第14話 空間の支配者(1)
ナコイはイムガイ国有数の港湾都市だ。
異文化の流入も盛んで、区画ごとに西洋風、あるいは南国風と多様な顔を持つ。それらの街並みを闊歩する人々もまた多人種、多国籍である。
港という性質上、力仕事に向いた鬼人族が多いのはもちろん、献慈が昨日出会った少女と同族であるリコルヌの姿もここではさほど珍しくない。
さらにイムガイでは珍しい魔人族、エルフなどの少数種族の姿さえ見受けられた。
五大種族――それは、トゥーラモンドに住む人間種族の中でも数の多いヒト、リコルヌ、鬼人族、魔人族、エルフを指しての呼称である。
(五大種族、か……)
手持ちの本をめくりながら、献慈は頭の中で内容をおさらいしていた。
その実、五大種族とは単純な数の上での定義づけにすぎない。
鬼人族は東洋に、リコルヌは西洋に偏在しているし、エルフはヒトの生活圏には出て来ず、魔人族はコミュニティを築きたがらない。
獣人種はヒトにとってなじみある異種族の筆頭だが、一括りにしてしまうのは少々乱暴にすぎる。それぞれの人口や分布は言うに及ばず、形態も文化も多種多様にわたっているのだ。
先日出会った、両児とその仲間たちも然り。
(俺は……マレビトは、どんな目で見られてるんだろう)
道端に立つ柳の木の下で、澪の帰りを待つこと数分。石段を降りて来る足音を耳にし、献慈は顔を上げる。
「ごめんね、待たせちゃって」
その声に献慈が振り返るのと同時に、鳥居の裏から澪が姿を見せる。
ナコイ神社――この町の氏神である龍神・【名賀氏臣神】を祀る社だ。御子封じ参りの挨拶にと、宮司のもとを訪ねた帰りであった。
「大丈夫だよ。俺も来たばっかだから」
「そう? ……献慈はこんな合間にまでお勉強かぁ」
小首を傾け覗き込む鳶色の瞳が、献慈の顔と、その手に持った本との間を行き来する。
夏風に踊る長い黒髪が、本を引っ込めようとした献慈の手の甲を不意にくすぐった。
「そんな……大袈裟なもんじゃないよ」
献慈は答えたものの、考えようによってはこれまでの十七年の人生の中で、今が一番真面目に勉強している時なのかもしれない。
「本読んでるとき、いつも真剣な顔してる」
「自分だとわかんないけど、変かな?」
「ううん。いいと思う」
目を細め、てらいなく答える澪の言葉を、献慈は心の内で反芻する。
(いいと思う、か……いやいや、意識しすぎだろ。そんな大した意味じゃないって)
ふたりが連れ立って行く道は、港から少し離れた、住宅地を貫く遊歩道である。
荷物は宿に預けて来ているが、武器だけは放っておくわけにもいかない。献慈は杖を携え、袴姿の澪も刀を落とし差しにして歩いていた。
(澪姉は知的な男性が好みだったりするのかな……なんて)
もやもやとした気持ちを抱えたまま、献慈は隣を歩く澪の方をちらりと窺い見る。
後ろ髪を緩くまとめたスタイルに、ワンポイントの髪飾りが可憐に映える。足元は草履、帯にはつくしとひまわりの根付が並んで揺れている。
――綺麗……だよ、澪姉。
(……どうして祭りの時、あんな大胆なこと言っちゃったんだろ。そりゃ嘘はついてないけど、わざわざ本人に向かって言わなくてもなぁ……)
「どうしたの? 私、服乱れてる?」
献慈の視線に気がついたのか、澪は道端に立ち止まり身繕いを始める。
「ううん、そうじゃなくて――」
答えようとした献慈は、期せずして目を見張る場面に遭遇した。
「献慈?」
わずかに突き出した腰に、手で押さえつけた袴が貼りつくことで、澪の豊満かつ張りのあるヒップラインがぴっちりと浮き出てしまっていたのだ。
(こっ、これは……!)
あふれ出る感動。それは例えるならば、直線的で凛々しい立ち姿とそこから大きく逸脱した曲線とのギャップが生み出す静中動のコンポジションが、ただそこに在るだけで空間の支配者たりえる完全無欠のゲシュタルトを提示しつつも、あたかも日常の中に非日常を見出だすというエロスの本質に迫らんとするプリミティブなパトスを観測者の内宇宙へと想起させる、いわば美のイデアのミメーシスそのものであった。
あえて一言で表すと――
「とても素敵だ……」
「えっ? あ……ありがと」
満更でもない澪の反応に、むしろ献慈は狼狽える。
「どっ、(また変なタイミングで口走ってしまった……)どういたしまして」
立ち込めた微妙な空気を払拭しようと、遠くを見やる。
折よく見えてきた目的地――立派な洋館が、道の向こうに建っていた。
街の人の話によると、元は外国の貴族が別荘として使っていたらしい。ゆえあって持ち主が本国へ引き上げる際に町が買い上げて改築し、今は資料館となっている建物だ。
ここを訪れる理由はもちろん、献慈が元の世界へ帰る手がかりを探すためである。
「それで……今すぐ行く?」
「当然でしょ。なぁに? もしかして、もうお腹空いちゃったとか?」
そんな発想が何とも澪らしい、と思いつつ献慈は言葉を飲み込んだ。
「そうじゃないけど、ただ……何というか、期待半分、不安半分みたいな、そんな感じ」
「そっか……でも、少なくとも村の書庫よりは詳しいことわかりそうじゃない?」
澪は率先して入り口の方に足を進めて行く。
献慈の見る限り、その足取りにはいささかの逡巡も窺えない。
澪の態度は、出会ったその日から一貫している。
(澪姉はずっと……俺が帰れることを第一に考えてくれてるのに)
建物の前面に広がる、きちんと手入れされた庭園の中を、澪の背中が遠ざかってゆく。
献慈は、自分の浅ましい考えに気づいていた。
こうして手がかり探しをしている間は少なくとも、澪とはまだ一緒にいられる。それは彼女の好意を独り占めできるということでもあるのだ。
(ずるいな、俺……)




