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6 嘲笑う眼

 天龍剣の鋭さは時に雷に喩えられる。触れるものを焼き尽くさずには措かぬ、呵責なき稲光だ。

 

 ならば王虎拳の激しさは嵐に比せられるだろう。遮る全てを薙ぎ倒して進む、荒れ狂う暴風である。


 王虎騎士ヴァリウスの直進は颶風が人の形をしたものと見えた。振り回す腕が幻魔兵の胸甲を穿ち、脚が腰骨を砕き、肘が頚骨をねじれさせ、踵が頭蓋を破壊する。

 

 時として彼の四肢を掻い潜り、懐にまで飛び込んでくる者もあった。ヴァリウスはゴベリヌスの頭部を五指にて掴み、巨木に叩きつける。齢数百年はあろうかという太さの樫の樹幹が陥没し、樹木の繊維が自重で破断され、ゴベリヌス数体を巻き添えにして倒れる。如何に人外の耐久力を誇ろうとも巨木の質量の前には虫も幻魔兵もさして変わらぬ。


 オルクスが怒りの咆哮を上げる。その頭部へ(しな)う竹が叩きつけられる。(ささら)に折れたそれをヴァリウスは間髪入れず口へ突き込んだ。オルクスは目を見開き、弓なりに背を反らせた奇妙な形で地面と縫い付けられた。

 

 周囲は植生が変わっている。密生する竹林である。


 頭上に影。一つ二つではない。一瞬だけ夜明けの星のように錯覚したものは、影に浮かぶ八つの眼球の怪しい光だ。次第に王虎騎士の魔瞳玉に、人の大きさを持った蜘蛛のような陰影が判然と浮かぶ――幻魔兵〈鬼蜘蛛(デオフォロブ)〉。

 

 殆ど同時に、四方から糸が吐きかけられる。幾重にも糸の()り合わされたそれは鋭利なる刃となって竹を貫き、斬り倒して王虎騎士へ向かう。

 

 虎が吼えた。

 

 衝撃波(つきなみ)が生じ、それが大気を震わせた。竹が揺さぶられ、ぶつかり合って乾いた音を立てる。頭上の鬼蜘蛛たちも安定を失い、糸も刃の鋭さを失う。


 撓う竹を踏んで、ヴァリウスは跳躍した。一瞬のうちに自分らより高い位置へ跳んだ王虎騎士を蜘蛛たちは見失う。

 

 最も高い位置にいた鬼蜘蛛の頭部に踵がめり込む。そいつの即死を感触のみで確信したヴァリウスの巨体が宙に弧を描き、気づいた横手からの蜘蛛が吐きかけた毒液を躱す。毒煙を上げて朽ちる竹。それが地に落ちるより早くヴァリウスの肘が毒液の鬼蜘蛛の顔面へ肘を埋める。


 右手、即ち東から二つの気配が膨れ上がり、激突するのをヴァリウスは感得する。

 その隙に乗じて鬼蜘蛛の節足がヴァリウスへと攻めかかる。ヴァリウスは竹の一本を掴むや身を振り、その弾力で回避。回し蹴りが別の個体の胴体を捉える。ヴァリウスはその反動を利用し、先程の鬼蜘蛛へ双手の指を組んで頭上へ叩きつける。


 竹から竹へと王虎騎士は飛び移り、鬼蜘蛛と渡り合う。 


「――ッたく、どこにいやがる、幻魔騎士!」

 

 今の気はエフェスと幻魔騎士の闘いが始まったということだろう。あちらへ介入する余裕は決してヴァリウスにもないが、ならばこちらにもいるはずだ、少なくとももうひとりの幻魔騎士が。

 

 しかしそいつは一向に姿を現さない。


「貴様らはわかってるんだろうが! 俺はヴァリウス・ガウ! 覇王の廃嫡孫にして貴様らが憎んで余りある王虎騎士だ! 俺の首は千金、否万金に値するぞ! 叙爵もあり得るだろうな!」


 なおも緩まる様子の見えぬ鬼蜘蛛たちの爪を防ぎ、毒液を躱し、糸を捌き、それらへ手痛い反撃を返しながらヴァリウスは自らの存在を誇示した。

 迂闊にもヴァリウスに近づき過ぎた個体の頭部を掴み、膂力で竹から引き剥がし、ヴァリウスは落下速度と己の自重を加算させて地面へ叩きつける。そうした原因より生じる悪しき結果の全て――死――を鬼蜘蛛に押し付け、王虎騎士は飛び退いて地に降り立つ。

