第13話 可憐にして妖艶な花のかんばせ(2)
両児の紹介でやって来たのは、港から通りを隔てて建つ旅籠であった。献慈たちが今までに利用した安宿とは違い、風呂はもちろん、朝晩の食事まで付いている。
外観や内装も、豪勢とまではいかないが、庶民クラスが泊まる宿としては上々の部類だろう。
全員で記帳を済ませた後、両児の部下たちは馬の世話や荷下ろしのため別行動を取る。
時を同じくして、出入り口に隣接する広間では、澪と献慈そして両児の三人が互いに別れを惜しんでいた。
「いやはや、おふたりには本当に世話になりやした」
「こちらこそ。いろいろ工面していただいて、助かりました」
澪が深々とお辞儀をする横で、献慈もそれに倣う。
腰を低くして応じる両児の面持ちからは、感謝と反省の両方が見て取れる。
「礼なんてとんでもねぇ。あっしも若かねぇですからね……今後は危ねぇ真似はやめて、堅実に商売することに決めやしたぜ」
「それは殊勝な心がけですこと」
おどけた口調で、澪がチクリと釘を刺す。
「ははっ、姐さんにゃ敵わねぇな。それにしても……本当に別々の部屋で構わねぇんですかい? いや、宿代のことを言ってるんじゃねぇんですが」
「気を遣わせてしまってごめんなさい。前にふたりで話し合って――ぇっぐ!?」
言いかけた澪の背後に、突如として追突してきたものがあった。
周囲を元気よく走り回っていた四、五歳ぐらいの男の子だった。澪のボリュームたっぷりのお尻に跳ね返され、困惑の表情を浮かべながら後ずさりをしている。
「うわぁ~、でっけぇ~っ!」
「で……っ!?」
無邪気な発言が澪の機先を制する。その隙をみて、男の子は一目散に走り去ってしまった。
「な、何ですってぇ~っ!? こらぁああ――ッ!!」
「あ、待っ……」
献慈が呼び止めるも、間に合わず。通行人に阻まれながらも、澪は男の子を追いかけて、あっという間に廊下の向こうへ消えて行ってしまった。
「澪姉も仕方ないなぁ、こんな時に……」
「まぁまぁ、いいってことです」
残された男たちは人通りを避け、階段脇の長椅子に腰を下ろす。
「しっかし兄さんもえらい奥手ですなぁ。あんだけの別嬪さんと四六時中一緒にいるってのに」
早速と両児が話を蒸し返す。一切の悪意も感じられないのが、かえって厄介である。
「いえ、ですから俺たちはそういう関係では……」
「とぼけてもらっちゃ困りますぜぇ。あっしは兄さん自身の気持ちがどうかってのを訊いてるんですよ?」
他人であるがゆえの、ストレートな物言いだった。はぐらかす余裕すら与えてはくれない。
「そ、そりゃあ澪姉は……すごく格好良くて、き……綺麗ですよ。ただ、俺にとってはかけがえのない恩人だし、日頃からお世話になってる人なわけで……」
「ふぅむ……お世話にねぇ……」
「何もないですから、い、今は……まだ」
献慈の特異な境遇を両児は知る由もない。そこにあるのは、悩める若者を暖かく見守る年長者としての眼差しだけである。
「そうですかい。ま、これ以上野暮なこたぁ言いっこなしだ。さてと――」
両児はおもむろに腰を上げる。
「あっしはこれで仕事に戻りますが、おふたりの旅が上手くいくよう、遠くから祈らせていただきやすよ」
「あっ、ありがとうございます。それでは、またどこかで」
献慈も急いで椅子から立ち上がり、互いに礼を交わした。
去り行く両児の背中を見送った後、献慈は階段の方を振り返ろうとする。
「こんにちは~」
まさか背後に人がいようとは考えていなかった。
「……あがっ!? こ、こォーんちゃっすゥ~!」
献慈は急な挨拶に不意を突かれ、腰を抜かしそうになる。
「時間的にはこんばんは、かな。でも奇遇だね。無事だったみたいで安心したよ~」
親しげに話しかけてくるのは、紛れもなく年若い少女の声だ。高めのハスキーな響きが耳に心地いいが、心当たりはない。
