第22話 前に進めてる(2)
鉱山都市キホダト――鍛冶の神・【生穂火立神】を氏神とする、山あいの町だ。人口はナコイよりもやや多く、十一万ほど。都市自体の規模も大きめだ。
鉱山の主な産出物は銅や亜鉛だが、少量の金・銀などのほかに、国内でも珍しい鉄鉱石――イムガイの鉄需要は主に砂鉄で賄われている――が採れるため、町には古くから刀鍛冶をはじめとした多種多様な職人たちが居を構えていた。
キホダトに拠点を置く稗田派は、南の鬼武尊派と並ぶ名刀匠集団として知られている。澪の差料である〝千夜渦〟も、一族の名工・稗田平州によって手掛けられた作品であるのを思うと、ちょっとした里帰りといえるかもしれない。
山脈の向こうにあるウスクーブまで行けばイムガ・ラサまでは目と鼻の先だ。とはいえ、山越えとなればこれまで以上に体力を使うことになるだろう。
一行はふもとの宿場町へはやる気持ちを抑え、ここキホダトで一時の休息を得ていた。
その日の午前中、宿の部屋にはひとりギターを爪弾く献慈の姿があった。
繰り返し練習しているのは、献慈お気に入りの一曲――飛行機事故により夭逝した、あるギタリストが遺した小曲だ。
(……うん。だいぶミスも少なくなってきた気がする)
献慈の演奏は、ここ十日ほどの間に思わぬ上達を見せていた。日々の合間、ライナーからの手ほどきを受けていたおかげだ。
当然、献慈は自分の腕が素人の域を出ていないのは自覚している。
それでも時々、澪が聴きに来て演奏を褒めくれたり、リクエストを送ってきたりすることに、単なる自己満足以上の充実感を覚えてもいた。
(澪姉も好きだって言ってくれたっけな、この曲)
昼食までの自由時間を、ほかの皆も思い思いに過ごしているはずだ。
烈士組は今日も街で聞き込みだろう。献慈は自分も少し散歩に出ようと、階下へ降りて行く。
一行が滞在するのは、温泉旅館〝鹿神多〟。烈士組合に程近い、民間の宿である。
和風モダンな建物が取り囲む広々とした中庭の横を、献慈が通りがかった時だった。
地面に敷かれた砂利が擦れ合う音、風を切るような音に交じって、かすかな息づかいが聞こえてきた。
中庭にいる人物が誰なのか、献慈にはすぐにわかった。
「戻ってたんだ?」
「献慈の練習の邪魔したくなかったから」
型稽古の最中、澪は視線だけをこちらへと向けた。袴は着けず、鞘を落とし差しに、刀を手にしている。
白刃の閃きは、まどろみから醒めた獣の眼光を思わせた。あくまで簡易処置ではあったが、この町の研ぎ師の腕は一級である。
「こっちこそ、稽古の邪魔しちゃった?」
「ううん。見てていい」
切れ間なく紡ぎ出される多彩な動作は一つの流れとなり、優雅な舞を演じているかのようだった。
一連の動きの中に、新月流の主要な技すべてが含まれている。門弟となった者は、初伝の段階から一人の例外もなくこれをきっちりと憶え込まされるのだ。
四年前の時点で澪は中伝までを修め、いよいよ奥伝を授かる過程へと移ろうとしていた。
だが献慈も知るとおり、先の不幸な事件によりそれは中断されたままだ。
「お母さんの、お師匠さんね」
「うん」
「イムガ・ラサに今もご健在らしいの。いつか会いに行って……きちんと剣を学んで、新月流のすべてを修めたいって思ってる」
「そっか」
「私、何もかも中途半端なままだから。でもまずはその前に御子封じからだね」
澪は刀を納めると、そのまま柄を逆手に持ち、腰を落としながら鞘を立てるようにしてみせる。
型稽古の前後に澪がこのような動作を取るのを、献慈は今までにも幾度か目にしたことがあった。
「その動きって、礼法みたいなもの?」
何となしに尋ねた献慈に、澪は「これも型の一つだよ」と答える。
「それ〝も〟?」
「〈新月〉っていう、入門して最初に習う型なの。柄頭で相手の水月を突き上げる技……だと思う。多分」
「多分?」
「だって、この角度じゃどう頑張っても抜刀できないし……」
澪の言うとおり、刀は身が湾曲しているため、真っ直ぐ抜こうとすればどうしても鞘の中で引っかかってしまう。
「それじゃ……鞘を引く角度を変えてみるとか?」
「どうなんだろ……うちの流派って型は丁寧に教えてくれるけど、使い方までは簡単に教えてくれないから」
「習うより慣れよ、みたいなことかな?」
「それも少しはあるけど……例えば」澪は再び抜刀し、上段に振り被る。「この技、憶えてる?」
「〈兜会〉だよね」
「そう。これを型どおりに演じると――」
澪は懐紙を一枚、自分の前に差し出す。手を離すなり切っ先を振り下ろすと、紙は元の高さからほとんど落ちぬまま真っ二つに断ち割れた。
「おぉ、すごい。けど……」
太刀筋こそ見事だが、魔物を一撃で葬ったあの時のような凄みは感じられない。
再度、澪は懐から紙を差し伸べる。
「だよね。それがこうすると――」
まったく同じ動きとしか見えなかった。
だが結果の違いは歴然だ。懐紙は太刀筋に沿って跡形も無く消し飛んでいたのだ。
「ど……どうやってこんな違いが?」
「重心を指一本分下げたの」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
澪は得意げに微笑むと、血振りの要領で刀を振るい、納刀した。
何気ない、ほんのわずかなコツを知っているか否かが、型を身につけただけの中級者と達人との間の大きな差となる。
それこそがきっと、極意と呼ばれるものの正体なのだ。
