流行語(オードリー)
オードリーでの出来事だ。
故郷の言葉を耳にして、疑ったのは耳か己の精神か。
声の方を振り向けば、胸ぐらを掴み合った男が二人。
筋肉隆々の男と、筋肉隆々の男。
ただごとではない雰囲気。
取り囲む人々の表情は様々。
「がんばれ!!」
「なんだと!テメェこそ、がんばれ!!」
「クソ野郎が!何度だって言ってやる!がんばれ!がんばれ!がんばれ!」
「ふざけんなよ!それは俺の台詞だ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!がんばれ!オマケのがんばれだ!」
「もう許さねえ!」
男たちは殴り合う。
私は耳を塞ぎたくなった。
どうしてこんな事態になってしまったのか。
サフランティアスで私が発した罵声が、まさかこんな遠くで流行してしまっているなんて。
顔が熱くてたまらない。
体中が痒い。
私は人垣からそっと離れ、駆け足でその場から逃げ出した。
「あはっ、あははっ、あはははははっ」
極限に追い込まれると人間は笑うもの。
私が泣きながら笑っていたとしても何も不自然なことはない。
誰に謝ればよいのだろうか。
私がオードリーを訪れたのは、鍛治師のバガヤジャック氏に会うためだ。
氏はハルファントライク王国で一番の鍛治師と言っても良いだろう。
御歳182歳。
ルー大陸にいる弟子の数は孫弟子まで入れると865人。
S級冒険者のミルドルー氏は、大きな依頼の前に必ずバガヤジャック氏に、大剣の手入れを頼むのだそう。
彼の性格を一言で申し上げるなら「破天荒」。
先代の王様に献上した【炎竜の剣】なるものを作る際に、彼が素材となる炎竜の胸の鱗を、自ら狩りに行ったのは有名な話だろう。
最近の話では、魔王がバガヤジャック氏を殺そうと何度も刺客を送りつけていた。それを自身で全て返り討ちにしたという武勇伝も、知らない者はいないのではないだろうか。
そんな恐ろしい話ばかり聞いていたので、私は氏の工房の扉を開けるときには、ぶるぶると手が震えたものだ。
そうして、箱入りの淑女のような儚い声で、私は言った。
「こんにちは。依頼を受けた鉱石をお持ちしたのですが」
「お嬢さんとは珍しい」
そう言って迎えてくれたのは、ロールルの甲羅を背負った娘さんだった。
「その甲羅は修行ですか?」
「この甲羅は生来のものです」
「なるほど。美しい甲羅ですね。エメラルドという宝石に似ています」
「ありがとう。エメラルドは存じませんが、毎晩磨いております」
「女性にこんなことを尋ねるのは失礼かとは思いますが、それは外れるのですか」
「外れなければ、どうやって寝るというのです」
「いかにも、いかにも」
甲羅の娘さんは柔和な笑みを浮かべた。
その笑い方はたいへん好ましいものだった。
「バガヤジャック氏はおられますか」
「主人は狩りに行っております。……おや、帰ってきたようですね」
バガヤジャック氏が肩に担いだガラスの大瓶には、赤黒い何かの血液が、たぷんたぷんと波打っていた。
2m以上ありそうな巨漢。
182歳とは思えない若々しい、溌剌とした顔。
私とは生きる早さが違うのかもしれない。
羨ましい話だ。
バガヤジャック氏は私を頭のてっぺんから、靴の先までギョロリとねめつけると、ドスを効かせた声で、一言。
「がんばれ!」
なんてこったのパラリンカ。
私はそっと両手で耳を塞いだ。
甲羅の娘さんが「下品」と眉を顰めた。
幸運なことに、私はバガヤジャック氏の工房に入る許可を得た。
鞄の中からオルピリカという鉱石を取り出し、指示された卓に並べながら、私は尋ねた。
「バガヤジャックさん、それは何に使うのですか?魔物の血液のように見えます」
「なんだいお嬢ちゃん、魔石の作り方を知らねえのか」
「魔物から獲れる、とだけ」
「そりゃあ、えらく説明を端折られたな。魔石は魔物の血液から余分なゴミをチョチョイと除いて、オルピリカ鉱石の粉末を混ぜて固めんのさ」
バガヤジャック氏はガハハ、と笑った。
「知りませんでした。情けないことですが、魔物を狩ったことがないのです」
「それでよく一人旅をしてられるな」
「私は魔素を取り込めない体質なのです」
「難儀なこって。それじゃあ野営の火を起こすのも苦労するだろう。どれ、ひとつ作ってみろ」
バガヤジャック氏はそう言うと、瓶に小分けにした血液のひとつを私に手渡した。
とれたての新鮮な血液は、甘い蜜の香りがした。
「美味しそうですね」
ちょうどお茶を運んできた甲羅の娘さんが私の言葉を聞いて、首を二回縦に振った。
アイスクリームにかけて食べると美味だそう。
魔石の作り方を簡単に説明する。
一般常識であるならどうか読み飛ばして欲しい。
1、新鮮な血液を沸騰させる
2、とろ火にし、マルセの汁をスプーンでひとつ垂らして浮き出た汚れを取り除く(血液が半透明になるまで繰り返す)
3、粉末のオルピリカ鉱石を耳かき棒ひとつ加えて混ぜなから冷ます
4、ある程度冷めたら固まりきる前に成形
「そりゃあ、なんの形だ?」
「故郷では【五芒星】と呼ばれる種類の、星の形です」
「チクチクが足らんぞ。チクチクは9本だ」
「常識は明日には常識ではなくなるかもしれない」
「王様の言葉か?」
「実体験です」
バガヤジャック氏は哲学の深淵に触れたような顔をした。
ほどなくして私は、5つのチクチクからなる星の形のルビーのような色合いの魔石を完成させた。
「美しい。これはたいへんファンタルバルです」
次に私が取り組んだ魔石は【ハート】の形。
甲羅の娘さんが、頬に手をあて吐息を零す。
「可愛らしい。まるでユパの花弁のようですね」
「これは【ハート】。誰かを愛しく思う心をあらわします。別名、心臓です」
バガヤジャック氏は鼻で笑った。
「心臓にはとても見えんがな」
甲羅の娘さんは控えめにバガヤジャック氏の袖を引いた。
「あなた、私、この魔石でネックレスを作って欲しいわ」
「え?俺の専門は武器だぞ」
「だめかしら?」
「駄目ではない。駄目ではないぞ。だがなあ…」
狼狽るバガヤジャック氏であったが、陥落は時間の問題だろう。
チラチラとこちらの様子を伺う氏の心情を察した私は、心の中で「がんばれ」と吐き捨て、星の魔石をハンカチに包み鞄に詰め込んだ。
読者諸君に頼みがある。
もしオードリーを訪れる機会があったなら、バガヤジャック氏の工房がアクセサリーショップになっていないか確認してほしい。
もしそんなことになっているなら、今度こそ、私は誰に謝ればよいのだろうね。