第28話 雇われ詩人です(2)
橋のたもとにはすでに何組かの旅人が、各々ござを敷いたり石に腰かけたりして休憩を取っていた。近くに乗用馬の姿は無く、その身なりなどから献慈たちと同じ徒歩であると窺える。
魔除けの道祖神こそ配置されてはいるが、休憩できそうな建物は見当たらない。
代わりに橋を守る番士が駐在するための小屋があり、そこから屋根が少し伸びていた。真下に置かれた木箱の上には、それぞれ和装と洋装の女性二人組が座り、顔の汗を拭っている。
今日は朝から雲が多めで、陽射しもそれほど強くはないが、歩き通しで向かうには少々長い道のりだ。一行は適当に空いた場所を見つけ、各自小休止に入った。
数分が過ぎた頃だった。
橋の向こう側から、制服姿に十手を下げた無精ひげの男が、とぼとぼとした足取りで渡って来た。
こちら側では番小屋の戸が開き、中から別の男――こちらも同様の服装で眼鏡をかけている――が外に出て来る。
二人の男は小屋の前で少しの間、何事か連絡を交わしてる様子だったが、揃って不意に顔の向きを変えた。
番士たちの目線をたどると、その先には元気にストレッチに励むカミーユと、その傍らで木に寄り掛かり楽器を爪弾くライナーの姿があった。
あぁ、またか――と献慈は思った。
これまでも行く先々で彼らが衆人の目を引くことはままあったからだ。
異国の身なりをした美男美女、片やイムガイには珍しいリコルヌである。どうあっても目立つのは避けられない。
「やあやあ、お嬢さん方。ご旅行ですかな?」
帽子を脱ぎながら、無精ひげの男が二人に近づいて行く。心なしか鼻の下が伸びている。
「こんにちは。そうね。見聞を広めに」
にっこり笑顔に猫なで声で応じるカミーユの様子を、献慈は遠巻きに見守った。
(カミーユは猫被りモードかぁ……)
「ほぅ……するとそちらのハンサムボーイは彼氏さん?」
「いいえ。雇われ詩人です」
「はい。歌でお嬢様のご機嫌取りをさせていただいております」
突然の振りにもライナーは上手く調子を合わせている。
「これは失礼。いやはや、気をつけなければいけませんなぁ。近頃は外からいらっしゃる客人も増えておりますから」
「まぁ、そうなんですか」
とぼけて見せるカミーユに、番士の男は後ろで控える同僚を気にしつつ答える。
「先週の凍土曜でしたか、向こう岸で、立派な剣をぶら下げた異国の戦士が景色を眺めていたそうで」
「景色を? お暇だったのかしら」
「大方、峠の関所で足止めを食らっていたんでしょう。今はすんなり通れるはずですから、お嬢さん方も安心しなすって結構ですよ。……それじゃ、良い旅を」
無精ひげの番士は軽く一礼すると、早足で番小屋へと向かって行く。
すれ違いざまに肩を叩かれた眼鏡の番士も、離れて佇む異国の美少女を名残惜しそうに振り返りつつ、小走りに橋を渡って行ってしまった。
そんな彼らの去り際も一顧だにせず、カミーユはライナーと顔を見合わせ、そして二人で献慈のもとまで歩み寄って来る。
「毎度毎度、大変だね」
献慈がねぎらうも、当のカミーユは何食わぬ顔だ。
「べっつにー。美人税ってやつよ」
「カミーユならそう言うよな……でも本当に困ったときは俺を呼びつけてもいいからね?」
「気持ちだけ貰っとくわ。それより聞いてたんでしょ? 今のオッサンの話」
「ああ、異国の戦士がどうとか……あ。もしかして『立派な剣』って……?」
献慈が言うと、ライナーは小さくうなずいた。
「橋の反対側にも番小屋が見えますね。大勢で押しかけるのも変でしょうし、僕たちだけで確かめて来ようと思います」
「今すぐ、ですか?」
聞き返す献慈に、カミーユが返答する。
「ちょっと話聞いて来るだけだって。勝手にどっか行ったりなんかしないからさ」
「いやまぁ、そうなんだけど……」
「はぁ。ケンジは心配性だなー」
カミーユはぬっと手を伸ばし、献慈の傍らに置いた荷物の片方を奪い去る。ギターや、旅先で買った〝いろいろな〟本を入れてある袋だ。ひとまず軽量化の魔法は付与されているものの、小柄な彼女にはバランスが悪そうだ。
「よいっしょ。持ってってあげるから、後からミオ姉とゆっくり来ればいいよ」
「わ、わかったけどそれ、持ちづらくない……?」
「やだなー、さすがにこれくらい……ん? もしかして何か見られたくないモノでも入ってるとか……」
「(やばっ!)は、入ってないよ(入ってる)、入ってないからね(入ってる)」
ナコイの本屋で密かに入手した舶来物の写真集、その名も『ムチムチお尻博覧会』――五大種族から選りすぐった当代の美女たちの艶姿を余すところなく収録した名書――の存在を、献慈はこの場で知られるわけにはいかなかったのだ。
(カミーユにイジられるのはともかく……澪姉にバレたらどう説明すれば……)
「……ふーん。んじゃ、行って来るわ」
「あ、うん。またあとで」
鋭い女の勘に首筋を寒くしながら、献慈は作り笑顔を貼り付けてカミーユたちを送り出す。近い将来待ち受けているであろう困難を思い、暗澹たる気分に染まりつつも、二人の背中が橋の半ばに差しかかる頃には幾分諦めもついていた。
(はぁ……後で言い訳考えとこ。さて……その澪姉はどこ行ったかな?)