「なるほど……何となくわかるよ。俺もライナーさんからギターの持ち方指摘されてさ、ネック裏の親指ちょっと直しただけですごく弾きやすくなった自覚あるし」
「そっか。剣術の場合と似てるね。師匠から要訣を教わることで、型に秘められた本来の意味を明らかにするっていう――」
話が盛り上がろうとした矢先。
「ちょっとォ、お客さ~ん。中庭で暴れてもらっちゃ困りますよォ~」
やにわに割り込んできた声に、献慈は思わず謝罪の姿勢を取る。
「ご、ごめんなさい! 今ちょっと……って、何だよもう」
振り返ってみれば何のことはない、悪戯娘のご登場であった。
「何だ、とは何さー」不満げに頬を膨らますカミーユ。「あたしはこっちのお客さんに用があるんすよね~」
「澪姉に?」
聞き返すなり、カミーユはこくりとうなずいた。
「うむ。そんでさ……いい話と悪い話あるんだけど、どっちから聞く?」
「悪いほうから」
即答する澪を見て、献慈は妙な納得感を覚える。思えば食卓における彼女も、苦手なおかずから真っ先に平らげるタイプであった。
続くカミーユの話に、献慈は耳をそばだてる。
「わかった。で、この先の関所なんだけど、検問が厳しくてほとんど封鎖状態らしいんだ。何でも、近隣の村で誘拐事件が続発してるとかで……」
「大変じゃないの!」
「奉行所と代官所が共同で非常線を張ってんのよ。当然、組合のほうでも調査に乗り出してる。このままだと、良くて一週間は足止め食らいそう」
現在のところ関所を通過できるのは、幕府や役所など公的機関の関係者と、それらの許可を受けた人物だけだった。一般の商人や旅人はおろか、烈士ですら足止めされるとあっては、付近の住民生活に与える影響は決して小さくない。
何より、事態が自分たちと無関係ではないことも、献慈には理解できる。
「事件が解決しないことにはイムガ・ラサどころか、次の町にすら行けないな」
「それもあるけど……」
澪の左手がぐいと鞘を握りしめる。
献慈には澪の気持ちが何となく掴めていたが、それはカミーユも同じだったのかもしれない。
「まー、他人任せにしておとなしく待つってのも性に合わないと思ってさ。今ライナーが組合に残って、山狩りに参加できないか掛け合ってるとこ」
「私も行く! 人さらいなんて放っておけないもの!」
案の定、澪が協力に名乗りを上げる。
そうなれば献慈が後に続こうとするのは必然だった。
「俺も――」
「ちょっと待って」言葉を制したのはカミーユだ。「話にはまだ続きがあるから。その前に質問するけど、ふたりは誘拐のターゲットって言ったらどんな人間を想像する?」
「えっ? それは……子どもとか、力の弱い人でしょ」と、澪。
「お金持ちの親族とか? 身代金目的で」献慈も答える。
「それが今回はどっちもハズレでさ、むしろ逆。なぜかはわからないけど、手のつけられない暴れん坊とか、賭け事で身持ちを崩した輩とか……言い方は良くないけど、村にとっての鼻つまみ者ばっかり狙われてる」
カミーユは大きな石の上に脚を組んで腰かける。
「事件として表沙汰になるのが遅れたのも、その辺りが原因みたい。正直、目的が何なのかはわからない。でも犯人像は見えてきたでしょ? はい、ケンジ答えて」
「お、俺? えーとォ……は、犯人は複数犯!(適当!)」
「せいか~い」
「や、やっぱりね……(当たっちゃったよ!)」
「そいつらは村の内情を調べられるだけの情報収集力を持ってて、ついでに腕っぷしもそれなりと見てる。今までの野盗崩れとかチンピラみたいに、手加減して戦えるような相手じゃないかもね」
はやるふたりを押しとどめたカミーユの意図を、献慈も薄々と感じ取っていた。
旅立った当初に比べれば献慈も多少の度胸はついた。いざ戦いともなれば、全力で武器を振るうことも厭わない――相手が魔物であれば。
献慈だけでなく澪も、口を開くのをためらっているように見えた。
畳みかけるようにカミーユは問いかける。
「ケンジが経験ないのは見ててわかるよ。ミオ姉はどう? 経験、ある?」
「……ないよ」
澪ははっきりと言い切った。鞘に添えられていた左手は、今は下ろされている。
「そっか。意外。ケンジは知ってたの?」
「……いや」
「ふぅん……。ま、ふたりが正義感強いのは良く知ってるし、止めはしないよ。でも、もしこの件に首を突っ込むなら覚悟はしといてね。あたしから言えるのはそれだけ」
そこまで言うと、カミーユは勢いよく立ち上がり、澪のもとへ走り寄る。
「で、ここからが『いい話』ね」
すっかり忘れていた――いつしか強ばっていた表情を解きほぐすように、献慈は頬骨の辺りを指先で強く捏ねる。
「はい、唐辛子。酒場の厨房からもらって来た」
カミーユは腰のポーチから小さな紙袋を手に取り、澪へ手渡した。
「ありがと。お金、今払うから……」
「あ、いいのいいの。何かね、厨房のおじさんに『それ欲しいなー』って、上目遣いで頼んだらタダでくれたんだよね。だからお代とか要らないって」
いけしゃあしゃあと言ってのけるカミーユに、恐ろしさとともにある種の安心感をも覚える献慈がいた。
ただそれとは別に、触れずにはいられない疑問がある。
「唐辛子って? 澪姉、辛いもの苦手じゃ……」
「そうだけど……やっぱり献慈、忘れてる?」
「え……何のこと?」
小首を傾げる澪と同じ角度で、献慈もまた首を傾げるのだった。




