第24話 生きよう(2)
一行の行動は早かった。
状況が掴めずオロオロする献慈をよそに、カミーユたちはすぐさま荷物を取り、一ヵ所へ集まる。
「バラバラに逃げるべき?」
「相手の戦力がわかりません」
楽器を抱えたままのライナーが答えた。
「全員で突っ切りましょ」
澪は献慈の手首を引いて、走り出していた。
しかし数歩と進まぬうちにふたりは――いや、全員がその場に立ち止まるのを余儀なくされた。
「――ふぁッ!?」
突如、献慈の両足が宙を泳ぐ。澪が強く手を引いたのだと気づくが先か、真後ろでザクリという音がした。
おそるおそる振り返り見ると、地面には矢のようなものが刺さっていた。形状からしてクロスボウの箭に違いない。
「私の後ろに」
短く言い聞かせ、澪は献慈をそっと自分の背中側へ導いた。
岩陰から、林の中から、続々と姿を現す怪しげな風体の男たち。先ほどカミーユがいた小高い丘の上には、まさしくクロスボウを構えた男の影があった。
見渡したところ、ざっと六、七人はいる。
ある者は和装に鎖帷子、またある者は西洋風の革鎧を身に着けており、手にした得物も手斧から柳葉刀までと、装備に統一感は皆無で、寄せ集めの集団といった印象だ。
「間違いねぇ。オレらを捕まえに、腕利きを寄越して来やがった」
先頭にいる、金砕棒を担いだ鬼人族の男がつぶやいた。
「〝邪教〟の連中じゃないのか?」
「それはねぇな。異国の輩が混じってる」
「しかしこんな少数で……?」
「油断するな。精霊使いがいるぞ」
「なるほど。さっき見えた竜巻だな」
周りの連中も口々に意見を並べ立てる。頭目らしき鬼人以下、構成員はヒトと獣人で占められている。
――どこかで小さく、鐘の音が鳴ったような気がした。
「リコルヌか……旦那へのいい手土産になりそうだぜ」
「おい! 余計な口を利くんじゃねぇ!」
中の一人が頭目にどやしつけられ、縮み上がる。
「わ、悪い……」
「まぁいい。どのみちコイツらを生きて帰すつもりもねぇしな」眉一つ動かさず、頭目は軽く顎をしゃくってみせた。「……おい」
背後に控えていた、顔に刺青のある男が軽功を使い、山の方角へと走り去って行く。
仲間へ知らせに行くつもりだろうが、こちらとしては心配はない。今頃アジトは二等烈士の突入班が制圧している手筈だ。
むしろ献慈たちにとっては、目の前の状況を打開するのが何より先決だった。
「ゴメン……派手にやり過ぎたかも……」
カミーユが謝罪を口にするものの、責め立てる者など誰一人いない。
連中が駆けつけたタイミングから見て、双方の距離はそう離れていなかった。ヌエと交戦を開始した時点で、感づかれるのも時間の問題だったはずだ。
――また一つ、もう一つと、かすかなチャイムの音が近くから聞こえた。
「それじゃあ、とっとと死んでくれや」
頭目が一歩進み出たのを皮切りに、手下たちも一斉にこちらを囲むよう、にじり寄って来る。
いずれも殺気をみなぎらせた屈強な男たちだ。話し合う余地も、逃げ場も、ありそうにはない。
献慈がいまだ冷静さを保っていられたのは、自身の覚悟や勇気のためではなかった。澪をはじめとする仲間への信頼といった、そんな格好の良いものでも決してない。
(きっと……この人たちなら、どうにかしてくれる――)
甘えた考え――という自覚はあった――が一瞬、頭をよぎった。
同時に、澪が肩越しに向けた眼差しが、献慈を思いとどまらせる。
大丈夫。私が献慈のこと、守るよ――そう言っているように、献慈の目には映った。
(――違う。どうにかしなきゃいけないのは、守らなきゃならないのは――)
今一度、献慈は杖を強く握りしめる。
――音の聞こえる間隔が、徐々に短くなっていく。
「……ん? おい、貴様! 何をしてる――ッ!?」
俄然、頭目が激昂に声を荒げる。
指差した先には、小さく楽器を抱え込むライナーの姿があった。先ほどから微動だにしていない――一見してそう映るのも無理からぬことだった。
その実、ライナーは指板に被せた指先だけをわずかばかり動かしていた。フレットを叩く度に、澄んだ音色が辺りへと鳴り響く。タッピング・ハーモニクスだ。
小さな鐘の音にも似たその音色は、周辺に残留していた複数の呪楽結界で反響を起こし、発生源を巧みに偽装しながら、対象への効果を蓄積させていた。
「……ぅ……ぐぁはぁ……っ」
高台に張っていたクロスボウの男が、紫色に変色した顔をかきむしりながら、びくびくと身を震わせている。
仲間がそれに気づいたのも束の間、男は口から血の泡を吹き、崖の上から足下へと転落した。
〈黒魔の屍毒〉――外法の呪楽が起こさしめた、自家中毒の症状だ。
ともかくも、これで狙撃される心配はなくなった。
「この野郎ォ……っ!」
いきり立つ頭目に対し、ライナーは静かに、そして冷たく微笑み返している。
「Sistze k'tekiing!」
迂闊にも高台の方を振り向いた一人を、シルフィードの風刃が急襲した。怯んだ隙を突いて、澪が渾身の体当たりを仕掛ける。
「献慈ッ!! 逃げて――ッ!!」
おかっぱ頭を振り乱し暴れる男を、澪が地面に押さえつけながら叫んでいる。
だが献慈が動こうとするよりも早く、別の敵が二人も急行して来た。
止む無く澪は手負いのおかっぱを捨て置き、場所を変えて二者を迎え撃つ。
「あっちへ、逃げて!! 早くッ!!」
二対一とはいえ、腕前からして澪の側に分がある。
事実、敵側の得物はことごとく空を切っているのに対し、彼女の剣は相手の腕へ、肩へ、腰へ、背中へ、腿へ、次々と傷を負わせていた。
明らかに異常だった。いかに屈強な男たちといえど、仕留めるのにそこまでの手数が必要な相手とは思えない。
(俺が……俺が、前にあんなこと言ったから――?)
