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1. ギャルゲーにおける自己同一性の乖離と山田花子

 ゴミのような新学期が始まった。

 真新しい制服に身を包んだ一年生が浮足立ちながら興奮して話している。

 彼らには明るい学校生活が待っているのだ。

 ああ、クソだ。

 俯きながら廊下を歩く俺を、やけにうるさく聞こえる声が通り過ぎて行った。


 教室に入る俺を誰も見ない。

 誰とも目を合わせない俺に誰も疑問を抱かない。

 彼らは俺を認識しているが、誰も俺に話しかけない。

 何故なら俺は――陰キャだからだ。

 見て見ぬ振りをされる俺は、陰キャであることを悲観していない。

 もう、諦めたのだ。

 人間、諦めればもう何でもどうでもよくなる。

 友達がいなくて、それがどうした?

 コミュ障で、それがどうした?

 ボッチ飯を食べて、それがどうした?

 陰キャの人生を歩み続けた俺は陽キャへの憧れをすっぱり断ち切り、逆に陰キャでいいんじゃないかと開き直った。

 俺は陰キャだ、それがどうした?



 新学期早々、俺は唯一の幸運を噛み締める。

 なんと、窓際の一番後ろの席になったのだ。

 陰キャに相応しい配置じゃないか。

 陰キャの俺は、陰キャ道を進むのみ。

 このゴミのような一年も、陰キャ道を進めばいい。



―――――



「栄えあるAクラスに入ることになった新二年生の皆さん、実はもう一人の生徒がこの魔法高校のAクラスに編入することになりました」

 新しく担任になったナントカ先生(人名が覚えられない)の言葉に、クラス中が騒めき出す。

 このナントカ魔法高校(校名が覚えられない)はこの日ノ国でも有数の偏差値を誇る高等学校である。

 更に、二年時にあるクラス替えでAクラスに振り分けられたほぼ全ての者は、若年にして上位魔法が使えるのだ。

 そんなレベルの高いクラスに編入者が来るなど前代未聞の話だ。

 他人に興味がない俺でも好奇心が揺さぶられる。


「神楽坂君、入って」

 先生の声に、教室の扉ががらりと開く。

「失礼します」

 爽やかな声と共に、一人の男子生徒が教室に足を踏み入れる。

柔らかな金髪がふわりと揺れ、透き通った碧眼がきらりと光った。

 見た目麗しい男子の登場に、クラス中に溜息が木霊する。

 …というか、なんかこいつ見たことあるなぁ。

 はて、どこでだっけ…。

 既視感を感じる俺をよそに、そいつは黒板の前に着くなり右手を振り上げた。

「――っ」

 振り上げられた指先から白い光が線状に飛び出し、あっという間に黒板上に光り輝く文字を形成する。

「僕の名前は神楽坂(かぐらざか)輝聖(こうせい)と言います。見ての通り、光属性の魔法を使います。皆さん、仲良くしてくれると嬉しいです」

 そう言って、そいつは長身の身体をぺこりと折った。


「光属性だって?」

「千人に一人しかいない属性だぞ」

「てか、すごいイケメンじゃん」


 騒めきが更に大きくなる。

 七つある属性の中でも、特に光属性の魔法使いは極めて珍しい。

 火・水・雷・風・土の五つの基本属性に勝る最強の属性は闇と言われているが、その闇属性に勝る属性は光なのだ。

 そして、光属性は回復の魔法に優れ、病院で治癒術師として重宝されている者が多い。

 言わば、高給取りの職に着ける魔法使いの中の勝ち組だ。

 それに加え、この容姿。

 その転校生は、陰キャには決して至れない陽キャの頂点を体現していた。

 それは、まさに――

「主人公…」

 ぽつり、と零れた言葉に、身体中の毛がぞわりと逆立った。

 知っている。

 俺は、この光景を知っている。

 なんだ、なんなんだ、これは…。


 先生が何かを言っている。

 彼女の口がぱくぱくと動くが、俺の耳には何も入ってこなかった。

 ひどい耳鳴りが頭の中で鳴り響いて止まない。


 そうだ、俺はこれを知っている。

 これは、この世界は――

 シミュレーションRPG型美少女ゲーム(全年齢対象)の世界かよ!



 その瞬間、俺は全てを思い出していた。

 幼い頃から、この世界に既視感があると思っていた。

 魔法が使えるのが当たり前なのに、魔法が使えるという事実がどこか気持ちが悪かった。

 辞書で調べてもどこにも載っていない単語をいつの間にか知っていた。


 記憶を辿れば、俺はいつもまわりとのちぐはぐさを感じていた。

 そして、全てを思い出した今の俺にはその解が分かった。


 この世界は俺が以前プレイしていたギャルゲーに非常によく似ている。

 だが、それはただの二次元のゲームに過ぎなかった。

 しかし、俺はどくどくと早打つ心臓の鼓動を感じるし、五感を使ってこの世界を認識できる。

 つまり、俺はこのギャルゲーの世界に一キャラクターとして存在しているのだ。

 そこまで考えて、俺はある恐ろしい事実に気が付いた。

 俺の名は『七瀬彩人』だが、もしかして俺は…目の前の『主人公』の『親友キャラ』じゃないか?

