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3 龍の生誕

先代PCの臨終によりこんなに遅れてしまったことを深くお詫び申し上げケジメします。

 龍の卵は小屋に置かれていた。冬である。横殴りの吹雪が戸板を激しく軋ませ、戸外を真白に染めていた。周囲に火の気はない。レガートは寒さを気にすることなく、卵の前の藁束に腰かけた。


 卵は三尺近い大きさであり、金や黒や赤が卵殻を取り巻くように流れている。孵化しなかった龍の卵はそのまま美術品として非常な高値で取引されるという。

 

 卵の中から音がする。密やかだが、確かな音が。卵を内側から割らんとする意志の音だった。

 この卵は――龍は孵化の時を待ち続け、ようやくこの世に生まれ出でようとしていた。卵の様子を見ていた門弟から話を聞くに、音が強くなってきたのは一昨日の夜からだ。それはちょうどリュイカが陣痛を訴え始めた頃でもある。


「ここに来ていたか、レガート」

「師父」


 ファルコは手に酒瓶と二つの盃を携えていた。白い息を吐きながら、彼はレガートの隣に座った。


「私も歳だな。酒なしでは寒さが堪えるようになった。お前も付き合え」

「頂きます」


 盃に琥珀色の火酒が注がれる。一口含む。

 

「女たちから叱られたわ。リウィアの時はもっと泰然自若としていたとか、うろつかれても困るからじっとしていてくれだとかな。リウィアめ、エアンナと結託して私を除け者にしたのだぞ」

「俺も同じことを言われました」

「お前もか。全く、男親というのはどこも似たようなものだな。普段偉そうにしておきながら、いざ嫁が子を産む段には何の役にも立たん」


 惣領娘の出産のため、村の女たちがドレイク邸(一般的な貴族や富豪の屋敷と比べるとかなり控えめな規模ではあるが)を慌ただしく駆けずり回っていた。どの時代どの土地でも、出産の場に於いてはやはり男より女の方に一日の長がある。

 

 レガート自身も村の女の出産のため力仕事に関わったことがあるが、概ね女は気丈で、男は頼りなかった。取り分け父親となる男はその傾向が顕著だった。……まさかレガート自身その轍を踏むとは夢にも思っていなかった訳だが。

 

「龍も生まれるな」

「はい」

「卵が生まれて十何年になるかな?」

「よくわかりません」


 レガートは年月というものをあまり気にしたことがなかった。自分の年齢もよくわからない。物心がついたときには鉄鱗龍に拾われ、共に暮らしていたのだ。

 

「お前の兄弟なのだな」


 レガートはうなずいた。

 親龍を殺した師に対してのわだかまりはない。龍は命を賭して闘いを挑み、死んだ。それだけのことなのだ。

 

「生まれてくる子にとっても、良き兄弟になってくれるでしょう」


 ファルコがレガートを見、口を開いた。

 

「この際、お前に話しておくことがある。リュイカのことだ」

「……何ですか、それは」

「リュイカは短命だ」

 

 レガートはファルコを見た。

 

「正確にはそういう卦が出た、ということだ。――龍巣村には年に一度、その年に生まれた子供を占う風習がある。お前も知っていよう」


 龍の子レガートからすれば人の世には奇妙な習慣や行為はいくらでもあったが、占いなどは最も理解に困る風習だった。運命という益体のないものを星々や雲、カードや竹籤(たけひご)など、一見因果関係の見いだせないものを通して運命を見通す行為。そんなことが可能であるとは思えない。

 

 ファルコもまた極めて合理的な人間であり、そんな師が占いなどを信じるとは考えたこともなかった。


「師父は、信じているのですか?」

「エアンナは滅多に占わぬが、確実に当たる。少なくとも彼女の卦が外れたことは一度もない。――リュイカを占った後、私とリウィアにだけエアンナは告げたのだ。リュイカは健やかに育つ。しかし、短命であると」


 それがファルコが娘を後継者に指名しなかった理由だった。剣も教えたが、免許までは与えなかった。必要以上の強さはむしろ危機を招きかねないからだ。下山の際にリュイカを帯同することもなかった。彼女は龍脊山脈以外の世界を殆ど知らなかった。

 

「私は過保護なほどにあれを護った。……リュイカは健やかに育ったが、その分病床に伏したときは大層気を揉んだものだ。よくぞこの歳まで生きてくれたと思う。その上出産だ。あの娘に何かあるたび、私は祖霊に祈っておるよ。このまま生きてくれ、私より先に死なせないでくれ、占いなど覆してくれ、と」

「リュイカはそれを」

「知らぬよ。このことはエアンナと私とリウィア、そしてお前しか知らぬことだ」


 ファルコは一息で酒を干した。その眼が更に強くレガートの眼を見つめる。


「言っても詮無きことかも知れんが――たった一人の倅と見込んで、頼む。リュイカと、生まれてくる子を護ってくれ」


 誓いを求められているのだ、とレガートは思った。


「誓います。俺は命を懸けて、俺の妻と子を護ります」


 そのとき産声が聞こえた。門弟が駆け込んでくるより早く二人は腰を上げ、産室へ向かって競うように駆け出していた。


 × × × × ×

 

 ドレイクの家に後継者となる男児が生まれ、ついで龍の仔が孵った。男児はエフェスと、龍の仔はラスタバンと名付けられた。


 × × × × ×

 

「エ、フェス……」

 

 エフェス。フードを目深にかぶり、剛刀逆鱗刀を膝下に置いてうずくまるような姿勢のバイロンの口からその名が漏れたのを、マーベルは確かに聞いた。

 

