第28話 雇われ詩人です(1)
キホダト帰還から三日後の朝、非常線が解かれたとの知らせが届いた。
それまでの間もカミーユたちは情勢に変化がないか、街での聞き込みや実地調査を続けていた。残念ながら明確な進展はなく、付近の安全も確約されたとは言い難い。
献慈と澪は鍛錬や旅の準備などに時間を費やしていた。市内の図書館でマレビトやユードナシアについて調べたりもしたが、今回もやはり有力となる手がかりは見つからなかった。
とはいえ、どちらも想定内の結果だ。この地への逗留が長引いたこと自体、予定外とはいえるにしても、御子封じの旅の進路に変更はない。
キホダトを発ち、次に目指すは西の峠の関所、そのふもとにある宿場町だ。
「せっかくだし、ふもとまでは送ってくよ」
「遠慮は要りませんよ。こちらも調査のついでですから」
カミーユとライナーの申し出に反対する理由は、これといって思い当たらなかった。
宿場までの道のりは歩いて三時間前後。此度の警戒網が解かれるのを心待ちにしていたであろう馬車や馬がすぐ横を追い抜いていく最中、四人は変わらぬペースで歩みを進めていた。
いつもどおりの、他愛のないお喋りを交わしながら。
「関所って山の中にあるんだよねー?」
「そうらしいですね。思うに自然の難所を利用することで、ならず者の行き来を妨げ……」
隙あらば語りだすライナーの性質を、相棒は最もよく理解している。
「オマエには訊いてない」
ぷいと横を向いたカミーユの視線が、無言のうちに澪を指名する。
「私? 道なりに行く分にはそんなに険しくはないはずだし、平気だよ」
「ミオ姉は鍛えてるから大丈夫だろうけど、コイツがねー」
「えー、また俺?」
流れるように巻き込まれた献慈を、すかさず澪が援護する。
「献慈も平気だよね? 私を守るために日頃から鍛えてるもん。私のために」
「うん、まぁ……とりあえず山を境に首都圏に入るって認識でいいのかな?」
「そうだね。これから行く場所は、全国に五ヵ所ある関所のうち二番目に古いんだって。璃旺の剣を作った那梨陀の一族が隠れ住んでた山っていうのも、一説によるとこの辺りにあるらしいよ」
澪はいつになく自慢げに語ってみせた。彼女にとって自国の歴史と地理は、献慈やライナーに対して胸を張れる数少ない得意分野だからだろう。
フォズ・イムガイ国を構成する主な島は大小三つ――一行の現在地である本島・ナカツ島を挟んで、北のソトモ島、南のオキツ島である。
関所で区切られた地方が本島に五つ、南島に二つ、ここに北島を加えて計八地方によりこの国は成り立っていた。封建時代には多数置かれていた関所が、時代を下るうち現在の五ヵ所にまで淘汰されたのだ。
「お詳しいですね。ちなみに那梨陀とは、【十三年戦争】を境にこの地上から姿を消したドヴェルグ族の一派です」
ライナーの発した単語が、これまた献慈の興味を引いた。
「ドヴェルグ、ですか(ドワーフみたいなものかな)」
「はい。ドヴェルグは以前お話しした【工匠】の眷属です。その出自に違わず手先がとても器用で、魔導をはじめとしたあらゆる秘術にも通じていたといいます。残念なことにその知識や技術の大半は、彼らが地上を去ったのとともに失われてしまいましたが……」
「ふ~ん……何か男ってそういうの好きだよねー。古代のロマンみたいな?」
醒めた調子で茶々を入れるカミーユを、澪が牽制する。
「私もそういう話、けっこう好きだけど? 山奥に住む天狗の言い伝えとか……」
「天狗ってあの、鼻が長くて、翼で空飛んだり、風を起こしたりする?」
天狗と聞いて思い浮かぶ献慈の認識はその程度のものだ。
「鼻……はよくわからないけど、大体そんな感じだねぇ」
澪の話を聞く限り、イムガイで知られる天狗像は、日本におけるそれとおおむね一致していた。
いわく、ヒトよりもずっと長命で、姿を消したり、触れずに物を飛ばしたり、さまざまな術を操る。山の天気が変わりやすいのも、天狗の仕業であると。
「人目に触れにくいのは、そもそもの個体数が少ないということもありそうですね」
そのつど話題を広げにかかるのが、物知りライナーの役どころである。
「あれっ、もしかしてライナーも知ってる?」
