第27話 フルレングス(1)
※※※ 下ネタ注意 ※※※
一行にとって二日振りの帰還となる、キホダト。
付近の山間は霊脈の通り道として知られており、遠景に休火山を仰ぐこの町は霊泉の湧き出る温泉街としての側面も持っていた。霊泉は日々労働に励む鉱夫たちの疲れを癒し、鉱山街としての発展を支えた裏の立役者とも言える。
献慈たちはすっかりなじみとなった〝鹿神多〟に部屋を取る。
この旅館にも当然のように立派な温泉設備が整っていた。大小合わせて六種類、内風呂は檜に岩風呂、外には滝を臨む露天風呂まであり、なかなかに豪勢といえるのではないだろうか。
夜もすっかり更けた大浴場。
献慈が訪れた頃にはすでに客の姿もまばらであったが、中には見慣れた仲間の顔もある。
「先にお邪魔してますよ」
金色の巻き髪を手ぬぐいでまとめた中性的な顔立ちの美青年が、透き通る肌をほんのり上気させ、湯船の中から微笑みかけてくる。
その気品ある眼差しに、気後れとも照れともつかない妙な感覚を覚えながら、献慈は挨拶を返す。
「おつかれさまです、ライナーさん。本当に温泉好きなんですね」
「ええ。湯加減の熱さにはまだ少し慣れませんが」
西洋にも温浴の習慣こそあれど、お湯に浸かる行為自体を楽しむ趣向は珍しい。加えて、人前で裸になるにも抵抗があるのが普通だ。
謙遜してはいるが、ライナーの順応力は大したものである。
「そういえばカミーユも言ってましたよ。俺たちに会う前もライナーさん、温泉入りにワツリ村に行こうって駄々こねてたとか」
「またあの子は余計な……いえ、大袈裟に言っているだけですよ」
「そんなことだろうとは思いましたけど。でもそう考えると俺たち、ナコイじゃなくてもどこか別の場所で会えてたかもわかりませんね」
「……たしかに、ケンジ君との出会いは運命めいたものを感じますねぇ」
ライナーと談笑を交えながら、献慈は浴槽に近い蛇口へと陣取った。
体を洗い始めれば自然、鼻歌を口ずさみたくなるのが献慈の性である。
「♪~ロォーンリーイーヴ ローッケーンローオー」
「ケンジ君は本当にレパートリーが豊富ですね。ところでその歌はどういった意味なのでしょうか? 後学のためにぜひお教え願いたいのですが」
何気ない行動が、図らずもライナーの興味を引いてしまった。
「えっ!? 意味……ですか?」
本人がよくわかっていないものを【相案明伝】が伝えられようはずがない。翻訳以前の問題だ。
(やべぇ……実は俺、英語とかわかんないし……)
献慈は内心青ざめていた。とりあえず表情を見られないよう、慌てて頭に石鹸をつけて洗いだす。
「そ、それは……ロ、ロックンロールで長生きしよう、みたいな……?」
「長生き……ですか?」
「(うっ……何とかこのまま押し切らないと)えっと、ロックンロールには長生きしすぎたけど、死ぬには早すぎるよっていう……何でこの部門で受賞しちゃったんだよ! みたいな、何か、そういう波乱とかも? メタル人生には付き物だよ、って教訓……かな?」
「それはまた哲学的な命題ですね。実に興味深い……」
「(何かわからないけど考え込み始めたッ!)そ、それよりライナーさん、今夜はお出かけの用事ではなかったですか?」
献慈は話題を逸らそうと誘導を試みた。
「おお、そうでした。夜の街へ愛を語らいに……ケンジくんがもう少し大人になったら、お誘いするところだったのですが」
「あ、その……俺は……」
「わかっていますよ。野暮は言いっこなしですね」
試みは功を奏したようだ。
ライナーはお湯から上がると、ほどいた手ぬぐいを蛇口でゆすぎ始める。桜色に染まった肌を伝う水滴を拭き取るその最中、献慈はこれ以上の質問が飛んでこないよう祈り続けていた。
「ふぅっ……それではお先に失礼しますよ。ごゆっくり」
「あっ、はい」
遠回しに追い出す形になってしまったことに若干の罪悪感を覚えながら、献慈はライナーの背中を見送った。
気がつけばほかの客も立ち去り、大浴場には献慈ひとりだけが取り残されていた。
(せっかくだし、ゆっくり入ってくか)
体を流し終えた献慈は石造りの浴槽の壁に背中を預け、ゆったりと湯に浸かる。
(何だ、言うほど熱くないじゃないか。むしろちょうどいい……)
「おっほぉ~、誰もいないじゃん。貸し切りだよ、貸し切り」
「本当だー、広いねー」
楽しげな声が壁の向こうから聞こえてくる。間違いなく女湯の方からだ。
(騒がしい客だなぁ……ま、いいや。気にせずくつろいでいくか)
「これで全風呂制覇~」
「待って、とりあえず体流してからにしよ」
