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10 歯牙を噛む

 どうやってやり過ごすか。それが問題だった。

 

 グラーコル・ドゥークスの剣は執念深い。巧妙さは無論なこと、一度食らいついた獲物は決して逃さないという切迫した気概を感じる。独孤派天龍剣の激しさや鋭さも合わさって難敵には違いない。

 

 加えて、バイロンの気配も動き出した。エフェスは強いてそちらに気を取られそうになるのを自制しなければならなかった。

 

「――(シャア)ッ!!」

 

 グラーコルは裂帛の気合を吐きながら逆袈裟の一閃を放つ。エフェスは受けられた剣を引き戻しつつ刺突。斬り下げる太刀に弾かれながら胴を払う。

 

 空を切る。

 

 胸部への斬撃の気配を感じ、エフェスは剣を立てて防御。そこからグラーコルが連続した刺突を送る。喉、右肩、腹、左肩――装甲の継ぎ目の部分を狙う正確なる突き。だが正確だからこそ読みやすい。エフェスは四度の斬撃を合わせて防ぐ。

 

 ――いや、防げていない。

 

 左肩の継ぎ目に出血。軽傷だ。鎧の力により傷はすぐに塞がり流れた血も少ない。しかし――

 

 二(けん)(約三・六メートル)の間合を隔てて、エフェスは龍魂剣を斜め青眼に構えた。グラーコルを睨みながら確信を込めて告げる。

 

「貴様、間合を盗んでいるな」


 グラーコルからの反応はない。エフェスが逆の立場でも答えないだろう。しかしわかる。〈饕餮〉の魔瞳玉越しの、殺意を強めるグラーコルの眼が透けて見えるようだ。

 

 グラーコルはエフェスの間合を盗んでいる。届くはずのない突きが届き、躱せるはずのない斬撃を躱し、有り得ぬ瞬間に有り得ぬ場所に立たれる。それを何度も繰り返せば嫌でも気づくことだ。

 

「縮地――それがお前の甲冑(よろい)異能(ちから)か」

 

 足跡も手がかりになった。踵や爪先の痕跡はくっきり残っているのに、その中間がすっと消えるように存在しない。摺足や踏み込みで移動したものとはまた異なる、そんな不自然な足跡がいくつもある。

 

「『縮地』の符牒で呼ばれる技法を持つ武林の流派は、俺もいくつか知っている。しかしそれらは所詮、合理的な身体の運用術に過ぎない。お前の縮地がそれらとは根本的に術理を異にする、幻魔甲冑に秘められた異能だと思えば何の不思議もなくなる」

「……流石は正調天龍剣宗家。すぐに見切られるとはな」


 嗜虐的な笑いを含んだ声だった。独孤派天龍剣と縮地を併せた己の剣技に対する、見破られてもなお絶対的な自信の表れだ。確かにこの能力ならば、種が割れたとしても対処は難しい。

 

「だが、私の力がそれだけと思うまいぞ」

 

 グラーコルは大上段に太刀を上げた。言葉の上の余裕とは裏腹に、グラーコルの脚が焦れたように、ほんの僅かな動きを見せたのをエフェスは見逃していない。

 

 間髪入れずエフェスは鎧の異能を用いる。――雷気魔力賦与(エンチャント)

 

(シャア)ッ!!」

 

 気合と共に眼前のグラーコルの姿が掻き消える。縮地を用いた、甲冑ごと中身の獣神騎士を深々と斬り下ろす勢いの真っ向からの斬撃――会心の一刀が斬ったのは、しかしエフェスの残像だった。

 

「――ぬうッ!?」

 

 既にしてエフェスはそこにはおらず、頭上高くまで跳んでいた。その身を空中に置きながら、降下より速く樹幹を蹴る。幻魔焔に冒されることのなかった樹々の幹を次々に蹴り、砲弾のように足跡を残しながらその反撥力で移動する。村の方角へ。

 

「貴様――ドレイク!」

 

 エフェスは背後を見ることなく、グラーコルを置き去りにして樹木を渡っていく。

 

 エフェスの眼からしても、『縮地』は恐ろしい異能である。それは剣士の鋭敏な感覚を惑わせ、狂わすことに利する力だ。武芸者にとって間合はまさしく生命線、(こと)に紙一重の差が生死を分ける達人同士では十二分に致命的な武器となる。そして今しがた見せた技倆からしても、その力を使いこなす才覚をグラーコルは持ち合わせていると見ていいだろう。

 

 幻魔騎士グラーコルを即時に片付ける方策が見つけられぬ今、これ以上ただの一騎にかかずらい、その場に留まり続けるのは決して得策ではないし、どころか無益――それがエフェスが下した判断だ。

 

 無論グラーコルも追いすがる。姿が掻き消えては現れ、その都度距離を縮めてくる。エフェスは樹を蹴って距離を離す。グラーコルが追いすがる。

 

 予想通りだ。一度に縮めることの出来る距離にはある程度の制限が存在する。油断ならぬ相手という認識は変わらぬが、振り切ることは出来るかも知れない。

 

 不意に、グラーコルの気配が変わった。エフェスはついそちらを伺い見る。


 グラーコルの抜身の太刀の刀身が、そのまま陽炎のように揺らいだように見えた。

 

「――()ッ!!」

 

