3. チュートリアルイベントⅡ
「山田さん、早く走れ!」
よろめきかけた花子の手を掴んで引っ張る。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
荒い息をつきながらよたよたと走る花子に、思わず溜息をついた。
「キキキッ」
後ろから蝙蝠型のシャドーが追って来る。
逃げ切れていないことを鑑みると、恐らく俺たちは『逃げる』に失敗したのだ。
ゲームでは、敵とのバトルが展開された時に『逃げる』というコマンドがある。
回避不可能な戦闘以外、フィールドで敵と出会った時など、『逃げる』のコマンドを選択できる。
しかし、その成功率はパーティーメンバーの平均レベルに左右される。
敵よりも平均レベルが低ければ逃げることのできる確率が下がる。
そして、花子のレベルが十一なのに対し、シャドーのレベルは三十だ。
レベルがない俺はコマンドの成否判定に含まれないから、大体『逃げる』に失敗すると見ていいだろう。
くそ、花子が足を引っ張る。
逃げずに戦うという手もあるが、面倒臭いし、なにより面白味がない。
シャドーを倒したとしても、レベルアップすることのできない俺は経験値を得ることができず、何もやっていない花子が経験値を総取りすることになる。
これが攻略対象のような美少女だったら積極的に経験値を献上していたが、悲しいかな、山田花子はどうしようもなくモブ陰キャなのだ。
全く意欲が湧かない。
それに、魔法を行使すれば魔力が消費されるし、何より疲れる。
というか、『疲れる』ってなんだよ。
ゲームの世界の癖に、疲労という要素を搭載しなくてもいいじゃないか。
全く、割に合わない、
しかし、シャドーから逃げられない現状、俺は戦うしかない。
気は進まないし、シャドーが3Ⅾでリアルだから怖いし、戦いたくない。
「クソッ!」
突然、前方からシャドーが飛び出してきた。
――挟撃された。
「山田さん、伏せろっ――【炎の盾】」
火属性中位魔法で咄嗟にシャドーの攻撃を防ぐ。
「くっ――」
刹那、衝撃が身体を襲う。
何かが身体から抜け落ちていくような虚脱感が俺を襲い、少しだけ足がふらついた。
「な、七瀬君!」
ちっ、レジストに失敗した!
前方を見ると、中空を魚が飛んでいた。
クソが、えらが付いてるくせに何で平気なんだよ。
ていうか、魚が空飛ぶな。
ポップしたステータスウィンドウを見ると、レベルは40、そして水属性だった。
水は火に勝る。
恐らく、あの魚型のシャドーは水属性中位魔法で攻撃し、俺の火属性中位魔法に勝ったのだ。
自分のステータスウィンドウを見ると、少しだけHPが削られていた。
魔法抵抗や魔法練度はAである俺の方が高い。
もしそれらが拮抗していたか、相手が勝っていたら、俺は少なくないダメージを食らっていただろう。
ぎょろりと動いた魚眼が俺を見下ろす。
心臓が、冷たい手で掴まれた気がした。
「彼の者の業を糧に裁きの炎が下される【業火ノ戦鎚】」
不意に落とされた声と共に、辺りが一瞬にして燃え盛る炎に包まれた。
炎の塊が目の前のシャドーに突き刺さり、突如、塵となって消えた。
「なっ…」
炎の熱さを感じる暇もなく、終わった戦闘に戦慄を感じ、思わず振り返った。
後ろに迫っていたシャドーの姿もなく、そこにいたのは――
「――っ」
俺は慌てて顔を背けた。
心臓がばくばく鳴って止まらない。
こつこつこつ、と足音が近付いて来て目の前で止まった。
「おい、大丈夫か?って、お前怪我してんじゃねーか」
真紅の髪の毛が俺の頬に触れる感触がして、俺は無理やりその人の方に顔を向けさせられた。
健康的な小麦色の肌に、燃え盛る炎のような髪。
そして、勝気そうな赤眼が俺を真っ直ぐに捉えていた。
咄嗟に目を逸らしてしまったことは仕方がない。
それほどまでに、美しかったのだ。
俺はこの美少女を知っている。
彼女は俺たちより一年先輩の三年生で、火属性の――攻略対象だ。
「おい、腕見せてみろ」
彼女にひりひりと痛む右腕を掴まれて、しぶしぶ傷を見せる。
制服は溶け、露出した肌が焼け爛れたようになっている。
「ほら、回復薬だ。飲めよ」
回復薬の瓶の口を無理矢理口に突っ込まれ、俺はただ彼女に従ってその中身を飲むしかなかった。
すると、すぐに爛れた肌の痛みはなくなり、欠けていたHPバーが元に戻った。
「あ、あの…助けてくれて、本当に、ありがとうございました」
立ち上がった花子が彼女にお礼を言う。
「いや、礼はいい。先輩のあたしが後輩を守るの当然のことだろ」
そう言って、彼女は制服を押し上げる豊かな胸を張った。
ああ、先輩キャラの胸が大きいのは不変の法則なんだなぁ。
眼福、眼福…エロないけど。
姿勢を直した花子は彼女の胸を見ると悲しそうな表情をした。
「あたしは三年の天海炎華。お前達は?」
って、なんでこの人がここにいるんだよ!
