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8 強襲と防衛(後編)

太師父に訳を当てるなら「グランドマスター」がいいんでしょうかね。

 石と木が自重でぶつかり合い、それが無数に重なって騒音と化す。雪崩の勢いは止まらない。これに飲みこまれれば生身の人間の軍団などひとたまりもないに違いない。幻魔騎士でも無事では済まないだろう。

 

 にもかかわらず、バイロンは速度を緩めることなく幻魔獣を疾駆させる。疾駆の速度のまま、次々と襲い来る石材と木材とぶつかる。ひと抱えもふた抱えもありそうな石や木の塊が降り注ぐ。

 

 バイロンが左拳を突き出し、ちょうど落ちてきた頭より大きい石塊(いしくれ)を打ち据えて破砕した。それを皮切りに、絶え間なく襲う自分や幻魔獣の頭部に落ちかかった巨石を剛刀で打ち砕き、進路上の丸太を斬り裂き、時には薙ぎ払う剣威で弾き飛ばす。ある程度の大きさは打ち払うものの、小さい断片が散弾のように甲冑と幻魔獣に降りかかる。しかしその剣勢は乱れなく、進撃は淀みない。一体、この男は恐怖という感情を持ち合わせていないのか。

 

 ――バイロンの剛刀は遠目に見るだけでも身の丈近くの長さを誇り、厚さも一、二寸では利かない。だがそれをここまで迅速かつ精妙に揮う者がいるとは、この眼で見てさえ容易には信じがたい。

 断続する破断音の凄まじさに、マーベルはバルエシオ大河の怒涛を連想する。白波のように木屑や石片が飛散する。

 

「……物凄まじい」


 グンライがやっとという感じで声を絞り出した。その眼はバイロンの揮う剣から決して離せないようだった。マーベルにとってもバイロンという男は人の形をした怪物としか思えないが、三羽烏も同じような心持ちだろう。

 

 聞いた話によれば、バイロンは天龍剣でも最強と呼ばれる剣士だったそうだ。それがガウデリス覇国の手に陥ち、かつての同胞や兄弟弟子にその剣を揮っている。そればかりか、あまつさえ太師父でありエフェスの祖父であるファルコ・ドレイクを殺害しているという。バイロンを迎え討たんとする天龍剣門下の内心はマーベルの想像を超えている。

 

 雪崩は見かけよりずっと大量に落ちていく。しかし勢いが次第に弱まっている。バイロンの進撃は弱まるどころかむしろ激化しているようにすら見える。

 

 尤もエアンナはこれで食い止められると思ってはいなかったようであり、マーベルもそれには同感だった。――この程度の罠でエフェスがやられるとも思えないのだから。

 

 降り注ぐ罠、第二陣――巧妙に森に隠された魔術陣へ「点火」された。これは魔術に長けたエルフであるアルジェにしか出来ない仕事だ。

 

 バイロンが背の高い広葉樹に差し掛かる辺りで、樹々が一斉に燃え上がった。轟音を立てて次々とバイロンの頭上へ崩れ落ちる。


『マーベル!』


 アルジェに言われるまでもない。赤々と焔に照らされた幻魔騎士目掛け、マーベルは立て続けに矢を射込む。バイロンの剛刀が恐るべき速度で幾度も弧を描き、矢と燃える樹々を払い、切り落とす。

 

 炎上崩落する樹々の中、黒紫の鬣をなびかせて幻魔獣が跳躍した。白い甲冑が焔を照り返し、夜明けの影に沈んだ龍頭の兜の中で紫の瞳が妖しく輝く。禍々しくも力強い、それは一葉の絵にも匹敵するような瞬間だった。


 幻魔の騎馬が着地する寸前、その目の前で燃える樹が形を変えた。事前に仕組まれた魔術によって指定された形状に組み上げられたのである。無数の燃える逆茂木だ。

 

 ――マーベルはここでも内心舌を巻く。魔術師との面識など精々がシェラミスくらいで、しかも彼女は完全に文官だから戦闘など不得手どころか出来ないと公言していた。どうにも適正というものがあるらしい。そのシェラミスの師匠筋で、これほどの大仕掛けを仕込んでいたエアンナとは一体どれほどの魔術師なのだろう。

 

 逆茂木が鋭く騎馬に迫る。触れる寸前に幻魔獣が蹄高く上げ、逆茂木を蹴飛ばしもしくは踏みしだき、木っ端に砕いてしまう。火の粉が散る。

 

 流石に、僅かにだがバイロンの速度が緩んだ。そこへマーベルの矢が飛ぶ。狙ったのは幻魔獣である。バイロンには当たらない、全て矢を撃ち落としてしまうだろうからだ。

 

 幻魔騎士が剛刀を大きく巻き上げるように動かした。局所的な乱気流が発生し、必中の矢の軌道が不規則に乱れる。射手であるマーベルの意に背いてその鏃は一つたりとも騎士、騎馬に触れることはない。