 

 竹の樹上にはまだ鬼蜘蛛がいる。


 前方から巨大な音が迫る。ヴァリウスは獣神騎士の聴覚でその正体を正確に把握した。竹の数十本がまとめて巨大な質量に踏み潰される音。竹を物ともせず前進する質量。

 

 音が途切れ、その質が変わる。大質量が宙に浮いたのだ。跳んだのだ――竹を薙ぎ倒しながら着地。巨影の下で上がった幻魔焔は数個。何体か鬼蜘蛛が押し潰されたらしい。


 ヴァリウスは畳八枚分の距離を以てそれを見上げた。八本の節足、八つの複眼。巨大な鬼蜘蛛――ウルク=ハイたる〈女王蜘蛛(モードロブ)〉。交戦経験はあるが、以前の個体とは段違いに巨大だ。


 その背に佇立(ちょりつ)するものがあった。目元のみを隠す仮面をつけた、長身の男。


 彼の存在にも、ヴァリウスは憶えがあった。彼の脳裏に困惑の気配がちらと掠めた。


「――レイディエン、か?」

「久しいな、ヴァリウス」

「もったいぶった登場の仕方だな。しかも何だ、その妙な仮面は?」


 ヴァリウスとレイディエンは旧知の仲だった。同時期の王虎門でフーダオ老師の直弟子として研鑽を積んだ、いわば兄弟弟子である。互いにどこか反りの合わぬところがあり、さほどには親しくのない間柄ではあったが――


「何かと面倒だからな、老師の潰してくれた左眼に言及されるのは」


 レイディエンは仮面をあっさりと外した。美男である。その端正な顔の左眼は、えぐれたような傷跡が今なお深く刻まれている。


「まあ、老師にはある意味感謝しているがね。あの時に私は生きるべき道を見出したと言っていい。殺したのは慈悲と感謝だ」

「……老師に手を下したのは貴様か」


 怒りがヴァリウスの声に籠もった。

 

「おや、気づかなかったか? しかし糞尿を垂れ流し続け、弟子の名を間違える老師などお前だって見ていたくはなかったはずだ」


 内心ヴァリウスはそれを認めた。数年ぶりにフーダオ老師を見舞い、すっかり老耄した太師父の姿を見るのは辛かった。

 しかしそれとこれとは別だ。


「――師父殺しは大罪だ。貴様は殺す」

「その前に、お前にはキャサリンが相手だ」


 猛烈な速度で這い動く八本の節足。女王蜘蛛の突撃。

 

 身構えたヴァリウスと激突する直前、頭上から十体近い鬼蜘蛛が落下してきた。一体は突き上げる拳で打ち抜き、二体は薙ぎ払う脚で打ち砕く。三体を咆哮と震脚で弾き飛ばすも、四体が死に瀕しながらまとわりつく。

 

 衝撃が王虎騎士を襲う。ヴァリウスは竹を十数本巻き添えにしながら後退。折れた竹を払い除けながら、女王蜘蛛とその間に立ちはだかる鬼蜘蛛、そしてレイディエンを睨む。

 

「正確にはキャサリンたち(・・)とだ、ヴァリウス」

「貴様はそうやって高みの見物か。いい身分だな、おい?」


 いくらかの鬼蜘蛛が移動する。糸を左右の竹へ吐き、一息によじ登るものあり、そのまま地上でヴァリウスを包囲するものあり。


 女王蜘蛛が前肢を振り上げ、ヴァリウスへ迫った。節足の鋭い爪を受け流しながら、横手から吐きかける糸を手刀で切断。攻め立てる女王蜘蛛の牙を僅かに首を逸らして回避。反撃の段で背後から飛びかかる鬼蜘蛛をやむなく裏拳で叩きつけたところ、女王蜘蛛が再度節足で襲いかかる。


「そうだ。出来るだけ早くした方がいいぞ」

 

 レイディエンが呟くように言うと共に、東でぶつかり合う気配とは別の、もう一つの気配が動いた。

 

 幻魔騎士バイロンが前に出たのだ。村へ向かって。その意図を悟ってヴァリウスが怒りに任せて叫んだ。

 

「――レイディエン!」

「貴様の頑張り次第だぞ、王虎騎士よ。無辜の民を救えるか否かは」


 レイディエンは美貌に嗤笑を張り付かせ、蜘蛛の背中からヴァリウスを見下ろした。攻防に追われるヴァリウスを。


「それが貴様ら獣神騎士の役目だものな、ヴァリウス・ガウよ」

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