第39話 エキゾチック(1)
進み出たうちの一人は、とても大柄な人物であった。ライナーの身長をゆうに上回っているだけでなく、筋骨隆々とした逞しい体つきをしているのが、着物の上からでもありありとわかる。
体格以上に献慈の目を引いたのは、その異様ないでたちにあった。
背中に大きく広げられた白い一対の翼。そして、
「て……天狗……?」
長鼻の付いた異形の仮面の下から、
「左様。天狗にござる」
古武士然とした雄々しい声が発せられる。
男は面のほかにも頭襟と結袈裟を身に着けていた。ここに錫杖でも加わろうものならば、献慈の知る山伏の格好そのものといえた。
「間の抜けた言い草ですね。品位が疑われますよ」
うら若き女性の声――もう一人の人物が、極めて落ち着いた調子で問い返してきた。
やはり修験者の身なりをしていたが、顔を覆う面は嘴の付いたカラスのような造形だ。背に生えた黒色の翼も手伝い、烏天狗といった風貌にそぐわしい。
背丈は、連れの男に比べてもかなり小さい。ちょうど訝しげな目を向けるカミーユと同程度であった。
「開口一番、間抜けって……まずは素顔ぐらい見せたらどうなの?」
「あなた方に言ったわけでは――」
烏天狗は不満げに肩を怒らせるが、すぐに大天狗がフォローに入る。
「初対面の相手に顔を晒さぬのは、我らの礼儀でもあるのだ。どうか許されよ」
男は意外にもあっさりと面を外す。その下から現れたのは、日に焼けた肌に、凛々しく精悍な顔つきをした美男子であった。
「おうっ……!?」
目を見開いてのけぞるカミーユを、男の赤茶色の瞳が真っ直ぐに注視していた。
後ろを結んだ髪は一見黒々としていたが、陽の光を通すと血のように赤く見え、神秘性や畏怖といった感情を呼び起こさせる。
「某の名は無憂と申す。此度は各々方を不必要に驚かせてしまった件、改めて詫びさせていただこう」
「あっ、そのー、あたしはべつに気にしてませんので、どうぞお構いなく~」
露骨に態度を豹変させるカミーユを、献慈含め皆が冷ややかに見つめる。
それは相手方も例外ではない。
「フン。無憂に色目を使うとは……ふしだらな女ですね」
サンディブロンドのお下げ髪を揺らし、烏天狗の面が取り払われる。
きりりとした太眉、灰色の瞳を宿した目つきは鋭く、強い意志を感じさせた。その反面、木漏れ日に透き通る頬の産毛や、小さく整った目鼻立ちは見るからにあどけない。
「何だとォ!? ガキんちょのクセしやがっ――」
いきり立つカミーユの横を、目の色を変えた澪が物凄いスピードで駆け抜けてゆく。
「かぁっわい――ぃっ!!」
「……なっ!?」
憐れ天狗の少女は、瞬時にして澪の腕の中へ抱きかかえられていた。
「何ですか、いきなり……人里ではこれが一般的な挨拶なのですか?」
抱擁と頬ずりの過剰接待を身に受けながらも、小天狗は存外冷静な対応を見せていた。
「そうだよっ! う~ん、ホント可愛い……ちっちゃい天狗さんだぁ~。あなた、お名前は何ていうの? 私は澪っていうんだけど」
「……絵馬です」
「そっかー、絵馬ちゃんっていうのね? こっちは私の恋人の献慈で……きゃっ! 恋人って言っちゃった! それでねそれでね、こっちが吟遊詩人のライナーでー、こっちがカミーユでー、シルフィードでー……」
澪のハイテンション自己紹介に、さしもの絵馬も徐々に表情を曇らせる。
「あの……ご好意は有り難いのですが、そろそろ離してくださいませんか?」
「あっ、ごめんねぇ」
翼をばたつかせる絵馬を、澪は名残惜しそうに手放した。
「子ども扱いは癪ですが、まぁいいでしょう。それより……無憂はなぜ黙って見ているのですか?」
