草は双方向回線を開いた。ちかちかと点滅する画像の一部が反転し、どこかのオンライン中継らしい角のある荒い画像が現れる。通信速度を優先しているようで、人物の上半身が出来損ないのアニメーションの如くかたかたと動いている。表情までは読み取れないが服装は明らかに公的機関のそれだった。モニターに横顔を向けた白衣姿の女性の後ろでは、画質の為、黴みたいにしか見えない人々が右往左往している。勇は知らず久作のウィンドブレーカーを掴んでいた。
「露草です!」
怒鳴るように云い、モニターの向こうの女性がかたかたと振り返った。
「良かった! 間に合った!」
相手がカメラの淵を掴んだのか、画像が大きく揺れた。
「ちょっと待って……」
露草が素早くキーを叩きパソコンにコマンドを送り、荒かった画像がみるみる細かくなり、ついにテレビ中継並の画質になったが、代わりに音声が一拍遅れとなった。
「相模{さがみ}さん? 何が――」
「データを送るわ。すぐに解析してちょうだい!」
黒髪の、相模と呼ばれた白衣の女性はモニターに掌を向け露草を制し、手元の装置を操作している。息を殺していた勇は、モニター中央の相模の顔の下に『NASDA』と表示があるのを見て取った。
「久作、あれ……」
勇は耳元で囁き、久作は小さく「ああ」とだけ応える。
「露草君、あなたの予測は的中したのよ!」
手元を見ながら相模が叫ぶ。
「ええ……『侵攻』が始まったわ」
それを聞いた露草は、振り上げた右の拳を事務椅子に叩き付けた。
「そんな! 速すぎる! 計測値は――」
しかし、またしても相模が遮った。
「確認されたのは一つ。九州南部へ降下し、そのまま北上。九州北部から本州南部、中規模以上の観測装置のある施設を洩らさず壊滅させてなお進行中、恐らくここも時間の問題だわ。こんなことって……」
相模は顔とモニターの間で両手を握り締め、うなだれた。
「他の国は?」
送られてくるデータを操作しながら、露草はインカムを空いた手で握る。眉の脇を一筋の汗が伝い、キーボードにぽたりと落ちた。相模は顔を下げたまま左右に振り
「日本を縦断したら、そのまま向かうのでしょうね、きっと」
と辛うじて聞こえる程度で云った。
「その頃には、確かめる手段なんてとっくに失っているけれど」
「ちょっと! 何が起きているんです!」
痺れを切らした久作がついに怒鳴った。隣の勇がたじろぐ。
「露草さん!」
事務椅子の背もたれを鷲掴みにして、噛み付かんばかりの勢い、露草は気押されて息を呑む。「誰?」と相模がモニター越しに久作を見詰めた。
「ほむら天文台の速河です。状況を!」
露草のインカムを引っ手繰り、久作はモニター上部に設置されたカメラ目掛けて指を突き付けた。
「ほむら? ……あなたが例の第一発見者?」と相模。
事務椅子の縁を握り、久作は「僕は何も発見しちゃあいませんよ」と云ってから、これ見よがしに鼻を鳴らし、いまいましげに手を振り下ろした。横から露草が「詳しい事情はこれからなんです」と合いの手を入れる。
モニター向こうの相模は、大きく息を吸い込み、そして音を立てて吐き出した。
「露草君の予測した『侵攻』を、あなたの観測結果が裏付けて、〈いざなぎ〉が実証した、そんなところよ。我々も漸く重い腰を上げたのだけど……どちらにしても遅すぎたようね。昨日未明、種子島からスクランブル発進した空自のソニック編隊、一機たりとも帰って来なかったわ。といっても、基地の方が先に壊滅したらしく、どの道帰るところなんてなかったようだけど。状況? 状況は最悪、この上ないくらいにね」
ぽーんと場違いに軽快な音がして、データ受信完了を告げる。