献慈は声の主を確かめようと顔を向ける。
「えっと、どちらさ――」
そこに待ち受けていた少女の姿に、献慈は瞬時に心奪われていた。
「一応、初めましてかな」
サファイアのように透き通る、ショートボブの青い髪。
上目遣いにこちらを窺う、仔猫にも似たエメラルドの瞳。
生意気そうにちょっと上を向いた小さな鼻。
つやつやとした白い歯を覗かせる蕾のような唇。
そして、可愛らしいおでこと頭頂部との間には、緩い螺旋を描いた中指ほどの長さの角――リコルヌという種族の象徴が誇らしげに屹立している。
可憐にして妖艶な花のかんばせ。まるで神話から抜け出して来た妖精が目の前に立っているかのような錯覚に陥る。
「…………」
「……お~い、大丈夫?」
少女が目の前で手のひらを振っている。献慈は慌てて正気に立ち戻った。
「あ! あぁ、ごめん! き、君がその……あまりにか、可愛いというか……」
「うん。知ってる」
「…………」
献慈は再度――今度は別の意味で――言葉を失う。
少女はこちらを気にも留めず話し続けた。
「それよりさ、いいの? さっきキミ、背の高い綺麗な女の人連れてなかった? あたしのことナンパなんかしてる場合?」
「なっ、ナンパじゃないから! あと、澪姉とはあの、あのぉ、何ていうか……」
泡を食って釈明する献慈を、少女は愉快そうに眺める。
「へぇー、ミオ姉とか呼んじゃってるんだー。もしかしてキミ、結構甘えん坊さんだったりするのかなぁ?」
悪どい表情とは裏腹な愛嬌ある顔立ちが、男心を絶妙にくすぐる。蔑むような眼差しが、二重の意味で憎たらしい。
「べ、べつに、そういうんじゃな……っくて……」
自分より頭一つ分ほども小柄な少女。そんな相手ににじり寄られながらオロオロする献慈の姿は、傍から見ても相当に情けなく映ったことだろう。
以前にも――献慈は、学校で似たような体験をしていた。
――羽衣ちゃんとか呼んじゃってるんだ?
――うわぁ……キモッ。
――こいつシスコンじゃね?
――それ、可愛いね。
長らく蓋をしていた記憶が呼び覚まされる。
(どうして……今さらあの時のことを思い出す? この匂いのせいか――ん? 匂い?)
かすかに漂う芳香に、献慈の注意が逸れかける。
その矢先の出来事だった。
「献慈……その娘、誰……?」
背中越しに掛けられた声に、献慈が振り返った瞬間、
「澪ね――――ぇっ!?」
頭上に抱え上げたものを、澪は勢いよく眼前に振り下ろす。
「どっせぇーい!」
「うわーい」
地面に下ろされた男の子が元気に走り去って行く。
仁王立ちする澪の瞳には、見知らぬ美少女と今にもくっつきそうな体勢の献慈が映っていたはずだ。
「えっと、これはですね……(あれ? 俺はなぜに言い訳を……)」
「あ、お姉さんも元気してた? 今ね――」
少女が親しげに声をかけた刹那――澪は電光石火の勢いで少女のもとへと駆け寄ると、その小さな両肩をむんずと鷲掴みにする。
「かぅぁわぅい――――ぃっ!!」
キラキラと輝く瞳を見開かせながら、澪は出し抜けに少女をかき抱いた。あまつさえ相手の迷惑も顧みず、夢中で頭を撫でたり頬ずりを繰り返している。
「何なのぉこの娘!? すっごい綺麗だし、いい匂いするし……っていうか顔ちっちゃ! おとぎ話の妖精さんみたいだよねっ!? 献慈、知り合いなのっ!?」
あまりのハイテンションぶりに少女も目を丸くしている。
目まぐるしい展開を前に、献慈は呆然と佇立しながらも、どうにか場を収めようと口を開く。
「あ……いや……今、会ったばかりというか……」
「そだね。ちょっとお話してたんだ。ふたりとも仲良いんだね、って」
少女が澪の腕の中から、不敵な笑みをこちらへ向けてくる。
その目つきと口ぶりに献慈が危険な気配を察知する一方で、澪は少女を束縛から解放すると、話に食いついてきた。
