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《佐原邸》

 ひしめく住宅街への十分足らずの道程では、彌子がまとまった休暇により帰省していてあと二週間は留まること、孝彰の高校受験が来月に迫っていることなどを、駄洒落や内輪ネタを交えつつ語った。当面の話題がそろそろ尽きそうになって、漸く佐原邸に辿り着いた。両脇を固める折り込み広告みたいな建売住宅は、火事になったら紫の煙でも立ち昇りそうである。

「おかえり……まぁ! ミコちゃんじゃないの! あらあら! お久しぶりねぇ」

 ぺらぺらの木造二階建てに張りついた両開きドアから孝彰の母親、佐原真理恵{さわら・まりえ}と、彼女から発せられた黄色い声が飛び出した。

「こんちわ、おじゃまします」

 彌子が伸ばした掌の人差し指を右眉に当て敬礼をすると、真理恵もそれを真似てから「後で挨拶してね」と云い、狭い入り口を譲った。世代を無視したコミュニケーション。二人のそんなやり取りは昔から変わらずであり、彌子の図々しさと真理恵の寛大さにより実現している、決してどちらの資質も欠かせない絶妙なものだった。スニーカを脱ぎ散らかして玄関脇の急勾配階段を昇る二人の背に「タク、ジュースでも持ってこようか?」と真理恵が声を掛ける。

「うん、お菓子あったかなぁ?」

「クラッカーでいいの? 朝ご飯の」

「いいよ」

 穴蔵のような階段室を抜けると途端に目の前が広がる。

 階段は廊下を介さず直接居間に繋がっていた。二階に設えられたその板張りの居間には小さな天窓による頭上からの採光と、構造的制限の許す限り穿たれた引き込み窓によるちょっとした眺望があり、佐原邸は外観から受ける印象以上に慎重で丁寧な造りになっていた。

 彌子を壁際のソファに案内し、孝彰はどたどたと居間を出ていった。適度に硬い革張りのソファに腰掛けた彌子はぐるりと周囲を見渡す。

 白漆喰を塗りこんだ壁と天井、くすんだ床板には小さな傷が幾つかある。薬によるわざとらしい艶や日の丸の地みたいな科学的白さは何処にも見当たらず、そこはリビングなどではなく、暖かい居間だった。数少ない調度品は木の素地色でまとめられていたので、大き目のテレビや凝った音響設備を始めとする家電製品の黒さがちぐはぐに見える。これらは孝彰か彼の父親、佐原孝一{さわら・こういち}によるものなのだろう。偉そうなウーファーの上に座る手縫いの兎人形達が真理恵婦人のささやかな抵抗を物語っていたが、戦況は芳しくない様だった。

「どお? 懐かしの我が家は?」

 小皿とグラスを大振りの木卓に載せ、真理恵は意味ありげに微笑んだ。彌子は「落ち着くねぇ」としゃがれた声を上げ、背もたれに反り返った。

「何処となく品があるんだよね、真理恵さんの趣味は」今度は枯れた風に。

「ふふ、らしいこと云うのね。孝一さんのお陰よ」

「店舗デザインには品なんてものないわよ。だからやっぱり真理恵さん」

「ありがと。私、買い物に出掛けるけど、ゆっくりしていってね」

 掌を額に翳してから真理恵は降りていった。入れ違いで、手書きラベルを張り付けたビデオテープを数本抱えた孝彰が戻ってきた。

「真理恵さん、出掛けるってさ。買い物だってよ」

「うん。ミコ、今日は何時までいられる?」

 クラッカーの載った小皿を肘で押しやり、木卓にテープを並べる。テープは全部で五本あった。

「六時、かな」

「それだけ?」

 孝彰の表情がふっと陰ったのを見て取った彌子はぱちんと手を合わせた。

「すまん! 暇ってのは本当なんだが、外せない野暮用があってね。都合、悪い?」

 顔をしかめた孝彰は腕を組み「うーん」と唸る。「じゃあ、どれにしよう……」

「どれ? ビデオのこと?」

 お伺いを立てるような低さから彌子は見上げた。

「うん。どれも面白いからさ、困ったなぁ」

 孝彰は、花嫁を決めるかのごとき慎重さでラベルを順番に見比べる。彼の独り言に彌子は「なんだ」と呟き、安堵の溜め息を吐いた。繊細なんだか単純なんだか、年頃の子供は良く解からん、そんな意味の溜め息を。

「おいおい、タクさんよぉ」

 五本を三本にまで絞り込んで、しかしそれからどうしても進めない孝彰に、彌子は唇の端を釣り上げて云った。

「このあたしに二番や三番を拝ませようなんて、そんなつもりじゃあ無いだろうねぇ」

 上目遣い。孝彰は一瞬きょとんとして、

「……ああ! そうだね!」弾けるように笑った。

「うむ。解かれば宜しいぞな」

 彌子は良く冷えたオレンジジュースを大袈裟に呷{あお}りクラッカーを頬張った。真似るように喉を潤した孝彰は、今度は微塵の躊躇もなく一本のビデオテープを取り上げ、ラベルを彌子に向けた。

「これ。これが一番……」

「一番?」

「カッコイイんだ!」


 そこには孝彰の手書きらしい不揃いな字で『ハイナイン・プラス 1、2』、その下の方に『消すな』と記されていた。

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