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【旧版】マレビト来たりてヘヴィメタる!  作者: 真野魚尾
第4章 渡り、川、渡り

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第29話 闇纏う者(1)

 顔に刺青のある男。キホダト近くの村々で人さらいを続けていた集団の生き残りだ。


 危険な存在である『眷属』と通じていた疑いも濃い。ここで遭遇した以上、みすみす逃がすという選択肢はなかった。


 犯行グループの中では伝令役として働いていたのだろう、男の足の速さは――(モン)兄弟には及ばぬものの――相当なもので、(みお)の健脚をもってしても容易に距離を詰めさせない。


 ましてやその道の心得すら持たぬ(けん)()には、ついて行くのさえ不可能と思われたのであるが――。


(全力で走れば、何とか……見失わずにいられるか)


 一昨日の無茶な特訓の賜物か、献慈の足運びは、ほんの数日前と比較しても確実に勢いを増している。一度肉体を限界まで追い込んだことで、消耗を補うよう霊体の働きが活性化したためであろう。


 実際にはこれまでの地道な積み重ねもあるには違いないが、献慈はここに来てようやく、おぼろげながらも〈霊物連動(インターロッキング)〉の要領を掴みつつあった。


 追う者と追われる者――双方の距離は縮まらぬまま、街道を大きく外れた森林地帯へと近づいてゆく。


 森の中に入られては非常に厄介だ。献慈が危惧を募らせ始めるも束の間、前を行く男の動きが鈍りだした。


 しきりにこちらを振り返るその顔に先ほどまでの焦燥感は無く、まるで何かを嘲笑うかのように歪んでいた。


 ついに観念したのか――そう思えたのもわずかな間でしかなかった。


 男に次いで、澪がその足取りを緩めていく。


 そして最後、献慈が彼らへ追いつこうとする頃には、状況の変化が理解できつつあった。


 三人が並び立つ向こうに、それは前触れもなく現れた。


(何か……いる――!)


 まばらになった木立の間から向かって来る人影が、空気を一変させる。


 濃密な闇を身に纏わせたかのような鬱々とした佇まいは、ただの一目で彼の者が異質な存在であるとこちらへ認識させるのに充分だった。


「だはっ……旦那ぁ……」


 ままならぬ呼吸の合間から、刺青の男が震える声を絞り出す。


 闇纏う者――無造作に流された白髪の奥から、真っ赤な瞳が覗く。その視線が、対峙する一人ひとりを射すくめるように動いた。


「ウァ――ッ!」


 寝床で悪夢から跳び起きるにも似た、強烈で抗い難い戦慄が献慈の身を震え上がらせる。思わず声を上げるも、それを咎める者はこの場にはいない。


「生き残りは……お前だけか……?」


 血の気のない唇がおもむろに開かれ、刺青の男に向けて問いかける。


 かすれてはいたが、穏やかな声色をしていた。意思疎通が可能だと認識した献慈の脳が、相手を観察できるだけの余裕を取り戻す。


 長身の男だ。寄せ集めとおぼしき衣服が、その戦士然とした体を申し訳程度に覆っている。土気色をした肌のあちこちには黒いひび割れが走っており、この世のものならざる出自をより明確に伝えてもいた。


 ややあって目を引いたのは、その肩の後ろから斜めに伸びる、武骨な剣の柄だった。


「……んな……所、で……」


 背を向けて立つ澪が、何かをつぶやいていた。


 男たちにそちらを気にする様子はなく、目の前では彼らだけによるやり取りが進められる。


「わ、わからねぇ……」


「……そうか」彼の者は男の方に身を屈める。「ほかに言うことはあるか?」


「ほッ……オ、オ、オレはあぁ、ア、アンタのこと喋っちゃいねえっ!! に、逃げたのは謝るけどよォ、し、潮時だったんだよぉ! お互いにぃィッ、なあぁっ!?」


「フン……貴様の言い分にも一理ある――」


 献慈は()ていた。瞬きにも満たぬ刹那の出来事――刺青の男が腰の短刀を抜き放ち、至近距離から無数の刺突を繰り出す。それらはすべて人体の急所を狙った必殺の攻め手であり、堕ちたとはいえ彼がひとかどの使い手であることを窺わせた。


「――うぶぅゥッ!」


 直後、響き渡る苦悶に愕然とする。


 一体、何が行われたというのだろう。献慈の〈トリックアイ〉ですら、その瞬間までを捉えることはできなかった。


「見込んだだけの腕は持っていたようだな」


 二指につままれた短刀が、まるで玩具のように投げ捨てられる。


 刺青の男は片手で首を掴まれ、彼の者の頭の高さまで、軽々と持ち上げられていた。


「ごっ、ごべ……いだだっ分、ガネ、ぢゃんどがえじまずがらぁーっ!」


 男は喉の奥から悲痛な声を絞り出し訴える。眼球が飛び出さんばかりに目を見開き、汗と涙にまみれた顔を紅潮させ、ばたつかせた足の間からは飛沫(しぶき)を撒き散らしながら。


