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9 風の魔神の翼

 ゴベリヌスが死に絶えた頃。至近距離での攻撃の応酬の末、王虎騎士の拳がついに女王蜘蛛の牙を二本とも折り砕いた。女王は苦悶の声――最早人の声帯ではないのだろう――を上げた。彼女の八つの目は最早六つまでが潰され、頭部は悍ましい色の体液でまだらに染まっている。ヴァリウスはその首に逞しい腕を巻きつけるや、

 

「――(フン)ッ!」

 

 気合一閃、女王蜘蛛の巨体が持ち上がった。

 

 ヴァリウスは更に首を抱えたまま背を反らす。女王蜘蛛は音立てて竹林を折り砕きながら後方へ叩きつけられる。降下の勢いと女王の自重が相乗して地が揺れるほどの衝撃が生まれる。

 

 ヴァリウスは体勢を立て直す時を与えなかった。首を固めた腕を解きざま、右足を軸に回し蹴りを放つ。王虎拳法〈偃月横掃腿〉が極めて正確な円弧を描き、女王蜘蛛の頭部を爆砕する。

 

 黒と紫に燃え上がる女王の肉体。獣神騎士と死闘を演じ今まさに死にゆく配下に対し、レイディエンが労いの言葉を送った。

 

「キャサリン、よくやった。安らかに冥府の河を渡るがいい」

「まるで他人事だなレイディエン。次に冥府の河を渡るのはお前だぞ」

「それは困るな」


 ヴァリウスの怒りをさらりと受け流しながら、レイディエンは右手に仮面を執った。あるかなきかの笑みの浮かぶ口元を隠すようにその手を上げ、隻眼に名状しがたい光を輝かせて言う。

 

「無論私もただでやられる気はないし、むしろやられるのはお前の方かも知れぬよ――幻魔、装甲」


 風が巻き、黒い粒子が重く不吉な音を立てて伴った。粒子が隻眼の男を覆い隠し、一呼吸の後に放射状に飛散する。

 

「幻魔騎士レイディエン、参る」

 

 漆黒の騎士が姿を現す。頭部は角を持つ獅子、背中には四枚の翼。脚は鷲、尾は蛇――砂漠の熱風を司る古代の魔神を模した甲冑を鎧い、レイディエンが告げる。

 

「……風魔神(パズズ)? また珍しいヤツを――」

 

 王虎騎士が言い終えるより早く、幻魔騎士は仕掛けて来た。ヴァリウスですら咄嗟に反応が遅れる速度で。

 

 第三者が見ていれば、それは黒い風がヴァリウスへ襲いかかったとしか見えなかっただろう。

 背中の四枚羽――その機能は鳥のものとは自ずと異なる――によって担保された膨大な推進力を加算した、レイディエンの王虎拳〈千綜手〉の絶え間ない連撃。さしものヴァリウスも同じ〈千綜手〉を繰り出しながらの後退を選ばざるを得ない。

 

 右の目潰しを右の篭手で逸らしながら左の肘をかち上げて顎を狙い、左腕でそれを捌かれると同時に右の手刀を同時に重ねる。鎧と鎧、篭手と篭手が間断なく幾度もぶつかり合う重金属音が響き渡る。〈千綜手〉はひたすら手数を繰り出す技であり打撃の重さは二の次の扱いだが、それも獣神騎士あるいは幻魔騎士の膂力で放たれれば決して油断ならぬ威力となる。

 

 剛力には自信のあるヴァリウスだが、レイディエンも優男に見えてかなりの膂力を持っている。そもそも王虎門は外家――直接的身体強化に重きを置く門派であり、王虎拳の免許皆伝者となれば素手で金塊の形を変える程度の芸当は持ち合わせていたりもする。そしてヴァリウスもレイディエンも共に免許皆伝者であり、技倆や甲冑の力を含めても総じて互角とヴァリウスは見ていた。

 

 だが――前に出ながら圧力をかけてくるレイディエンとそれを流すために退かざるを得ないヴァリウスとでは、やはり後者の方が不利だ。さしもの獣神騎士も物理法則に対して完全なる勝利を収めることは出来ない。攻防の入り乱れる技の応酬でありながら、実質はヴァリウスの防戦一方であった。

 

 ほんの一瞬出遅れた。たったそれだけの差が勝者と敗者を明確に分けもする。そんなことはヴァリウスとて嫌というほど理解している。先の先を奪われたことについてはまさに迂闊と己を罵る他ない。ヴァリウスは内心己を罵倒しながらレイディエンの猛攻を防ぎ、攻め切れぬことを理解しながら攻め、防がれ、攻勢へ転ずるための好機を伺っていた。

 