献慈が周囲を探し回って間もなく、小屋から伸びた屋根の下に、休憩中の女性たちと談笑している澪の姿を発見する。
いつの間に仲良くなったのだろう。澪は中年の婦人から手渡された草団子を口へ運び、美味しそうに頬張っていた。
「お嬢さんったら、本当に美味しそうに食べるんだねぇ」
「(知らない人からお菓子もらってる……)澪姉、ここにいたんだ」
声をかけ近づいて行った献慈に、澪含む女性三人の注目が集まる。
最初に反応を示したのは、恰幅のいい中年女性だ。
「あれまぁ、小綺麗なお兄さんだこと。そうかい、こちらがお嬢さんの……」
「あぅっ……んぐ。き、急にどうしたの? 献慈」
澪は慌てたように団子を飲み込んで、献慈に顔を向けた。
「邪魔してごめん。カミーユたち、先に行ってるってさ。伝えに来たんだ」
「先に? 何かあったの?」
「それは……」
言い渋る献慈の様子を察したか、クロッシェ帽を被ったモダンガールが、中年女性へ目配せを送っている。澄んだ青い瞳が印象的だ。
「お急ぎの用事なんでしょう。あまり引き止めてしまっては悪いわ」
「そうだねぇ……それじゃお嬢さん、上手くやるんだよ」
それから一言二言交わした後、献慈は澪とともに女性たちに一礼し、その場を離れた。
「何の話してたの?」
「い、いいからぁ! そっちの話が重要でしょっ!」
それもそうか――と、献慈は事の経緯を簡潔に説明する。
「――というわけなんだ」
「剣を……ぶら下げて……?」
「そう聞こえたけど。どのみちそれだけじゃ判断がつかないだろうから、もう少し詳しく訊きに行ったんじゃないかな」
「……違う」
澪はぽつりとそう漏らしたきり、黙り込んでしまった。
「澪姉……?」
「やっぱり……ちゃんと話しておくべきだったかもしれない……ううん、今からでも」
おもむろに顔を上げた澪のつま先は、橋の方向へ向いている。
「向こうに行くつもり? だったら俺も――」
言うが早いか、献慈は突如、近くの草陰へと引きずり込まれる。
(な……な……っ!?)
「シッ……」
澪は献慈の上へ覆い被さり、息を殺しつつわずかに顔を上げて周りを窺っている。
献慈は可能な限り、冷静に状況を判断しようとした。だがいくら客観的に見たところで、現在自分が澪に押し倒されている位置関係に変わりはない。
(ま、まさか……今からでもって、そういう……)
襟元から覗く柔肌を目の前に、垂れかかる長い黒髪が頬を撫で、橘の香りに混じってかすかな汗の匂いが鼻腔をくすぐる。
「(クッ……理性が残ってるうちに確認しないと)み……」
問いただそうとした献慈を、澪は真剣な眼差しで真っ直ぐに見下ろす。人差し指を唇の端に立てる仕草――何かを伝えようとしている。
(え? えっと……〝ナイショだよ〟……?)
次は、肩越しに後方を指差す動作だ。
(背中……いや、〝お尻〟?)
五指を軽く折り曲げた両手を、上下に動かす。
(揉みも……〝さわさわ〟……か!?)
今度は指で顔をなぞり、首を小刻みに振っている。
(〝顔をすりすり〟……?)
以上のジェスチャーから導き出された、献慈の解釈は――
「(それでは遠慮なく……って、そんなわけがあるかぁ!)ゴメン、もっかい説明……」
「あっ、ダメ――っ!」
澪は素早く身を起こし、後方を振り返る。
献慈は己の不注意を悟った。ふたりの位置から見えたのは、川べりの急な崖を両手で軽々とよじ登る、みすぼらしい風体の男だった。
その手が今まさに崖の端へと掛かり、全身を引き上げた瞬間、男の顔がこちらへ向けられた。
男の驚きとも困惑ともつかぬ表情はもとより、それ以上に献慈の注意を引いたのは、顔に彫られた特徴的な刺青だった。
(この男――!)
ほんの数日前――本音を言えば思い出したくもない、あの凄惨な殺し合いの直前、頭目の指示で現場を離脱した者が一人いた。
しっかり憶えている。顔に刺青のある男だった。
献慈が気づいたのと同様に、むこうもこちらの存在を認識していたのは間違いない。男はくるりと背を向けると、街道を外れた方角へ一目散に駆け出す。
「……逃がさない!」
澪は体勢を整えるや否や、男を追跡に掛かる。
その差、数秒。軽功の使い手を相手に、充分すぎるアドバンテージを与えてしまったことは否めない。
(何てこった……俺がアホなこと考えたせいで……)
自責の念が献慈の心にのしかかる。しかしながら今は後悔など時間の無駄だ。
ここで取るべき行動は二つに一つ――このまま澪と一緒に男を追うか、応援を頼みにカミーユたちのもとへ向かうか。
「(今から戻って、橋を渡って、小屋を訪ねて……ないな。遅すぎる)俺も行く!」
澪に遅れること二秒後、献慈も逃亡者を追う決断を下していた。




