魔の森と銀の星の誓い
A氏に【味噌】と呼ばれる調味料を頼んだところ、届いた荷の中に一通の手紙を見つけた。
あたたかい蜂蜜酒はもう飲んだか?
雪が降る前にアーバンノート王国へ向かえ。
「友人に見つかりたくないのだろう。恩人には報いたいが、しかし困った。……先立つものがない」
鞄にぎっしり詰まった林檎に、私は苦笑いする。
その頃、私はラプラプやオードリーといった国境にある町や村を転々としていた。
前の町から次の町へと小さな荷物や手紙を届け、小遣い程度の賃金を得る生活だった。
「貴族の紹介状も持っていないし、アーバンノート王国に親戚もいない。国境を越えるには、さしずめ銀貨3枚は必要だろう」
そして今は、魔の森の中。
木々の隙間から覗くはずの星空は、今日は見えない。
そのかわり妖精のような透き通った羽を広げた月光虫が、ひゅーん、ひゅーん、とそこここを跳び回り、足元を照らしてくれていた。
この幻想的な風景を的確に表現する言葉を、まだ辞書から探せていない。
ファンタルバル……、ミリューシャ……、いいや、ヨル•カッセン……?
手紙を鞄の中の林檎の隙間に押し込み、私は歩みを早めた。
「なあに、2日も歩けば森を抜ける。そこからさらに3日歩けばヌゥ村に着くと聞いている。銅貨20枚で乗合馬車に乗れば、冒険者ギルドか観光商会がある大きな町へは、半日もあれば着くだろう。そこまで行けば銀貨3枚くらいなんとでもなる」
魔の森では、魔物の牙や爪、それに羽や鱗、薬草なんかも手に入る。
それらを拾って売るだけでも、なかなかどうしてよい金額になることを私は旅の中で覚えた。
喉が渇いたので林檎をかじる。
足も疲れてきた。
アイシュの乗り心地はどうなのだろうと考える日々だ。
「今日はこの辺りで寝よう」
光性の川を見つけ、私は腰をおろした。
適当に石を積み上げコンロもどきを拵え、その中央に星型の魔石を置く。
星型の魔石は炎の性質のものだった。
魔石の上に発火を促すボゥポゥの枝を乗せると、ほどなくして掌くらいの大きさの炎が燃えあがる。
これで火起こしは完了だ。
バガヤジャック氏の心遣いに最大の感謝を。
ちなみに今晩の食事も、焼き林檎だ。
林檎にバターを塗り、不燃性の棒に刺して、炎から拳一つ分離れるあたりで炙るように焼いていく。
焦げたバターの香りに誘われて、小さな魔物や魔虫が寄ってくることもあるので、ゆっくり食べたい場合は、魔物用の餌皿を用意しておくのがコツだ。
これは正規の冒険者に習った方法だ。
大いに参考にしてくれたまえよ。
「お食べ」
私も林檎ジャムの瓶の蓋をあけ、3メートル程離れた岩の上に置くことにした。
道案内をしてくれた月光虫が遠慮がちにジャムを舐める。
慎ましやかなその様子、良家の子女に違いない。
いよいよ林檎が焼き上がり、舌舐めずりしたその時。
森の奥の方から木が倒れる音と爆発音、そして魔物の咆哮が聞こえた。
「何事か」
反射的に鞄を引っ掴む。
気づけば私は、林檎ジャムの空き瓶に月光虫を一匹放り込み、その光をランプ代わりに森の中へと走っていた。
「昼に魔物に襲われて迷子になった商人か、それとも愚かな新人冒険者か」
もし、読者諸君が同じような状況にかち合ってしまったのなら、私の行動は絶対に真似してはいけない。
夜行性の魔物はもちろん、腹を空かせていたり眠りを邪魔されたりと、夜の魔物は凶暴化しやすい傾向にあるのだ。
夜の魔の森で剣を振るなど、賢明な冒険者ならまずしない。
私がその人を見つけた時は魔物も人も血塗れで倒れていて、それがどちらの血なのか、どちらが生きているのかも分からない有り様だった。
私は月光虫を瓶から放し、その空瓶を魔物の方へゴロゴロと投げ転がした。
「あの魔物が生を望むなら、魔素を得ようと動くはず……」
魔物は、動かなかった。
新鮮な血液は強い魔素を孕む。
魔素を求めてより大きな魔物がやってくる恐れがあった。
私は持ってるだけの魔素を散らす薬を男に振りかけ、男の荷物らしき物を鞄に押し込み、男を引き摺ってその場を離れた。
「くっ、はっ……」
ずり、ずり、と引き摺られ、それが傷にさわるのだろう。
男が呻くたびに申し訳ない気持ちになった。
足が重い。
腕が痺れる。
自分の体よりも大きな男を、私はそれでも懸命に引き摺って逃げた。
血の匂いに目を覚ました魔物たちのせいで、森は一気に騒がしくなった。
遠くの空に魔法の火花が散っているのが見えた。
「どうか、無事で」
冒険者の頼もしさを感じた夜だった。
私に出来ることは、この怪我人を隠すことだけだ。
夜も明けきらぬ頃になってようやく、男は目を覚ました。
そうして開口一番こう言った。
「君は魔物か。私を焼いて食べるのか」
なんという言い草。
