第8話 一目置かざるをえない(2)
脱衣所から浴場へ移ると、一面タイル張りの近代的な銭湯が待ち構えていた。
そこはかとなく漂うレトロ感を除けば、さしたる驚きはない。献慈にとってはいっそ、隣に立つ男のほうが引っかかる存在だ。
「……ん? どうした」
「いや、何というか……堂々としてるなー、と思って」
手ぬぐいを首に掛け、筋骨隆々の裸身を余すところなく晒す柏木。
片や比べるべくもない貧相な体つきの献慈。両手で持った手ぬぐいは、男体の中心部をしっかりガードしている。
「お前こそ、お淑やかなことだな。それとも……カガ璃に迫られたのが効いたか?」
「ち、違いますって! というか、こうなるのわかってて連れて来たでしょ!?」
先ほどは明子のおかげで事なきを得た献慈ではあったが、カガ璃の強烈な色香は純情な少年にはちと毒だ。
「あいつならお前を気に入るだろうとは思ったが……初心者には刺激が強すぎたか」
(初心者って……まぁ間違ってないけどさぁ!)
気を使った言い方がかえって癇に障る。推定熟練者・柏木の後ろに続き、献慈はとぼとぼと洗い場についた。
「言っておくが、この村の女はどいつも押しが強いからな。はっきりしない男はたちまち主導権を握られるぞ」
「そっすか……どうせ俺は意志薄弱ですよ……」
石鹸の泡立つ音だけが物寂しく響く。
「しっかりしろ。小癪にもオレに挑みかかったあの闘志はどこへやった?」
(闘志……そうだ。こんな所でうずくまってる場合じゃなかった)
ついさっきまでいがみ合っていた相手に諭されるとは思いもよらなかった。献慈は本来の目的を思い出し、奮起した――メタラー独自の自己表現をもって。
「♪~ヘイッ! ヘイッ! ヘイッ アンッ キッル!!」
リズミカルな歌に乗せてゴシゴシと体を洗う。ともすれば頓狂とも取られかねない挙動であったが、意外にも柏木の受けは良かった。
「なかなか勇ましい歌だな。何という音楽だ?」
「え、今の? ヘヴィメタルっていうんですけど――」
自分の好きなものに興味を持ってもらえた――献慈が喜々として語り始めた、その直後であった。
「ほぅ。へびめた、というのか」
柏木の口から、おそらくは悪意なしに放たれたであろう〝ヘビメタ〟。だがそれこそは、メタラーに対する最大の禁句にほかならなかったのだ。
「違うよおぉ!! ヘヴィ! メタル! ヘッヴィー!! メットワォ!! だってば!」
「へ……へび、めたる……」
「そう! それは漢の中の漢の音楽ッ! 熱きアグレッションと様式美に彩られた空間で織り成されるめくるめくスペクタクルの中に渦巻く龍虎相打つがごとき闘争のインテンスが生み出す激情の果てにあえて悪を標榜し己のスタンスを明確に打ち出しつつ揺るぎなき信念を貫き通すことにより抑圧された魂を解き放つ、いわば反逆の――(以下略)」
「そ、そうか……」
興奮のあまりまくし立ててるのを、柏木は眉間にしわを寄せ、神妙な面持ちで耳を傾けてくれていた。献慈の中で密かに彼の株が上昇した瞬間でもあった。
「――って感じに……あぁ、すいません。俺ばっか一方的に話しちゃって」
「……気にするな。しかし手合わせの時といい、お前がここまで感情をあらわにするとは意外だった。お嬢さんの隣でヘラヘラしているだけの腰抜けかと思っていたのだが」
「それは否定しません。けど……澪姉の前で落ち込んだ顔なんて見せられませんから」
掛け湯を終えて湯船へ向かおうとした献慈を、柏木が呼び止める。
「……メタル、といったな」
「え? はい」
「お前の故郷で伝えられている音楽なのだな?」
その問いかけが本題への前触れとなろうことは、献慈にも察せられた。
「……やっぱり、わかっちゃいますか」
「今日の振る舞いを見ていれば、薄々とな」
「ですよね……さて、どこから話せばいいやら――」
頃合いである。献慈は柏木に、これまでの経緯をかいつまんで語って聞かせた。
肩を並べ湯船に浸かる。互いのわだかまりが湯の中に溶けていくかのような心地だ。
「ユードナシアか。なるほど異国には違いない」
縁に背中を預け、柏木は天井を見上げた。
「意外とすんなり信じるんですね。マレビトだなんて、普通の人は存在さえ知らないんでしょう?」
「そうだな。オレもそんな発想すらなかった――お前の持つ異能を目の当たりにするまではな」
