11 増援来たる
樹々の間を縫って次々と敵が出現する。アルジェが双剣を揮い、グンライが仕込みを揮い、イノエが長巻を揮う。しかし一人二人を斬り捨てても到底及ぶ数ではない。敵は温存していた戦力を一気に解き放ったのだ。ついでに言えばこちらは手が足りない。獣神騎士は敵に手を取られ、マーベルは拉致されてしまっている。
そして――ホゼの血が樹上から滴り落ちる。アルジェはそれを歯痒く思う。ほんの八間の距離、それを阻むのは幻魔兵と磨羯兵の混成部隊だ。数は十を超える。ホゼの生死は不明だが、生きているならばすぐに治療をしなければならない傷だ。
グンライもイノエも助けに呼べない。二人は村に殺到する敵を抑えるので手一杯だからだ。
叫び声を上げてアルジェは斬りかかった。手首を刎ねる。腹を裂く。首を斬る。
四体目――数えた時に視界が強制的転換を強いられた。転倒した――そう気づいたのは足に巻き付いた鎖分銅の存在からだ。握っているのは身の丈一丈のオルクスだ。奴は鎖を握って強引にアルジェを引き寄せようとした。アルジェは地に這いつくばった姿勢から跳躍し、オルクスの兜の眼のスリットに二本の剣を突きこんだ。オルクスが絶叫する。
とどめを確信するより速く、また鎖が引かれた。アルジェの身体が宙に浮き、視界が反転したまま地に叩きつけられることはない。彼女は別のオルクスによって逆さ吊りにされていた。彼女は双剣を手放してしまっていることに気づいた。
戦利品――その言葉が脳裏をよぎり、全身から血の気が引く。
「く……こ、殺すんなら早く殺しなさい!」
精一杯の虚勢を張ったつもりだった。玩弄物にされるよりは、せめて戦士として死にたい。それがアルジェの矜持だった。幻魔兵や磨羯兵の間から失笑が漏れたのは、むしろ憐れみのためか。
森全体に響き渡る破裂音がした。
やや遅れてオルクスの巨体が崩れ落ちる。アルジェの身体がまたもや地に倒れ伏す。幻魔兵や磨羯兵が顔色を変えて周囲を警戒する。
アルジェはオルクスの側頭の右から左に穴が穿たれているのを見た。それも黒紫に燃え上がる炎ですぐ隠蔽されてしまう。
馬よりは軽快な蹄の音が幾重も響くや、方々で闘争の音が聞こえ出した。姿を現したのは山羊に乗った樽のような体形の男たち――ドワーフだ。彼らは斧や棍棒などのそれぞれの得物を揮って敵を次々に屠り去ってゆく。
アルジェが立ち上がる。
一騎がこちらへ向けて突っ込んできた。小柄なドワーフ娘だ。彼女は鉄の杖の如きものを脇構えし、石突に当たる部位を前に突き出すように持った。杖から轟音と共に火が吹き、磨羯兵とゴベリヌスの身体が大きく吹っ飛んだ。
「シェラミス謹製弾は幻魔兵にも効くねぃ!」
「姉ちゃん!」
もう一騎が後に続く。ひときわ大型の山羊に乗った、ひときわ大柄な混血ドワーフの男だ。その背には大型の蓮根と呼ぶにも物騒な金属塊が革帯で括り付けられている。
「ダーレル! あの耳長救出! 鎖で繋がれてるから注意!」
「了解!」
ダーレルと呼ばれた男は山羊を疾走させた。右手に鉄棒を揮って磨羯兵を殴り飛ばすと同時に、左手でアルジェの鎖を掴んで鞍に拾い上げる。山羊が敵の部隊を蹴散らし、突っ切る。ガラ空きになったその背中に、味方を討たれ激怒する敵が迫る。
「耳長さん、耳塞いで口空けて!」
ダーレルは敵を睨んだまま背中の金属の蓮根を抜き、有無を言わせぬ口調で告げた。自分の扱いに抗議するタイミングを失ったことに気づいたが、アルジェは従った。
敵に向けられた蓮根が、それぞれ鉄の杖と同じほどの音と火を断続して吐き出した。まるで地上を走る稲妻のようだ。人間が使うという大砲に近いだろうか? アルジェは眼も開けていられない。
煙が立ち込め、その中には死体と黒紫の焔が残るのみだった。背後の樹もまた粉々に近い状態だ。
「……何これ」
呆然と呟くアルジェにダーレルが答えた。
「鉄炮……姉ちゃん、砲身に罅入っちまってるよ」
聞き慣れぬ単語に眉根を寄せる間もなく、射線から逃れていたドワーフ娘にダーレルが声をかけた。。
「うーん……鳥銃はともかく順発銃は実戦で使うにはまだまだだぃね……〈プレアデス〉持ってこんでよかったね」
「下手打ったら俺の腕が吹っ飛んでたじゃねえかよ、それ!」
「そんなったら唾でもつけとき!」
姿形こそ似ていないが、憎まれ口を交わしていても悪意は感じられないから、どうやら姉と弟とかそれに近い関係なのだろう。
遠くから散発的に喚声と砲声が聞こえる。
「……あなたたち、誰?」
「援軍だよ」
ゆったりした歩みの山羊が来た。人間の女二人乗りだ。山羊が脚を止めると彼女らが山肌に降り立つ。一人は長身の女で、もう一人は黒髪の小柄な娘である。長身の女が手伝う様子から、娘の方が彼女の主なのだろうとアルジェは推測した。
