第44話 青春は一度きり(1)
大きなテーブルの上に、ネギが、キャベツが、ニンジンが、所狭しと積んである。料理長・若蘭の背負いカゴいっぱいに入っていた野菜たちだ。
「短縮術式――〈停滞〉」
女将の詠唱に呼応して、魔力の半球が野菜の山を覆っていく。時間の進みを遅らせる術である。
若蘭は、魔力球がじんわりと空間に溶けてゆくのを見届けて、
「よっしゃ。ほいじゃ、ゆめみかん名物新鮮お野菜、貯蔵庫まで持ってくでー」
「は、はい」
ジェスロとともに野菜をザルに載せていく。
「あー、ニンジンな。そっちは山久菜園ので、こっちが露結菜園のやから、間違えんようにな」
「わ、わかりましたぁ」
二人が去ると、女将はエプロンを翻しながら献慈たち四人の方へ向き直る。
「お待たせしたネ」
〝ゆめみかん〟の女将・スピロギュリア。両児からの情報によれば、齢二百歳を超えるエルフである。一見して澪と同年代か、化粧っ気がない分、より一層若く映る。
「それで、預かって来たお手紙なんですが……」
献慈が封筒を渡そうとすると、女将は打って変わって渋い表情を見せた。
「リョージ……」
「千代田両児さんからです」
「知ってるヨ。さっきも聞いたネ」
女将はひったくるように封筒を受け取った。素手で破いた封筒の口からテーブルの上へ札束が滑り落ちるも、彼女は一顧だにせず手紙を読み始める。
「フムフム…………ハァー…………ンー…………ンァッ!? …………ム、ムムム……!」
「……あのぅ……」
「まったくもーォ! あのヒョウロクダマーッ! どんだけヒトサマに迷惑かければ気が済むヨー!」
柳眉を逆立て喚き散らす女将の様子に、献慈は狼狽した。
「なっ、何が書いてあったんですか?」
「オマエカーッ!?」
「えっ!?」
「オマエだナ!? リョージが、オマエタチに危ないのトコロ助けてもらった、書かれてた」
「そうでしたか」
「あと、お礼にオマエタチ、タダで泊めてやってくれのコトも、書いてあった」
「それはどうも――」
「でもヤダ!」
「!」
「ゆめみかん、経営ギリギリ! そんな余裕ないのコト、アイツわからない! バカ! よってオマエタチ、泊まりたいだったらお金払う! ……あ、でも少しだったらまけてあげなくもない」
「あ、ありが――」
「あと! コレは仕送りだから、ワタシもらう」
女将は素早く札束を引っ掴み、手紙と一緒にエプロンのポケットへ仕舞った。
さて、そうなるとわからないのは、彼女と両児の関係性である。
「あの、スピロギュリアさん……」
「ンァ? ワタシ名前、たぶん言いにくいだから、ピロ子とかでいいヨ。リョージもそう呼ぶだし」
「ピッ……? ピロ子、さん、と両児さんってどういう……」
「アイツ、元ダンナ」
「へぇ、そうで…………はあぁっ!?」
献慈の理解が本格的に追いつくのには、今しばらくの時間が必要だった。
一方、澪たちも献慈ほどではないものの、みな一様に目を見張っている。
「うぅ……何となくそんな感じはしてたけど」
「マジかよ~。あのオッサンも隅に置けないなー……って、『元』か」
「カミーユ、失礼ですよ」ライナーだけは冷静だ。「ひとまず用件は果たしました。両児さんのご厚意は気持ちだけ頂いておくとして、僕たちは一旦引き上げるとしましょう」
彼の提言に従い、一行は帰り支度を始めた。
献慈も、散らかりっぱなしの頭をむりやり玄関へ振り向かせようとする。
そこへスピロギュリア、もといピロ子が立ち塞がった。
「そうはいかないダヨ! ここでオマエタチ帰したら商売人の名折れネ。ウチの敷居を跨いだからには、力ずくでも泊まってってもらうヨ」
「えぇ……」
「さっきも言っただけど、お金はちゃんと置いて行けナ」
「……ですよねー」
グ・フォザラでの逗留先が決定した。
*
夕食時を迎えた〝ゆめみかん〟の食堂。三脚あるダイニングテーブルの席は、あらかた埋まっていた。献慈たちも含め、十数人はいるだろうか。
目の前に置かれたどんぶりを満たす料理が、思いがけずも献慈の郷愁を呼び覚ます。
醤油ベースのスープに浸った太ちぢれ麺、周りを彩るは海苔にメンマに刻みネギ、桃色チャーシュー。
