第26話 ドナーシュタール(2)
「ナコイの一件からお察しのとおり、僕たちが探し求めているのは、剣です。千五百年の昔から伝わる霊剣――ドナーシュタールといえば、以前にお話ししたかもしれません」
その名を耳にした献慈は、ライナーと出会った宿酒場での会話を思い出す。
「たしか、元々はイムガイの英雄が使っていたっていう……」
「そうです。ヴェロイトへ伝わった剣は数多の戦士の手を渡ったのち、現皇室の保有物となります。ですが十二年ほど前、その消息は忽然と絶たれてしまった――国難を退けるため霊剣を賜った勇者と、その仲間たちとともに」
「勇者……ヨハネス……」
澪がぽつりとつぶやいた。
「憶えておいででしたか。かの勇者ヨハネス・ローゼンバッハは当時、我が国随一の上級烈士でした。彼が挑んだ相手こそ魔王ヴェルーリ――帝国辺境に根城を持つヴァンピール純種です」
「ちょっとライナー、喋りすぎじゃないの?」
「この程度なら問題ないでしょう」
「あっそ」
「勇者と仲間たちは先代皇帝の命を受け魔王に挑み、そのまま行方知れずになった。その魔王が今も健在である以上、霊剣のたどったであろう道筋は二つしかない。一つは、勇者が魔王に敗れ霊剣を奪われたという可能性」
入れ替わりにカミーユも話を進める。
「もう一つは、勇者が魔王と戦わず剣を持ち逃げした可能性だね。霊剣を闇市場に流して国外逃亡の資金に当てたっていう、サイテーのシナリオ」
「当時のヨハネスは勇者の名声が重荷となってか、不安定な言動が見られたといいます。僕らはまず感情による判断を排し、こちらの線を疑った。ナコイでの一件がこれに当たります」
「うん。知ってのとおり、残念ながら〝剣〟違いだったわけだ」
三兄弟に掠め取られた〝翡翠兵〟を思い浮かべてか、カミーユは苦笑を滲ませた。
ライナーは一呼吸置いて、説明を再開する。
「さて、本題となるのは前者の可能性です。勇者が敗北したとして、霊剣は魔王の手に渡っているはず……なのですが、どういうわけか世界各地でそれらしい目撃証言が散見される」
「その一つが、このイムガイなんですね?」
献慈の問いに対する返事はなかったが、そのこと自体、肯定に等しかった。
「魔王は人に擬態した『眷属』を世に放ち、人間社会を裏から操ろうとしている――噂の真偽はともかく、『眷属』によって霊剣が外へ持ち出されている可能性は大いにある」
「複数の烈士チームに、ある人物から霊剣捜索の依頼が出された。あたしらは各国に派遣された、そのうちの一組ってわけ――と、ここまではわかった?」
「ああ」
献慈が返事をするとともに、烈士組の視線が隣へ移る。
「ミオ姉は……」
「その……『眷属』っていうのは……?」
静かに問う澪の表情からは、その内面までは読み取れない。
「我々が通常、ヴァンピールと呼んでいるのがその『眷属』です。純種の手で因子を植え付けられた適合者――元は人間でありながら人の血を啜って生き永らえる、明確な人類の敵と言ってよいでしょう」
「もう気づいてるかもしれないけど、今回の誘拐事件、『眷属』が関わってた痕跡が見つかってる」
カミーユの一言で場にさらなる緊張が走った。
献慈の頭の中でも早速さまざまな憶測が駆け巡っていたが、ここは黙って彼らの言葉を待つ。
「まず一つは、誘拐犯の生き残りによる証言です」
口火を切ったのは、ライナーだった。
「その後の取り調べで、彼らが烈士崩れの盗掘者集団であった事実が明るみになりました。犯行の動機など仔細はまだはっきりしませんが、アジトとなっていた遺跡の奥から、さらわれた被害者全員の変死体が発見されています」
次いでカミーユも口を開く。
