第11話 相部屋(1)
時は新星暦・一八八九年、飛虎節・十六日、黄昏曜。
ワツリ村から伸びる街道を進むのは、御子候補者・大曽根澪とその守部・入山献慈のふたりだ。
御子封じの旅は徒歩が原則である。目的地の首都イムガ・ラサまでは、順調に行っても一月近くはかかるだろう。
千里の行も足下に始まる。まず目指す先は、北西にあるナコイという港町だ。
上気した頬に汗が滲んでいた。
「大丈夫? 献慈、暑くない?」
張りつく髪を指で払い、麦わら帽子の下から澪が問いかける。行灯袴との着合わせもなかなかどうしてハイカラなものである。
「俺は平気だよ。澪姉こそ無理はしないでね」
献慈のほうは裁着袴にカンカン帽といういでたちだ。ふたり共々、村で用意できる精一杯のおしゃれと実用性を兼ねた旅装束だった。
「私も平気。前なんか猛暑の年だったし、それに比べたら涼しい涼しい」
澪が腰に差した刀は名刀・千夜渦平州。ワツリ神社の奉納品である。
御子封じも広い意味での神事と考えれば持ち出してもばちは当たらないだろう――とは宮司たる父親の言だ。
「そっか。先輩が一緒だと心強いな」
献慈の手にした杖は、今回の旅に向けてあつらえられた特注品だ。両端は金具で補強がなされており、武器としてはもちろん、文字どおり杖として使うにも申し分ない。
「先は長いんだし、どんどん頼ってくれて構わないからね?」
他愛ない会話を交わしながら、献慈たちは街道脇へ身を寄せた。
休憩所は広さ十畳ほどの簡素な東屋であった。
互いを気遣いながら、ふたりは日陰の下へ身を滑り込ませた。それぞれ風呂敷包みの荷物と武器を置いて、床几台に腰を下ろす。
「もうお昼ぐらい?」中天へ達した陽を仰ぎ見て、澪がつぶやいた。「食べてから出発しよっか」
そうしよう、と献慈も賛同する。
昼食は澪お手製のおにぎりだ。
「お茶とかお味噌汁は町に着くまでの辛抱だからね」
澪は子どもにでも言い聞かせるよう微笑みかける。
「そんな贅沢言わないよ。水があれば充分だ」
献慈たちが手にした水筒は一見ただの竹筒だが、その容量は見た目の数倍、そして中を満たす量の水を半日程度で自動生成するという優れものである。
西洋においてメッセンジャーボトルと名付けられたそれは、イムガイでも昔から飛脚たちの間で重宝されていた定番の魔導具だ。
(……なんて言ったものの、これこそ一番の贅沢だよな)
御子封じという一大行事の名目があるにせよ、これらの品々を惜しみなく与えてくれた大曽根には感謝するほかない。
食事を終えたふたりは小屋の外、張り出した屋根の下で肩を並べていた。
下ろし立ての歯ブラシを、献慈はなじませるように小刻みに動かす。シャカシャカと、リズミカルな音がすぐ隣からも聞こえてくるのは妙な気分だった。
同じ家で生活していたとはいえ、洗面所で同席する機会などあるはずもなく。
「……へんり~」
「(ヘンリー?)……あ、俺?」
「ひょっと、おはっひ……おかしぃって!」
「え? な……何が?」
「手とあらま、いっひょに動いてぅ!」
「マジで? そんなこと…………あ、マジだった」
「もぉ~、笑っひゃうぁない」
「…………」
「ん? なぁに?」
歯ブラシを咥えた口元からよだれを止めどなく溢れさせながら、澪は無邪気に小首をかしげる。
面と向かって指摘する勇気を、献慈は持ち合わせていない。
「べつに、何も……」
うがい途中、上を向いた献慈の視界を不穏な影が横切った。
(……? あれは……)
異能の眼――名づけて〈トリックアイ〉が、遠くの空を滑翔する異形の姿を捉える。
大きな鳥の体に、凶悪な人相をしたヒトの頭部を有する魔物であった。眼下の獲物を探すよう、群れを成して旋回していた。
その姿は、書物や衛士たちの話で見聞きした特徴と一致する。
「あそこに飛んでるの、オンモラキだよね」
献慈が指差す方を、澪も目を凝らし見る。
「んー……そうみたい。こちらから刺激しなければ襲っては来ないとは思うけど、一応警戒しておきましょ」
歯磨きを済ませたふたりは、そそくさと支度を終えた。
休憩所の脇には村の要石と同様、魔除けの波動を発する道祖神が祀られている。この場を離れれば、自分たちの力だけで身を守らねばならない。