「カザレラ村ドワーフ騎兵団――とでも名乗ろうか。で、君は? クーヴィッツでエルフがいるなんて話は聞いたことがない」
「あたしはアルジェ――訊きたいことはいくつかあるけど」
「わかるよ。でも優先すべきことは他にあるよね?」
少女が同意を示す。先回りをするような言葉からも、何となくアルジェにも彼女は頭の回転が速いのだろうと察せられた。
「うん。仲間たちが危ない。その――エス何とかでも十分じゃないかもしれない相手だけど」
「そうだね――ランズロウ!」
少女が大声で誰かを呼ばわった。間を置くことなく、女が恭しく答えた。
「シェラミス様、彼は既に敵へ向かっております」
「あたしに断りなくか?」
「火急の事態故と私が言伝を預かりました。余程切迫した様子でした」
「ふん、仕方ない――ところで」
シェラミスが樹上を指差した。
「そこの樹に引っかかってる彼はどうする? 敵なの、味方なの?」
「味方! もちろん助ける!」
ホゼはやはりぴくりとも動かない。シェラミスが眉根を寄せる。
「こいつは手間だな……息はあるの、ユーリル?」
「かろうじて、ではありますが」
「では手伝ってあげて。一人じゃ無理だろうしね」
と言いつつシェラミスは視線を既にホゼから視線を離し、周囲を見回している。その横顔にはどことなく神官長アーディルを思わせるものがある。二十にもならない人間の娘に感じるのは不思議なことだった。
「ダーレルも手伝いな。順発銃ぶっ壊れッちまったしちょうどいいだろ」
「姉ちゃんは?」
ドワーフ娘は山羊を上手く操りながら、童顔に獰猛な笑みを浮かべた。
「決まっとろうが。敵を叩いてくる。そっちが済んだら来な。いいね?」
× × × × × ×
エフェスのエアレーとバイロンの幻魔獣が並んだ。右にエフェス、左にバイロン。
形勢としてはバイロンへの追撃である。燃え残った丸太や炭化した材木、熱の残る大小の瓦礫や砂礫を踏み越えながら二騎は山の斜面を駆ける。
エフェスは剣を薙いだ。バイロンは剛刀で防ぐ。それを皮切りにして、一呼吸のうちに十合の火花が散らせる。バイロンの剣は精妙を極めている。これほどの男が、とエフェスは思う。
森林を抜けていた。狭い峡谷である。両側には岩肌の岸壁がそそり立っていた。
と言って、左側への攻撃は封じられている。バイロンは左肩にマーベルを担いでいるからだ。バイロンが彼女を盾とする様子は今のところないが、決してその可能性は除外出来たものではない。
バイロンはじわじわと距離を詰め、幻魔獣ごと痛烈な体当たりを仕掛けてきた。質量でエアレーが押し負ける。岩に挟み潰されかける。
エフェスは騎獣を跳躍させた。エアレーの偶蹄が岸壁を咬み、垂直に近い岩肌をひた走る。身体を傾がせながらエフェスは龍魂剣を揮った。剛刀はその一撃を防ぎつつ跳ね上がる。龍魂剣を左篭手に充てがって威力を殺し、逆襲の刺突を放つ。
二人が斬り結ぶ間に、蒼い影がエフェスの視野をよぎった。それが何なのか意識するより速くバイロンは大きく剛刀を後方まで薙ぎ払う。エフェスは思わずエアレーを跳躍させた。
重い金属音と共に大気が爆ぜた。
ぶつかったのは剛刀と槍である。その使い手は青銀の鎧騎士と騎獣である。
衝突の勢いの相殺の結果、青銀の騎士は束の間滞空した。バイロンが掬い上げるように斬撃を送る。騎士は強引に馬を御し、後退して付かず離れずの距離を取った。
エフェスは青銀の騎士と並んだ。
「ランズロウ・キリアンだな?」
「そういう君はエフェス・ドレイクか。互いに鎧姿で話すのは初めてだよな」
二人は前を走るバイロンを睨んだまま会話を続けた。
「その馬は」
ランズロウの騎獣は、彼の獣神甲冑と似た意匠の装甲をまとっていた。
「君のと同じくエアレーだよ。で……彼が幻魔騎士バイロンか。担いでるのは――マーベル・ホリゾント卿か!?」
ランズロウの驚きの声に、エフェスは沈黙を以て答えとした。ランズロウは一つ舌打ちした。
「獣神騎士二人がかりで仕留められると思いきや、とんだ誤算だな……」
「ならば諦めるか?」
「それこそとんでもない――エフェス、エアレーを装甲しろ。君なら出来るはずだ」
事も無げに言うランズロウは騎獣の速度を上げた。
「先手は僕が頂く。それだけの時間は稼いでみせよう」
鯨とその髭を象った頭部のバイザー、そのスリット越しに緑の魔瞳玉が爛と燃える。周囲にいくつもの水球が生じて浮かぶ。
「では改めて――星鯨騎士ランズロウ、参る!」
長槍〈鯨座の骨〉を掲げ、ランズロウは突貫した。