第51話 あの日誓った約束(2)
地元民からは妖怪屋敷などと揶揄される〝ゆめみかん〟。そう呼ばれる理由の一つとして、ここが長らく放置されていた廃寺を増改築して作られた宿であることが挙げられる。
かつては深沈たる風情を漂わせていたと伝え聞くこの裏庭も、木々は取り払われ、池は埋め立てられ、すっかり味気ないものとなって久しかった。
先週献慈が見た際にも、そこには石ころがわずかに転がっているだけの、もの寂しい風景が広がっていたはずだ。
ところが今はどうだろう。
(何か置いてある……?)
裏庭の中央付近には、何やら見慣れぬ物体が設置されていた。
畳二畳分ほどの大きさの石版――目を凝らしてみると、その表面にはオカルトじみた魔法円のような紋様が描かれている。
「ふむ……するとやはり……が、鍵となるか……」
話し声のする方を見やれば、三人の人物が立ち話をしている最中であった。
うち二人はカミーユから聞いたとおり、絵馬と無憂である。その間に背を向けて立っている長身スーツ姿の女性が何者であるかは、状況的におのずと察せられた。
大曽根をこの場所まで転移させたのは彼女に違いない。
「ノーラさん!? やっぱり……いや、どうしてこんな所に!?」
「うん? 少年よ、ちょうどよいところへ戻ったな」
こちらの驚きなどお構いなしに、ノーラ・ポッキネンは常と変わらぬ調子で歩み寄って来た。
それと前後して、絵馬と無憂が、
「本当ですね。では献慈さん、あとはよろしく」
「某も失礼する」
開放感に満ちた面持ちでそそくさと立ち去ってゆく。
「元はと言えばあなたが見境なく女性を口説いたりするから……うっかり天狗渡のことまで口を滑らせてしまうなんて……(ネチネチ……)」
「誠にかたじけない……」
背中越しに、無憂を責め立てる絵馬の小言が炸裂していたが、献慈はそれどころではない。
「あっ、あれ? ノーラさん、大曽根さんの送り迎えで来てくれたんじゃ……?」
「うむ、それはついでの用事だな。我がこの宿まで赴いた、主たる理由だが――これだ。おぬしに借りを返しに来た」
そう言って、ノーラから封筒が手渡された。
「あぁ……あの時の」
ナコイの海岸から転移させてもらった直後、財布を忘れたノーラに、献慈はいくばくかの金を貸したのを思い出した。
「(どうして宿泊先知ってんのかは聞かないでおこう……)急いで返しに来なくてもよかったのに」
「いや、そうもゆかぬ。友人同士、金銭の貸し借りが常態化するのは不味かろう」
(俺、友だちとして認識されてたんだ……)
「それに……万が一『カラダで返してくれ』などとせがまれたら、我とてちょっぴり困ってしまうのでな」
「い、言いませんってば! そんなこと」
つい頭に浮かんでしまった想像図を、献慈は慌てて振り払う。
「まぁ、仮にそうなったらシグヴァルドのカラダで肩代わりしてもらうつもりだが」
「それあんまり肩代われてないです……」
想像図は速攻で上書きされた。
噂をすれば影が差す、とはよくいったもので、
「あぁ? 何かオレの名前が聞こえたんだが……」声のした方を振り向けば、「おぅ、誰かと思や可愛い子ちゃんじゃねぇか! 久しぶりだなァ」
前開きのシャツから、たくましい大胸筋を覗かせた色男――シグヴァルド・ユングベリ本人の登場であった。
「あ、どうも。シグヴァルドさんまで、こんな場所で何してるんですか?」
「何だァ、ノーラから聞いてねぇのか。転移ゲートだよ」
その言葉だけを取れば唐突に思えるが、
「ゲート? ……あー、何となくはわかりましたけど」
先ほどから目についている、魔法円付きの石版を合わせ見れば、おおよその推測は成り立つ。
このような不審物を所有するにそぐわしい女性と、それを運び込むにふさわしい体格をした男性が、目の前に雁首を並べて突っ立っているのだから。
「さすがは少年、察しが良いな。双方向転移ゲート――我が長年の研究がようやく形になりそうなので、急遽この場へ運び込ませてもらったのだ」
「そんなことだろうとは思いました。搬入先がこの場所である必要性はさておき」
「なるほど、たしかに必要性はない」
(ないのかよ!)