一見して超常的に思えるトゥーラモンドの魔術や技能だが、実際はそのほとんどがこの世界の法則に基づいている。異能とは、そういった既知のメカニズムに当てはまらない術技を指す語である。
問題なのは、使い手である献慈自身にとっても、能力の出どころが謎のままであることだ。
「あの武術とか治癒の力も、俺自身が努力して得た力じゃないんです。いつの間にか使えるようになってただけで……」
「それで、オレに稽古を頼みに来たわけか。努力して力を身につけたことを、お嬢さんに認めてもらうために」
「えっ、あっ、いや……そう……なのかな」
「歯切れが悪いな。違うのか?」
「今のところは、その、澪姉とふたりだけの秘密というか……」
それで合っている。
何も間違ってはいないはずだ。
約束を交わしたこと自体は確かなのだから。
「……わかった。ならば理由は聞くまい。明日からでも稽古をつけやるから覚悟しろ」
「ありがとうございます」
「べつにお前だけのためではない」
「それは、やっぱり……澪姉の……」
「そうだな。お嬢さんは……オレの尊敬する方の大事な忘れ形見だからな」
柏木がこぼしたその言葉を、献慈は聞き流してはいけない気がした。
「それって、澪姉のお母さん……?」
「美法様のこと、知っていたのか」
身を起こした柏木は、真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「いえ、名前までは。たしか、烈士をやってたってのは聞きましたけど」
「美法……先生はご結婚を機に引退され、神社の運営とくに衛士たちの育成に尽力されていた。新月流剣術の師範であるのみならず、柔術や杖術にも通じておられたからな」
北の新月流、南の巳九尼流といえば、イムガイ剣術の二大流派として双璧をなす存在である――そう献慈に話してくれたのは澪だが、彼女の母親は柏木にとっても師匠に当たる人物であったようだ。
「そう聞くとやっぱり、すごく強い人だったんでしょうね」
「ああ。先生の武勇を前にしてはオレやお嬢さんはもちろん、村の衛士の誰もが赤子同然だった。美法先生はとても強く……そして美しい、オレの憧れの人だったよ」
立ち昇る湯気を凝然と見つめる柏木の眼差しは、いつになく物柔らかだった。
献慈は悟った。自分が長らく彼にきつく当たられていた理由を、どうやら取り違えていたのかもしれない、と。
「オレは……幼い時分から、勉学にも武芸にもそつのない子どもだった」
実際優秀であった柏木を、いつの頃からか周囲の者たちは、何でもできて当たり前だとそやすようになっていた。
皆、柏木の密かな努力や、抱えている悩みなど気にもしていなかった。
それは彼の両親ですらも同じだった。
「だが……美法先生だけは違ったんだ。オレが周りからの扱いに辟易していたときも――」
いじけて鍛錬を怠ったことを、美法はすぐに見抜いていた。
面と向かって叱ってくれたことが、ただただ嬉しかった。
ほかの誰もが指摘しなかったことにたった一人、気づいてくれていたのだ。
「叱ってくれただけじゃない。上達すれば、その努力を褒めてもくれた。先生はちゃんとオレを見てくれている――そう思えたから、オレは衛士として一人前になれたんだ」
故人を偲ぶ柏木の様子は物悲しさよりも、在りし日を想う慕情に満ち、幸福にすら見えた。
そう感じたのは、柏木だけではなく献慈も、相手に対して心を開いていたからなのかもしれない。
「ところでお前は……美法先生の最期については聞いているか?」
「御子封じの旅の途中で亡くなられたとは聞きましたけど、詳しくは……」
「そうか……しかし、御子封じについては知っているのだな」
「……あっ」
気を許したのが災いした。同時に、柏木の察しが良すぎたのもある。
「やはりお前はお嬢さんの守部となるつもりなのか――いや、答えずともよい。であればなおのことお前の力にならねばなるまい。それが先生の恩に報いることにもつながる」
「ありがとう、柏木さん」
「……さて、長話が過ぎたな。のぼせてしまう」
「そうですね。それじゃお先に――」
手ぬぐいを頭に載せたまま、献慈は湯から立ち上がる。
「……!」
「……? どうかしました?」
「いや……お前にはイチモ……一目置かざるをえないなと思っただけだ」
「……はぁ。それはどうも」
それからというもの、心なしか柏木の態度が優しくなった気がした。