炎先輩が主人公の前に姿を現すのは、序盤の最後だったはずだ。
いや、俺が主人公よりも先に彼女と出会ってしまっただけか。
もしかしたら、ゲームの展開とは全く違う展開になってしまうのかもしれないと考え、恐ろしくなる。
「あ、あの、わたしは…ええと、その、あの、うん…山田花子、です。こっちが七瀬彩人君です」
あっけに取られていた俺に変わり、花子が答えた。
「あっ、七瀬君はすっごく強くて、わたしをシャドーから助けてくれたんです!」
いや、別に強くないし。
『常在戦場』のパッシブスキルで庇っただけだし。
だが、そんなことは露知らず、炎先輩は目を見開いた。
「へぇ、やるじゃん。お前、雰囲気はぱっとしないのにガッツあるな」
平然とディスられた。
まあ、陽キャにとっては陰キャなんて路傍の石程度の存在か。
客観的に見れば、象が蟻んこを踏み潰した程度のことなのだろう。
クソッ、攻略対象とは言え、NPCのくせに。
「ってか、なんか喋れよ二年」
一度も口を開かない俺に向かって、炎先輩が言葉を掛けた。
彼女の声に思わず反応して顔を向けると、紅い双眸に見竦められて身体が硬直する。
目、でか!
肌がめちゃくちゃきめ細かい。
唇がつんと飛び出て、もう、あり得ないほど可愛い。
えっ、まじ…。
今更だけど、目の前の人攻略対象じゃん。
画面越しでしか見たことがなかったが、今はリアルに目の前に顕現している。
…というか、この人三次元じゃん。
現実離れした容姿だが、れっきとした『動いて触れる』キャラクターなのだ。
まあ、触らないけど。
「――っ!」
ここで俺は残酷な事実に気が付いた。
三次元の美少女とどうやってコミュニケーションを取ればいいんだ。
は、話しかけるのか。
この俺が?
いやいや、無理だ。
俺は現実世界でも、ゲームの世界でも、生粋のコミュ障だ。
可愛い女の子と面と向かって話すなんてもっての他だ。
眩しすぎるその顔が自分に相対していると考えただけで、背筋がぞぞっとする。
コミュ障陰キャの俺が紡ぐ言葉は変じゃないだろうか。
いや、絶対笑われるに違いない。
そうなったら、もう俺は立ち直れない。
そうして俺はずっと、他人と言葉を交わすのを避けてきた。
言葉を交わさなければ、会話が生まれない。
会話が生まれなければ、会話の仕方が分からない。
そして、俺は他人と会話をするのを避け続け、コミュ障陰キャになってしまったのだ。
「あっ、あの…七瀬君はシャドーと戦って疲れているんじゃないかなぁって…」
口をぱくぱくさせながら言葉を発しない俺を見かねたのか、花子が助け舟を出した。
「まぁ、いっか。ここで立ち話もなんだし、早く皆と合流するか。行くぞ」
炎先輩は俺に対する興味を失ったのか、身を翻して歩き出した。
「あっ、あの…七瀬君、大丈夫?」
俺の少し斜め後ろを歩く花子が、遠慮がちに聞いてきた。
「ああ」
すぐ前を美少女が歩いているせいか、俺はモブ陰キャの花子にすらまともな返しができない。
というか、さっき花子は普通に炎先輩と会話していたよな。
花子、お前コミュ障じゃなかったのかよ。
NPCにできて、俺にできないって、本当に情けない。
だが、つつがなくゲームを進行させるために、NPCに会話機能が備わっていたとしても何ら不思議ではない。
そもそもこの世界のNPCたちは超高性能のAIが搭載されているかのように振舞っているし。
そう、だから花子が会話できるのは当然なのだ。
俺は花子に負けたわけじゃない。
花子は友達がいない陰キャだ。
すなわち、あいつは俺と同格…。
「ええと、な、七瀬君…。た、助けてくれて、あ、ありがとう」
不意に、そんな声が後ろからして、俺は後ろを振り向いた。
花子が俺を見上げ、心なしか頬は紅く染まり、その目はうるうるしているように見える。
はぁ、その言葉は俺が主人公になっていた時に、攻略対象から言われたかったよ。
モブ陰キャからではなく。
俺は少し溜息をつくと、花子に歩調を合わせて隣に並んだ。