「翼持つ者――秘境に隠れ住む翼人の逸話は世界各地に点在していますから。イムガイの天狗もきっと、大昔に分かたれた一派なのでしょう」
「そっかぁ。浪漫だよねぇ、献慈?」
「ん? うん」
ふと見上げた空の、うろこ雲が一瞬だけ、わずかに欠けて見えた気がした。
「どうかした?」
「いや……空を……飛んで移動するのは、こっちの世界では一般的なのかなー、とか思ったりして」
「魔法で、ってこと? 難しいんじゃないかな」
澪に続いて、カミーユも首を横に振る。
「技術だけじゃなくて生まれながらの資質も必要だからね。さすがのあたしでも飛行術はまだ無理だ」
「そうなのか。てっきりシルフィードの力で飛び回ったりできるものと……」
「ん~、あの方法は……一回死にかけたからなぁ……」
「え!?」
「いや、こっちの話。ただ飛ぶだけなら、鳥型の精霊にでもぶら下がるほうがはるかに楽だよ。腕疲れるけど」
一口に飛行術といっても、その原理はさまざまだ。風で体を浮かせる、重力を操る、果ては空間そのものに干渉する高度な方法までが存在する。
そう説明してくれたのは、すっかり解説役も板についたライナーであった。
「空属性元素に感応性を持つのは、エルフや魔人族の中でもとくに魔法的資質の高い者だけです。将来的に空間魔法を魔導に応用するとして、理論を確立するためのデータ収集は困難を極めるでしょうね」
「空属性……ところでこの世界の元素って何種類ぐらいあるんでしょう?」
理科で習った元素周期表を頭に思い描きつつ、献慈が脳天気に言うのを、ライナーがどう思ったのかまではわからない。
「十二種類です。魔導プリズムを用いたエーテル分光を行うと、それぞれ別の特性を有した十二の波長領域が確認できます。魔導学者たちは霊質を形作る最小単位――元素もまたエーテルと同様の振る舞い方をするはずと予想を立て、その観測に努めました」
「ライナー、その話長くなる……?」
カミーユはうんざり顔を隠そうともしない。
「……では、手短に。結果は以下のとおりです。
【火】 すなわち、プラズマへの親和性。
【風】 すなわち、気体への親和性。
【水】 すなわち、液体への親和性。
【土】 すなわち、固体への親和性。
【熱】 すなわち、混沌への指向性。
【冷】 すなわち、定常への指向性。
【光】 すなわち、拡散への指向性。
【闇】 すなわち、収束への指向性。
【雷】 すなわち、電磁力への干渉。
【重】 すなわち、重力への干渉。
【時】 すなわち、時間への干渉。
【空】 すなわち、空間への干渉。
――といった具合ですね。ただしこれはあくまで西洋一般での考え方に過ぎません」
「そっか。東洋だと属性を木火土金水――五行とかに分類したりするものね」
澪の発言を、ライナーはすぐさま咀嚼する。
「解釈の違いでしょう。例えるなら……音律や音階のようなもの、と言えばケンジ君にも理解しやすいのではないでしょうか」
「言われてみれば……オクターブを分割するやり方に似てなくもないですね。十二属性が十二平均律だとすると、五行はスレンドロみたいな……」
スレンドロとはインドネシアのガムラン音楽で用いられる、オクターブを五等分した音階だ。献慈にとっては音楽の授業で教わった内容であるが、そのままを言ったところで伝わるはずもない。
「……ちょっと違うけどペンタトニックかな、音階で言うと」
「四七抜きのことだよね。わかるよ」
得意顔の澪が、献慈の視界へと滑り込んでくる。三味線の心得がある彼女のこと、思い当たるのも不思議はない。
その反対側では、話の輪に入れずぼやいているカミーユがいた。
「あたしゃちっともわかんねぇだよ。つまらぁん」
「まぁまぁ。それよりも皆さん、そろそろ橋が見えてきましたよ」
ライナーの指差す先には、大きな川が見えていた。以前も目にした、シヒラ川の上流付近である。
川の両岸を結ぶ橋はアーチ部分に鉄骨を用いており、頑丈そうな造りをしていた。長さのほうは、目測だが数十から百メートル前後といったところだ。
目的地となる宿場までの道のりからすると、半分よりはやや手前に当たるだろう。近くには休憩場所もあり、ここらで一息入れるにはちょうどよい。




