第52話 颯爽と立ち現れたる(3)
(『お友だち』って、俺やカミーユのことじゃないよな……?)
引っかかりを覚えつつも、振り返るのはためらわれる。
献慈がその答えを知るのは、さほど遠い未来ではなかった。
事実、百歩も進まぬうちに、答えはむこうからやって来た。
「ケンジ! ストップ! スタァ――ップ!」
後方からの声に、献慈ははっと顔を上げる。
(カミーユ? …………あっ!?)
うっかり視線を落としていたせいで、気づくのが遅れていた。前方から迫る、新手の魔物の存在に。
(今度は何だって……デカい骸骨!?)
視界の大半を占める、巨大な白骨の化け物が幻出しようとしていた。
ガシャドクロ――自重によって崩潰した下半身を引きずる姿は、まるで地中から這い出て来たかのようにおどろおどろしい。
「迂回するんだ!」「二手に分かれて!」
左右から、大曽根父娘が呼びかける。
献慈は咄嗟に、距離の近い大曽根とライナーのいる側へ逃れようとするが、
(なるほど、これで相手も的を絞れな…………くない!)
例によって魔物の狙いは一人の弱者に集中していた。
無造作に振り上げられた前腕骨の影が、献慈の全身にのしかかる。仮に自分ひとりが避けられたとして、ほかの二人に被害が及ぶのは必至だった。
(受け止めるしか……ないのか――)
覚悟を決め、杖を握る手に力を込める。
「来いやァ!! オラァアアアァ――――…………あ?」
大地を踏みしめた献慈の真横を、ガシャドクロの豪腕が不自然な弧を描いて通過する。頑強な拳骨が地をしたたかに打ちつけたが、範囲を外れていた三人ともに無事だ。
一体何が起こったのか――訝しむ献慈の方へ、たった今穿たれた地面のくぼみが、にじり寄るように移動してくるではないか。
不可解な出来事の正体を、ライナーがずばり言い当てる。
「今の術は〈空間歪曲〉……ということは――」
「やはり貴方たちか」
大曽根につられるよう、仲間たちも空を仰ぎ見る。
献慈の目に映っていたのは、武装した魔人族の男女二人組。
「お二人とも、どうしてここに!?」
その疑問に、ノーラはきっぱりと応じた。
「苦境にある友人らを見過ごせるものか。なぁ、シグヴァルド」
「おうよ――〈驚襲爆渦山〉ォオオッ!!」
矛槍を担ぎ、山なりの軌道を加速してゆく様は砲弾さながらであった。
シグヴァルドは灼熱渦巻く斧刃でガシャドクロの肩甲骨を打ち砕くや、献慈たちのもとへ鮮やかな着地を決める。
「ボーイズの危機に有給取って参上つかまつったぜ!」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「ここはオレたちが食い止め……おっと」
ガシャドクロが繰り出す片腕での反撃を、シグヴァルドは危なげなく防御する。
しかし、その屈強な体をしても数メートルの後退はまぬがれぬのを見て、献慈は己の軽率さを悟った。
(さっきの一撃……防御してたらヤバかった……?)
「チッ……ホネだらけのくせして大した重量だぜ。おい、ノーラぁ! きっちり援護しろよ~!」
「言われずとも――〈突破孔〉!」
崩れかけていたガシャドクロの片腕がねじれ飛ぶ。支えを失った上半身が横転し、献慈たちへの追跡は阻止された。
行くのであれば今だ。
「よぉし! 進めー、者どもー!」
カミーユがちゃっかり号令を下すのに続いて、献慈含む四人も速やかに戦場を離脱した。
目的地まで目と鼻の先というところで、またしても邪魔立てが入る。
「このまま突っ切る?」
「間に合わない。隠れながら進みましょ」
カミーユと澪が取り交わす向こうには、翼を大きく広げたイツマデが具現化を終えようとしていた。
見つからないうちにと、皆で林の方へ退避したまではよかった。
怪鳥が発するくぐもった鳴き声は、どうにも不穏な気配を感じさせる。
(詠唱……まさか、な)
「……まずい」カミーユが声を漏らす。「こっちが風上だ」
その意味を瞬時に理解する、彼女の相棒。
「そうか、匂い――皆さん、散ってください!」
ライナーの知らせは届かない。
なぜならば、すでに献慈と澪のふたりは、敵の発した術の効果範囲に囚われてしまっていた。
(ライナーさんが何か言っている……?)