「澪殿といったか。今の早駆けの妙技といい、絵馬を捕まえた手並みといい、実に見事でござった」
「何を感心しているのですか。まずは我々が出向いた目的を告げなければ」
「おお、そうでござった」
無憂は姿勢を正すと、手に持った天狗面をもう一方の手と合わせ、押し潰す仕草を取った。小さく煙のようなものが上がった後、仮面は跡形もなく消えていた。
「しっかりしてください。今回の調査はあなたが頼みの綱なのですから」
次いで絵馬も同様に自分の面を煙に変え、手の中へ吸い込んでみせる。
皆、声こそ出さぬまでもそれぞれに目を丸くする。まるで手品か幻術かといった手並みだが、献慈は【リヴァーサイド】で出会った人物を思い出し、自然と笑みがこぼれる。
「そちらの御仁は〈天狗隠し〉を見ても驚かぬのだな」
不思議そうにこちらを見る無憂に対し、献慈はどう答えるべきか考えたが、先にライナーが口を開いたためそれっきりとなった。
「ひょっとして収納魔法の一種なのでしょうか」
「魔法というよりは、天狗の業と言うべきやもしれぬが……そのあたりについては追々話すとしよう。まずは某どもの素性から知らせるのが筋というもの」
無憂は事を促すよう絵馬に顔を向け、彼女もそれに応じる。
「我々は南の山中にある天狗の集落〝阿曼荼の里〟より、人の世の変遷を調査する目的で派遣された者です。こうしてあなた方に接触を図ったのは、何と申しますか、偶然もあるのですが……」
「近くで転移術の反応と精霊の召喚反応を立て続けに感知したがゆえ、無視するわけにもいかなかった――それがまず一つでござるな」
(どう考えても俺たちのことだよなぁ……)
そう思ったのは献慈だけではなかろうが、あえて話の腰を折ろうとする者は誰もいない。
「もう一つの理由ですが――あなた方は半月ほど前にもこの近辺を散策されてはいませんでしたか?」
「あー、あれは御子封じの旅で通りがかった時――」
澪が事情を述べるのを、天狗たち二人、とくに無憂は興味深げに耳を傾けていた。
「はて……ミコホウジとは、どこぞで聞いた憶えがござるなぁ」
「今は廃れちゃってるけど、昔はもっと広い地域で行われてた風習らしいから、天狗さんたちが知ってても不思議じゃないかも」
「なるほど。里の長老たちから耳にしたのやもしれぬな」
はたと膝を打つ無憂を、絵馬が横からたしなめる。
「無憂。早速話を逸らさないでもらえますか?」
「これはすまぬ。絵馬よ、続けてくれ」
「では、単刀直入に言いましょう。献慈さんとおっしゃいましたか、あなたはマレビトでらっしゃいますね?」
なるほど、実に単刀直入だ。天狗の眼力はまず確かだと思われる。それ以前に相手が身を明かしている以上、こちらだけが素性を偽るのも礼を欠く。
仲間たちを見渡した後、献慈は正直に答える。
「そのとおりです。ひょっとして半月前、空に隠れていたのは……」
「はい。やはりお気づきだったようですね。わたしの一存で接触するわけにもいかず、あの場は失礼いたしました」
「いえ……でもマレビトを知っているということは、貴方がたの里にも存在が伝わっているんですね?」
献慈の問いに、今度は絵馬がうなずいた。
「その昔、里に流れ着いたマレビトがいたそうです。何でも、一切の魔力を用いずに物体を離れた場所へ移動させたり、白い翼を自在に出し入れすることができたとか」
(まるで手品師だ……というか、実際そうだったのかもしれないな)
「流れ着いた」という言い方がマレビトの寄る辺なさを物語っているようで、献慈はどことなくうら悲しさを覚えた。
