表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マスク越しのキス  作者: 瀧純
本編
6/20

06. すごく仕事ができる人

 ――あっという間に最初の4日が過ぎて、次の週。7月に入ってからが梅雨本番とでもいうように、毎日雨が降り続いていた。私は少しずつ仕事にも慣れて、会ったことのない社員さんもいなくなって……そして、わかってしまったことがある。

 マスクをしていない人は、会社内で1人だけ。例のボサボサ社員・片桐さんは、何故か私のシフトの時に毎回必ず出勤していた。伯父さんですら、週に何日かリモートワークしていると言っていたのに…どうしてもマスクをしたくないなら、そういう人こそ家で仕事した方がいいのに!髭が長くても飛沫は飛ぶし、いつも何か口に咥えてるし…!この人さえいなければ、広々した部屋で1日に片手で数えるほどの社員さんとしか会わないし、ビルは24時間換気システムだし、比較的安全な職場だと思うのに…!!

 もちろん初日に、どうしてあの人がマスクを付けないのか昭伯父さんに聞いてみた。答えは「うちで入荷したマスクを渡そうとしても絶対に受け取らない」からで、理由は伯父さんにもわからないみたいだったけれど、少なくとも病気や体質が原因でマスクができないというわけではないらしい。相当私の顔に絶望が出てしまっていたのか、伯父さんはいつものように優しく笑うと、

 「ごめんな、周は複雑な家庭で育ったから、ちょっとひねくれてるところがある。でも仕事はうちで一番できるし、根はすごく真面目でいい子なんだ」

 と教えてくれたけど……はっきり言って、それはマスクを付けないでいい理由にはなっていないと思う。この人がもし仕事の後に居酒屋なんかに通っていたとしたら、私を通して家族がコロナに感染するかもしれないんだから、どうしたって他人事ではいられない。私は自分が少しずつ焦りを募らせているのに気付いていた。

 けど確かに、片桐さんはすごく仕事ができる人のようだった。私が入力している書類でも、片桐さんの判子を押されて入荷してくるマスクの量が一番多いことぐらいはわかる。というか、他の人が「社長に判断を仰がないと」とかって言っている時も、普通に自分の判子を押して書類を流したり、酷いときには伯父さんの席で伯父さんの判子を勝手に押しているのも見たことがある。初めて見た時には、犯罪を目撃しちゃったんじゃないかとドキドキしたけど…他の社員さんが言うには日常茶飯事で、伯父さんもいつも笑って許しているらしかった。

 それだけじゃない。片桐さんは…なんというか、怖い人だった。初めて会う社員さんはみんな私に挨拶してくれたけど、初日の「どーも」以降、あの人とだけは話したことがない。私は歓迎されていないというか、存在を認識されていないというか…ひょっとしたら、嫌われているのかもしれない。


 「ああああああ!これ…やっちまった……」


 その時、突然小崎さんの大きな声が聞こえて私の肩が跳ねた。両手で顔を覆っている小崎さんのデスクに最初に近寄ったのは…片桐さんだ。ひょいと画面を覗き込んだかと思うと、


 「バーーーーーーーカ、さっさと変更かけろ」


 私は椅子から落ちそうなほど驚いた。ここは会社で、大人の社会人が、同僚の人に向かって、バカって言ったりすることなんて、ある…?!

 「わーってるよ、すぐ電話して……」

 「早くしろ、とりあえず俺ぁここの予備持って現地向かう」

 「え、どうしたの?」

 今日出勤のもう1人のおじさん社員・滝元たきもとさんが机にやってきた頃には、もう片桐さんはジャケットを掴んで部屋から出て行くところだった。

 「中央店に今日納品分が間に合わなくなってたのに連絡忘れてて、明日開店時の分が欠品してます…」

 「あー中央はお客さんも殺気立ってるからね…片桐くんに任せて、君はすぐ電話だね」

 小崎さんが電話に向かうと、よっぽど私が不安そうな顔をしていたのか、滝元さんが苦笑いしながら話しかけてくれた。

 「大丈夫だよ、もう片桐くんがフォローに行ってくれたから」

 「…そうなんですか……」

 確かに即断即決で出て行って、もう影も形もない。…その事実がじわじわと効いてきて、私はもう一度驚く。片桐さんて、同僚を助けたり、するんだ…?!

 「あいつは社会性ゼロってかマイナスだけど、仕事はちゃんとしてるんだよ。口悪いし、見た目もあんなだから誤解されやすいけどね」

 「は、はい……」

 「取引先に微妙な嘘ついたり、仕事できない人にハッキリできてないってリテイク出したりするから」

 「それは………まずいのでは…」

 「でも、調整役とか憎まれ役とかっていうのも、会社には必要だから。…なんて、オッサンが余計なこと言っちゃったな、ごめんね」

 「……いえ…………」

 滝元さんもそうだけど、片桐さん以外の人はみんな私にすごく良くしてくれていて、その人たちが彼を必要だっていうなら、きっと…そうなんだろうとは思う。今目の前でその事実も見たし。

 ―――でも、それとマスクを付けないのとは別だ。

 学校では、マスクをしていなければ教師も生徒も校内に入ることさえできない。外せるのだって体育と昼食の時だけだ。マスクや消毒なしで出歩く人たちのせいで感染は広がり、日本は緊急事態宣言発令にまでなった。卒業式も入学式も体育祭も、修学旅行さえなくなった。高校生の私たちはさすがに耐えられても、小学校や幼稚園だって同じことになっていて、本当に可哀想だと思うし……私たち子供がここまで我慢して頑張っているんだから、大人にだってきちんとしてほしいと思うのは当然だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