鋭い眼光をカメラとモニター交互に浴びせ、久作は低く「スクランブル? 何に?」と呟き、眼球を滑らせて露草を捉えた。相模はそれには応えず、無言で露草にその役目を押し付ける。両のこめかみを人差し指と親指で挟み、露草はひとしきり唸ってから「敵です」と云い、それを継ぐように相模が「我々は〈オブジェ〉と命名しました」とスピーカを震わせた。
「敵?」と勇、「オブジェ……」と久作。
「送ったのは降下直後、種子島基地へ飛来した際のオブジェのデータよ。役に立つのかどうか、後は露草君、そしてほむらの人、あなた方次第よ」
「相模さんは?」
露草の声は僅かに震えている。
「つくばは放棄・撤退が決定したの。彼らがここを目標から外すとは考えられない……敵の戦略は明確だわ。まず――」
灰色の小さなノイズが画面に走った。
「――我々地球から人工衛星という「目」を奪い、次いで地上に林立する「耳」を潰す。それから――」
「ほむらは!?」
唐突に勇がそう叫んだ。
「パルナソスのほむら天文台はどうなるんですか?」
久作を半ば押しのけ、勇がモニターに詰め寄った。久作がカメラを指差し、勇は視線をモニターからカメラに移した。相模は「全てを把握している訳ではないから……」と前置きして、
「未だ健在だとしても、いずれ狙われるとみて間違い無いでしょう」
と多少哀れみのこもった口調で、突然割り込んできた勇に向けて云い、「気持ちは察します」と付け加えた。と、またもや画像に派手なノイズが走り、相模の顔が大きく歪んだ。スピーカががりがりと耳障りな音を立てる。蒼白となった勇を声も無く見詰めていた露草は振り返る。
「相模さん?」
画面の、周囲をぐるりと見回している相模の右側から、別の男性が割り込んできた。
「博士! 撤退だ!」と吐き棄て、そのまま後ろに走り去りながら「リニアに急げ! 時間が無い!」と叫ぶ。
再度ノイズが、一際激しい画像の乱れが上から下へと流れる。ざわざわした騒音が、今度は途切れること無く鳴り出した。背後では悲鳴らしきものと、ガラスの割れる音が微かに聞き取れた。それらの意味するところ、相模の方は只ならぬ状況に足を踏み入れつつあるようだった。
「もう来たの? 速すぎる!」
席を立った相模は駆け出そうとしてすぐに立ち止まり「これまでか……」、上半身を捻って画面一杯に顔を近付け、そして――
「後は頼んだわよ……スペースガード!――」
ぶつん、とそっけない音を立て、通信が切れた。露草、久作、勇の三人は、息をするのも忘れモニター中央の、枠で囲まれた領域の白黒ノイズの嵐をいつまでも睨み付けていた。
海岸線に沿う幹線道路を、露草の運転するライトバンが疾走する。先のやり取りとは裏腹に、猛速度で去って行く辺りの様子は、閑散とした日常のそれだった。ガードレール越しに一望できる、時折しぶきを上げる荒れ狂う波だけが、三人の焦燥と同じく慌ただしかった。
「千歳の第二航空団に話を通しています。シューティングスター二機がすぐに離陸出来るよう、準備が整っている筈です」
ハンドルを握り締めたまま露草は、助手席の久作と、ミラーを介し後部座席の勇を見て云った。
「しかし、久作さん……」
露草を手で制し、久作は眼鏡を押し上げた。
「状況を最も把握しているのは恐らく軍人達でしょう。機動力といえば彼らにかなうものは無い。だが、彼らにはそれを理解する為の情報が決定的に不足している。そして、その情報を持っているのは……」
一旦区切り、ちらりと窓の外を見る。
「つくば観測所がああなった以上、間違いなく我々だけだ」
