第45話 入れ違い(3)
一路パタグレアへ。
それは献慈が思い悩んでいたのが嘘であったかのような、目まぐるしい展開だった。
その日のうちにゆめみかんの皆へ報告と相談をし、翌日には旅支度を進める。出発はさらに翌日と相なった。
月を跨いで、暦は十月・幻狼節。
柔らかな朝日に照らされたゆめみかんの庭先に、各自の荷物を背負った献慈と澪が肩を並べていた。
旧都に残留する仲間たちの見送りを受けながら。
「ライナーさん、改めて感謝します」
「いえ、いいのですよ。僕が持っていても仕方のないものですし」
献慈の手にした封筒には、ライナーから譲り受けたチケットが入っている。
以前にナコイの福引きで当選した、イムガイ・パタグレア間の往復乗船券および宿泊券である。
「そうそう。ここはウチらに任せて、ミオ姉たちはゆっくり婚前旅行楽しんで来なって」
「婚っ……!? あ、遊びに行くんじゃないんだからねっ!」
「わかってるって。そんな焦んなくて大丈夫だからさ」
カミーユも気休めだけで物を言っているわけではない。
事実、ヨハネスの足取りはいまだ不明なままであった。標的に動きを悟られぬよう、幕府は隠密を放って各地の港を張らせているが、目撃情報は無し。島内で活動中の烈士からも組合へは有力な手がかりは届いていない。
追う立場としては歯がゆいが、逆に考えれば作戦開始までの時間はまだまだ残されているともいえる。
「ヨハネス……この島のどこかに必ずいるんだろうけど」
澪の瞳に宿るのは静かな闘志だ。仇敵との遭遇時に見せた、身を焦がさんばかりの激情は――少なくとも今は――そこにはなかった。
「半月もの間やり過ごすとなれば、相応の土地勘はあるのでござろうな」
紅葉模様の小袖を着た無憂と、
「人さらいとやらの一件で、より慎重になっているのもあるかもしれませんね」
清楚なスカート姿の絵馬が、それぞれの手にロープの束を携えて、献慈たちのもとへ歩み寄って来る。
「どのみち今日明日で作戦開始たぁなるまぁ」
最後にやって来たのはジオゴであった。
「さ、持って行きんさい」
そう言って託された手紙の口には、マシャド家の家紋――二丁斧の刻印で封蝋が施されていた。
数分後、献慈は港へ向かって飛んでいた。
比喩ではない。
(速い――!)
献慈の両足は宙を漕ぐばかりであり、
(高い――!)
眼下にはさざ波立つ磐湖の絶景が広がっている。
(そして――怖い!)
「大丈夫ですか、献慈さん。揺れませんか?」
頭上から絵馬が呼びかける。
背中のスリットから生えた黒い翼を、悠然と羽ばたかせていた。
両肩から腰にかけて装着したロープの先には、献慈の座る板と、念のための命綱もつながれている。
ブランコに乗って秋の空を翔ける、といえば聞こえは良いが、その心中はロマンティックとはほど遠い。
「(下向くから怖いんだよな……うん。上見よっと)だいじょ――ほぅあぁっ!!」
急停止。激しく揺れるブランコ、必死にしがみつく献慈。
浴びせられる怒声。
「コレェ! こっちゃ覗ぐんでねっ!」
「だっ、断じてそんなつもりは……っていうか短パン穿いてるんじゃなかった? カミーユがお勧めしたって……」
「ほーいう問題でねぐってよぉ! 下から見らっぢゃら恥ぁずかしべしたぃ!」
「そ、それはそうだよね……面目ない」
「んだべハァ、〝でれがしー〟の無ぇ……オホン。ま、まぁ、わたしも急に揺らしたりして申し訳ありませんでした」
ひとまず冷静さを取り戻した絵馬の様子に、献慈もほっと胸を撫で下ろす。
「うん……やっぱさ、澪姉のほう乗せてけばよかったんじゃない? 女子同士で」
「初めはそう思ったのですが、澪さんはその何というか……重量的に――はぅあっ!!」
「なるほど。たしかに俺のほうがだいぶ軽い――」
納得の声を漏らす献慈の背後から突如、強烈な威圧感が押し寄せてきた。
「私の重量が、何ですって?」
振り返らずともわかる。同じく無憂の吊り下げたブランコに乗った澪が、こちらに追いついて来たのだ。
「――あがっ!! え、えっと……に、荷物っ! そっち、まとめて持ってもらってるからさ! お、重くないかな~、っていう」
飛行に用いる力の大半が霊力であるにしても、筋力がまったくの無関係というわけでもなく。
無憂の恵まれた体格を前に、献慈のでまかせは愚問にすぎる。
「某のことならば問題はござらんよ。して絵馬、こんな場所で立ち往生とは、鳥にでも邪魔をされたか?」
「いやハァ、さすけねさすけね! 日ぃ暮れっぢまうがら、早ぐ行ぐべハァ!」
無憂の心配を尻目に、絵馬は急発進する。澪の視界から一刻も早く逃れようとする意思がひしひしと感じられた。
「(まだ朝っぱらなんだけど……)そんなに怯えなくても。澪姉、言うほど怒ってないと思うけどなぁ……多分」
「多分、とかいいですから……自分だって慌てていたくせに」
「うぐっ……おっしゃるとおりで」
気の休まらない高所で、争い事はできるだけ避けたいもの。後ろはもちろん、下を向いても、上を向いても地獄なのだ。
献慈は正面の空を見つめながら、気を紛らそうと歌を口ずさむ。
「♪~ハーゥリンザースカーイ イッスクリーミンアゥトゥフラーイ」
「それは……話に聞くユードナシアの流行り歌ですか?」
「(流行り歌っていうか、一発屋……)まぁ、そんなとこかな。絵馬は歌とか歌ったりしないの?」
「……ケンカを売っているのですか?」
絵馬の淀んだ声のトーンに、献慈はそれとなく事情を察した。
(俺と同類か……いや! 俺は音痴じゃないぞ! ピッチとリズムだけは合ってるし!)
「……何か失礼なことを考えていませんか?」
「かっ、考えてないよ? ところで絵馬たちって、このあとはどうする予定?」
「このあと? そうですね……モダンなお洋服選びも楽しいのですが、近頃流行りの御召とやらを試着してみたく……」
話を逸らしたまではよかったが、絵馬の返事は献慈の質問の意図とは別方向へと脱線する。
「それもいいけど、どのぐらい人里に滞在するのかなーって思ってさ。あんまり長いこと天狗の里に帰らないのも何だろうし」
言い改めるも、やはりその答えは常人の予想からは逸脱していた。
「調査の件でしたらご心配なく。軽く十年ほどで済ませるつもりですよ」
「長ッ! 人間目線だと〝十年ひと昔〟って、わりと軽くないからね。ファッションとか街並みとか、けっこう変わっちゃうと思うよ?」
「何とっ!? まったく、無憂の言うことはいいかげんですね。これは計画を練り直さねばなりません」
愚痴を並べつつ、絵馬は翼を広げ滑空してゆく。
目指す先はもうすぐだった。
「見て見て! 海だよ!」
澪のはしゃぐ声を聞き、献慈はおそるおそる視線を下げる。
徒歩ならば数時間はかかる道のりをひとっ飛び、やって来たのはグ・フォザラ港である。
船着き場に浮かぶ最新鋭の高速船が、献慈たちを待ち構えていた。