 数百手を交わしたかと思われた時、喉元を抉るように突き込まれる指先。ヴァリウスは紙一重の差で手首を掴み前蹴りを放った。

 レイディエンは器用にも前進中に僅かに減速し、間合を狂わせ可能な限り衝撃を殺してのけた。これにより獣神甲冑は靴裏を幻魔甲冑の胸甲に接触させるに留まる。爪先には羽毛でも蹴ったような感触だけが残る。

 

「……チッ!」

 

 忌々しげに舌打ちしながら、それこそがヴァリウスの望んでいた好機でもあった。重心を敢えて後方に崩し、ヴァリウスは掴んだ手と充てがった足裏を離さなかった。腕を引きながら背を地につけ、引き込んだレイディエンをそのまま後方へ投げ飛ばした。巴投げである。

 

「――やるではないか!」


 レイディエンは黒翼を大きく広げては巻き込み、竹を蹴った。その柔軟性も借りて翻転を行ない、空中で錐揉みめいた身の捻りで襲いかかる。脚の鉤爪が獰猛な光を放つ。

 

 地に背をつけたままヴァリウスは跳び上がり、螺旋を描くその脚で相手の脚を蹴り払った。〈円規掃腿〉の崩し、〈臥虎螺旋腿〉。重く硬質な音が竹林に響く。

 

 ヴァリウスは地を脚で踏みしめ、今度こそ攻勢を畳み掛けようとした。だが、果たせなかった。行動に移るより速くレイディエンが身を翻し、その脚の鉤爪を深く両肩に食い込ませたのだ。

 

 四枚の猛禽の翼が力強く羽撃(はばた)く。王虎騎士の身体が宙に浮く。

 

「――しまった!」


 嗤笑の気配がした。ヴァリウスの身体が瞬く間に竹林の高さよりなお高みにまで持ち上げられ、凄まじい速度で森林地帯を離れていく。

 

 ヴァリウスの視界に猛然たる進撃を行なうバイロンの姿が入る。目的地は無論、村だ。

 

「どこへ連れて行く気だ、野郎!」

 

 ヴァリウスは咄嗟に両腕を交差させ、肩を掴む鉤爪の足首を掴んだ。脚部装甲がみしみし軋みを上げるが、意に介す様子もなくレイディエンが嗤う。

 

「我らにとってこの高さから落とされることは問題ではあるまい。戦域を強制離脱される方がずっと問題だ――そうだろう、ヴァリウス?」


 獣神騎士(俺ら)幻魔騎士(お前ら)を一緒にするな、と言いかけ、それどころではないと思い直す。業腹だが、レイディエンの言うことは完全なる事実だからだ。戦域から離されれば目的が果たせぬ。現状を打開するため、ヴァリウスの脳髄が起死回生の一手を捻り出す。


「――(セイ)ッ!」

 

 全身の筋肉を連動させ、振り子のように蹴り上げる。王虎拳法〈獰虎偃月斧〉。これまで多くの幻魔兵を屠ってきた必殺の一撃である。

 

 レイディエンはその爪先が己の身に届く前に、ヴァリウスの身体を上空高くから切り離すように捨てた。

 

「……このあたりでよかろう」

 

 風の気まぐれか、山の端近いガレ場に落ちてゆくヴァリウスの耳に吐き捨てるような言葉が聞こえてきた。

 

 四枚羽の黒い影が去ってゆく。


 上空へ上がるのも速かったが、落下する速度はそれよりずっと速い。獣神甲冑は極めて堅牢な鎧ではあり、それを鎧う者にも身体強化が為されてはいる――が、上空から地表へ叩きつけられて傷一つなく立っていられるだろうか? 興味深い問題だが、ヴァリウスは試すつもりは全く無かった。

 

 地表が近づいてくる。

 

 ヴァリウスは地面に向き直った。それから瓦割りの要領で拳を叩きつけた。

 

「――(フン)ッ!!」

 

 乾いた粘土質の土砂が高く舞い上がり、正拳の衝撃が擂鉢状にガレ場を抉る。立ち込めた濛々たる土煙が晴れると、膝をついて顔を苦しげに歪めるヴァリウスが姿を現す。

 

「ああ……畜生……」

 

 懐の袋から取り出した丸薬を口に放り込み、噛み砕いて強引に飲み下す。複数種の薬草の混じったきつい臭いと苦味や鉄分を主とした凄まじい味が喉から鼻に溢れるが、気付けにはむしろ丁度いい。

 

 ……状況は一刻を争う。しかしこれから待ち構えるのは間違いなく幻魔騎士バイロンであろう。難敵に対して万全で挑むに()くはない。無駄死には許されないのが獣神騎士の定めだ。


 逸る心を抑え、調息を行なって内力を循環させる。丸薬の効能は体力と内力の回復であり、調息でその効果を高めることが出来る。本来ならば十分に時間を取った上で行ないたいところだが、今は僅かな時間すら惜しい。

 

「では――行くか」

 

 必要最低限の気力と体力が戻ったと判断するや、ヴァリウスは再度立ち上がって虎の鎧をまとった。

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