大きなカーブに差し掛かる。猛速度ながら慎重な運転で露草は「ええ」と振り絞る。傾く重心に身を任せつつ、久作は続ける。
「とはいえ、僕らにしたって充分だとは云い難い。それでも、あのオブジェと呼ばれるものが地球圏外から飛来した、恐らく太陽方向から来た何かだということを突き止めている。戦略を練る上でこの差は決して小さくはない」
「事前に予測さえしていた?」
勇が顔を覗かせて云った。
「ああ、そうだ」ミラーに頷く。
「混乱の直中であろう軍に情報を流すのは確かに馬鹿げている。勿論、いずれはそうする必要があるが、どうせなら……」
「有益な形で、という訳ですね」
露草が継ぎ、久作が「そう」と力強く云う。
「僕と勇が出来る限り情報を集め露草さんに送ります。解析と対抗手段の検討を、やっつけ仕事でも構いません。それが完了し次第、軍隊なり政治家なりに情報を提供して下さい。勿論、僕らからのリポートを逐次流してもらっても構いませんが、恐らく彼らはそれを有効には使えないでしょうから、露草さんの見解を忘れずに添えてあげて下さい」
久作は銀縁眼鏡を取り、目頭を数度しごいた。
目的地に近付き、露草はライトバンの速度を落とし「何が起きているのかさえ解りませんが……」と、目を閉じたままの久作を向き「くれぐれも」と口を開いた。射し込んだ日差しを左手で遮り、シートに後頭部を押し付けた久作は「ええ」とだけ応えると、再び目を閉じた。
航空自衛隊第二航空団の駐屯地、千歳基地から二機の垂直離発着機〈シューティングスター〉が爆音を撒き散らして飛び立った。
露草はそれを室蘭工科大学へ取って返したライトバンのフロントウィンドを通して見詰め、「我々に何が出来るのか……か」と誰にとも無く呟いた。見渡す限りの快晴がいやに無気味に思えた。
「運転手さん! 首都方面へ向かってくれたまえ」
めちゃくちゃに重たいヘルメットが何度も視界を遮り、久作はうんざりしていた。
「運転手? はは、違いない。あいよ、お客さん!」
方城{ほうじょう}一尉は後部座席の久作に親指を立ててみせる。シューティングスターの、旅客ジェットとは比較にならない加速衝撃に全身がみしみしと音を立てている。キャノピー越しの視界は全て雲海で、左舷前方に勇の搭乗している機体が微かに見て取れた。両翼の先が白い筋を曳いている。
「勇? 乗り心地はどうだい?」
機体が傾き久作はヘルメットを側壁にぶつけた。僅かなノイズの後、勇からの返信があり「最低よ――」悲鳴が続いた。
「へい、旦那。事情を何か知らないかい?」
方城一尉がおどけた調子でスピーカから呼びかけた。
「特務待機の次はスクランブル発進ときた。何が始まる?」
「そりゃあ、あんたのお仕事さ、決まってるだろう?」
ごわごわしたフライトスーツに身をよじりながら、久作も負けじとおどけた調子で応える。
「戦争だよ、それも飛び切り手強い、ね」
「ほお! 敵はどいつだ? メリケンかい? それともイワンの野郎どもか?」
露草とのデータ送信の為、本部との無線が封鎖されているのをいいことに、方城一尉は云いたい放題だった。
久作はひゅうと口を鳴らしてから、
「驚くなかれ、宇宙人さ。武器はあるかい?」
「そいつは凄げぇや! ってことは――」
気流に飛び込んだのか機体が上下に大きく揺れた。
「――対人兵器か? それとも空対地なのかい?」
久作は苦労して両手を左右にかざして、
「さあね。どっちも準備しときなよ」
大きく笑った。
雲海の切れ目から、群青色の太平洋がちらりと覗き、久作はしばしその光景に見惚れた。
いつも地上から空を見上げることに終始している久作は、眼下に広がる広大な海に、幼い子供のように釘付けになっていた。そして勇も恐らくそうであろうと、かすかな笑みを浮かべる。