 しかしその必死の訴えも、相手には決して届かないだろう。


「……貴様たちが思いのほか働き者だったのは誤算というべきか……おかげで早くに足がつきすぎた」


 彼の者は(まなじり)一つ動かさず、その手を下す。


「ぼぉえぇぇぇ……っ!!」


 男の首筋に、めりめりと音を立て、五指が食い込んでいく。流れ出る血は一滴とてない。


 彼の者の腕に走った黒い亀裂が(ほの)かに赤黒く、まるで鼓動のような明滅を繰り返している。


 一度は抑え込まれた恐怖が、再び献慈の中で活動を始めていた。


 目の前の脅威は、自分たちの手に余る。生存本能に根差した直感が、しきりに警告を発していた。


 踏み出すその一歩に、献慈はこれまでの人生で最大級の思いきりを要さねばならなかった。


「(逃げ……)ぇ……よう――!!」


 声にならない声を上げながら、献慈は前に立つ澪の袖を掴み、力の限り引き寄せる。


 その勢いに従い、こちらを向いた彼女の表情に、


(澪姉――!?)


 即座に駆け出すつもりでいた献慈の足が、その動きを止める。


 血の滲んだ唇が歪むほどに、歯を食いしばっていた。


 逆立った眉の間と鼻の付け根には、深いしわが刻まれていた。


 充血した両の眼を、あふれんばかりの涙が湛えていた。


 震えていた。


「――ンァウ……ッ!!」


 彼女は献慈を体ごと振り切り、獲物の血を啜る捕食者のもとへ大股で近づいて行く。袖口で顔を拭い去ったその手が、今にも刀の柄に掛かろうとしている。


「許さない……ヨハネエェ――ス!!」


 ヨハネス――と。喉も裂けんばかりに彼女が叫んだその時、それまでふたりには向けられることのなかった深紅の瞳が、確かな意思を持ってこちらへ一瞥を投げかけていた。


 献慈は直感的に悟った。彼女と彼の者とを結ぶ、浅からぬ因縁を。


 そして同時に予感もしていた。このまま彼女を行かせてしまったら、二度と会えなくなる――その足が一歩、また一歩と仇敵に近づくにつれ、献慈の予感は確信に変わってゆく。


 なりふり構ってなどいられなかった。


 献慈は杖をその場に打ち捨て、前のめりに地面を蹴って飛び出す。そして力の限り両腕を伸ばし、その体ごと彼女の腰へしがみつく。


「行っちゃ……ダメだ!!」


「どうして!? あいつはぁ! お母さんの――」


「知ってる!! でも……今は、ダメだ!!」


「いッ……イヤだぁ!! 離してぇッ!!」


 案の定、激しい抵抗が献慈を拒み続ける。


 どうすれば、一体どうすればこの想いを彼女に伝えられるだろう。


 駆け巡る感情、記憶、そして希望――それらが()い交ぜとなって献慈を突き動かす。


 言葉を選んでいる余裕などなかった。


「お願いだ……俺と一緒にいてくれ!! 澪姉ぇ――っ!!」


 献慈の腕の中で荒々しく揺すられていた腰の動きが、ぴたりと止む。


「…………澪姉?」


「…………」


「……あ……ごめん!」


 我に返った献慈は自分の体勢に目を向け、慌てて拘束を解く。


 膝立ちのまま上方を仰ぎ見ると、そこにはこちらを見下ろす澪の懐かしい顔――確かにそう感じられた――があった。


 向こうからドサリという音が耳に入る。


 ぼんやりとしていた澪の面持ちがたちまち引き締まり、真剣さを取り戻していた。


 献慈は澪の視線を追い前方を見やる。はたして彼の者――ヨハネスの足下には、血を余さず吸い尽された哀れな獲物が、微動だにせず横たわっていた。


「回りくどい策を弄した挙げ句……畢竟(ひっきょう)喰らう羽目になるか」


 にわかに(けぶ)りだす小雨の下、ヨハネスは虚ろな目を宙に揺蕩(たゆた)わせ、何者へともなく問いかける。


「オレは……どうすればいい……? 教えてくれ、ミ――」


「拾って! 走るよ!」


 澪に促されるまま、献慈は地面から杖をすくい上げる。


 振り返っている暇などない。駆け出したふたりはお互いを見失わぬよう気にかけながら、今来た道筋を逆方向へひた走った。

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