献慈は会敵に備え、杖を握る手に力を込めた。
*
再び街道を進み出して間もなく、前方から近づいて来る人影を発見する。
方角からして村の祭りか湯治目当ての客だろう。家族連れらしく、子どもの姿もある。
「ちょっと心配だな」
上空を泳ぐオンモラキとの距離は、前を行く家族のほうが近い。仮に襲撃があるとすれば、距離も遠く武装しているこちらよりも、手近な子ども連れを狙うに違いない。
「献慈、今から仕掛けるけどいい?」
「いいよ。覚悟は決めた」
互いにうなずいて、開けた場所へ飛び出した。
澪が、懐から出した螺鈿細工の手鏡で日光を反射させ、魔物を誘い出す。
こちらに気づいた一匹が不快な鳴き声を上げながら降下してきたのを皮切りに、群れの仲間も続々と飛来する。
「私が相手するから。献慈は自分の身を第一にね」
鞘から刀を抜き放ち、澪は八相に構え敵を迎え撃つ。
「来なさい!」
言うが早いか、最初の一匹が真っ二つ。続く二匹目も澪は身躱しついでと斬り捨てる。
完璧に測られた間合い、淀みのない流れ。後続も次々と刃の下に屠ってゆく。
(まるで殺陣でも見てるみたいだ……おっと、逃がすか!)
献慈は飛び立とうとした一匹を発見し挑みかかった。杖が片翼を痛打しバランスを崩した隙に、澪が追撃をかける。
「〈一風〉!」
真一文字に疾った白刃が首を刎ねた。黒い体液を噴き出しながら、魔物は地面へと転がった。
どうやら今のが最後の一匹だったようだ。周囲を見渡すと、斬られた箇所に違いはあるものの、同じような亡骸が散らばっている。凄惨な情景だが、先行きを思えばこの程度で音を上げてる暇はない。
献慈は下腹にぐっと力を入れ、此度の立役者を振り返る。
「お見事、澪姉。すごかったよ」
「献慈こそ」柄を叩いて血振りする傍ら、澪が言った。「今の一撃もそうだけど、早めに発見してくれて助かったよ」
街道の方へ目を戻すと、先ほどの家族連れが無事休憩所までたどり着くのが見えた。一安心と言っていいだろう。
「ところで魔物の死体はこのまま――」
献慈は言いかけたところで、異変に気がついた。
魔物の亡骸が、傷口から流れ出た黒い体液へと溶け込むように崩れ落ちていく。
「なっ……! これって、一体……」
「黒膿のこと? それは魔物の素みたいなものだから。すぐに消えるし、危険もないから安心して」
淡々と澪が語るそばから、ドロドロに溶けた死体が次々と蒸発していく。消えて行った後には何も残らない。まるで始めから何もなかったかのように。
「本当に……消えた……この世界って、死んだらみんな消えちゃうのか……!?」
「そんなわけ――そっか、献慈は知らないんだね。魔物と人間は別だよ。何て説明したらいいかなぁ……」
澪は、狼狽える献慈に優しく説いて聞かせる。
「人や動物は自然から、魔物は混沌から生まれるものって認識が私たちにはあるの。実際この黒膿を見たら、普通の生き物とは全然別の存在なんだって、嫌でも思い知らされる」
「そう言われると……そうかもしれない」
戸惑いつつも受け入れようとする献慈に、澪はさらに説明してくれた。
トゥーラモンドの魔物は基本的に成長や繁殖などは行わず、その姿のまま〝いつの間にか、どこからか湧いてくる〟。
そのおぞましい見た目を指して〝混沌より出でしもの〟、〝混沌の落とし子〟などと呼ばれるようになったのは、必然なのかもしれない。
生まれる瞬間を見た者はいないにもかかわらず、確実にそれは存在し、消えてゆく過程まで目にすることができる。それが魔物だ。
極めて不気味で、不可解な生物。その象徴たる黒膿を思い出すにつけ、献慈の肌は言い知れぬ不安に粟立つのだった。
「けど、倒した証拠が残らないとか、かえって不便なこともありそうだ」
「それはホラ、物体として固着させる技能とかがあるし。魔物から採れる素材とか、烈士の人たちが集めたりするのに必要でしょ?」
「なるほど。先輩の話はためになるなぁ」
「でしょー? またいろいろ教えてあげる」
話を続けながら、ふたりは宿場町への道のりをさらに進んで行った。