「久作!」
突然ヘルメットが大声を上げ、久作は思わず仰け反った。
「勇? どうした?」
「見えた! あれ!」
「旦那、正面だ」
方城一尉の科白が重なり、久作は固定ベルト一杯に体を乗り出してキャノピーにヘルメットをなすりつけ、そして目をむいた。
「おいおい、冗談だろ?」
と方城一尉。
「あれがそうか? なんて……」
足元から小さなジュラルミンケースを取り出し、膝に置いてから慎重に開く。
「勇、走査開始だ。カメラを向けろ」
「もうやってるわ」
取り出した装置を肩に担ぎ、久作はマイクに向けて「可能な限り接近を。ただし! 離脱の判断はお任せします」と押し殺した声色で云い、観測を開始した。
幾筋もの黒煙が大地と空を繋いでいる。茨城県つくば宇宙センター、研究施設が立ち並んでいた筈のそこは、今では一望できる範囲全てが瓦礫の山だった。
開通したばかりのリニア軌道は見事に分断され、大きくえぐれた大地に小さな火も幾つか見える。黒々とした廃屋群と霞ケ浦のちょうど中間あたりに、久作は素早く小型観測装置を向けた。緑色に輝く数列の並ぶファインダー内で拡大された景色、そこには、黒煙の隙間から射し込む日差しでぎらぎらと輝く、水銀色の巨大な物体が映し出されていた。
「あれが……オブジェ?」
勇の喘ぎが聞こえた。
周囲に散ばる倒壊した建造物や、所々分断された曲がりくねったアスファルト道路と比較した目測で、高さ二十メートル以上、全長は百メートルをゆうに越えている。
方城一尉が荒い息遣いで「でかい!」と叫んだ。
銀塊の表面は幾つかの部分に分かれており、まるでプレートテクトニクス図案のようである。
大きく張り出した二つの突起状部分に節のような個所があり、それら全てが鈍い銀色を放っていた。そして、小山ほどもあるそれは二機の戦闘機の見守る中、剥き出しの大地をささくれ立たせながらじわじわと移動していた。
「あれが、う……動くのか?」
久作の喉は急激な渇きにより張りついていた。
河原で見付けた石が何かの動物に見えることがある。久作は眼下で蠢く銀塊に、そんなやり方を当てはめてみた。微かに上下している虚空に翳された突起、幾つかに分かれたぎらつく表面、歪んだ楕円形状の本体を前方と後方に分けてから改めて全体を眺めると……。
「……虫?」
嫌悪感が背筋を駆けた。視界が暗転し平衡感覚が狂い、すんでのところで観測装置を取り落としそうになった。
久作は不意に装置から目を背け、急激に臓腑を襲った吐き気をどうにかやり過ごした。そこに重なったのは地上で目にする甲殻昆虫、まさしくそれだった。フライトスーツに落ちるキャノピーの影が胸から顔へと動いてきた。機体が旋回しているらしく傾き始めた太陽が右に左に動いている。
「組成は金属、チタンに酷似するも地上に近似種は無し。表層部分から微弱な熱と電波を確認」
勇の声が聞こえ、久作は我に返った。
「露草さん、どうですか?」
滲んだ脂汗を拭い、久作は通信回線を露草に向け開く。雑音の合間から「ええ、届いてます」露草のしわがれた声が聞こえた。
「未知の要因が多すぎて解析にまでとても手が回りません。暫くは情報収集に徹した方が良さそうです」
「でしょうね。続けます」
再び観測装置を担ぎ、久作はファインダーを覗く。と、勇からの通信が入った。
「ねえ、久作。あれが露草さんや相模さんのいう……オブジェなのかしら?」
「らしいね」
返した声が他人のもののように感じられた。
「じゃあ、あれが……種子島からここまで移動したの?」