 カリギス遺跡に近いコーザ台地には無数の洞穴が存在する。野営の場として幻魔騎士らはその一つを選んだ。

 

 マーベルは手枷を嵌められた状態である。それに声を出せない。幻魔騎士レイディエンによって何らかの処置が施され(点穴と言っていたがマーベルは北方武林には疎いのでよくわからない)、喉や舌が麻痺して感覚がないのだ。

 

 扱い自体は決して乱雑ではなかったし、食事も幻魔騎士らと同じものであったが――居心地の悪さはやはりどうしようもない。

 

 幻魔騎士たちは十数名の手勢を引き連れていたが、現在全員が出払っており、見張りはこの状態の幻魔騎士バイロン一人のみだけである。だが、無事逃げおおせられる気は全くしなかった。今のように完全に停止しているような状況でさえ、毒を持つ魔蟲が音もなく間合に入るやそれをすぐさま叩き潰す様子をマーベルは眼にしていた。

 

 バイロンから情報を引き出そうにもひたすら寡黙で、他の者もわざわざ話しかけたりはしなかった。マーベルが口を利けたとしても会話は不可能だったに違いない。焦りと絶望に苛まれるところ、彼の口から出た名前は、マーベルの眼を見開かせるに十分だった。

 

 同時に納得もした。何故なら彼女は、バイロンとエフェスの関係性を薄々察しかけていたところだったからだ。彼が揮う天龍剣の絶技の数々や、フードから零れる鉄色の髪や紫水晶の瞳が推理を助けもした。

 

 血縁、もしかしたらエフェスの父。

 

 マーベルが気づいたのだから、エフェスが気づかないはずがないだろう。しかしエフェスの口ぶりを思い出すと、本当にバイロンの正体を知らなかったようだ。あるいは――気づきたくなかった。実の父が敵に回っているという可能性を、恐らく無意識のうちに除外していたのだろう。

 

 その心境はマーベルには想像出来なくもない。宴席で顔を合わせる程度でしかなかったマエリデン侯爵の裏切りでさえ、マーベルの心に重苦しいものを残していった。兄や亡き父が自分へ弓矢を向けるところを思い描くだけで、マーベルは泣きたくなる。例えそれが仮に覇国の魔術による精神調整の結果だとしても――マーベルの推測ではあるが、遠く外れてはいないはずだ――慰めにもなるまい。

 

 洞穴の入り口から足音が響いてくる。隙のない二人連れの足音だ。

 

「だから言っているのだ、レイディエンよ。速やかにその女を殺すべきだとな」

「何度も聞いた、グラーコル。そして何度も言うぞ。彼女を殺す訳にはゆかぬ」


 足音の主は二人の幻魔騎士である。言い募るグラーコルに対し、レイディエンはいささか辟易したような口調で返した。

 

「大公位継承権は返上しているが、それでもマーベル・ホリゾントが先代アズレア大公オスカーの娘にして現大公モンドの異母妹であることは事実だ。覇国の進行経路にはアズレアも含まれている。彼女を手中に収めておくことは無為ではない」


 グラーコルは不服げに鼻を鳴らした。


「幻魔騎士がひと揉みに潰してしまえばよかろう」

「覇王の勅命だよ。無視も出来まい。――おやマーベル姫、聞いておられましたか」


 レイディエンが口元にあるかなきかの笑みを刻んで一礼する。慇懃無礼という言葉が思い浮かんだが、彼はマーベルに対し初対面からこのような態度を取った。気の利いた悪態でも返そうとしたが、生憎と今は口が利けなかったので、代わりに睨みつけることにした。仮面の男はそれを微風のように受け流し、口元の笑みを僅かに深めるだけだった。

 

「全く、口を利けずともわかる。生意気な小娘だ」


 グラーコルが切れ長の眼をマーベルへ向けた。マーベルでさえ怯むような苛烈な憎悪を秘めた視線である。


「勅命さえなければ女として生まれてきたことを後悔させてやるのだが」


 わざとらしく、腰に帯びた太刀の柄に触れて鍔を鳴らす。思わず肩をそびやかしたくなるのを我慢する。


「あまり脅かすな、グラーコル。――マーベル姫、粗忽な武辺者の言動故、御容赦下さい」


 レイディエンの謝罪はやはり慇懃無礼だった。マーベルを揶揄するのを楽しんでいる風でもある。


「ここから移動します。もうすぐ目的地ですので、今しばらく御辛抱を」


 洞穴から出て、馬のような虎のような幻魔獣で移動する。朝だった。コーザ台地特有の緑あふれる植生が流れてゆく。それが少しすると裸の木々が増え、乾いた土や露出した岩肌に変わっていく。

 

 やがて高台にたどり着く。眼下に湖が見えた。カリギス湖だ。周辺には石造りの廃墟が、雑草を生い茂らせたまま連なっている。鏡のような湖面に、白い太陽が照り映える。マーベルは一瞬、自分の置かれている状況を忘れた。


 いつの間にか付近に数名の影が侍っていることにマーベルは気づいた。影の一人が巻物をレイディエンに手渡した。地図だろうとマーベルは見当をつけた。

 

「罠はほぼ排除しました。なれど、守護者が」

「お前たちにそこまでは期待していない。損耗は何名だ?」

「十七名」

「ふむ、まあよくやったと言っておこう。参集をかけよ。敵もじきに来る」

「はッ」


 最小限とも思えるやり取りの後、影たちが散った。レイディエンが湖を見渡して言う。いつものように、嘲笑を含んだ声で。

 

「カリギス遺跡――ここが天龍騎士の墓場となるや否や、あるいは――」

 

 そしてバイロンへ視線をめぐらす。相変わらず、目深にかぶったフードの下の表情は読めない。

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