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【旧版】マレビト来たりてヘヴィメタる!  作者: 真野魚尾
序章 あやまち色の追憶
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第3話 分岐点(3)

 馨からの思いがけない誘いに、献慈は応じたものの、とくにプランがあったわけではない。


 それは馨も同じであったかもしれない。


 保健室までの道のりを一緒に歩いただけの、それだけのひととき。


 誰ともすれ違うことはなかった。


 お互い一言も交わさず、ただ並んで歩き続けていた。


 本当に静かだった。


 二人の足音だけが廊下に響いて、そして止まった。


「それじゃ……ここまでかな」


 切り出したのは献慈だ。間を開けて発した言葉がわざとらしく聞こえて、どうにも面映(おもはゆ)い。


 一緒に来てくれてありがとう――そう献慈は続けるつもりでいた。


「……ありがとね」


 先に言ったのは馨のほうだった。


 オレンジ色に染まった頬が、まるで夕陽そのもののように眩しかったのを憶えている。


 完全に見惚れていた。返事をするタイミングを見失うほどに。


「何だか気持ちが楽になった気がする。やっぱあれだよね、『人は前にしか進めない』んだって」


「あ、うん。そうかもね」


「……それだけ?」


「ん……え?」


 またしても相手の望んだリアクションを取れなかった――落胆する献慈に、さらなる追い討ちがかけられる。


「も~はぁ……入山くん、卒業文集に書いてたじゃん、中学の。『人ってのは立ち止まったり、あちこちよそ見したりもするけど、結局は前にしか進めないんだ』って」


(文集って、まさか……アレかぁああァ――ッ!! 提出期限ギリギリの危ういテンションに任せて自己陶酔モード全開で書きなぐったヤツかぁああァ――ッ!!)


「みんな無難な作文とか載せてる中で、あのポエム? みたいなの印象残ってて」


(そうでしょうねぇええェ――ッ!! 俺も今の今まで思い出すことのないよう記憶を封印してましたからからねぇええェ――ッ!!)


 硬直した笑顔の裏で、献慈が精神をズタズタに切りさいなまれていることなど、馨は知る由もないだろう。


「私、いい言葉だなって思ったの。入山くんと話してて、改めてそう感じた。だから……ありがと」


「こ、こちらこそ。その……また明日」


 今日会えたのですら偶然なのに、明日会えるかなんてわからない。名残惜しさに口をついて出た言葉に過ぎなかった。


 馨はほんの少し目を細め、無言でうなずいていた。そしてゆっくりと背を向けると、そのまま振り返らずに遠ざかってゆく。


(はぁ……しかし我ながらよくもあんな恥ずかし……いや、よそう。せっかく真田さんが気に入ってくれたんだし。むしろ開き直って今後は座右の銘とするべきか……)


 体育館へと続く廊下の曲がり角の向こうに、馨が姿を消すその瞬間まで、献慈は彼女を目で見送った。


 残り香が尾を引いている。いまだ夢の中にいるような、ふわふわとした気分を振り払うように、献慈は保健室の扉に向き直った。


(これ置いたら今日はもう帰ろ……)


 救急箱を持つ右脇にビデオテープを挟み、左手でノックを――




「えっ……」




 心臓が、早鐘を打つように高鳴った。頭で理解するよりも先に、無意識に感じ取った違和感が、言い知れぬ恐怖を喚起する。


 扉に落ちた自分の影が異様に長い。背にした廊下の窓から差す、夕陽のせいだ。


(夕陽――早すぎる。夏だっていうのに)


 奇妙なことに窓が全部閉め切られている。生徒も職員も誰もいない。人はおろか、セミの声一つ聞こえてこない。


(いつから……)


 一体、いつからこうだった――?


「真田さん……」


 張りのない声だ。すっかり怖気づいているのが、自分でも痛いほどわかる。


 是非もない。名を呼んだ相手がちょうど去って行った曲がり角から、得体の知れぬ真っ黒な濁流が、こちらへ向かって襲って来るのだから。


 音もなく。


(真田さん――――!)


 想像。理解。それらを大きく超えた事態を前に、身じろぎ一つできぬまま、献慈は黒い奔流の懐へと呑み込まれていった。




 視界は完全な闇に覆われ、静寂がその身を包み込んだ。


 もはやそこには方角も天地もない。広大無辺の空間を、支えもなく漂うだけの肉の塊。


 否、肉ですらないのかもしれない。五感はとうに失われ、思考すらも薄らいでゆく。


 自分という存在が闇の中へ溶け混んでゆく、恐ろしい予感を前にして、抗うすべも意志も持たない。




 かつて入山献慈と呼ばれていたそれは、『世界』の一部となりつつあった。


 『世界』。


 無限の過去と永遠の未来を内包する『情報』の海を漂ううちに、かつて見た景色やともにあった人々、そしてこれから体験する出来事や出会う人々の姿が明滅する。


 自己の存在確認なのであろうか。それはあたかも万華鏡の中に迷い込み、いつ終わるとも知れない絵合わせに興じているかような、摩訶不思議な心地であった。


 やがてその中から一つの声が、誘い導くように語りかけてくる。


 


 こっちへ…………と……交代…………。


 


 伸ばされた手をしっかりと掴む。


 (もや)がかった光の向こうから、名も知れぬ母の腕が、孤独にすすり泣く(みどり)()を、優しく抱き上げる。


 どこまでも透き通るあたたかい流れに乗って運ばれた先に、もうひとつの――『世界』――があった。

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