ノイズの為か、勇の声が震えて聞こえた。久作はごくりと唾を飲んでから「らしいね」と同じ調子で応える。脳裏に、眼下の銀塊がその表面を分け開き、羽ばたき飛び立つ光景が浮かんだ。仮想の羽音が両耳を貫き、久作は舌を鳴らして眉をひそめる。
「熱は、大気圏突入時のなごりかしら?」と勇。
すぐには応えず、久作は自身の考えを云うべきかどうか悩んだ。
可能性というのなら、確かに有り得なくはない。しかし、あの蠢く銀塊がある種の生物なのではないのか、とはやはり早計に過ぎる気がした。そんな形態をしているからなどという説明を勇が聞きいれるとも思えなかったし、何より単なる思い付きの域を脱していない。フライトスーツが喉を圧迫しているような錯覚にとらわれ、久作は襟元を掴み左右に振った。
「内部は融解しているのかもしれない。移動して見えるのは……地磁気の影響? ふぅ、それじゃあ、こじつけにすらなっていないわね。そもそも金属なのかどうかも定かではないのだし……。内部を見通せれば良いのだけど、この設備じゃあ無理ね……」
再びファインダーを向け、勇の声に耳を傾けたまま久作はぼんやりと考え事をしていた。
露草や相模博士の云っていた『侵攻』とは、これのことなのだろうか? だとしたら、あれは……何だ? あの虫の如き金属塊、どう見ても移動している。これまでに得た乏しい情報によれば、あれは地上に落下して後、数百キロを移動している。そんな隕石が……いや、凝り固まった概念にしがみつくのを止めようと云ったのは自分だ。
あれが隕石なものか。だが、だとしたら、やはり……。
「旦那!」
方城一尉が久作の思考に割って入った。
「お出ましだぁ!」
キャノピーに指を突き立て、彼方を横切る数個の影を指し示した。
前部を向いた鉤型{かぎがた}リアダイン翼と巨大なソリッド・インテーク、この距離からでも独特の機体形状が見て取れる。空自のソニック編隊だ。
「小松の第六か……攻撃するらしいぜ。一時撤退、いいね?」
云うが速いかシューティングスターは真横に傾き、久作の体を加速が横殴りに貫いた。観測装置を抱え「見える位置で頼みます!」とどうにか云い、「あいよ!」機体が翻り、左手の空が舞い上がって大地が躍り出た。加速に逆らい、久作が顔を起こすのと同時に視界一杯に閃光が瞬いた。
「ひゃっほう!」
方城一尉の奇声がコックピットに響き、次いで炸裂音が機体と久作の鼓膜を揺さぶった。
きりもみして元の位置についた機体、視界の焼き付きが収まり最初に飛び込んだのは、煙柱を避けるように散開するソニックの底部だった。編隊の一機が久作達のシューティングスターの上をすり抜け、キャノピーがびりびりと震える。
「だっしゃぁあ!」
方城一尉が又もや意味不明に叫ぶ。ヘルメットのスピーカから勇の悲鳴。
「何なのよぉ! 突然に!」
ファインダーから顔を外し久作は、蠢く銀塊……オブジェの位置していた爆撃地点に目を凝らした。気流に巻かれた黒煙が大きくよじれ、ゆっくりと流されて行く。それぞれに反転したソニックが、再び編隊を組み直そうと戻ってくる。
「……やったのか?」
知らず拳を握り締めていた。詳しくは知らないが、素人目に見ても先の爆発の威力は只ならぬものだった。オブジェが如何に巨大といえども、あれでは残骸すら残るかどうか。欠片の一つでもサンプルとして回収できれば御の字だが、軍隊を出し抜くには露草に頼るしかないだろう。肺の奥に溜まっていた呼気を安堵と共に吐き出した久作だったが、不意に、脳裏に記憶の断片が、僅か前の会話がよぎった。
『――種子島からスクランブル発進した空自のソニック編隊は一機たりとも帰って来なかったわ――』
久作の耳を内側から震わせたのは、つくば観測所の相模博士の声だった。
