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8 その名前を呼べば

 足を滑らせた瞬間、死ぬと思った。死ぬとまでは言わないまでも、背中か頭を打って行動不能くらいはあったと思う。

 

 けれどそうはならなかった。次の瞬間には黒いものに包まれ、馬らしきものに乗せられていた。エフェスの黒マントだとすぐに気づいた。ならば乗っているものはエアレーだろう。

 

「無事か――声が出ない? 唖穴を点かれたな」

 

 エフェスはすぐにマーベルの現状を理解したようだった。凄まじい勢いで背景が流れてゆく。もし口が利けたとしても、この速度では風が邪魔して要領を得なかったに違いない。その中でエフェスの声が耳に届いたのを少し不思議に思う。

  

「後で解いてやる。しっかり掴まれ」


 マントごと、マーベルは彼の鎧の胴に腕を回した。

 

 下から上へ、騎獣が翻転し、加速する。猛然と、上から下へと燃え盛る鬣の幻魔獣に乗ったバイロンの騎影が迫る。エフェスが激突を拒む理由はない。例え位置的に明らかに不利だとしても。

 

 エフェスの龍魂剣がにわかに発光し、青く透き通った刀身に小さく無数の雷華が咲いた。

 バイロンの逆鱗刀にも黒紫の鬼火が宿った。


 剛刀と長剣が交錯した。

 

 相互の魔力が干渉しあって衝撃波(つきなみ)を生み、大気の爆ぜる轟音が狭い空間を荒れ狂う。それらは覇国兵にも影響を及ぼし、直撃を受けて消し飛ぶ者、破片を浴びる者、波に煽られ転落する者が相次いだ。

 

 エフェスの騎獣もバランスを崩した。位置的不利にも拘わらず敢行した激突、魔力干渉波、相殺された力――それらの力学的矛盾がさらけ出された結果、そのツケの大部分を騎獣が引き受けることとなったのだ。


 生まれた隙をバイロンは決して見逃さなかった。逆鱗刀の切先が円弧を描く。エフェスは即座の判断で騎獣を制動した。その左前肢が切断され、胴が深々と抉られる。

 

 同時にエフェスはマーベルを抱えながら、騎獣を足場に蹴って跳んだ。嘶きを聞きながら剣を握った右腕を伸ばす。龍魂剣の刀身が幻魔獣の首を貫き、半ばそれを刎ね飛ばしていた。

 

黒雲(ダーククラウド)……ッ!」


 バイロンは血を吐くような声を上げると共に幻魔獣の背から離れた。傷を負って鎧を維持できず掌ほどにまで縮むエアレーをマーベルが咄嗟に宙で回収する。

 

 幻魔獣の燃える体毛が更に青黒く燃え、獣を包み込み、炸裂した。

 

 叩きつけるような斬撃が来る。エフェスもまた掬い上げるような一撃で応えた。互いに衝突の余波で離れた。

 

 ほぼ同時に、同じ高さの場所に着地した。即ち空洞の底である。エフェスの腕が緩み、マーベルは少し下がった。

 

 鎧は物質として形状を獲得した魔力であり、傷を受けても修復する――いつかエフェスから説明を受けたことがある。

 

 しかしそれにも限度がある。二人の鎧には至る個所に傷が走り、この空洞で受けたものではない損傷も少なくない。〈屍龍(ネクロドラゴン)〉の兜の牙は折れ、〈鉄鱗龍〉の眼には浅からぬ傷が刻まれていた。

 

 身にまとう剣士も互いにだらりと剣を下に垂らし、満身創痍に違いあるまい。それでも二人の闘志は冷めやらず、蒸気のように可視化して立ち昇るかのようだった。依然、龍魂剣には雷華が閃き、逆鱗刀には幻魔焔が燃えたままである。僅かにでも付け入る隙が見えたならば、そこへ食らいつき爪牙を以て引き裂くに違いなかった。

 

 エフェスが深く息を吸う音がした。そして、空洞全体に響くような大音声(おんじょう)で呼ばわるのだった。

 

「幻魔騎士バイロン! 否、我が父レガートよ! 僅かなりとも汝に心あるならば、汝の息子エフェスの呼びかけに応えよ!」

 

 獣の唸るような声を発するだけだった。マーベルはエフェスの肩に触れた。掌に強い衝撃を感じ、思わず下がった。強い闘志から生じた、鎧の防衛反応だ。

 

「……お前は、父と闘うなと言うのか」

 

 エフェスは前に眼を向けたまま言った。マーベルは頷いた。言葉を出せないのがもどかしかった。

 

「それで十分だ。――ありがとう、マーベル」


「ありがとう」という言葉が、まるで別れの言葉のように聞こえたのは何故だろう。

 バイロンを牽制するように、エフェスは剣を横に、右腕を伸ばし、水平の高さで掲げ持った。


「――エフェスさん!? マーベルさん!?」

 

 時を同じくして底に辿り着いていたダーレルが声を上げる。

 

「二人とも、行け」


 眼はバイロンを見据えたままである。ダーレルは彼が見ていないのを承知で頷いた。マーベルもまたエフェスから眼を離すことも出来ぬまま、ダーレルの元へ駆けてゆく。

 

 エフェスとバイロンが睨み合う間にも足音が響く。岩の軋む音は隠し扉が開く音か。恐らくそこがベヘモット大神殿の中枢だということは、マーベルにも想像できた。カリギス遺跡の真の最奥部だと。


 扉が閉まるまで、エフェスを見ていた。

 

 ――そう言えば、と思う。マーベルと呼んでくれたのは、ひょっとしてこれが初めてだったかもしれない。


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