 

 マーベルは心を強く持った。それもまた攻略されるのを織り込み済みの布石の一つである。

 

 自分たちは山の下方で闘っている獣神騎士たちが戻ってくるまでの時間を稼ぐだけでいい。尤も今相手にしているのは殺す気でかからねばそれすら不可能な相手だ。幻魔騎士バイロンは甲冑を身にまとったエフェスをも退けている。三羽烏が達人だとしても、正面切って切り結ぶのは自殺行為に等しい。だから前には決して立たぬように言い聞かせてある。

 

 騎馬が停まる。

 

 その差し掛かったすぐ前方、逆茂木が立ち上がり、燃え上がった。炎上する丸太が赤熱する炎の槍と形状を変え、意志のあるようにバイロンを軸とした扇状に展開し、次々と燃える穂先がバイロンへ突き込まれる。

 

『うわッ……これ、あたしの魔力の方が……!』


 扇状の陣形が半球状に変わる。無数の炎の槍が突き立ち、一際強く炎が燃え、解放された魔力反応により山中に高く柱のようにそびえ立った。


「やったか……?」


 イノエが驚愕も露わに呟いた。


 しばし燃え上がる炎の柱を誰もが呆然と見上げている。マーベルは我に返り、アルジェに声をかけた。


「大丈夫、アルジェ?」

『大丈夫よ……一応精霊を飛ばすくらいの魔力は残ってる……』

「体力は?」

お菓子(レンバス)食べて回復中……最後の一枚残しておいてよかった……』


 レンバスはエルフに伝わる焼き菓子である。一口食べれば立ちどころに空腹が癒え体力が満ちるが、エレルフォムにある聖なるフレリア川やその支流の水と、そこで育った麦でしか作れない希少な食べ物である。肉食の習慣のないエルフたちが中原を旅するには命綱に近い、必須のものだった。


「見よ、炎が」

 

 戦慄した口調でグンライが指差す。

 

 炎の赤と黄色の中に、黒と紫が混じり、渦巻き、染め上げる。炎の柱が暗い色に完全に染まる頃、突如として放射状に弾け飛んだ。

 バイロンがいた。その白い甲冑には余燼が多少燻るものの、人馬共に当然のように無傷である。


 龍頭の魔瞳玉がぎらりと剣呑に輝き、紛れなくマーベルの方を見た。その威圧に思わず全身が総毛立つ。

 マーベルは束の間、手元の武器の存在を忘れた。衝撃と恐怖で。

 

 見られた――そう思った次の瞬間にはバイロンは幻魔獣の腹部を蹴り、再度疾駆している。完全に勢いを失くした残骸を幻魔獣の蹄が激しく踏み越えてゆく。雪崩はもう尽きていた。

 

「罠は!?」

『駄目……もうない……』


 マーベルは絶望的な気分になる。


 一人の影が迫る騎馬の前に立ちはだかった。薙刀を構えた影はホゼだ。


 間合に入ったとき、バイロンは殆ど無造作にその逆鱗刀を揮った。ホゼもまた薙刀を揮った。

 

 風を裂く、ぞっとするような轟音。

 

 その一撃を薙刀で受けたホゼの身体が木っ端のように吹き飛び、樹上に引っかかって動かなくなる。鉄の柄が折れ曲がり欠けた薙刀の切先が山肌に深々と突き刺さった。

 

「アルジェ! ホゼさんが!」

『わかってる!』


 ホゼの生死はわからないが、生きているとしても無事とは思えない。マーベルは我に返っていた。すぐさま弓を射た。立て続けに降り注ぐ十矢をバイロンは苦もなく防ぐ。


 すれ違う。また眼が合った。


 一矢を放った。矢は僅かに幻魔甲冑を掠めて飛んでいった。幻魔獣は速度を緩めず走ってゆく。

 

 目的地はわかっている。村だ。

 

『マーベル!』


 樹上から発光体が落ちてきた。それは見る間に大きくなり、光が消えて姿が顕になる。エアレーだ。アルジェが寄越したのだ。声をかける暇すら惜しんでマーベルは騎乗した。この幻獣の速度ならば追いつける。

 

『ああ、もう――全く何してんのよ、獣神騎士!』


 アルジェの代弁はそのままマーベルの叫びだ。歯を食いしばりながらエアレーを疾駆させる。マーベルはバイロンに食い下がる。距離が徐々に詰まる。エアレーは速い。しかし容易に接近は出来ない。

 

 幻魔獣もまた恐るべき速度だ。そしてその質量差から、接触すればひとたまりもないだろう。人馬諸共に押し潰されるか、吹っ飛ばされるかの違いに過ぎない。

 

 幻魔騎士越しの前方に村の入り口が見えてきた。

 そしてそこに一人、毅然と立つ老女の姿も。

 

「――リウィア様!」


 マーベルは殆ど絶叫していた。

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