「ふたりって、私たちのこと? 献慈、何か話したの?」
「うん」先に答えたのは少女のほうだった。「この子が言ってたんだよね、お姉さんには日頃から『お世話になってる』って」
察するに、両児との会話を立ち聞きでもしていたのだろう。悪しざまな言動といい、この少女の目的が何なのかは不明だが、目下のところ対応すべきは別にある。
「ちょっ、そこを強調されるとその、違う意味に聞こえるので……(かといって否定もしづらいけど!)」
慌てて訂正しようとする献慈を、澪が怪訝な目で見つめている。
「違う意味って……どういう意味?」
「え、いや……どういう意味?」
返答に窮した献慈は、思わず少女に聞き返してしまった。
だが図らずもそれが反撃の狼煙と相なった。
「ど……どういうって、そ、それは……ゴニョゴニョ……」
直前までの勢いはどこへやら、少女はわなわなと身を震わせながら後ずさりを始めていた。整った顔立ちは羞恥に歪み、白い肌は耳まで綺麗な桜色に染まっている。
にわかに悪戯心が湧いた献慈は、これ幸いと逆襲に移った。
「いやぁ、もしかすると俺の勘違いかもしれないし……よかったら君の口から事細かに説明してくれると助かるんだけど……?」
「オマェ……あ、アンタが先に言い出したんだろっ!?」
「あれっ、そうだっけ? 君に言った憶えはないんだけど……もしかして両児さんとの話を盗み聞……」
「ひっ、人聞きの悪いこと言うなぁっ! ちょっと通りがかったんで挨拶しようと近づいただけだし! アンタなんかべつに興味ないし! そ、そっちのお姉さんも、どうもお邪魔しましたっ!」
少女は澪に向かって深々とお辞儀をし、いったん踵を返したかと思えば、
「……小僧ぉ……憶えてやがれっ!」
献慈に対しては捨て台詞を残し、脱兎のごとくその場から走り去って行ってしまった。
(ちょっと調子に乗りすぎたか……悪いことしたなぁ)
からかわれたことについては癪だったが、仕返しの仕方は少しまずかったと献慈は反省する。
澪はいまだ事情を呑み込めぬ様子で、ぽかんと立ち尽くしている。
「何だったんだろ……あの娘」
「き、きっと照れ屋さんだったんだよ」
献慈はそうお茶を濁すのが精一杯だった。
「そっかぁ……それはそれで可愛いけど」澪はいったん納得したものの、「ところであの娘、私たちのこと知ってる風じゃなかった?」そもそもの疑問を口にする。
献慈に思い当たることといっても、そう多くはない。
「確証はないんだけど多分、昼間の一件と関係あると思う。『無事で安心した』とか言ってたから」
「それってつまり、あの呪楽を歌ってたのも今の娘ってこと? 聞いた感じ、男の人の声だった気がするんだけど」
澪の疑問はもっともだった。献慈が「確証がない」とあえて前置きしたのは、その点が引っかかっているせいもある。
逆に「関係ある」と思わせた点を挙げるとすれば、それは〝匂い〟だ。
「うん……ただ、心当たりが別にあって、透けてる女の人が――」
「透けてる女あぁっ!?」
眉を逆立てる澪に圧倒されながらも、献慈は慌てて事情の説明に入る。
「き、聞いてってば! その……俺が背後から小鬼に襲われかけた時にさ――」
主題となっているのは無論、緑風の乙女の存在である。
半透明の身体、そして瞬時にして突風に姿を変える性質――献慈の説明を受けた澪が言うには、
「それって具象精霊かもしれないね」
具象精霊――目に見える姿やはっきりとした自我を持たない抽象精霊に対して、具体的な姿形や人格を持つに至った、より高位の精霊を指す概念らしい。
「あれが……精霊……」
献慈が問題としているのは、緑風の乙女が消え去った後の残り香についてだ。
似ていたのだ――少女に詰め寄られた折に漂っていた、その匂いに。