「もう一つは組合で仕入れた情報。殉職した二等烈士の殺され方なんだけど、『眷属』による手口と酷似してたらしい。具体的に言うと、傷口から血液の一部を抜き取られてた」
「そして、その死因は誘拐の被害者と同一――こちらは〝一部〟ではなく〝ほぼ全部〟ではありましたが」
「現時点での断定は避けるけど、少なくとも奴ら――盗掘者と『眷属』との間に接点があったと考えるのはそんな不自然じゃないって、あたしらは思ったわけ」
話を聞く限り、この世界のヴァンピールも、献慈の知る吸血鬼のイメージに近い生態を持っているようだ。
「あの……やっぱり強いんですか? そのヴァンピールってのは」
ライナーは淡々と応じる。
「烈士組合によれば危険度はCクラス――ツチグモやヌエに相当します。あくまで下限ですから、例えば武術の達人が『眷属』化した場合、危険度は当然跳ね上がります。とはいえ、弱点がないこともありませんが」
「弱点……不死者だから光属性が苦手とか」
献慈の何気ない一言に、
「へぇー、そういうのもユードナシアじゃ一般的な教養だったりする?」
カミーユが感嘆の声を上げる。漫画やゲームで培った知識にいちいち感心されるのは、何ともこそばゆい気分だ。
「いや、何となく思っただけで、仕組みまではさっぱり……」
「単純な原理ですよ。不死者や悪魔といった存在が闇の属性を帯びるのは、物質界での形状を維持するため――魔導学における闇とはすなわち収束を意味します。拡散を司る光の属性とは互いに打ち消し合う、というわけです」
「な、なるほど……」
「あくまでも相性の問題です。今回のような強敵相手では気休めにもなるかどうか……」
「べつに正面から挑まなくてもさ。ドナーシュタールにつながる糸口さえ掴めりゃいいんだし、こっそり調査するに限ると思うけど」
「もちろん、そのつもりです」
ライナーとカミーユの目的については、ここまででおおよそ語られたといっていいだろう。
「お二人の事情はわかりました。正直、そんな危険が半ば放置されたままなのは、少し不安ではありますけど」
「心配はごもっともですが、『眷属』事案を表沙汰にするのは無用な混乱を招くだけかと。物流も滞ったままですし、検問も一両日中には解かれるのではないでしょうか」
「逃げた『眷属』にしたって必要以上に目立ちたくはないはずだよ。あんまり派手に暴れ回ると、組合本部から上級烈士がスッ飛んで来て速やかに抹殺されるだろうから」
涼しい顔で言い放つカミーユを前に、献慈は鼻白む。
「ま、抹殺……」
「そ。それに治安維持は本来お上の役目だから。幕府だって何かしら対策は打ってくるだろうし」
この国に限った話ではないが、引退した烈士を権力者が私兵や諜報員として雇い入れるケースは珍しくないと聞く。『眷属』絡みの案件に、例えば幕府の隠密などが乗り出してくると考えるのも、そう突飛な話とはいえまい。
「だからさ、ケンジも人の心配してないで、自分のやるべきことに集中すれば?」
(俺の……やるべきこと……)
献慈の目は自然と、隣に座る澪を向く。
思えば、忘れかけていたのかもしれない。この旅路が、御子封じという目的のためにあったことを。
ナコイからこの方、立て続けにいろいろな出来事があった。カミーユたちとの出会いももちろんだが、彼らと関わるきっかけとなった、森での戦闘がまず頭をよぎる。
「そういえば澪姉、憶えてる? 前に両児さんと話してたこと。魔物の生息地が東にズレてきてるって話」
献慈が話を振ると、それまで黙りきりだった澪が口を開く。
「……うん。私も気にはなってた。あのツチグモ、もしかすると『眷属』に棲み処を荒らされて移動したのかもって。直接遭遇したんじゃないにしても、危険を察知して逃げ出したとも考えられるし」
