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1 龍の所以(ゆえん)

過去編その1。

 ザルティーク城に「龍討たるる」の報告がもたらされたのは、天龍騎士ファルコ・ドレイクが委任を受けてから三月後のことだった。

 

 ザルト王国の北辺の岩山に旧帝国期に築かれたクダーフ城塞、そこに齢数千歳を数えるという鉄鱗龍が棲み着いて三百年が経つ。龍は食餌のために家畜を年に数頭さらっていく程度の悪事しかしなかった。古龍が棲まう国は縁起が良いということで、龍に関する訴えが出ればすぐに補償された。

 

 それが補償しきれなくなったのは、ここ数年でひとえにさらわれる家畜の量が恐ろしいほどに増えたからだ。しかも龍は人と家畜の区別をつけなかった。一夜にして文字通りに跡形なく消失した村や小規模の町というものも、半年後には珍しいものではなくなっていた。

 

 無論広がる龍の被害に対し、ただ手をこまねいていた訳ではない。すぐに討伐の兵は派遣された。しかし誰も古龍の戦闘力を過小評価していた。巨翼を拡げて弓矢も威力を失うほどの高みを飛翔する龍に対して、軍は虎の子たる投石機(カタパルト)の投入を惜しまなかった。しかしそれすらさしたる効果もなく、一千の兵は龍の雷火によって焼き滅ぼされた。派兵は後々も行なわれたが、その目的は龍の討滅ではなく民の速やかな避難になっており、そのための捨て石として龍の爪牙にかかる兵も少なくなかった。

 

 終わる気配のない鉄鱗龍の残忍と暴虐に民の怨嗟の声が日増しに強くなる中、ザルト国の危機を知った天龍騎士ファルコ・ドレイクがザルティーク城に現れたのだ。弟子たちを引き連れて彼は龍の(ねぐら)へ向かい、龍と闘った。それはただ龍と矛を交えるというに留まらず、戦場を誘導し、民への被害を最少限に抑えることも含まれた。そして三月に渡る死闘の末に決着がついたのだ。流石は伝説の獣神騎士!

 

 目立つことを嫌うファルコは、人目をはばかって夜間に王城へ現れた。王は夜着のまま彼と面会した。天龍騎士は流石に憔悴した様子だったが、それでも彼の無事を(ことほ)いだ。


 ファルコは玉座へ拝跪し、龍の死の証として砕けた牙と鱗と魔力器官たる龍玉を差し出した。手短に報告を済ませると、その労苦とは遥かに見合わぬほど少額の報奨のみを受け取った。

 

「龍の遺骸はクダーフ城塞にあり申す。それは同じ重みの財宝の山に等しい。御国の再建は十分なりましょう」

 

 立ち上がるファルコに王は問うた。何処の国へ士官する望みはあるか、と。ファルコは白に近い銀髪をなびかせるように首を振った。

 

「ドレイク家は旧西ビスステーン帝国の禄を食んでいた時期もありますが、それも長い不作故のやむを得ざる仕儀でありました。しかし今や旧帝国も亡い。天龍騎士はウィロンデの騎士、いずれの国にも知行を戴く気はござらぬ」


 ファルコが立ち去った後、王護騎士たちが天龍騎士の非礼をなじった。しかし王はなだめた。龍を討った男へ剣を向ける勇気がある者はいるのか、と。ましてやファルコ・ドレイクは国の大恩人、それを仇で返すような真似は天が許そうとも他の国が許すまい。淡々としていながらも理路整然たる王の説諭に誰もが沈黙した。

 

 × × × ×


 ところでファルコが報奨と共に龍脊山脈の龍巣村へ持ち帰ったものが二つある。

 

 一つは鉄鱗龍の卵だ。龍は数千年に一度という産卵期にあり、そのために大量の食餌を必要としていたのだ。これが何齢なのかは知らないが、親がいない以上卵には危険が常に伴うし、産まれたとしても龍仔は飢えて死ぬだろう。天龍騎士としての奇縁を感じたファルコは、ふた抱え以上はあるこの卵を弟子たちに運ばせた。

 

 もう一つは――

 

「出てこい、孺子(こぞう)


 夜半、森で休むファルコが声をかけた。弟子たちがその方向を向いた。

 

 樹々のあわいから現れたのは、粗末な獣皮の下帯だけを身に着けた少年だ。五間の距離を隔てて、少年はファルコを睨みつけた。

 

「何故気づいた。狼も俺には気づかないのに」

「狼が気づかずとも龍は気づく」


 師の言葉に弟子たちは舌を巻き、なおかつ恥じ入った。数は六名。だというのに、少年の接近に気づいたのはファルコ一人なのだ。

「孺子よ、お前は城塞で見かけた顔だな。龍との闘いを見ていた」

「そうだ。親がお前と闘うのをずっと見ていた。親がお前に殺されるのも見ていたぞ」

「親? お前が――お前もあの龍の仔だというのか?」

「そうだ」


 知人の魔術師から聞き及んだ話をファルコは思い出した。龍は気まぐれに人の子を育てるという。それは稀な話だが、目の前の少年がそれであるらしい。


 少年はファルコと決して眼を離さなかった。薄汚れた顔の中で、火に照らされた眼だけが白く光っていた。


「私の名はファルコという。お前の名は何と言うのだ」


 少年は何かを言った。それは人の喉では発音が困難な言語で名付けられた名前だった。龍の言語だ。


「それがお前を殺す者の名前だ」


 少年が駆け出した。弟子たちが咄嗟に反応しかねるほどの速度だった。手には折れた獣の大腿骨。それが少年の得物だった。

 

 折れた骨の尖端がファルコの顔の一、ニ寸横をかすめてゆく。それは少年の投擲だ。本命は飛び込む速度を加算した拳、乃至膝だ。ファルコは左の掌底を真っ向から鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。身体を二つに折り曲げ、少年は苦悶して反吐を吐き、そのまま気絶した。