 揺らぎをまといながら太刀が薙がれる。――と見るや、明らかに刃圏にない前方の樹々が十数本まとめて薙ぎ倒されてゆく。

 

「幻魔戦技〈弦月牙〉――如何にして立ち向かうや、天龍騎士?」


 太刀が幾度となく揮われ、それに伴う幾重もの刃風が疾走するエフェスの背を狙って奔ってくる。エフェスは移動経路を読ませぬためにジグザグに樹を蹴って前進を続けた。それでも数度に渡り刃風は〈鉄鱗龍〉の鎧を傷つけた。しかしエフェスは止まらぬ。


「そしてこれが幻魔戦技〈饕餮牙〉!」

 

 グラーコルの声と共に、めりめりと樹々の繊維が十数本まとめて潰されるような音がした。エフェスは構わず木を蹴って跳躍――が、距離が伸びない。どころか、後方に引き寄せられる感覚が。

 

 思わず後方を向く。泥のように認識が遅滞する。刀を持たぬ左拳を突き出すグラーコルとエフェスの距離は既に七間。その中間で数十の樹がまとめてバラバラになり、更に細かく粉砕されていく。あたかも不可視の獣の(あぎと)がその口内にあるあらゆるものを咬み砕いているようだ。

 

 ()は大気を――否、空間を喰らっている!


「これが我が『縮地』なるぞ!」

 

 グラーコルがそう叫んだのがわかった。

 

 宙に浮いたエフェスの身体が徐々に引き寄せられる。

 

 エフェスの脳裏に祖母から教えられた知識が蘇る。饕餮とは貪欲の獣であるという。ならばその貪欲は空間すら喰らうものだというのか。


 グラーコルは舌なめずりするようにエフェスが有効射程にまで引き寄せられるのを待っている。エフェスの方は蹴るべき地面も樹も周囲にはない。このまま待ち構える運命は、斬られるか空間ごと喰われるかのいずれかだろう。

 

 取るべき手段は、ない訳ではない。

 

 意識の遅滞が拭い去られ、本来あるべき時間の流れを取り戻す。

 

「獣神戦技〈雷龍珠〉!」

 

 エフェスは〈鉄鱗龍〉の鎧の掌部から球雷を生み、グラーコル目掛けて投じた。グラーコルは即座に応じ、空間の揺らぎをまとった太刀が球雷を切断する。エフェスの読み通り。

 

 エフェスの身体が更に引き寄せられる。しかしそれはグラーコルの予想よりなお速かった。


「な――ッ!?」


 王虎拳法から流用された空中連続蹴り〈鴛鴦脚〉がグラーコルの腹、胸、頭部を強打する。地に脚を着けたエフェスは更にそこから片足三段蹴り〈無影脚〉。――難度の高いこの套路(とうろ)は天龍剣で編み出され、号して〈紫電墜〉と呼称される。

 

 グラーコルが球雷を斬り捨てた際に太刀が帯びることになった陰の雷気が、〈鉄鱗龍〉の甲冑が帯びた陽の雷気を引き寄せる結果となったのだ。雷気の性質は魔術師によってある程度解明しつつあるが、天龍剣は独自の研究によって電磁石などの知識を子々孫々へ、闘争のために伝承してきた。

 

「おのれ……ッ!」


 血を吐くようにグラーコルが左手を鈎にして揮う。肩を深々とえぐられる灼けるような感覚が走るが、構わずエフェスは魔力付与した脚部による本命の蹴りをグラーコル・ドゥークスの腹部装甲にめり込ませた。

 雷気によって加速された一撃は重く鋭い。グラーコルは肺の中の空気を強制的に絞り出されたときのような呻きを上げ、一瞬の間を置いて砲弾のような速度でずっと後方へ蹴り飛ばされていった。

 

 肩部装甲ごとえぐられた傷は深い。獣神甲冑は自己修復と騎士の治癒の機能を持つが、重傷の際に再生が追いつかない場合もままある。今がそれだ。

 

 本来ならば装着しているだけで身体の奥深くに消耗を強いる鎧は今すぐに解き、調息を行なうべきなのだろうが、その時間すら惜しい。それに幻魔騎士グラーコルがあの程度で仕留められたとも思えない。体勢を立て直せば更に激しい逆襲を仕掛けてくるのは火を見るより明らかだ。

 

 天龍騎士の眼が疾走する影を捉えた。エアレーがこちらへ向かってくる。アルジェが放ったのか。考えている場合ではない。エフェスは駆け寄りその背に跨る。エアレーはターンして村へと走る。エフェスは鎧と己の魔力をエアレーに注ぎ込む。速度が上がる。

 

 騎影が近づいてくる。幻魔獣と鎧姿の幻魔騎士バイロン。右手に逆鱗刀を携え、左肩には何かを担いでいる。人だ。

 

 それが誰かとは考えなかった。エフェスは逸る戦意を圧し殺し、エアレーの腹を蹴り、最大戦速で斬りかかる。

 

 交錯する。龍魂剣と逆鱗刀がぶつかり、壮絶な金属音を奏でる。エフェスは翻転しながら訝しんだ。追撃が来ない。バイロンは激突の勢いそのままに山を降ってゆく。

 

 折よく飛んできた樹の葉の蝶がアルジェの声で告げる。

 

『――マーベルが幻魔騎士に連れて行かれた!』

 

 エフェスは奥歯を食いしばり、再度エアレーの腹を蹴った。

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