「しかしながら必然性はあるのだ。その発端となった出来事を語るとしよう。あれは二日前、我がこの宿を訪れた日に溯る――」
(あっ……これ長くなるやつだ)
献慈は今さらながらに、去り際の絵馬たちが見せた表情の意味を理解する。
ただし今は、ストッパーとなりうる人物が居合わせているのが救いだ。
「要約するとだ、天狗の兄ちゃんの話がゲート完成のヒントになったらしくてよ、オレも巻き込まれてアレコレやらされてる最中ってわけだ」
先んじて説明を終えたシグヴァルドを、ノーラが鋭くねめつける。
「むぅ……それでは言葉足らずにも程がある。我が取り掛かろうとしているのは自動補正シークエンス確立に向けた術式の精査であり……相対座標の即時的な割り出しの必要性を鑑みて……然るに個体認識の煩雑さを回避しうる方法論の構築を……(ブツブツ……)」
問わず語りを続けるノーラを捨て置くようにして、
「しっかしこのオレを差し置いてノーラを口説きにかかるとは、天狗の兄ちゃんも物好きな男だぜ。オレのほうがこのトンチキよりかトークも上手ぇし、諸々のテクニックだって断然……」
シグヴァルドもまた独自に愚痴り始めたのは、なお一層たちが悪い。
(俺は何を聞かされているんだろう……)
興味のない話を強制的にステレオ視聴されられる地獄のような時間から献慈を救ったのは、裏庭への新たな来訪者である。
(あの子は――)
つかつかと小股で歩み寄って来たのは、狐耳の少年。胸の前で大事そうに抱えた木刀には、干字で〝影羅図烏〟と刻まれている。
「献慈、さん……お、おかえり、なさい」
「ただいま、ジェスロくん」
献慈があいさつを返すや、地獄コンビの視線がジェスロの方へ移る。
「おぅ、どうしたボウズ。立派なモン持ってんじゃねぇか」
今でこそ献慈も慣れっこだが、筋骨隆々のシグヴァルドが放つ威圧感は、子どもにとっては脅威に違いない。
「ひぁっ!? あ、あぅ……」
膝をガクガクと震わせるジェスロを見て、ノーラは相方に侮蔑の眼差しを送った。
「シグヴァルド、貴様……このようないたいけな少年まで毒牙にかけようと……」
「いやいや、『立派なモン』っつたら木刀のことに決まってんだろうがっ! 誤解させるような言い方すんな!」
普段は鷹揚さを崩さぬこの男が慌てふためく様はなかなかに珍しい。
とはいっても、ジェスロを怯えさせたままでは双方とも不憫なので、献慈は助け舟を出してやることにした。
「大丈夫だよ。このお兄さん、(意外と)怖くないから」
「恩に着るぜ……可愛い子ちゃん」
「フン、人騒がせな奴め」
「どっちがだよ!?」
放っておくとまた諍いが始まるため、献慈はノーラたちの仲裁に入らざるをえなかった。
「二人とも抑えて……ジェスロくんはお庭まで遊びに来たのかな?」
献慈が優しく尋ねると、ジェスロはおずおずと口を開いた。
「え、えぇと……よ、よんでくるよう言われたので……」
「ほぅ」ノーラが声を上げる。「我がくれてやった本をもう読んできたというのだな」
「えっ……あ、あの……」
明らかに困惑ぎみのジェスロを、ノーラはお構いなしに自分のペースへと巻き込む。
「どの部分が童の興味を引いたであろうな……思うに中盤の〝三友神と三貴神〟の項などは比較神話学的にさらなる考察の余地が――」
「その項目……」
「おお、やはりそうか」
「正しくは〝イムガイ神話における三貴子と三友神〟っていうタイトルで二七八ページからなので、かなりこ、後半のほうだったと、思い……ます」
ジェスロの指摘を受けたノーラの両目が、かつてないほどに見開かれた。
「な……んだと……お、おぬし! どこまで詳しく記憶しているというのだぁああっ!!」
