4 夜明けの幻魔焔
「ここですな、奴らを見失ったのは」
夜明け、山の中腹で一同は脚を止めた。先導する磨羯兵が拝跪姿勢のままレイディエンに告げる。
「燃やしてしまえばいいのではないか」
「御覧下さい」
磨羯兵が油を木の根本に振り掛けた。火口を取り出し点火する。火は小さく蠢いただけで燃え広がらず、すぐに消えてしまう。
「ふむ、どう見る、グラーコル」
「なかなかの結界だ。十重二十重と結ばれていて、正しい道筋を踏まねば決して目的地には辿り着かぬ」
ドゥークス氏は龍脊山脈から下山して天龍剣を白虎平原に伝えた一族だ。その中にあってグラーコルの母は神官の血筋であり、天龍剣の用いる術式に通じている。その子であるグラーコルにもその知識は伝えられていた。完全ではないにせよ。
「お前には正しい道筋がわかるか」
「否――ただ、別の解法はある」
グラーコルが背に帯びた太刀の柄に手をかける。「装――」
そのとき、気迫が後方で膨れ上がる。畏怖を含んだ視線がそこに集まる。燃え盛る幻魔焔。舌打ちしてグラーコルは下がる。レイディエンは薄い笑みを口元に浮かべる。
「我らが出るまでもなさそうだぞ」
白い龍の甲冑、幻魔騎士バイロン。抜き放った逆鱗刀が黒と紫に燃え上がっている。その禍々しい色の焔は、ひとえに天龍剣を狩り立てるための力に他ならぬ。
何のため、という疑問は恐らくバイロンの中にはない。あってもそれは間違っているし、しかもその答えに至るための筋道はすっぽりと欠落している。その救いがたい矛盾にバイロンが気づくこともない。
一級の魔術師が寄ってたかって調整を施してもなお、彼の強力極まる自我は完全なる服従を拒んだ。暴走により魔術師十九名が無残な死体と成り果てて、ようやく別のプランに切り替えることを決めた。安定性と引き換えに破壊と暴力の衝動を増幅したのだ。
白虎平原の覇城、その玉座の膝下にまで近づいた天龍剣最強の男を捕らえ、逆に天龍剣に対する最凶の走狗に仕立て上げる――全く、覇王の悪虐の中でもこれほど悪趣味なものもないだろう。そうレイディエンは思う。
幻魔焔が魔力の結界で守られた山林を薙ぎ払う。
× × × × ×
白み始めた空に黒々と煙が立ち上っている。森を燃やすのは理外の炎、幻魔焔。
「随分早かったな」
高台から禍々しい色をした火の手の方向を見降ろしながらヴァリウスが呟くように言う。距離は近くない。しかし楽観視していられるほど遠くもない。
「……ざっと総勢二百ってところか。磨羯兵は数に入っていないようだが……」
「皆幻魔兵か」
「恐らく」
幻魔兵は最低格のゴベリヌスでも一体につき十の兵に相当する、というのが近頃の中原軍事での常識だ。つまり通常兵力換算で二千の兵に相当する敵を相手取ることになる。辺鄙な村を攻めるにしては大袈裟な反応だ。
「何の不思議もない。覇王は天龍剣を仮想敵として明確に睨んでいたのは、覇国では公然の秘密だ」
「その話は初めて聞いたぞ、ヴァリウス」
「言ってなかったか? まあいい」
他の皆は村人へ一箇所へ集まるように呼びかけている。高齢の者も多いため捗らぬ様子だ。そしてその間にも黒紫の焔は着実にその勢威を増してゆく。猶予はさほどないだろう。
禍々しく燃える鬼火の中、エフェスは一つの気を感じている。二百の幻魔兵すら圧倒する巨大な気迫。幻魔騎士バイロン。
思慮が一気に吹っ飛びかけたエフェスの肩を、ヴァリウスの手が掴んだ。
「逸るなよ、天龍騎士」
ヴァリウスが手渡したのは晩餐で余った饅頭である。
「朝飯だ。食え。腹がくちくなりゃ少しは苛々も収まるだろ」
魚肉と香草入りのそれを貪り喰いながら彼は言う。
「この気――幻魔騎士バイロンか。俺も一度戦り合った相手だ。鎧じゃなかったが」
それを感じられぬほど、ヴァリウスも鈍感ではない。しきりに項のあたりを撫でさすっている。
「お前も奴を狙うか」
「是非お相手したいところだが、流石に優先順位は履き違えんぜ、俺は」
黒瑪瑙の瞳が独断専行を戒めるようにエフェスを見た。
優先順位。一、村人の身柄や私財の安全確保。二、敵の撃退。バイロンの撃破はずっと下になる。エフェスにもそれは十分理解できている。
「それに他に手強い奴がいないとも限るまい。お前に勝手に動かれちゃ困るんだよ」
エフェスは何も言わず、饅頭を食った。
「村の者は集めました」
祖母のリウィアが三羽烏を伴って来た。
「エフェス、惣領としての指示を」
村人は多くが足弱の老人故逃げ出せぬ。そして祖母や村人に逃げる意志はない。
ここは腹を括り、踏ん張るしかないということか。
「師兄たち、闘える者は?」
「我ら三人のみ」
予想通りの返答。
「では、無理をせぬように。特に幻魔騎士が出てきたら必ず引いてくれ」
「承知」
三羽烏はいずれも天龍剣免許皆伝、幻魔兵ゴベリヌス程度にむざむざ遅れは取るまい。それでもエフェスは念を入れた。
踵を返し、進む。敵の在る方へ。ヴァリウスが並ぶ。
「初手から行くぞ」
エフェスは鞘込めの剣の柄を握った。
「出し惜しみせずにか」
ヴァリウスは篭手で覆われた両の拳を打ち合わせた。
「たまにはいいだろう」
「毎回は御免だがな」
二人共、視線の先にまだ見えぬ敵を睨む。
「「装甲」」
嵐が吹き荒れ、雷が轟く。それらが失せた後に現れたのは、獣神騎士二人。
「天龍騎士エフェス、参る!」
「王虎騎士ヴァリウス、参る!」
結局やることは変わらない。武威を以て敵を打ち砕く、それあるのみ。
次回、バトル。