 

「殺すのも目覚めが悪い。放っておけ」

 

 明朝早く立った天龍剣一同へ、少年はついてきた。何度も襲いかかり、何度も返り討ちにあった。時には弟子たちもそれに巻き込まれた。彼らは皆天龍剣の高弟であったが、少年の力は侮れないものがあった。一撃一撃に全てを懸ける有様は、まるで獣だった。

 

 少年は警戒のため人里には決して足を踏み入れなかった。一同はそれに気づくと野営を専らとした。焼けた肉を投げ与えると、少年は躊躇うことなく食いついた。そういうことには警戒はないらしかった。弟子たちはなんとなしに笑った。

 

 やがて龍脊山脈に辿り着いた。天龍剣一門が踏んだのは大人でも難儀する狭隘(きょうあい)かつ急峻な山道である。しかも高みに登るほど空気は薄くなる。少年は何も言わず大人たちに倣い、顎を出しながらもよくついてきた。

 

 龍巣村へ帰ったファルコたちを多くの者が出迎えた。家に着くと、彼は妻のリウィアと共に少年を水で洗い流し、稽古着を着せた。汚れの落ちた意外な顔立ちの端正さは、娘のリュイカと同じ年頃かも知れないと思わせた。


 何とか食事をさせた夜、眠気を訴えた少年が外へ出ようとしたのをファルコが捕まえ、用意していた寝床へ連れて行った。


「ここで眠れ」

「そんな柔らかい場所で眠れるもんか。俺は外で寝る」

「寝台で寝るのだ、孺子。それとも未知のものに怖気づいたか」


 村は確かに少年には未知だった。柔らかい寝台。火の灯る燭台。木や石で作られた家。穀類の食事。穏やかな人々。道場では夜半まで木剣の打ち合う音がする。いずれも龍に育てられたという少年には無縁の、真新しくも恐ろしい未知の存在だった。しかし未知を恐ろしがっていては人には馴染めぬ。


「我慢しろ。いずれ慣れる」


 ファルコは笑った。

 

 翌日、ファルコは少年を内弟子にすることを村民や弟子たちに伝えた。驚きの声を上げる者もいたが、ファルコは敬意を払われている村長でもある。反対の声は特になかった。――一人を除いては。

 

「反対! 反対! 反対!」


 娘のリュイカだった。癖のない長い黒髪に映える白皙の顔を紅潮させ、リュイカは言い募った。

 

「父様! そんなどこの馬の骨とも知れない人とウチの住み込みになんて許しません!」

「お前は宿舎だろう」


 リュイカは天龍剣の門下生として、女性も含む弟子たちと宿舎で共同生活を送っていた。それでも一月に何度かは実家へ帰ってくる。

 

「嫌なものは嫌なんです! とにかく、反対!」


 そんなリュイカへ少年は「何だこいつは」と言いたげな、胡乱げな眼で見ていた。それを目ざとく見咎め、リュイカが詰め寄る。


「何? 文句あるの?」

「お前、うるさいぞ。デシ? 何だそれ。俺はそんなものになりたいとは言っていない。どういうことだ白髪の男」


 少年はファルコの名前を頑なに呼ぼうとしなかった。その態度がリュイカの怒りに更に火を注ぐことになった。口に出しはしないが、リュイカはファルコを深く尊敬しているのだ。

 

「何よその態度! 父様は天龍剣の宗家、世界で一番強い剣士よ! その内弟子に選ばれたの、あんたは! 光栄に思うべきよ、光栄に!」


 ファルコ自身の思いはどうあれ、リュイカの言葉は確かに天龍剣門弟たちの一応の認識を代表していた。しかし少年は野生児、そもそも剣士という概念がよく理解できていない。ましてや「誇らしい」という概念もわかっていたか怪しい。

 

 やり取りが面倒になった少年がリュイカを突き飛ばそうとした。しかしリュイカはひらりと身を捌き平手打ちを頬に飛ばす。少年は鼻先に風を感じながら避け、距離を置く。それを見ていた門弟たちの間から軽い讃嘆の声が上がる。

 

「お前、やるな」

「もう、何で躱すの!?」


 リュイカ・ドレイクは苛立った声を上げた。彼女もまたドレイクの直系であり、その技倆は大の男でも決して及ぶものではない。「結婚する相手は自分より強い男でなければ嫌だ」と常日頃から公言し、婿候補に名乗り出た相手を尽く撃破してきた腕自慢である。

 

 意外に知られていないことだが、天龍剣の後継者の条件には男女の別はない。事実として天龍剣百代の間、過去に女性の宗家が立ったことも幾度かある。ある問題さえなければ、ファルコも躊躇いなくリュイカを後継者候補に選んだことだろう。

 

 今度は少年が攻めた。リュイカがそれを躱し、受け、捌き、反撃に転じる。今度は鼻面に掌底を喰らいつつも、少年は果敢に攻める。

 

「二人共、いい加減にせよ」


 言葉で止まる様子もないので、ファルコは極めてさり気なく二人の間に割って入った。身をかがめ、リュイカの蹴り足を、少年の拳を、それぞれ左右の手で止める。それだけで少年と少女の動作が完全に止まった。

 

「そこまでだ、孺子。それに息が上がっているぞ、リュイカ」


 はっとした表情になって、リュイカは大人しく引いた。

 

「何故止めた、白髪。面白くなってきたところなのに」

「ほう、面白いか」


 ファルコがにやりと笑う。少年は恥じたように口をつぐんだ。

 

「良いか、お前たち。それほどに面白いならば、尋常の立ち会いをせよ」


 刻限は十日後。そういうことになった。

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