魔物の餌食にならぬよう必死で逃げて、冷たい川に何度も布を浸して血を洗い、安くない薬を使って傷口を手当てし、凍えぬように寝ずに火の見張りをしていた私に向かって、だ。
ひとつきりの毛布も男に貸している。
ずっと石の上に座っていたから尻も痛い。
しかも私は男のために食事も作っていた。
つまり、私はすこぶる機嫌を悪くしたというわけだ。
鍋をかき回していた匙を止め、私は答えた。
「食べられるなら、食べたいです。あなたを助けたばかりに焼き林檎が炭になりました」
私の返事に、男はわずかに口角をあげた。
「すまない。私の荷物の中に、……ああ、荷物は失ってしまったのか」
「ありますよ。全部ではありませんが」
私が鞄の中から、男の荷物をポイポイと取り出すと、男は僅かに目を見開いた。
「その鞄は魔道具だったんだね」
「さあ。私は魔道具には疎いのです。たまたまオークションで手に入れました」
「どのくらい入るんだい」
「馬車一つ分くらいですかね」
「いくらで買ったんだい」
「3万と、6千」
「安いね」
「私にとっては高い買い物でした」
「それでも、安い」
男は自分を魔道具師だと言った。
そうして銀の星の誓いの言葉を用いて最大級の感謝をあらわした。
たいへん美しい所作であった。
「月光虫の羽を集めていたんだ。運悪く寝ていたギャラビエの尻尾を踏んでしまってね。はい、チーズのマルミャッシェ食べるかい?」
「大好物です。あの血塊はギャラビエだったんですね」
美味しいものをくれる人は良い人だ。
笑うなら、笑え。
私はドグラの町でギャラビエのせいで一週間の足止めをくった事を思い出した。
厄介な魔物だ。
「スープ、飲みますか。川魚と乾燥木の子の簡単なスープですが」
「変わった色のスープだね」
「【味噌】という故郷の調味料で味付けしてます」
「ふうん」
私は受け取ったマルミャッシェをちぎってスープに落としていった。
チーズが溶けはじめたところで椀によそう。
「いただきます」
「やあ、1日ぶりの食事だ。銀の星のお導きに感謝を」
食事はすぐに終わった。
私は鍋の残りを、少し離れた地面の窪みに捨てた。
「土はかぶせないの?魔物が来るよ」
「食べたければ食べればよいのです」
「危ないよ」
「私は光性なので、魔物に食べられることはありません。あなたにも魔素を散らす薬をたくさんぶっかけてますので、今日1日は魔法を使えないと思いますよ」
「なんだって」
男は手のひらを握ったり開いたり、拳を握ってぐるぐると腕を回したりの動作を繰り返したかと思うと、
「なんて恐ろしい薬なんだ」
と笑った。
私が月光虫をランプの代わりに使った話をすると、魔道具師は目を輝かせ、今度は魔素散らしの薬を飲んで月光虫の羽を狩りにくると言った。
「なるほど、逆手に取るわけですね」
もし読者諸君がこの薬に興味があるなら、ミャリオン族の住むネルシャの薬屋を訪ねるとよいだろう。
実はこれ、ネルシャのミャリオン族の妊婦が好んで飲む薬なのだ。
デザートの林檎を切り分けながら、私はなんとはなしに魔道具師に尋ねた。
「月光虫の羽で何を作るのですか」
男は、こんどは星型の魔石が気になるようで、ツンツンと枝でつついて遊んでいた。
「鱗粉からインクを作るんだ」
「インクですか」
「うん。今ね、風の魔石で作ったペンに合うインクの研究をしてるんだよ」
「ああ、聞いたことがあります」
炎の魔石がボゥポゥの枝を媒介として炎を生むようなものだろう。
魔道具は、相性の良い魔素を含んだ素材、それに魔法陣や呪文を掛け合わせて作っているそうだ。
「魔道具は夢がありますね」
「夢?面白いことをいうね」
「私のように魔力をもたない人間が、魔道具師の作り出す魔道具の恩恵を一等受け取っているのでしょうね」
うっすらと空が白みはじめてきた。
夜明けだ。
遠く空を見つめ、私は呟いた。
「世界のどこかには空を飛べる魔道具もあるのでしょうか」
私はまだ聞いたことがない。
空を飛ぶ魔法はあるが、高位の魔法使いしか使えない。
あのラム氏でさえ移動には竜を使っている。
魔道具師も空を見上げた。
「飛びたいのかい」
「飛びたいのです」
「分かった」
一筋の朝日が、魔の森に朝の目覚めを告げる。
私は目を細め、光が世界を照らしゆく様子をじっと見つめ続けた。
ひとつ。
またひとつ。
「最後に消えるあの銀の星に誓うよ」
柔らかな光に飲み込まれ、最後の星が消えていった。
その誓いは正しく銀の星となり、いつまでも私の胸の中で輝き続けることだろう。
魔道具師はサフランティアスの出身っぽい。
ゆえに髪色は銀か金。
銀の星の誓いはサフランティアスの星祭りのように希望のようなもの。
次に会ったときに主人公はたぶん魔道具師をアイスクリームの人って呼ぶ。
次で終わりです。