1話 門出、未来
-太平洋上空に、またもアルファが......-
-島国の日本は四方を抑えられると物資の輸出入に支障を.....-
朝、つけっぱなしで眠ってしまったテレビからそんなニュースと専門家の解説が頭へと流れ入ってくる。
-依然として、日本は他国に比べてファイターも戦闘姫の数も足りていません-
-しかしこの国にあの学校がある限り日本は優秀なパイロットには困らないでしょう-
-戦闘姫は女性にしか扱えません-
-それも、ちょうど思春期を迎えた年頃の若き乙女達が一番戦闘姫と心を通わせ......-
プツン。
そんな音がして、この部屋中に伝わる情報は途絶えた。
代わりに、シャーっと軽快な音を立てて部屋が光で満たされる。
ああ、もうそんな時間なのか。
そう言いたげな顔をして、その部屋で眠っていた少年は薄く目を開いた。
「ほらほら起きろ起きろ~!軍人志望の少年よ~!!」
「ん......毎朝毎朝......申し訳ない」
「良いよ~、別に。私が好きでやってるんだし」
「しかし、嫁でもない女性を男の部屋に入れるなど......」
「よ、嫁って......まったく、本当に考えが古臭いね!」
そういいながら、どこか顔を赤くして不貞腐れつつ着替えを出してくれている彼女の名前は藤本 夕華。
艶のある黒髪を二本に結んでいるのが特徴の、定食屋藤本の看板娘だ。
そんな夕華は、着替えの様子をバレないように凝視していた。
「こうして、夕華が起こしに来てくれる生活も今日で最後だな」
「......そうだね。うん......」
「そう悲しい顔をしないでほしい。何もこれで最後というわけではないだろう」
「でも......」
「さて、早く下に降りよう。今日の朝食は定食屋藤本と母さんの合作だ。楽しみだ」
「うん、そうだね」
昔から、夕華は決まって気持ちが落ち込んだ時には「うん」や、「そうだね」や、「そっか」など、短い単語で済ますことがある。
それをわかっているからこそなのか、少年は朝の雰囲気を悪くしないようこうして急かす。
部屋のドアを開けて、少し急できしむ階段を下りる。
この階段とも今日でおさらばとなる。
「おはようございます」
「おはよう、彩くん」
「おはようさん。梢さんはまだ裏やで」
「ありがとうございます、琴さん」
彩のあいさつに一番最初に返してきたのは、夕華とよく似た髪を一本に結んだ彼女の姉である雪。
雪は箸やお椀を人数分綺麗に並べていた。
二人目に挨拶を返した、夕華の母であり、お下げ髪が特徴の琴はニコニコと彩達を待ってくれていた。
琴の言った裏、いわゆるキッチンに向かって彩が歩くと......居た。
彩の母親が。
「......」
「か、母さん。何もそんなに泣かなくても......」
「およよ......義理とはいえ息子として御守にやってきてくれたこの五年間、私は忘れませんよ......」
「......あの......」
小さな肩を揺らしながら、小さな声で思い出を語る梢。
ゆらゆらと揺れるその背中は、雰囲気だけで悲しみが伝わってくるようだった。
そんな梢。母の姿を見て、彩は目を伏せたあと、ひと呼吸して口を開いた。
「毎日、しっかりと時間を作って電話します。なので......」
そこまで言ったところで、彩の毎日~というところがどこからかもう一度流れ出た。
音の出る方向は、梢。
見れば、いつの間にか横に揺れていた背中は若干跳ねるように縦に揺れていた。
「言質、取りました」
「母さん......泣いてたのでは......?」
「ふふ、冗談です」
まるで♪が付いているんじゃないかと思うほどの軽やかな声。
その声を聴き、彩はやれやれと首を横に振りながら近づき、梢に手を貸す。
床に力なく座っていた梢を、彩は歳相応に鍛えられた両手で抱き替えるようにして立ち上がらせた。
梢と近づいたわずかな瞬間に香る彼女の香りが、彩の動きを一度止めた。
「シャンプー、変えました」
「心を読まないでください」
「あなたはわかりやすすぎるんですよ」
「そ、それは......」
梢から香る匂いが普段とは異なったことに疑問を感じていた彩だが、梢はそのわずかな眉の下がり、瞼の動き、視線。
それらすべてを見て、彩の疑問に聞かれる前に答えた。
彩はわかりやすいかもしれないが、それ以上に梢の観察力は優れているだけだろう。
「さて。もう琴さん達が用意してくれているでしょう......たまには、お姉ちゃ」
「それは嫌です」
「ぶ~......ケチ」
彩がここまで梢を姉と呼ぶのに抵抗がある理由。
普通、義理とはいえ母を姉とは呼ばないだろう。
だが、この二人に関しては関係が関係だ。
血もつながっていなければ、年齢も姉弟のほうがしっくりくる。
だが彩が梢を姉と呼びたくないのは、ひょっとすると彼が過去、友人達に梢とまったく似ていないと言われたことの反動なのだろう。
姉弟よりも、親子のほうが顔が似ていないのはごまかしやすい。そういうこともある。
「行きますよ、母さん」
「は~い」
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朝食を取り終えた彩達。
五人は、家の玄関にいた。
「お世話になりました。それでは」
それだけ言うと、彩は一礼してそそくさと歩き始めようとした。
しかし、それを夕華は許さなかった。
首根っこをつかみ、振り返ったばかりの彩を引きずり戻した。
「こ~ら!何勝手に行っちゃおうとしてるのさ......」
