《だからあいつはやって来た》
こんな時にもしも……。
♪邪悪な奴が降りて来る 僕らの町が狙われる
みんなの希望が 消えて行く
黒い叫びが耳を打ち 破壊の闇が現れた(無へ帰るのだ)
くすむ青空 割れる大地 濁る海原 倒れる友
誰もが諦め目を閉じる 地球の嘆きが こだまする
だから! だから! だからあいつはやって来た
次元の果てから飛んできた 光の速さで 駆けつけた!
唸れ!(たぁっ!) 超絶プ・ラ・ズ・マ・ガトリング!
響け!(そりゃぁ!) 完全ク・ウォ・ー・ク・フィスト!
閃け!(うおぉーー!) 最強ファ・イ・ナ・ル・ディメンジョン!
正義の 正義の 正義の雄叫び
光速勇者ハイナイン(ハイナイン) プラス!
「ミコ! どうしてミコが?」
両手でヘルメットを抱えた孝彰は、黒いネイキッドバイクの彌子に飛びついた。
膝ががくがくと震えて思い通りに動かない。彌子は顎をしゃくってバックシートを指し示し、アクセルを盛大に吹かした。
「タク! まだ終わっちゃあいないぜ! 光の速さで送り届けてやるから、しっかり掴まってろ!」
孝彰は慌ててヘルメットを被り、スポーツバッグを背中に担ぎ、彌子の細い腰に両手を当てる。
バックシートの孝彰を確認した彌子は二本指でシールドを叩き下ろし、直後、黒いネイキッドバイクは病院の外壁に咆哮を叩き付け、弾丸の如く発射したのだった。
余りの加速衝撃で首が引き千切られそうだった。
視界の隅に映るのは様々な色の筋でしかなく、景色を眺めるゆとりなど一切無かった。吹き付ける風が学生服の裾をばたばたと震わせ、強めの日差しによる温かさは一瞬で消し飛んだ。
エンジンの振動が体に直接響き渡り、聴覚は完全に麻痺している。何が起きたのか、何が起ころうとしているのか見当もつかず、孝彰の頭は殆ど真っ白に近かった。五感の全てが頼りなく、ただ一つ、両手を通して伝わる彌子の体温だけが現実世界との接点となっていた。
フルフェイスから覗いた両目と発した声は、確かに神和彌子に違いないのだが、しかしどう考えても彼女な筈がない。
朦朧{もうろう}とした意識で孝彰はそう考えたが、それもすぐに騒音にかき消されてしまい、後はひたすらしがみつくしかなかった。
内蔵を攪拌するエンジン音に混じり、ごうごうという風鳴りと彌子の鼓動が微かに感じられた。
どれくらいの時間が経過しただろう。一瞬のようでもあり一年のようにも感じた。
体が大きく揺れたかと思うと今迄前後方向だった加速が突然真横に変わり、孝彰は振り落とされないよう必死で彌子の腰を締め上げた。体ががくんと揺れ、けたたましかったエンジン音が残響を残してぷっつりと途切れた。歯を食いしばって目を硬く閉じていた孝彰は、バイクが止まったことに暫く気付かなかった。腰に回した腕をぽんぽんと叩かれ、孝彰はやっと両目を開き反射的に左右を振りかぶる。そしてそこに見えた光景に唖然としたのだった。
右手に佇んでいるのは赤茶けた煉瓦壁の工科大学……孝彰の試験会場だった。
よろよろとバイクを降りヘルメットを脱いで、孝彰は声も無く立ち尽くした。尖塔の頂き付近のブロンズ色の古めかしい時計は……九時五分。
「タク」
背後からさらさらとした声が聞こえ、孝彰はゆっくりと振り返る。
先刻とは打って変わって静かに寝入ったバイクにまたがる、黒いツナギの人物。フルフェイスを小脇に抱えた彼女は、やはり彌子だった。大きな瞳を幾らか細め、汗で張りついた前髪をグローブで無造作にかき上げる。孝彰は何かを喋ろうとしたが口がぱくぱくと動くだけで、言葉が喉に生まれてこない。
孝彰の様子を見て彌子は唇の端を歪め、にこりと微笑み、そよ風のような声で云った。
「あたしが出来るのはここまでだ。これから後は……タク次第だぜ」
言葉を諦めた孝彰は口を固く結び、鋭い眼光を持って小さく、しかし厳格に頷いた。
背後を振り返って煉瓦壁を睨み付け一歩踏み出し、再び振り返る。微笑んだままの彌子が、右手親指を突き立てて孝彰に力強く向けた。立ち止まった孝彰もまた右手の親指を突き立て、腕をぴんと伸ばしてゆっくりと彌子に向け、微かに口の端を上げた。
それはいつか彌子がやってみせたような、「不敵の笑み」であった。
校内の薄暗い階段を慎重に昇る。
しんと静まり返った廊下に出ると、遠くで彌子の駆るネイキッドバイクの雄叫びが聞こえた。ずしりと響くその音は、まるで空に目掛けて打ち鳴らされる号砲のようだった。