「……そうなのか?」
顎に指を当て呟く。
「勇、これまでのデータを露草さんに――」
横顔を二度目の閃光が照らし、久作は目を細めた。そして、再び云い掛けた久作がキャノピーの外に見たものは――
「久作!」
「旦那ぁ!」
「そ……そんな!」
一点に集結したソニック編隊をなぎ払う、一条の光線だった。
「やべぇ!」
熱風と衝撃波がシューティングスター側面を猛速度で殴り、盛大にあおられた機体は紙屑の如く翻{ひるがえ}った。天地が一瞬ごとに入れ替わり、久作はコックピット内でミキサーにかけられ、首といわず肩といわずめりめりと軋んだ。開いている筈の瞳に映る全てが暗転し、鼓膜の傍で硬質な風鳴りが怒鳴り散らしている。
「てやんでぇい! エースをなめんなよ!」
方城一尉が怒声を上げ操縦桿を両手で引っ手繰り、機体の旋回を力ずくでねじ伏せた。久作は口を半開きにしてぜいぜいと喘ぎ、硬く結んだ瞼を無理矢理こじ開ける。霞のかかる視界でヘルメットのずれを直し、
「……勇……無事か?」
息も絶え絶えに囁いた。
攪拌{かくはん}された雑音がスピーカから止めど無く溢れ、耳鳴りと重なって久作を襲う。
「勇!」
ざっ、とノイズが弾け、
「……三途の川が、手招きしてる……」
方城一尉が右舷上方を指差す。どうやら勇の機体も健在のようだった。体がシートに押し付けられ、機体が急上昇した。かなり降下していたらしい。
「どうなった?」
漸く我に返った久作は観測装置を担ぎ直して、真上に位置する地上を見上げた。
滞空する黒煙から同じく黒い残骸が撒き散らされ、細切れの舗装道路と倒壊した研究施設に次々と突き刺さる。首を捻り上げる旋回衝撃に反発し視線を右に流すと、そこには未だオブジェがあったのだが、形状が一変していた。
全体に間延びし、表層にぽつぽつと見える放射状に広がったすすは、空自の爆撃によるものらしいが、それを受けた個所は本体の中心から殻状に分かれて大きく開き、その下には表層とは質感も色も異なる部分が覗いていた。一見して、傷一つない。陽光を遮り巨大な影を落とす殻状部分の裏側から、ナイフに似た形状のガラス質部分が僅かに突き出し、不透明な枠組みで区切られたそれは、見て判る程に振動している。
シューティングスターがオブジェを軸に旋回し、仮に前部とした部分に差し掛かると、久作は喉を低く鳴らした。そこに見えたのは、ほむら天文台のドームほどもある細かなハニカム格子と、大きく張り出した湾曲する鋭い突起、本体下部からは、先刻には見られなかった別の突起が両脇に三つずつ、計六本突き出していた。それらを目に焼き付け、久作は確信したのだった。
「くそっ! 間違い無い! 複眼、顎、触角……そしてあれが脚で、あっちは翅{はね}か!」砂埃で霞むキャノピーに肘を打ちつけ、久作は怒鳴った。
「勇、 確かにこれは『侵攻』だ!」
久作の膝を小さな影がかすめた。ソニックの生き残りが二機、オブジェに急降下を仕掛けようとして二機のシューティングスターの間を擦り抜けた。ソニックが見る見る小さくなって行く。と、不気味に揺れていた触角部分がしなり、唐突にオブジェがその巨躯をもたげた。大地を揺るがし大気を押しやり、最後部から伸びる第三脚で立ち上がると、対になった複眼の座る頭部を降下するソニック二機に緩慢に動かし、そして大顎をぎりぎりと開き始めた。
「あれは……まずい! 急速離脱!」
「やってまさぁ!」
ふわふわと舞っていた機体ががくんと揺れ、弾けるようにその場を脱するのと同時に、オブジェの大顎の間から先程の閃光が辺りに放たれた。焼き切れる直前の電球のような激しい閃光は、球状から円錐状に徐々に収束しつつその輝度を高め、ついに一本の真っ白な光線となって二機のソニックを順番に貫いた。
