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翌朝、目覚めると由衣さんの姿は無かった。
昨夜の僕と由衣さん…。
まるで夢みたいだ。
最初のうちは村長たちを気にして恐る恐るだったのに、途中から僕は由衣さんという深淵に飲み込まれ、無我夢中になってしまった。
全身に彼女の生々しい感触が残っている。
僕は自分の服を着た。
荷物はそのままで部屋を出る。
廊下で雅人さんと出くわした。
「高橋さん、おはよう」
雅人さんが挨拶する。
僕を見る眼は温かく優しい。
「おはようございます。あの…由衣さんは?」
雅人さんが眼を細めた。
「由衣は台所だ」
僕は雅人さんに会釈して、横を通り過ぎた。
台所へ向かう。
雅人さんの手が、僕の腕を掴む。
「高橋さん」
「?」
「昨夜のことは深く考えんで良いだ。由衣も分かってる。あんな踊りでは…お情けでも」
「お情けじゃないっ!!」
僕は思わず怒鳴っていた。
雅人さんが口を開けっ放しで驚く。
自分でも戸惑うほどの怒りが込み上げてきた。
由衣さんの価値をあんなヘンテコリンな踊りだけで決めつける、この村への激しい憤りだった。
彼女は、こんな扱いを受けて良い人じゃない!!
僕は雅人さんの手を振り払って、台所へ向かった。
台所では3人の女性が朝ごはんの支度をしていた。
村長の奥さん、雅人さんのもう1人の妹さん、そして。
「由衣さん!!」
僕は由衣さんの側に立った。
「高橋さん…」
由衣さんが眼を逸らして、顔を赤らめる。
村長の奥さんたちが、何事かと僕を見ている。
僕は由衣さんの両手を握った。
「由衣さん」
「………」
「僕といっしょに、この村を出ましょう」
「「「え!?」」」
女性たち3人が、同時に驚く。
まさか、こんな辺鄙な村で僕の人生の重大な決断を迫られるなんて思いもしなかった。
でも。
僕は覚悟を決めた。
もう、由衣さんと離れるなんて考えられない。
「僕と結婚してください」
僕はプロポーズした。
村を出た僕と由衣さんは本当に結婚した。
村長と雅人さんも突然の僕の申し出に驚いたが、由衣さんも同意していると分かると、二つ返事で認めてくれた。
「いやー。高橋さんも、とんでもない物好きだて。ほんにありがたいこった。由衣、お前は運が良かったなぁ」
そう言う村長の瞳は、涙で潤んでいた。
雅人さんは僕の両手を握って「妹を頼みますだ」と何度も何度も頭を下げた。
僕と由衣さんの結婚式に出席した、会社の経理部のベテラン女子社員は「わあ! すごく綺麗な花嫁さんじゃない! やったわね!」と驚いた。
式の後、僕が住んでいた街でマンションを借りて、2人で新生活を始めた。
結婚3年目に生まれた一人娘の希は今年で5歳だ。