第10話 ひまわり(1)
飛虎節・十五日――例年どおり開催された、夏祭りの一日目。
ワツリ神社の境内は、村人たちと近隣から集まった旅行客による賑わいに満ちていた。
夕闇に浮かぶ提灯の列が、ずらりと建ち並んだ屋台を照らし出す。色とりどりの浴衣が行き交う光景は、普段見慣れた場所を非日常の異空間に変えている。
それは献慈にとって、高揚感よりも懐かしさを覚える風景であった。そこかしこから漂うザラメやウスターソースの匂いがそうさせるのだろう。
「たこ焼きがそんなに珍しいのか?」
そう尋ねるのは、仕事着である袴姿に杖を携えた柏木。
対する献慈は甚平に雪駄履きという、のびのびとした格好だ。
「その逆です」
「そうか。お前の故郷にもあるか。不思議なものだな」
「同感です。それにしても、こう人が多いと警備も大変そうです」
会場の中央に設営された舞台へ目をやる。旅芸人の一座が寸劇を披露する中、百人分はあろう客席はほぼ埋まっていた。
「旅立つ前の景気づけに、今からでも飛び入りしてはどうだ?」
「冗談やめてくださいよ」
献慈は数時間前、舞台の安全確認を兼ねてギターの弾き語りをお披露目していた。
その時は聴衆が顔見知りだけだったからよかったものの、さすがに祭り本番ともなれば勝手が違う。
「冗談に聞こえたか? お前は武芸より先に度胸を鍛えるべきと思うのだが」
打ち解けた仲となっても、柏木の憎まれ口は変わらない。
「今さら遅いですよ。明日には出発だなんて、まだ実感が湧きませんけど」
「感傷的になるのもわかるが、自信を持て。お前は守部として選ばれたのだからな」
遡ること一月前――宮司・大曽根の口から宣言された御子封じの再開は、村人たちに驚きと祝福をもって受け入れられていた。
御子付きの守部が年若き異邦人であったことは、さほど問題とはならなかった。御子本人の推薦に加え、宮司と衛士頭のお墨付きとあれば、表立って異論を呈する者がいようはずもない。
しかしそのことが、かえって献慈にプレッシャーを与えていたのもまた事実だった。
「……柏木さんは」
「何だ?」
「元々才能があって、そのうえ努力もしてきたから、そんなに自信が……」
献慈が言い終えぬうちから、柏木の顔つきが見る見る険しさを増していく。
なるほど、自分は卑屈に違いない。そんな煮えきらない姿勢をこの男がずっと嫌っていたのも、今となっては理解できる。
「言え。最後に愚痴ぐらいは聞いてやる」
「俺は……元の世界じゃ大して努力もしてこなかった、毎日能天気に暮らしただけの凡人で……それがいきなり武術だの、ご大層な能力まで手に入れて……今だって持て余してるぐらいなのに……」
愚痴どころか、これでは八つ当たりだ。半ばそう自覚しながらも、献慈は今とばかりに鬱屈した思いを吐き出した。
「ずるいですよね。守部だなんてみんなが羨む名誉を、借り物の力を振りかざした奴が、横から掠め取るような真似して……」
「……思い上がりだな」
静かにただ一言、言い放った柏木の言葉を、献慈は頭の中で反芻する。
(思い上がり……? 俺が……?)
「力を得る道筋にずるいも正しいもあるものか。どんな力を持っていようと何も成さなければ無意味だ。現にお前はまだ旅の一歩さえ踏み出していないではないか」
「……それは……」
「戦うだけならば代わりの人間などいくらでもいる。あの人の隣にいるべきがほかの誰でもなく、お前でなければならない理由が必ずあるはずだ。それを証明してみせろ、己の力と意志で」
懇々と述べ立てられる言葉に込められたものが、叱責ではなく激励であるとわかるにつれて、献慈の口元に笑みが湧き上がってくる。
「……はは」
「おい。人が真剣に話しているというのにお前はまたヘラヘラと……」
「柏木さんに励まされるなんて、以前の関係からじゃ考えられないですよね」
「フン、元をたどればお前が刃向かってきたのが始まりだろう。……あの時の気概を忘れるな」
柏木は背中越しに言い残し、雑踏の中へ紛れるように去って行く。
だが今、献慈を満たしていたのは取り残された淋しさなどではない。
(そうだよな……晴れの日に浮かない顔なんかしてられないよな)
むしろ、快く送り出された清々しさをこそ感じていた。