「ひぇえっ! ごっ、ごめんなさい! せ、正確には憶えてないんですけどっ、星の守護者で剣神・知識の神でもある主神【天御佩刀大神】が【学士】、太陽と山の神で技芸を司る【天御音延日大神】が【墨客】、工芸と月の神で酒神も兼ねてる【天御津杯大神】が【工匠】に、それぞれ対応してるんじゃないかっていう内容で、と、とっても印象深くって……」
「…………」
「あ、あと、二九一ページからの【工匠】の神話モデルが、モンデント族の伝承に登場する月の使者【シャルパンティエ】とか、東の果てに住む翼人の一派・ポポレック族の神話におけるトリックスター的存在【青首の男】にも類似してる点とか……」
「…………」
「その前の一五四ページにある、サルウィスムス教会の『神』がしばしば【凪の巨神】と同一視されたり、同じく『神』の代行者である救世主が【工匠】と比較される存在なことだったりも、お、面白いなぁって、思い……ました」
「き…………記憶力ゥッ!!」
ノーラは突然そう発すると天を仰ぎ、大きく身をのけぞらせながら垂直に跳躍した。
(驚きを全身で表現しているッ……!!)
「マジか……こいつぁ驚いたな」
シグヴァルドも率直に驚嘆をあらわにする。
しかしその様子さえも、興奮にあえぐノーラに比べれば、いたって冷静そのものに映った。
「童よ……その類いまれなりゅ頭脳を活かし、ぜぜっ、ぜひぃ我が研究の助手としてぇ働いてはくれぬぅだろぉかぁ……ッ!?」
「ふえぇ……そ、そんなこと、急に言われても、ボクぅ……」
開ききった瞳孔を突きつけて詰め寄られるジェスロの恐怖はいかばかりか。木刀を握る手が小刻みに震えている。
(まずい! ノーラさんを止めないと……シグヴァルドさん!)
献慈は協力を求めてシグヴァルドへ渾身の目配せを送る――が、返ってきたのは、
「んンッ!」
熱烈なウインクだった。
(ダメだぁ! 通じてないッ!)
絶望の後に訪れるは、はたして希望なのか。
「――待てやコラァ!!」
前触れもなく現れた、小さな丸メガネをかけた鬼人の少女が、ジェスロとノーラとの間に立ちはだかる。
このような芸当が可能なのは〈縮地〉の使い手――当宿の料理長こと葉若蘭にほかならない。
「何しとんねん、このメガネ女……って、ワシもメガネ女やないかーい」
「料理長さん! ……と――」
もう一人、人にあるまじき速度で庭を突っ切って来たのは、同じくこのゆめみかんを切り盛りするエルフの女将・スピロギュリア――通称・ピロ子である。
「――女将さんまで?」
「オマエタチがぐ……ずぐーずーしてーるーダーカーラー、さーがーしにーきーたー」
ピロ子は時間操作を用いた急加速の反動で、動きがスローになっていた。
ともあれ、この状況を前にして献慈は得心する。
「あぁ、ジェスロくんが『よんでくるよう言われた』って……」
「おやつの時間やさかい、アンタらこと呼び行かしてん。そらそうとオネエチャン、勝手にうちのスタッフ引き抜かんといてもらえるかー?」
若蘭が注意すると、思いのほかノーラはおとなしく身を退いた。独自の移動術を我がものとする彼女も、おそらくは転移ゲートの件に一枚噛んでいるとみえる。
「す、すまぬ……童には今回の件に限って協力を仰いだつもりであったのだが……」
「(なしくずしに連れ去りそうな勢いだったけど……)にしてもピロ子さんたち、よく許可しましたね。こんな、あ――」怪しい物体を、と言いかけて改める。「アバンギャルドなもの、いきなり裏庭に設置するなんて」
献慈の予想とは裏腹に、女将たちの反応はあっけらかんとしていた。
「んー……ま、ええんとちゃう?」
「そうだナ。ナンダカ面白そうなのダシ」
(えぇ……そんなんでいいのぉ……?)