「それはいただけんなぁ彩くん。ちゃんと挨拶するべきやで?」
「挨拶なら、今しがたしたと思いますが」
「まあまあお母さん。彩くんは寂しがりやだからね、どうせ悲しくなる前にさっさと出て行ってしまおうとしていたんだよ」
「絶対そうだよねお姉ちゃん!彩!」
「う......」
雪と夕華にじわじわと詰め寄られ、額に小さな冷や汗を流して後ずさった。
それを見て、琴はいまだにムッとした表情。
梢はニコニコとそれぞれ眺めていた。
やがて観念したのか、彩は肩をすくませて梢と琴の前に立った。
「......琴さん、今までありがとうございました」
「最初からそれを言わんかい!......まぁ、また帰りたくなったらうちで雇ってあげるわ。頑張ってな」
「はい。そして、母さん」
「はい」
「その......」
「......」
彩が何を言い出すのか。
それを、梢はワクワクした表情で待っていた。
しかし彩は、どれだけたっても口を開かなかった。
それに、夕華は急かす。
「早く言いなよ。お母さんに感謝の言葉」
「いや、言いたいのはやまやまだが......なんだろうか、こう、言葉がうまく出せんのだ......」
「ふふ、それでもかまいませんよ」
梢はゆっくりと彩に近づくと、小柄な自分よりも頭一つ分ほど背の高い彩を背伸びで抱きしめた。
傍から見れば、接吻のような体勢だった。
「ッ!」
「こうして彩が私と過ごしてくれたこと。それだけで、今は十分ですから」
「母さん......」
「でも、満足はしていません。次は言葉にしてくださいね?」
「......次があるとは、保証できませんが」
彩の言った通り、次があるとは保証できない。
保証できない理由が、事情が、世界と彩の行き先にはあるのだから。
「オレ......いや、自分は、アルファと戦うことを選びました。せっかく母さんが育ててくれたこの命ですが、お国のために使いたいと思います」
「そうですか」
お国のために使う。
なぜ、若い彩がそのような発言をしているのか。
それは単純な話だ。
ある特定の武器でしか攻撃できない漆黒の戦闘機、通称アルファ。
見てくれこそもう何十年も前にあった二つの戦争の機体だが、現代兵器は一切通用せず。
アルファは世界中のいたるところに表れては、人類に仇をなす存在。言ってしまえば、ヒトの唯一の天敵
彩はそれらと戦うために、今日この日から兵学校に入学する。
「ですので、もう......」
「帰ってこなかったら、私死にますので」
「エ」
「彩。後を追ってほしくないなら、この国と私を最後まで守ってくださいね?」
「ア、ハイ」
「夕華ちゃんも。この先彩ともし関わることがあったらよろしくお願いしますね」
「任せてください!梢さん!!」
夕華は自信ありげな顔で大きくうなずき、こぶしで自らの胸を軽くたたいた。
それを見て梢は目をつむって深くうなずく。
彩は、梢の後追い発言によりいまだにどうすればよいのか考え目を見開いて固まっていた。
見かねた琴が、彩の肩を強く叩く。
その衝撃で、彩はようやく目を覚ましたのかハっとした表情になる。
「彩くん。梢さんを死なせたらあかんで?」
「は、はい」
「ほな、もう行ってき。がんばってな」
「......はいっ」
笑顔で見送ってくれる琴に、彩も笑みを浮かべて答える。
そして、一歩後ろに下がり、梢と琴、雪に敬礼する。
その表情は、何を思っているのか。
言葉で表せない、無表情に近い顔だった。
夕華も彩にならって敬礼し、両者はお互い最後のふれあいと言わんばかりに手を固く握ると、それぞれの目的地に向かって正反対に歩き始めた。
「......行ったな。夕華と彩くん」
「そうだね......」
「寂しいんか?雪」
「......まあまあ。けど、寂しくないって言ったら、嘘になるかな。だって......」
雪の声色が段々と弱弱しいものになっていくのを、どうしたのかと琴が左を向いてみる。
そこには、震えながらも涙をこらえている雪の姿があった。
「大好きな妹と幼馴染が、いつ死ぬかもわからない場所に行くってなって......こんなにも、二人を追っかけて引きずり戻したい気持ちなんだもん。寂しくないわけ、ないじゃないか......」
「雪......」
「......お母さん。うちに彩くんの写真ってあったっけ」
「あるで。だって成長記録とってたやん」
「良かった......」
「まぁ、気持ちはわからないでもないで。写真とはいえ、忘れたくない顔やもんな......けど、うちらよりも辛そうな人が、うちの右にいるんや」
「あ......」
琴がやれやれといった様子で右側を指さし、それを雪も追った。
そこには、雪とは違い感情の我慢など忘れたように大粒の涙を流し、びゃんびゃんと泣いている梢の姿があった。
先ほどまでの、余裕のあるいたずらっぽい雰囲気などどこかに飛んで行ってしまっていた。
「彩ぁ......彩ぁ......!うぇ~ん!」
「こぉら梢さん。いくら見た目が若いからって、いい歳した大人がそんなにぎゃんぎゃん泣いてたらあきまへんで」
「私は彩のお姉ちゃんなんですよぉ!若いんですよぉ!!」
「な~に言ってはるんや。ほら、早く家の中に戻りましょ。体が冷えるで」
「あはは......梢さんが私より辛そうだから、なんだか立ち直った?よ......」
雪と琴は、いまだに泣き止まない梢を介護するかのようにして家の中へと戻っていった。
最も、梢が泣きたくなる気持ちを抑えられないのも仕方ないだろう。
彼女は、母ではあるが年齢は雪と変わらないのだから。