光線の径はソニックの三倍をゆうに超えており、鉤型リアダイン翼は一瞬だけ真っ黒な影をひき、次に盛大に爆{は}ぜたのだった。一部始終をかざした左手の指の隙間から見ていた久作は、眩暈を感じる頭を猛スピードで回転させ、しかしすぐにそれを諦めて、
「もういい! 撤退しよう」
と、方城一尉と勇に云った。
「あいな。おい、二番機、聞こえたかい?」
勇の乗るシューティングスターと交信し、方城一尉はスロットルを折らんばかりの勢いで引いた。
「第六、仇は取るぜ! ……また今度な」
翼をわさわさと軋らせ機体は飛び跳ね、翻った。廃虚と黒煙と夕焼け空が次々とキャノピーを走り抜け、次に久作の眼前に躍り出たのは……視界を埋め尽くすオレンジ色の複眼だった。久作は反射的に両手で顔を庇い低くうめき――
「逃げてぇ!」
蒼白となった顔をキャノピーに押し付け、勇は裏返った悲鳴を上げた。
放り出した観測装置ががちゃりと鈍い音を立てる。垂直に切り立ったつくば観測所跡地の上空で、久作の乗るシューティングスターを陽光に輝くガラス質の羽を広げたオブジェが弾き飛ばし、機体は粉々になって四散した。一番大きな破片が遅れて爆発し、舞い上がったオブジェの体表を鈍く照らし出す。
「そんな……」
勇はガラスに爪を立て歯を食いしばる。パイロットが何か云ったが勇の耳には一切届いていなかった。
震えと涙で歪む、色彩の強調された視界では、羽ばたく銀塊がそのまま上昇し、いっとき滞空してから想像を絶する速度で旋回をかける様子が横切った。虚空を叩く羽音らしきものが機体とキャノピーを派手に震わせ、
木偶の坊となった勇は力無くシートに倒れ込んだ。パイロットが言葉にならない悪態を吐いてノズルをオブジェに向け、スロットルに手を掛けた、その時だった。勇はシューティングスターごと真っ白な光に包まれ、視覚が一切効かなくなった。空自のソニック編隊を一掃したあの光線を背後から浴びたのだ。
傾いた太陽が真っ赤に照らす空に、刃物を突き立てたように影が走った。
「久作――」
固く結んだ左の瞼を慎重に開き、次いで右、しかしそこに映るのは閉じていた時と同じく輝く白一色だった。吹き飛んだ五感が、指先と爪先、頭のてっぺんから徐々に戻り、勇はごわごわしたグローブとブーツ、重量の余り身長が縮むのではないかと思えるヘルメットを、感触として認識した。瞳の周囲に光以外の映像が微かに沸き上がり、次第に赤い空が映り込んできて、遅れて、蓋をした聴覚が覗き、かたかたという機械音が届いた。
「……い、生きて……る?」
五感がほぼ同時に満たされ、勇は汗まみれの体の重さを嫌というほど味わった。それでも、両の掌を見詰めてその実在を確かめると、深い深い溜め息を吐かずにはいられなかった。シート越しにパイロットの唸りが聞こえ、勇と同じく無事であることが分かった。
がくがくとしか動かない首で周囲を見渡し、そこがシューティングスターのコックピットであることを空ろな目で捉え、一拍の間の後、勇はバネ仕掛けのからくりみたいに勢い良く跳ね起き、肘と膝を目一杯計器にぶつけて「どうなったのよ!」張り裂けんばかりに叫んだ。ベルトを半ば引き千切るように取り去り、キャノピー外の景色を見ようと座席で体を反転させ、そして、勇は見たのだった。
所々めくれ、半ば溶けた外装の先、熱で僅かに湾曲した一枚の垂直尾翼に爪先立ちし、片方の腕を彼方で揺らめく銀塊――オブジェに向けて翳し、その一対の翼をふわりと羽ばたかせる……黄金色の騎士の姿を!