「我々が使う〈天狗隠し〉も、そのマレビトの業から着想を得たものだといいます。そんな経緯もあって、阿曼荼の里とマレビトとは何かと縁が深いのですよ」
「こうして出会ったのも巡り合わせでござろうと、勝手ながら参上つかまつった次第。ついては各々方、我々を近くの人里までご案内くださらぬだろうか」
無憂に次いで、絵馬も頭を下げる。
「なるべく、でよいのですが……大きな町のほうが有り難く……。この服装では殿方……いえ、人前に出るのに差し障りがありますので、できればもっと〝もだん〟な服を調達できればと……」
言葉を詰まらす絵馬の視線が、うつむき加減にライナーの方を盗み見ている。
当の本人は気づいているのか否か、普段と変わらぬ調子で応対していた。
「今のエマさんもエキゾチックで魅力的ですが、現代的な装いもきっとお似合いになるのでしょうね」
「あぇっ!? い、いぎなすほだこど言わっちゃら、わ、わだす……」
声を上ずらせ、動きをせわしなくする絵馬に、無憂が軽く茶々を入れる。
「ハハハ……絵馬は面食いでござるからなぁ」
「無憂っ! わたしはそのような浮ついた理由で来たわけでは……」
一連の受け答えを黙って観察していたカミーユが、何かに感づいたようにほくそ笑む。
「へ~ぇ……ほぉ~ぅ……」
「な、何です? 木こりの真似事ですか?」
「べつにぃ……真面目な小天狗ちゃんも、意外と『ふしだらな女』であらせられますなぁ~、って思っただけですがぁ?」
煽り立てるカミーユへ、絵馬は感情を露わに詰め寄った。
「わだすっ……わたしはっ! あなたと違って色目など使っていませんがっ!?」
「そっかなぁ~? あたしらに近づいた目的って本当は――」
「――ふぬッ!」
電光石火に繰り出された絵馬の手が、カミーユの頭の角を鷲掴みにする。
「のぉあァ~っ!! ツノはぁ~! ツノはやめるだよォ~ッ!」
「リコルヌは一角獣を崇める高潔な民だと聞き及んでいましたが……とんでもない下衆が紛れ込んでいたものですね……!」
涙目で懇願するカミーユを、絵馬は怒りの冷めやらぬ形相で責め立てる。
「やれやれ……絵馬もその辺りにしておきなされ」
事この期に及んで惨状を見かねた無憂と、
「もう、カミーユったら、ケンカしちゃだめだよ?」
澪によって、チビっ子二人組は速やかに引き剥がされた。
「あ、あたしのォ……まだ誰にも触らせたことない純潔のツノがぁ……」
「大袈裟な人ですね。さんざん傍若無人な振る舞いをしておきながら、自分が責められた途端、この有り様ですか」
両肩を押さえられたまま愚痴る絵馬に対し、両脇を抱え上げられたカミーユは足をばたつかせながら言い返す。
「うるせー! テメェから焚きつけたんだろ! くぉの、ちんちくりんがっ!」
「んだどォ!? おめぇもそだに変わんねーべハァ! 蹴っぽらっぢぃがァ!!」
「あぁ!? 背中の羽全部むしってやんぞ!? コラァ!!」
「ズロースぁぶっづぁいでケヅメド晒してやっぞぃ!!」
おそろしく低レベルな悪態のつき合いはなおも続いていた。
このままでは埒が明かない、と献慈は思ったものの、ライナーもシルフィードものんびり静観するばかりで、介入しようとする気配はみられない。
「(俺が行くしかないのか……)あの~……そろそろ話を進めてほしいかな~、なんて思ったりして……」
しぶしぶ前へ進み出た献慈を、全員の視線が出迎える。
「あっ、いや……急かすとか、そういうつもりじゃなくてですね……」
「わかっていますよ」と、絵馬。「見なさい、カミーユとやら。あなたのせいで献慈さんが困っているではありませんか」