 俺は眼鏡にかかっている茶色い髪の毛に触れた。

 ああ、そうだ、俺はあの『七瀬彩人』だ。

 俺はクラスのムードメーカー的存在で、いつも明るくちゃらちゃらした陽キャなのだ。

 …本来ならば。

 『七瀬彩人』は決して癖毛の茶髪を目元まで伸ばさず、決して野暮ったい黒縁眼鏡を掛けず、決して友達が一人もいないコミュ障なキャラクターではなかった。


 俺は動揺しながら、歩いてくる主人公と目が合った。

「――?」

 訝し気な主人公の顔を見ると、俺は咄嗟に顔を逸らした。

 ゲームでは、この場面で俺が主人公に声を掛けるのだ。

 何故なら、俺と主人公は幼少期に友達同士だった、言わば幼馴染という奴で、この場面で俺と主人公は互いの関係を思い出すのだ。

 ここで俺が声を掛けなかったら、主人公との関係は生まれない。

 すなわち、俺が主人公の『親友キャラ』となることはない…。


 主人公は、果たして、何事もなく席に座った。

 はぁ…。

 声を掛けられるわけがない。

 何故なら俺は、ギャルゲーの中の『七瀬彩人』ではなく、ただのモブ眼鏡陰キャだからだ。

 人と会話することを避け続ける人生を歩み、早十六年。

 そんな俺には友達がいない。

 陽キャが放つ光に触れると、身体が朽ち果てそうになる。

 俺の定位置は教室の隅っこだ。

 ああ、そりゃそうだ、俺は『俺』なんだから。

 このギャルゲーの世界に来る前は…何をしていたのだったか。

 必死に思い出そうとすると、ぼんやりといくつかの光景が浮かび上がってきた。

 俺は高校生だった。

 だが、名前は思い出せない。

 この世界に来る直前のことも、何一つ思い出せない。

 しかし、一つ言えることは、俺は現実世界でもモブ眼鏡陰キャだった。

 存在は認知されているが、決して触れられることのないボッチ。

 クラス内でペアを作る時にはいつも余った。

 そもそもクラスメイトの名前を覚えられなくて会話ができない。


 ああ、黒歴史が次々と脳裏に蘇る。

 俺は、やっぱり俺だった。

 ギャルゲーの主人公の親友キャラに成り代わった陰キャは、やっぱり陰キャのままだったのだ。



―――――



「…君」

 陰キャにとって苦行の一つが、毎時間訪れる休み時間だ。

 この高校では六十分授業が午前中と午後にそれぞれ三コマあり、授業と授業の間に十分間の休み時間がある。

「…ぁせ君」

 さて、友達がいないボッチ陰キャはこの時間をどう過ごすか?

 解――机にうつ伏せになって目を閉じる。

 外界の情報を完全にシャットアウトする。

 無論、耳からはクラスメイト共の楽し気な会話が聞こえ、特に主人公の席からは女子たちの姦しい声がひっきりなしに聞こえてくるが…そんなことはどうでもいい。

「ななせ君」

 奴らは陽キャ、俺は陰キャ。

 互いに別の次元に住んでいるのだ。

 羨ましい、なんて感情は最早俺の中には存在していない。

 小学校、中学校と休み時間ごとに瞑想を続けてきた俺は、悟りの境地に至っていた。

「七瀬君」

 ていうか、さっきから何か聞こえるが――俺の名前か…?

 いやいや、そんなわけあるか。

 きっと母音が一緒なだけだ。

 例えば、長瀬君とか。

 そこまで考えて、思わず身体がぶるりと震えた。

 あれは中学校の時だったか…。

 当時、俺のクラスには長瀬という奴がいて、ある時「長瀬」と呼ばれた声に思わず反応したらクラスメイトたちから白い目で見られたのだ。

 突き刺すようなあの視線。

「えっ、ああ、うん、か、勘違いしたわ」と冷静に努めながら(冷静じゃない)その場から足早に立ち去ったあの日のことを、俺は忘れることができない。

 くぅぅぅ、自己嫌悪で身悶えしそうだ叫びたい。

「七瀬君」

 左肩をトントンつつかれる。

 身体が脊髄反射をしてぴくっと痙攣した。

 …ええっと、これは…俺?

 いやいや、なんでNPCが俺に話しかけて来るんだよ。

 …しかし物理的接触があったな。

 俺なのか?

 本当に、本当に俺なのか?

 くっ、ええい、ままよ!


 俺は努めて冷静に(冷静じゃない)上体を起こした。

 暗闇が裂け、辺りに光が戻り…ああ、俺は俺だけを包んでくれる暗闇が好きなんだよぉ。


「七瀬君、ごめん。寝てたよね」

 すぐ左隣から声が聞こえた。

 てか女子じゃん。

 あの、女子だよ。

 女の子だ!

 まずい、まずい、どうすればいい!