「は~い……でさ、さっきの話。あたし視点だと、充分脈ありに見えるんだけど?」
「えっ!? だ、だから考え過ぎだってば。そりゃ……私だって見た目とか、ちゃんと気を遣ってるし、一応異性としては、見てもらえてる……はず、だけど……」
「またまたご謙遜を~。アイツ明らかに奥手だから、自分から行かないと一生進展しないよ?」
「で、でも初対面があんなだし、やっぱり……気にしてるかもって……」
「あー、いきなり粗末なモノ見せつけられたんだっけ?」
「粗末じゃないもん! 謝って!」
「ん? どういう意味?」
「あ! ちがっ……か、体つきとかの話!」
(何の話してるんだろ? 遠いし反響して聞こえづらいな……)
「体つきぃ? あんなヒョロっとしてんのに?」
「そ、それは……村の男の人たちより線も細いし、何だったら私のほうが大きいし、力とか全然強いんだけど、やっぱり……いろいろ違うんだ。触れてみたら硬くて筋張ってて、喉仏も出てて……男の人の体ってこういう感じなんだなって……血管とか浮いてるし、鎖骨の窪みとか、あと匂いとかも……」
「怖ぁ~……訊いてもないのにめっちゃ一人で語ってるし」
「んなっ!? さ、さっきから変な方向に誘導してるのはそっちでしょ!?」
「うっわ、ついに人のせいにし始めたよ。マジ引くわー……痛っ! わかった、わかったから、もー……ブクブク……」
(……まだ喋ってるのか。いい加減静かに――あ、近づいて来た)
「ちょっとぉー、お行儀悪いよ?」
「んな堅いコト言いっこなしだってぇ……こっちのほうは柔らかいクセしてさー」
「んぅっ! お腹つままないでよ! もぉ~、さっきから人のことバカにしてぇ! いくら自分がスタイルいいからってさ……」
「してないしてない。むしろミオ姉が羨ましいよ~、背高くてカッコイイし」
(――えっ!? 澪姉ぇ……ってことは、こっちのウザい女子はカミーユか!)
献慈は今さらながら声の正体に気づく。
「えー、私ヤなんだけど。身長とお尻ばっか成長してさ……こっちは……」
「それはそれで需要あるでしょ。あと……あばたもえくぼ、っていうじゃない?」
「全然なぐさめになってないから! 大体コレぇ! 貧富の差ありすぎですし! カミーユぅ……ちょっとソレ、こっちに分けてもらえるかな~?」
「いーやいや、あたしだってどっちかってーと、持たざるも……のぁーっ!」
「いいから寄越しやがれ~! 富の再配分~!」
「やめれっ、やめてくだされ~! ウチにも分け与えるほどの備蓄はございませんで~」
女湯に響く嬌声。壁の向こうで繰り広げられているであろう光景に、献慈は静かに、そして情熱的に思いを馳せるのであった。
(この壁一枚を隔てて、うら若き乙女たちが一糸纏わぬ姿で組んずほぐれつの階級闘争を繰り広げているという事実……それに触発され、我が社でも過当な賃上げ要求がたちどころに勢いを増しております)
それは自然の理、抗うべくもない。水面下で起きた肉体的な異変により生じた上方への流体力学的モーメントが、献慈の前方近くのお湯の表面をわずかに波立たせる。
「……ん?」
「どしたの? ミオ姉」
「誰か……ううん、気のせいみたい」
「えー、もしかしてノゾキ? ……案外ケンジとかだったりして~」
「献慈はそんなことしないよ!」
(うん! 俺、そんなことしないよ! この状況であんま説得力ないけど!)
「冗談だってばー。でも何やかんやアイツ…………で……ながら……」
(急に声が聞こえなくなった……耳打ちでもしてるのか?)
「それは……べつに、構わないけど……」
「いいのかよっ!? それはその……お互い様、みたいな?」
「その手には乗らな~い」
「くそー、手ごわい……てかミオ姉、髪綺麗だよね~。椿油だっけ?」
「うん。お母さんから教えてもら……あ、この床の所すべすべ~」
「ホントだ。すべすべしてる~」
(脈絡ない会話! ありがち!)
「あっ!」
「ふぇっ!? 今度は何!?」
「私……けっこうお腹、出てる……」
「えー、今さらぁ? さっきだって――」
「違うのぉ! 思ってたよりお肉ついてたんだもぉん!」
「違わねーじゃん! 寝る前にどら焼き十枚とか食ってたらそりゃあ、太りもするわ」
(今……何気に衝撃的なニュースを耳にしたような……)
「あ、あの日はたまたま、お腹すいてただけで……」
「たまたま、ねぇ……じゃあ昨日の夜は? まーたコッソリ何か食ってたでしょー?」
「き……昨日は、豆大福ろっ……五個だけ」
(めっちゃ言い直した! てか、それでも多い!)
