5 光るアミュレット
山羊の背で冷や汗を掻いていたシェラミスが手を打ち合わせた。
「……思い出した! 首狩兎! 非常に非情、獰猛で短気! 恐ろしい素早さでとんでもない距離を飛び掛かり、岩をも砕く前歯で獲物の首を狩る! 昔魔術師が家畜化しようとして断念したって曰くつきの!」
まさしく十数の砲弾だった。兎たちは真っすぐ首目掛けて飛び掛かってくる。ヴァリウスとランズロウが反転し、至って冷静に迎え撃つ。繰り出される拳と槍とを以て、兎の一頭につき一撃で確実に仕留めてゆく。血の華が絶え間なく宙に狂い咲き、生臭い匂いが周囲に立ち込める。
「速いが、正確過ぎるな!」
「シェラミス様、ここはお任せあれ!」
「承知した!」
シェラミスの応答と同時に、ユーリルの鞭の一閃が接近していた兎を打ち据える。ダーレルとシェラミスの山羊二頭が護符の差す光を頼りに、遺跡への入口を探して走る。
エフェスを含む三人の獣神騎士は確実に兎を血煙に沈めていく。狂暴過ぎる魔獣ではあるが攻撃は単純、百戦錬磨の戦士にとって油断も出来ぬがさしたる敵でもない。
三十か四十か五十かを血肉の塊に変えたころ、獣神騎士たちへ向かう兎の流れが緩み、途絶えた。量産されてゆく仲間の屍を目の当たりにして怯んだかのように。しかしそう思い込むほど獣神騎士たちも愚かではなかった。
「うわぁ……ッ!」
古びた煉瓦壁を曲がったところで、ダーレルが回り込んだ兎の群れと鉢合わせした。兎らは獣神騎士たちを獲物とするにはいささか重過ぎる相手と判断し、標的を変えたのだ。
狂ったように猛然と突撃してくる兎たちに対して、ダーレルが出来たのは得物である鉄の棒を揮って打ち払うことくらいだった。しかし山羊にはその術すらなかった。兎たちも山羊に狙いを絞り、次々と襲い掛かってくる。群がられ、鋭い前歯で頸動脈を掻き切られた山羊が哀れな断末魔の悲鳴を上げた。棹立ちになる山羊からダーレルが転げ落ちるように降りた。見る見る山羊の体毛が血に染まってゆく。
「クソッ……!」
ダーレルが荒い息を吐く。兎たちの視線が向けられる。獣神騎士たちはやや遠い。
猛然と突っ込んだのはシェラミスの山羊だった。
直前に山羊の息遣いが激しくなり、咄嗟に異変を感じたユーリルがシェラミスを抱えて飛び降りた。
山羊は首関節の及ぶ限り頭を低くし全力疾走、頭突きと角と速度を加算した自重で直線状の兎どもを次々に跳ね飛ばしていった。
足を止めた。兎は散ったものの血まみれで最早動かない仲間の匂いを嗅ぎ、山羊は一声嘶き――そのまま崖の方へと走り出した。
「逃げましたね」
「賢明な判断だよ。こっちで面倒は見切れないし」
シェラミスとユーリルの主従がそんな会話を交わしていると、ダーレルのところまで疾走してきたエフェスが兎を薙ぎ払う。遅れてきたアルジェがダーレルの胸元の光に眼を止めた。
「あ、護符が」
光が強く明滅している。ダーレルは「本当だ」と呟き、手近な石造りの遺構に手をかけ立ち上がろうとした。遺構が押され、ダーレルが姿勢を崩す。同時にその足元が崩れ、大穴が開いた。
「うわぁぁーーーーッ!!」
遠ざかる残響音を残して、ダーレルは真っ逆さまに落下していった。
「……ダーレル!? ちょっと!」
アルジェが叫びを上げた。それを聞きつけて一同が集まってくる。
「何があったのアルジェ!」
「ダーレルが落ちた! 大丈夫!? 生きてる!?」
シェラミスに答えながら穴を覗き込んでいると、闇の中で光が揺れるのが見えた。
「護符の光だ。無事らしいね」
「ということはここが入口?」
「多分そうだろうけど……」
学者の常として慎重になるシェラミスとは異なり、彼女をゆっくり押しのけたエフェスに迷いはなかった。皆が制止する隙があればこそ、掌に乗るほどの大きさになったエアレーを懐へしまい込みながら「行くぞ」と一言残すと、穴の中に身を滑らせた。
「……行っちゃったぞ、あいつ! 全く――」
「そんな場合ではありませんよ、シェラミス様」
ランズロウの言葉に、シェラミスも喉元まで出かかった悪態を飲み込まざるを得なかった。彼の槍の差す方には、どこから湧き出たやらおびただしい数の首狩兎が再び群がり、波のように迫ってきつつあったからである。
「いつまでも愚図愚図してもいられません」
「ああ、そうみたいだね――」
「では、そういうことで」
その台詞を主の了解と判断し、ユーリルがシェラミスを抱えて穴へと飛び降りる。闇に尾を引くシェラミスの絶叫をに顔をしかめつつ、アルジェが闇に身を投じた。続いてヴァリウス、最後にランズロウが乗り出す。
穴は地面に垂直に伸びているものと思いきや途中で緩やかに湾曲し、一同が滑り出たのは横の壁面からである。周囲を見渡せば完全な闇であり、先に到着しているダーレルとエフェスがいることすら、護符が放つ光がなければわからない有様だ。
シェラミスは照明用の魔術具を取り出そうとした。だが必要はなかった。ダーレルが護符をある方向に向けるや、点々と等間隔に配置された明かりが灯っていったからである。これで全貌が明らかになった。
「明らかに人工的な迷宮じゃないか……」
シェラミスの言うように、カリギスのベヘモット大神殿の内部は地下迷宮の様相を呈していた。
「剛角騎士さまさまだな」
「の、後継者ね」
ヴァリウスの呟きをダーレルが訂正する。どうするかはこの期に及んでなお決め兼ねているという態度だった。
「まるで醜聞と共に牛頭人を封印したというクレタの大迷宮だな……あれも実見した訳じゃないが……ん? まさかこれはグノッジ文字……!? ひょっとするとクレタよりもっと古い……?」
いささか興奮気味に壁面の古代文字や古拙な絵を指でなぞろうとするシェラミスへ、エフェスが言葉を投げた。
「やめておけ。どこに罠があるかわからん」
「わ、わかってるよ!」
我に返っても彼女は涎を垂らさんばかりの眼で食い入るように遺跡の意匠を見ていた。
「あたしとてカリギス遺跡までやって来た本来の目的を忘れた訳じゃない。遺跡探索は二の次三の次だ。ちょっと、いやかなり勿体ないが……いや、進もう。そうこうしているうちにマーベルの身の危うい」
未練を断ち切るように壁から眼を離し、彼女は先へ進む。他の面々は何をか言いたげな視線を互いに交わしながらもそのあとに続いた。