「ツチグモって……あの時のツチグモ?」
反応を示したのは、カミーユだ。
「うん。もちろん推測でしかないけど、そうだとすると『眷属』が現れた時期って、誘拐事件が起こるよりももっと前になるのかも」
「なるほどなー、さっきから難しい顔してると思ったら、そんなこと考えてたんだ。ミオ姉ってば意外と頭も回るタイプ?」
「失礼ですよ、カミーユ」ライナーがたしなめる。「むしろ、僕たちにそういった視点が欠けていたことを反省すべきですね。不案内な土地である以上にあの当初、同業者との距離を置いていたことが裏目に出たようです」
「わかってるって。孟兄弟に出し抜かれた原因も、そのあたり慎重になりすぎたせいもあるし。これまで以上にしたたかに立ち回らないと、って思ってるトコだよ」
(これ以上したたかになる気でいるのか……)
渋面を作る献慈に、カミーユが目ざとく突っかかる。
「ん? 何だその顔は? いよいよあたしとのお別れが淋しくなってきたか~?」
「まぁ、そんなとこ」
「ッ! そうきたか……よかろう。せいぜい今のうちに超絶美少女の姿をその目に焼きつけておくがいい」
「うん。ほどほどにね」
「な、何だとォ……? さっきから余裕ぶりやがってェ……!」
(悪いな、カミーユ。俺も成長したのだよ)
歯噛みするカミーユから逃れるように、それとなく献慈は外を窺う。
「――ふむ。頃合いのようですね」
献慈の代わりに口を開いたのは、ライナーだった。
音が遮断されていたせいで気づくのが遅れたが、いつの間にか雨が上がっていた。雲の隙間からは晴れ間までが覗いている。
ライナーがパチンと指を鳴らすと、屋根の上から小鳥のさんざめく声が聞こえ始めた。
「意外と早く止んだみたいだね。行こっか? 献慈」
「そうだね」
澪に続いて献慈も立ち上がり、東屋を後にする。
「さ、カミーユも。出発しましょうか」
楽器をケースに仕舞い、ライナーも椅子を立った。
「ケンジめ……憶えてろよ……」
最後にカミーユも、愚痴りながら街道へ小走りに出て行った。
水溜まりを避けながら、四人は街道を北上して行く。昼下がりの太陽を背にして歩く先には、いつしか空を彩る七色のアーチが掛かっていた。
(虹……とくれば、アレを歌わずにはいられないな)
「何だケンジ、虹なんか見つめちゃって。ろまんちっく気取ってる?」
「♪~デインジャ! デインジャ! クィンザバォトゥッキゥ!」
カミーユのからかいも無視し、献慈は魂が命ずるまま口ずさむ。
もちろん好意的な反応を期待していたわけではないのだが、
「……あー、こりゃまたウルセーのが湧いてきたよ」
辛辣な言い草には熱も冷めてしまう。
「ご、ごめん……そこまでイヤとは思ってなくて……」
「私はそうでもないけど。ちょっと懲らしめてやればすぐ済むでしょ」
そう言いつつ澪は刀に手を掛けようとしている。
「んなぁっ!? 澪姉も怒ってる……?」
「ケンジ君、覚悟を決めましょう」
「ライナーさんまでそんな――あっ?」
楽器を取り出そうとするライナーを見て、献慈もようやっと事の次第を把握する。
頭上を横切る不穏な影こそが答えだった。
上空を旋回するオンモラキたち。そして水玉したたる木々の陰からは、殺気を帯びた小鬼たちの目がこちらを狙っている。
「ったく……雨上がり早々、水を差してくれるなっての」
ぼやきながら、カミーユも無駄なくシルフィードの召喚を済ませていた。
「ケンジ君、援護を頼みます」
「はっ、はい、任せてください」
ライナーと背中合わせに、献慈も杖を構える。
「それじゃ、さっさと片づけて町まで帰りましょうか」
小気味よく鯉口を切る澪の呼びかけに、皆それぞれにうなずいた。