澪の腰が引けているのが、ありありと見て取れる。これではいくら剣を振るおうとも、致命傷は与えられない。
その間も彼女の目は献慈の方を窺い、しきりに「逃げて」と訴えかけていた。
「……どうして」
どうして俺が逃げると思ったんだ? 馬鹿にしないでくれ――そう言い返したつもりで、実際、献慈は言葉にならぬ喚き声を上げながら、杖を振り上げていた。
「おぇがッ!! んがぅあッ!!」
澪を付け狙う男の片割れ、スキンヘッドの膝裏めがけて、献慈は力の限り杖を叩き込んだ。
もんどり打って倒れ込む男に、これでもかと幾度も、幾度も杖を振り下ろした。
もう動くな、立ち上がらず、じっとしてくれと願いながら。
しかし――この期に及んでも、どうしても頭部だけは狙えない。
「後ろ!!」
「え――」
献慈の背中を衝撃が襲った。
剣で斬られたのか。それとも鎌のような何かで肉をこそぎ取られでもしたのか。
わからない。猛烈な痛みと、焼けるような熱さとが思考を奪い去る。生温かいものが腰を伝い、腿の裏まで流れ落ちる。ぞっとする感覚に自然と両腕が力を失い、だらりと垂れ下がる。
「退けえぇッ!!」
澪が目前の敵を振り切り、献慈の真横を走り抜ける。直後、後ろで苦悶の声が上がり、どさりと何かが倒れ込む音がした。
おかっぱの男が血溜まりの中に横たわり、動かなくなっていた。手にした戦槌の先には、血の付いた献慈の服の切れ端が引っ掛かっていた。
「……ごめんなさい」
囁くように言った後、澪は献慈の袖を摘まんでそっと引っ張り、その場に座らせた。
「治せる?」
「あ……うん」
傷の深さは多分、思ったほどではない。ケンカの経験一つない人間が、初めての不意打ちを喰らい、びびっただけのことだ。
事態が飲み込めると、周囲に目が向くだけの冷静さも戻ってきた。
(みんな――)
カミーユは短剣を手にシルフィードと連携し、頭目を引きつけて攪乱している。
ライナーも、敵の金砕棒の範囲から逃れるよう間合いを取りつつ、新たに呪楽を紡いでいる最中だった。
「献慈、私……今は――」
澪の注意が完全に自分に向いている。
死闘の場と化したこの状況下、考えるまでもなく、それはあまりにも軽率な行動であった。
「ボォゲェがあぁァ――ッ!!」
先ほど献慈に打ちのめされ、逆上したスキンヘッドの男が二人に襲い掛かる。
澪は振り向きざま身を躱そうとするも一転、足を止めた。その位置には献慈がいる。
一瞬の迷いが判断を遅らせた。
「澪姉ぇっ!!」
「ひぁうっ……!」
男が振るった斧の刃先は、澪の胸を掠め、着物を赤い血が染めた。
「クッソおおおォォォ――ッッ!!」
振り被った杖を、献慈はこれ以上ない力を込めて、澪を傷つけた敵へ打ち下ろす。
「献……」
あっさりと踏み越えてしまっていた。
怒りという感情にこれほどの強さがあったのかと錯覚しかけたが、何の事はない。
ライナーの奏でていた呪楽――〈戦歌〉が完成していたのだ。
両手がびりびりと痺れていた。でたらめに混ぜた絵の具のような、奇怪な色をした塊が目の前にぶちまけられていた。
「ウッ……ぐ……」
むせ返るほどの生臭い匂いを、すえた匂いが上書きしていく。
だが、立ち止まっている暇などない。
「……生きよう。何をしてでも」
澪に治癒を施しながら、誰にともなく口にしていた。
何も言わずうなずく澪を見て、献慈は固く決意する。
これから先も、澪ひとりに背負わすようなことは決してしない、と。