「これはまた……懐かしいな」
「献慈は知ってるの?」
うん、とうなずくも、インスタントではないラーメンにありつくのは実に久しぶりだ。最後に家族と外食に出かけたのは、一体いつになるだろうか。
(焼きそばが存在するんだし、これもまた然りではあるな)
「そっか。何だかお蕎麦に似てるねー。いただきま~す」
麺を啜りだす澪の箸は止まらない。無邪気な笑顔が眩しく染みる。
「いただきます」
湯気に曇る眼鏡の感覚も、もう忘れてしまったかのようだ。
胸に去来する感情は単なる淋しさだけでもない。食事を共にする親きょうだいはもういないが、賑やかな仲間たちならばここにいる。
賑やかというには、いささかうるさすぎる仲間たち。
「これは非常に完成度の高い料理ですよ。大豆のまろやかな甘味と小麦の香ばしい風味とが織りなす通奏低音の波間に漂うネギの鮮烈な辛味がアクセントとなってモチーフの輪郭を克明に浮かび上がらせる一方で、深みを帯びた魚介の出汁と付け合わせの海苔との親和性は気心の知れた連弾奏者のように計算され尽されながらも決して過度な見せびらかしをしない抑制の効いたパフォーマンスを展開する、その陰では隠し味となる陳皮が非和声音のごとく心地よい緊張感をもたらしており、さながら上質な室内楽の小曲を思わせますね」
味見もそこそこにライナーが語り出していた。
カミーユは表情険しく対抗する。
「さすがはフォンターネのお坊ちゃんだ。しかし部分的に同意しかねるねぇ……まずは麺に関してだが風味もさることながら、イリヤマ氏言うところの多加水麺とやらのモチモチした食感はこの料理のコンセプトの主軸たりうるものとして無視すべきではないだろう。次にネギについてだがこれはスープに用いられた獣骨の臭みを中和する役割が主であるし、隠し味と言うならタレに潜ませたドライトマトをこそ挙げるべきだ。その陳皮にいたっては香味油の素材としてむしろ積極的に向こうを張っているように思えるがどうかね?」
「なるほど、これはご指摘痛み入ります。常に増して五感が冴え渡っていますね」
「ふっふっふ……てか御託並べてねぇでさっさと食えやぁ、猫舌ァ!」
「ぅわちちっ、熱ィッ!」
カミーユに無理矢理レンゲを突っ込まれ、ライナーは熱さにのたうち回った。
(あの二人……何やってんだろ)
あきれ返るのは献慈ばかりではない。ライナーの対面に座ったピロ子は、別の観点から冷ややかな視線を浴びせている。
「まったく、情けないの男ネ。仕方ないだから、ワタシがフーフーしてあげるネ」
「(辛辣……と思いきや意外と優しいな)ここの料理長さんって、普段からこういった珍しい料理を作るんですか?」
「ンー、若蘭は研究熱心ヨ。ウチの家族、ミンナ好みうるさいだから、重宝してる」
「家族……」
献慈は今一度、両隣のテーブルを見渡す。
食堂に集った面々の、多様性に満ちた顔ぶれ。献慈たちを除いて、そのほとんどは少数種族――獣人種の者たちだ。
澪にも負けぬ勢いで食事にがっついている女性は、西洋では比較的ポピュラーなイヌ科の獣人・ガルー族であった。
隣に座るスーツ姿の小洒落た男性は、立派な二本の角とあごひげが印象的なヤギびとだ。
反対側のテーブルではタヌキびととヒツジびとの男女カップル、ウサギびとの女性が談笑している。
離れた場所で一人、盃を傾けている男性は竜人族。脇には長大な刀を携えており、いかにも用心棒といった佇まいである。
同じテーブルに背を向けて座っているのは、頭巾を被った女性だろうか。顔は窺えないが、スカートからは鳥類に似た脚が伸びていた。
そして近くを見やれば、キツネびとのジェスロ、鬼人族の若蘭、エルフ族のピロ子が仲良く並んでいる。
「ソー。家族みたいなものネ。ワタシがお母さんで、お父さんは……若蘭カナー?」
「何でワシやねん! そこは両児でええやろがい!」
「ヤダ。あの甲斐性ナシがお父さん、認めない」
「はぁ……ゆうても、アイツがみんなをゆめみかんまで連れて来たんは事実やろ? 良い悪いはさておき」
「(連れて来た……?)両児さんって今もここを出入りしてるんですか?」