異常に気づくのは容易かった。仲間たちの挙動、木の葉のざわめき、周囲のものすべてが、目まぐるしい速度で動いている。
耳に入る音もまた然り。
(速すぎて聞き取れない……というより、相対的に俺たちが〝遅くなっている〟――)
原因は明らかだ。魔力で作られた透明の膜が、付近を球状に覆っているのだ。
それは献慈にも見憶えがあった。
「この術は……〈停滞〉!」
「早く範囲外へ!」
並んで駆け出すふたりの前方に、頭上めがけて弓を引き絞る大曽根の立ち姿があった。
(まさか、もう追いついて……)
献慈は矢尻の向く先を仰ぎ見る。鋭い鉤爪が、嘴の内側に並んだノコギリ状の歯が、はっきりと見える距離まで迫っていた。
「献慈、伏せ……」
澪の指先が献慈の肩に触れる――よりも早く、両翼を射抜かれたイツマデが急停止する。
(――ん? 両翼……?)
術が解け、反動でスローモーションになった世界に差し込むのは、一条の――
「〈真木柱〉」
落雷のごとく急降下する十字槍が、巨鳥の全身を脳天から串刺しに貫き通していた。
颯爽と立ち現れたる若き偉丈夫こそ誰あろう、柏木権左衛門之丞であった。
「まずは一体か」
「か、柏木さん……だけじゃない――」
次第に元のスピードを取り戻してゆく景色の向こうに、献慈たちはいま一人の懐かしい顔を見る。
「ホラホラ、アンタの相手はここだよ!」
紅梅色の肌をあらわに、弩を構えた鬼人の女傑が、もう一体のイツマデを迎え撃っていた。
「カガ姐さんも来てたの!?」
澪が歓喜の声を上げる。
「あいよ。今片付けるからね……っと」
常人であれば全身の力を要するクロスボウの固い弦を、カガ璃は腕力だけで引き戻し、箭を装填している。その連射速度は敵に詠唱の隙を与えぬほどだった。
だったのだが。
「おや?」突如クロスボウが音を立て、真っ二つに破損する。「あれま。ちょいと力を入れすぎたかねぇ」
あっさりと武器を捨て去るカガ璃。その隙を突いて、イツマデがここぞと突進を開始していた。
「か、カガ璃さん、前!」
慌てふためく献慈に、澪はただ短く言い放つ。
「姐さんなら大丈夫」
その意味を、献慈は間もなく思い知るのだった。
「どりゃあぁああぁ!!」
衝突の間際、気合とともに突き出されたカガ璃の掌底は、イツマデの頭部を跡形もなく粉砕していた。
「え? …………え!?」
宙に取り残された胴体がびくりと跳ね上がった後、地響きを立てて地面に落下するのを、献慈は大口を開けたまま見つめるしかなかった。
柏木が言い添えた一言が全てだった。
「心配するだけ無駄だぞ。カガ璃はオレの数倍は強い」
「……そういうの……もっと早く言っといてくれません……?」
村を旅立ってから二ヵ月後に知った真実であった。
他方、合流したばかりのカミーユと澪が言葉を交わしている。
「うっひゃ~。あのお姉さん何者?」
「んー…………お風呂屋さん?」
「え? おたくの村人、戦闘民族ばっかしなん?」
「そんなことないと思うけど……」
そうこうしているうちに、噂のお風呂屋さんがのしのしと大股で歩み寄って来た。
「いや~、こんな時に邪魔が入るたぁ災難だったねぇ。アタシらも明子ちゃんから情報聞いてすっ飛んで来たんだよ」
「明子? ……あ、ひょっとして珠実さんづてで……」
澪は言いかけて口ごもる。いいかげん付き合いも長い献慈としては、今さらという気もするが。
そのあたりは柏木も、もはやおおっぴらに語っている。
「奴の一家も立場上、幕府の許可なく介入はできんからな。かといって、代理に自分たちの監視対象を差し向けるのもどうかと思うが……」
「固いこと言いっこなしさ。せっかくウチの中庭に〝転移げぇと〟を取り付けてもらったんだ。試してみない手はないだろう?」
楽しげなカガ璃とは対照的に柏木は、
「……こんな調子でな。オレはこの危険人物の見張り役だ」
呆れ顔ならぬ諦め顔を見せる。
ともあれ、目の前の問題は片付いた。武器を収めた大曽根が、助っ人たちにねぎらいの言葉をかける。
「二人とも、助かったよ。あとは我々に任せてくれたまえ」
「皆様方もご武運を。オレたちは……あちらへ助勢に入りましょう」
柏木が振り返る向こう、遠くではまだシグヴァルドたちが戦っている。いつしかガシャドクロも二体に増え、牽制を引き受けるノーラも忙しそうだ。
「頼みます」
献慈が言うと、
「それはこちらの台詞だ」柏木は囁くように言葉を託した。「今こそ先生の無念を晴らしてくれ」