 俺はぎりぎりと首を左に動かし、俺の隣の席に座っている奴を見た。



 特にこれと言って特徴のない女子がそこにいた。



 いや、俺の陰キャが拗れ過ぎて女子を形容する語彙を失ったわけじゃない。

 本当に、目の前の女子は何と言ったらいいか…左右のおさげ髪くらいしか特徴がなさ過ぎて形容できない。

 ああ、彼女を形容する言葉が一つだけあった。

 彼女は――モブだ。

 モブオブザモブの顔立ちにおさげ髪が二つくっついている、そんな容姿だ。


「あの…、き…、あな…、えっと、七瀬彩人君だよね」

 モブ女子がおずおずと尋ねてくる。

「…ぁ、ああ」

 このクラスで初めて言葉を発したので、声がしゃがれてしまった。

 しかし、俺はこのモブ女子に俺とよく似た雰囲気を感じ取った。

 恐らく、彼女は「君」と「あなた」という二人称を使おうとして、失敗したのだ。

 陰キャが他人に呼びかける時に、「君」や「あなた」という二人称を使うのにはエベレスト並みの壁が立ちはだかる。

 何故ならば、極めて気まずいからだ。

 そしてこのモブ女子は二人称を使い、俺に呼びかけることを躊躇った。

 すなわち、彼女は――同志、陰キャだということ!


「その…七瀬君って頭いいんだよね。定期考査でもずっと一位だったし」

「…え…あ…」

 確かに定期考査では学年トップだったが、別に頭がいいわけではない。

 だって…陰キャの青春は勉強だろ?

「それに、七瀬君の実技試験を見てたんだけど、火属性の上位魔法の一つ、【爆裂炎】もすごかったし…」

「ああ…」

 確かに、クラス分けを賭けた実技試験では『()()()()()()()()()()()()()()()()が、実を言うとあれは火属性上位魔法の【爆裂炎】のような高尚な代物ではない。

 そもそも俺は上位魔法を一切使うことができないので、あれはチート(ずる)に過ぎないのだ。

「ええと、だから、七瀬君ってすごいね」

「ああ…」

 そんなに真っ直ぐな表情をして言われても困る。

 友達のいない俺には勉強しかやることがなかったし、実技試験においてはチート(ずる)をしてAクラスに入った。

 Aクラスに入るには上位魔法を使えることが条件なので、このモブ女子は上位魔法を使えることになる。

 つまり、魔法においては俺よりも優れているのだ。

「ええと、わたしは勉強も魔法も皆より全然できないから、隣に七瀬君がいて心強いなぁって…」

「ああ…」

 モブ女子が顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせている。

 うん、すごく分かる。

 普段喋らないのに、長文を話したから上手く息継ぎができないのだ。

 しかし、俺は彼女を無様だと思うことができない。

 むしろ、尊敬の念しかない。

 このモブ女子は同志陰キャなのに、こんなにも会話を試みようと頑張っている。

 なのに俺は…さっきから「ああ…」しか言っていないじゃないか。

 NPCよりも会話ができないなんて人間としてまずいだろ。

「その、実はわたし、去年も七瀬君と同じクラスだったんだけど…覚えてる?」

「え?あー…うーん…えっと…ごめん」

 俺の言葉に、モブ女子は悲しそうな表情を浮かべた。

 まじでごめん。

 うんうん、陰キャにこれは堪えるよ。

 だけど、俺はクラスメイトに死ぬほど興味がないのだ。

「ええと、その、あの、うん、わたし…山田花子っていうの」

 ――衝撃が走った。

 山田花子。

 そんな、モブオブザモブを体現する名前が実在していたなんて。

 というか、よく考えればこれはギャルゲーなのだから、NPCにも名前があって当然だ。

 しかし、いくらNPCの名前と言えど、『山田花子』なんて名前を付けるところに開発の手抜きを感じる。

 山田花子、君はまさに、モブだ。

「あの、ごめん。わたしの名前変でしょう。本当に…ごめん。生まれてきてごめんなさい」

 顔を真っ赤にさせたまま俯くモブ女子――山田花子に、俺は自然と声を掛けていた。

「いや、そんなことないよ。山田さんの名前は素敵だよ」

「えっ」

 というか、『素敵』ってなんだよ。

 アホか。

 おどおどする花子に言葉を重ねる。

「山田さんは、俺が今まで出会った名前の中で一番覚えやすいよっ…」

 くっ、長文を話したせいで息継ぎが上手くいかない。

「お、俺、あんまり名前を覚えるのが得意じゃなくて…。でも、山田花子ってすごくいい名前だ。俺、一発で覚えたから。っ…はぁ、俺、クラスメイトの中で唯一、山田さんの名前を憶えられた」

 はぁ、はぁ、はぁ…。

 言い切ったぜ…。

「えっ、本当に…?よ、よかったぁ」

 終始おどおどしていた花子は満面の笑みを浮かべた。

 よし、会話は成功だ!

 久しぶりに会話したから内心はまじでガクブルだった。

「えっと、じゃあ、これからよろしくね」

「ああ」




 今日はどうしようもないほどギャルゲーにおける自己同一性の乖離にぶち当たったが、新学期初日から陰キャの同志ができた。

 だが、このとき俺は何も知らなかった。

 もう既に、俺は破滅フラグを立ててしまっていたのだ…。


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