「ほぉらぁ~! 実家離れたからって羽目外しやがってこのォ、夜ごと太る女めがァ! 反省しろぉィ!」
「……はぁい……」
「わかったらさっさと上がって今日は早めに寝るッ! 返事ィ!」
「……わかり……ました……」
あからさまに気落ちした澪の声に続いて、お湯から上がる音、そして何かを平手で叩いたようなペチン、という景気の良い音が献慈の耳へ届く。
その後遠ざかっていく二人分の足音と扉の開閉音を耳にして、ようやく献慈は心の平安を取り戻すのだった。
(はぁ……やっと帰ったか。じゃあ、俺もそろそろ――)
お湯から上がろうと献慈が身じろぎした、その時。
「で、いつから聞いてた?」
(えっ――)
壁越しに投げかけられた声。お湯に浸かっているにもかかわらず、背筋を寒いものが走る。
「ふっふっふ……リコルヌの五感をナメてもらっちゃ困るねぇ。そこにいるんだろう? ケンジさんよぉ!」
「なっ……なぜそれを……」
「あー、やっぱいたか」
「(しまったあぁぁァ――ッ!!)カ……カミーユ……なのかな?」
「ふん、白々しい。どうせ全部盗み聞きしてたんだろ?」
むこうは完全にこちらを疑ってかかっているようだ。
なればこそ、献慈は認めるわけにはいかない。
「ち、違うよ! 聞こえたのは途中からで……」
「嘘つけェー! あたしらが出て行くまで息をひそめてやがっただろ、このド変態!」
「ホントだって! 二人とも楽しそうだから邪魔しないように……っていうか、どうしてカミーユがここに!? 出て行った足音は二人分だったはず……」
「それはなぁ~……横を見てみろ」
「えっ、横――?」
促されるまま献慈が横を向くと、そこにはこれ以上ない答えが待ち構えていた。
「Yu ommepal-sha pogueytek-ra.」
「あー……シルフィードさんでしたか。これはどうも」
「Shiiti, Kenji-kel.」
優しく微笑みかける、純真無垢な眼差し。風呂に入っているのだから当然、というわけでもなかろうが、緑色に透き通った素肌には何一つ身に着けてはいない。
人間、あまりに予想外の事態を目の前にすると、存外冷静でいられるという。
ただし、献慈が冷静なのはあくまで上半身のみである。
「あのー……今ですねー、非常に申し上げにくいのですが、自分の、アレがそのー、いろいろと、何というか、ヤバいといいますか、そのー、突起物が、フルレングス状態――」
「何言ってるかわかんねーよっ! シルフィード、とりあえずソイツ追い詰めて」
「Few.」
カミーユの指示を受けて、シルフィードがみるみる間合いを詰めてくる。
「あぁっ! い、いけません! およしになってくださいな!」
献慈は前方をかばう姿勢で後ずさりするものの、精霊の迫り来るスピードは水の抵抗を物ともしない。
シルフィードは自身のありのままを隠す気はさらさらないらしい。眼前に提示され続ける程よいボリュームと見事な形状を持った双房が、その可憐な蕾までをも露わに向かって来るのだ。どうして目を離すことなどできようか。
「やめろとか言いつつガッツリ見てんじゃねーぞっ! オイッ!」
「あ、いや……えっ! 見えてる?」
「当たり前だコノヤロー! 全感覚、とっくに同調済みだァ!」
「Ena'e chas'ry metew-tekal-pe...」
あっという間に、献慈は浴槽の端まで追い詰められていた。
「さて――もう一度尋ねる。どっから聞いてた?」
「ですからその、澪姉の名前が出て……お二人でキャッキャなさっていた辺りから……」
「何だとォ!? き、キサマ……よもやあたしらの……想像……し……を……」
「……? 何でございましょうか?」
「……だあァーッ!! 言えるかァーッ!!」
「うわっ――」
急な大声に思わず献慈が身をのけぞらせた瞬間。
「――どぅあっつゥイ!!」
頭上から降りかかる大量の熱湯――そこにあったのが温泉投入口だと気づいた時にはもう遅かった。
献慈は熱さと驚きのあまり、反射的にその場で勢いよく立ち上がっていた。
そう、二重の意味で。
「あっ」
「Dee, ponystze.」
湯に沈み込んだシルフィードの目線と、仁王立ちする献慈の腰の高さとが期せずして一致していたのは、何という運命の悪戯であろうか。
「ヴオオォオオォォ――――ッッ!!」
仕切り壁の向こうで凶悪なシャウトがこだまする。
トゥーラモンドにデスメタルが伝来した、歴史的瞬間であった。