「俺が花子を庇ったのは咄嗟に身体が動いただけだし、クラスメイトを守るのは当然だろ。それに、先輩が来なければ危なかった。その言葉は俺じゃなくて先輩に言ってくれ」
それでも花子は、俺を見上げて。
「ううん、やっぱり七瀬君はすごいよ」
彼女は真っ直ぐな言葉を躊躇いもなく言う。
なんか調子狂うな。
―――――
炎先輩は圧倒的だった。
道中襲い掛かってくるシャドーを属性問わず、その燃え盛る炎でばったばったと薙ぎ倒した。
だが、俺以外の人は属性が固定されているから仕方ないのかもしれないが、屋内で火魔法を使うのはおかしいのではないだろうか。
それに、炎先輩は序盤の最後に登場する攻略対象だけあって、既に強力な上位魔法が使えるようだ。
火属性の魔法は派手だから見ていて楽しいけれど、狭い廊下で乱発されるとひやひやする。
おかげで床や天井が丸焦げになっていて、処理はどうするんだと思った。
そもそもここはゲームの世界なのだから、魔法を使っても周りに影響が出ないように設定して欲しい。
ステータスウィンドウを見ることができるのに、疲労や空腹感を感じるあたり、ゲームにいらないリアル性を追求している。
ゲームのくせに、無駄に高性能だ。
「お、おい!炎華か?」
声がする方を見ると、前から来た背の高い男子生徒を筆頭とした四、五人の生徒の集団とばったり会った。
「ああ、太郎か。あたしは見ての通りこの二年たちと一緒に逃げているところだ。お前も似たようなもんだろ?」
炎先輩の言葉に、『太郎』と呼ばれた先頭の男子生徒は大きく頷いた。
っていうか、名前がひどい。
決して全国の太郎さんを否定するわけではないが、ギャルゲーなのだからもっときらきらした名前でもいいと思うのだ。
山田花子といい、開発はやはり怠惰だ。
その男子生徒の左胸には赤い薔薇のバッジが付いている。
つまり、彼は炎先輩と同じ三年生だ。
そして、その後ろにぴったりとくっついている数人の生徒の胸には一年生であることを示す黄色い薔薇のバッジが見える。
「お前ら、もう大丈夫だ。こいつ――天海炎華はこの学校で五本の指に入るほどの実力者だ。こいつがいれば、シャドーが何体出てこようが安全だ!」
力強い太郎先輩の言葉に、一年生たちは強張っていた顔をいくらか緩ませた。
「おいおい、お前だってあたしと同じAクラスだろうが…」
半眼で睨まれた太郎先輩は後ろ頭を掻いた。
へぇー、こんなモブキャラでも相当な実力者なのか。
まあ、花子がAクラスにいるあたり、ただ単に開発がモブキャラの名前を考えるのを面倒臭がっただけかもしれないが。
「他に逃げ遅れた奴はいないか?」
「いや、流石に分からん。俺はこいつらとはたまたま廊下で出会ったんだ。一年生の教室には行っていないから、どれだけ逃げ遅れた者がいるかは分からない。まあ、多くの人は食堂に行っているだろうから大丈夫かもしれんが」
不意打ちの如き太郎先輩の言葉が胸に刺さった。
クソ、お前らだって友達いないんだろ、ええ?
一年生たちに笑いかけると、何故か怯えた表情をされた。
「まあ、他の奴に関しては、この状況を上手く切り抜けてくれることを願うしかない。それより、多くの生徒が食堂に集まっているはずだ。あたしが敵なら、生徒が多く集まる食堂を叩く。あたしたちが加勢に行った方がいいと思うが…」
炎先輩は落ち着かない様子で床を足で叩いている。
「いや、待てよ。俺たちは後輩を抱えているんだぜ。安全なところに避難することが先だ。」
太郎先輩の言葉に、炎先輩がはっとした表情になった。
「いや、そうだったな、悪い。しかし、どこに行けば――」
突然、耳障りなサイレンが廊下に鳴り響いた。
『――緊急。緊急。ただ今、学校が何者かに襲撃を受けている模様です。校内の生徒は速やかに講堂に避難しなさい。上級生や教師は下級生を保護しなさい。避難するときは落ち着いて行動すること。――繰り返します…』
「おい、聞いたか?」
「ああ、あたしたちは講堂に避難する。皆、落ち着いて速やかに講堂へ向かうぞ!」
二つの集団は合流し、炎先輩が先頭、太郎先輩が殿を務める形で歩き出した。