献慈は、頭では理解していた。基本的に長命な種族ほど些事には頓着せず、かつ退屈を嫌うため好奇心が旺盛な傾向があることを。
とはいえ、そんな面々ばかりが一堂に会するのも考えものだ。
「ハハッ、可愛い子ちゃんは慎重派だなァ。仮に失敗してもノーラの奴がケツ持ちしてくれるってよ。安全機構が働くんだっけか?」
「うむ。万が一転移エフェクトが暴発した場合、余剰エネルギーはすべて我に跳ね返り、強制的に亜空間へ引きずり込まれるよう細工してある。最悪でも使用者の身の安全は確保されるゆえ、安心めされよ」
頼もしくも真顔で言い放つノーラ。ちっとも安全でない気がするが、たしかに彼女ならば亜空間からも自力で戻って来られそうな安心感はある。
「そ、そうですか……でも身体はお大事にしてくださいね」
「痛み入る。しかし随分と待たせてしまったようだ。いざ皆の衆、おやつを馳走になりに参ろうではないか」
「おうよ!」
元気よく呼応するシグヴァルドを見て気を許したか、
「お、おぅー」
ジェスロも表情を和らげこれに従う。そうなれば、献慈としてもこの場にとどまる理由はないに等しかった。
(俺もさっさと行くとするか……)
疲れきった脳に甘いものが染みる、午後三時であった。
*
献慈たちが帰館した翌日、一同はライナーの口から改めて報告を耳にした。
「――以上、予定どおり討伐作戦は決行されます」
ヨハネス・ローゼンバッハ討伐の先遣隊――メンバーは以下五名。
大曽根澪。リーダー、五等烈士。
入山献慈。同じく五等烈士。
カミーユ・シャルパンティエ。四等烈士。
ライナー・フォンターネ。三等烈士。
大曽根臣幸。ワツリ神社宮司、元・三等烈士。
「ってーかオジサン、烈士の資格持ってたんだね」
「その昔、妻の付き添いであちこち旅をしていてね。とっくに期限は切れているんだが」
客観的に見て、『眷属』を相手取るに戦力不足の感は否めない。
単純に人数を増やせばよいというものでもないし、寄せ集めの強者よりも、気心の知れた者同士での連携が有効だと考えるにしてもだ。
「私たちに討伐の機会が巡ってきたこと自体、いろんな巡り合わせが手伝ったおかげなのかもしれないね」
先遣隊とあるとおり、名目上の役割は斥候である。後方に陣を敷く本隊へ敵の情報を持ち帰ること――それが作戦本部から言い渡された最優先事項だ。
とはいえ、任務中〝不慮の事態〟に遭遇し、対象に接触・交戦に至る可能性は充分に考えられる。
そして〝万が一〟、討伐そのものを完遂させる結果になったとして、誰にも咎められるいわれはないはずだ。
「俺たちがすべきことは変わらないよ。みんなで生きて帰って来る――それだけだ」
それからは瞬く間に一週間が過ぎていった。
やるべきことには事欠かない。五人での戦術を練るのはもちろん、各自で技や魔法の最終調整へも入念に取り組んだ。
献慈は、槍術の心得があるシグヴァルドの協力を得て、杖による攻守の精度を突き詰めていく。
澪は、『眷属』との戦闘経験も豊富なジオゴからアドバイスを受けつつ、繰り返し組太刀を行う。
カミーユはシルフィードとの連携を、機動力に長けた絵馬を相手に、より確実なものへ仕上げてゆく。
ライナーは、水虎である瀞江から教わった呪歌の知識を取り入れ、呪楽の奥義を実戦レベルに落とし込むことに務める。
大曽根は、無憂の法術と若蘭の道術の助けを借り、魂振の術式をより強固なものへと昇華させようとしている。
気がつけば、決戦の時はあと数日のところまで迫っていた。
お読みいただきありがとうございます。
次章、ついに決戦、そして決着。
どうぞ最後までお付き合いください。