献慈が要領を得ないでいると、若蘭はピロ子に代わって事情を明かしてくれた。
「いんや。両児とピロ子が別れたんは六年も前や。最後に会うたんは四年前――ジェスロを連れて来た時なるなぁ」
グ・フォザラは保守的な都である。
かつて貴族文化を築き上げたヒトと、宮中の警護を担ってきた鬼人族とが上流階級であり、それ以外の種族は二等市民であるという意識が――表面には出さないものの――いまだ根強い。
新市街の建設を境に、さまざまな民族の流入が増加した。
彼らは開発事業の労働力として都市の発展に貢献したが、計画が安定するにつれ次第に居場所をなくしていった。
その中には職を追われ、故郷へ帰る手立てを失った者も数多い。
無関係ではいられなかった、ということなのだろう。
夫婦で宿を切り盛りしていた。
両児はその当時から度々、行き場のない獣人らを招いては部屋に住まわせ、宿代がわりに店の手伝いを頼むこともしばしばだった。
それはやがて常習化し、一般の宿泊客を遠ざける現状にもつながった。
妖怪屋敷の誕生である。
「ワシら兄妹も両児とは飯屋で知り合うてん。兄貴は独り立ちして、ウスクーブの〝文兎楼〟で働いとるわ。もう十年は前になるなぁ……あの頃はまだここも宿屋呼べる代物やった思うわ。いつの間にやら下宿屋みたいなってもうてんけど」
しみじみと語る若蘭の横で、ピロ子は複雑な表情を浮かべている。
「笑い事じゃないヨ。これも全部リョージのせい。ウワサ聞きつけて、次から次へと住み込みやって来る。完全にタマリ場になってる」
今いる母屋の周りには、渡り廊下でつながれた離れがいくつかあり、それぞれ数部屋に区切られている。言うまでもなく、その大半は常駐者たちの生活の場となっていた。
「そんなん言いつつ、きっちりお世話するんよなぁピロ子は」
「当たり前ネ。ワタシ、みんなのお母サン!」
得意げに胸を張る女将と、その頭を優しく撫でる料理長。そんな二人を眺めながら、献慈は箸が止まっている自分に気づいた。
(おっと、思わず和んでしまった)
「何や、献慈ちゃんもピロ子にフーフーしてもらいたいんか?」
「い、いえ……そういうわけでは」
澪がいる横でそれをされるのは問題がありまくりだ。これ以上冷やかされないようにと、献慈は急いでラーメンを啜りだす。
「美味そうに食いよるわ。ま、実際美味いんやけどな。っちゅうか、美味いやろ?」
若蘭が上機嫌で尋ねてくる。
「はい。ラーメン、すごく美味しいです」
「ほうかー……あれ? ワシこの料理『ラーメン』言うたやろか?」
「(……あっ!)え、えっと……たまたま、知ってまして」
今さら素性をごまかす意味があるとも思えなかったが、献慈は反射的にそう答えてしまっていた。
「そない有名なっとったんか。いや……ゆうてもワシが若い時分再現したモンやしなぁ。広まっとんのもありうる話かぁ」
「再現? ですか」
「昔の知り合い――えらい遠いとこから来はった人やねんけど、故郷の味や~ゆうん教えてもろてん。残念ながら先日亡くならはったんけどな」
若蘭は天井を見上げつつ、往時に思いを馳せているかのようだった。
(仮にその人がマレビトだったとして、俺がここに存在してるってことは……そういうことだよな)
マレビトは同時に二人以上は存在できない――キルロイの言葉が真実ならば、献慈はその人物とは出会う可能性すら持ちえないのだ。
だが今はそういった哀愁よりも、この一杯のどんぶりがつないでくれた縁が、ただただ得難いものに思えてならなかった。
「感謝しないとですね。その方に」
「そやなぁ……あぁ、ちょうど息子さんが明日訪ねて来るよって、迎えのモン行かしたとこや。いっぺん会うてみたらどないやろか?」
「俺たちとですか?」
「キミら今度の『眷属』討伐に参加するんやろ? 実は今言うた息子さんも名乗り上げとるんよ」
「ってことは、その人――」
どんぶりを置く音がする。スープまで飲み干した澪が、清々しくも闘志を漲らせた面持ちを仰がせていた。
「烈士なんだよね? 私、会ってみたい」
討伐作戦の枠を巡る競争相手だ。澪が奮起するのもうなずける。
(マレビトの……子ども……)