「いいんだよっ。ソイツ、あたしの舎弟みたいなもんだし」
「なぬっ! 澪さんの恋人であり、カミーユの子分でもあるとは……現代人とはこれまた複雑怪奇な三角関係を取り結ぶものなのですね……まさに新しい秩序……」
「ま、待った! それ、本気にしなくていいからね! デタラメだから!」
献慈は大慌てでカミーユと絵馬の間に割り込んでいく。もしここに、後ろで手ぐすねを引いているシルフィードが加わったなら、さらなる混乱に巻き込まれるのは必至だ。それだけは何としても阻止しなければならなかった。
「まあ? どうやらわたくしが口を出すまでもなかったようですね」
「(あぶねー……間に合った)いやさ、このまま放っとくと話進まないじゃん?」
「なるほど。献慈様は事態を進展させることをご希望でらっしゃるのですね?」
「えっと……シルフィード?」
面食らう献慈をよそに、シルフィードは場の中心に身を乗り出す。
「ときに皆さま、ここは裁量を澪様に委ねてはいかがでしょうか? 此度の件で立ち向かう敵は、誰より澪様にとって最も因縁深き相手であります。それに、舵取り役が不在では今後も何かと不便がございましょう」
唐突に理知的な意見を打ち出してみせるシルフィードを前に、献慈は驚愕の色を隠せない。
(シ、シルフィードが滅茶苦茶まともなこと言ってる……!)
ただ、内容そのものは至極納得がいった。事実、この短時間ですらパーティの野放図ぶりは目に余るものがある。
以前のようにワツリ組と烈士組、いい意味での距離感を保っていた状況と今とはわけが違う。ヨハネス討伐を見据えた協力の方針を早々に固めるべきだ。
「ミオ姉がリーダー? いんじゃね?」
「僕も異論はありませんよ」
カミーユに続き、ライナーも賛成の意を示す。
そして本人は、
「私は……献慈さえよければ」
「俺はいつでも澪姉の味方だよ」
「私りーだーやるぅ!」
即決だった。
(マジか……俺、責任重大だな!)
今後、澪に対しての発言はより一層気をつけるよう、献慈は心に誓った。
一方でしばらく蚊帳の外へ追いやられていた無憂は、一行の様相を目の当たりに疑問の声を上げる。
「はて? 某は初めから澪殿が束ね役と思っていたが、決まってはおらなんだか?」
「はい……っていうか私、どんなふうに見られてたの?」
小首をかしげる澪に、無憂は迫真の面持ちで語りかける。
「まず澪殿は装いに華がある」
「えっ? そ、そうかなぁ……えへへ」
「それでいて力強く、体格も良い」
「ちから……う、うん……」
「そして何より物怖じせぬ。まこと豪傑の心ばえにござる」
「…………。……あ、ありがとう」
複雑な表情を浮かべつつ、澪は抑揚のない声で謝辞を述べた。
(全部当たってるのでフォローしづらい……)
献慈は介入を断念した。
「それでは改めて――澪さん、我々を人里まで同行させてはいただけないでしょうか?」
再度申し出る絵馬に対し、澪は気を取り直したのち承諾する。
「もちろん、それは構わないけど……でも私たちが向かうのって、キホダトとは逆方向だよ?」
目指すオキツ島へは、首都イムガ・ラサの港から渡る手筈だ。それには前回の道のりと同じく、まずは峠を越えて、手前のウスクーブの町を経由する流れとなる。
以上の旨を手短に伝えると、天狗たちは静かに顔を見合わせていた。
思いついたように、やがて絵馬が切り出した。
「それならむしろ好都合かもしれません。あなた方が、我々の知る近道を通る用意があればですが」
「近道って……もしかして、『天狗渡』のこと?」
はっと問い返す澪を、皆が一斉に振り返った。




