0 幻魔騎士団
遅くなってすみません…
ラッセナ城の玉座は長らく空位だった。
およそ二百五十年前、当時のクーヴィッツ王が突如として廷臣の粛清を開始した。最愛の王妃と十六歳の美しい王女へ証拠なき不貞を理由に死を賜ったのを皮切りに、次々と廷臣は処刑されていった。王は自分の頭の中にのみ聴こえる声を頼りに罪を定め、刑を量った。あらゆる人々が無罪を訴えるも聞き入れられることはなかった。そしてそれは王族すら例外ではなかった。王は完全に狂っていた。
「血の九年間」と呼ばれる日々は呆気なく終わった。ある朝、王は自室で事切れていた。死因は不明であるが、一説によれば彼は脳内の託宣のままに怪しげな魔術師から材料を買い求め、自家製の霊薬を作ってそれを服用していたという。独自製法の霊薬が狂王の心身に悪影響を及ぼしていたことも十分考えられる。しかし当時からやはり暗殺説は根強く囁かれた。
これが暗殺であったにせよ、単なる放恣の末の頓死であったにせよ、王の死によって酸鼻を極めた九年は終わりを告げたのである。
人々は喜ぶ以前に安堵したが、問題はあった。何しろ「血の九年間」で王座を継ぐべき王族はすっかりいなくなっていたのである。以降クーヴィッツの政治は合議制となり、玉座は空位のまま放置されたのである。
実に二百五十六年ぶりにその玉座に腰掛けた男は、クーヴィッツ王家の血を引いている訳でもなければ、クーヴィッツ人ですらなかった。即ち北方から来たりし蛮族の長、忌むべき征服者、ガウデリス覇国の君主――覇王バンゲルグ・ガウである。
全てを目の当たりにしていたはずの玉座が口を開いたならば、嘆きを漏らしただろうか。あるいは深い溜息を吐き出しただろうか。
覇王は玉座に深く腰を掛け、背をもたせかけ、肘を置いて頬杖をついていた。その眼は遠くを見るように、沈思しているように見える。玉座の間には数える程度の灯明がある程度で光量は不十分、そもそも現在ラッセナ城を占拠している覇国の廷臣たちは、諸事に追われてこの場にはいない。
そう。この場にいるのは廷臣ではなかった。
「来たか」
覇王が一度瞬きをして言った。
「レイディエン、ここに」
目元を仮面で隠した男が口元にあるかなきかの笑みを浮かべて言った。
「ローデヴァイク・ザンテ、推参」
傷だらけの顔の巨漢が低く言った。
「ユアン・タオバー」
浅黒い肌の青年がうっそりと言った。
「メディッサ・ラドファルです」
蛇の眼をした美女が密やかに言った。。
「グラーコル・ドゥークス、」
性別不詳の白ずくめの剣士が鋭さを押し殺しながら言った。
それぞれが口々に名乗った後、最後にレイディエンが代表して告げる。
「幻魔騎士団六名、罷り越しました」
薄闇の中に浮かぶ幻魔騎士の陰翳五つ――彼らの姿を見渡して、覇王が僅かに不審げに片眉を上げた。
「バイロンがおらぬようだが」
答えたのはレイディエンだった。
「天龍剣との交戦によって無視出来ぬ手傷を負いました故、調整に時間がかかっております。御容赦を」
「肯。聞いておる」
覇王は重々しく頷いた。
「そして――あの一戦以降、彼奴の挙動に妙な点が見受けられるようになったそうだな」
「然り」
「元々彼奴は最後まで我に服うことがなかった。それを調整を施して使っておるのだ。多少は無理も生じよう。大事に使え」
覇王の口元が深い笑みに歪んだ。レイディエンはそれを見ないふりでもするように頭を下げた。
「主上陛下」
その眼に抜き身の剣めいた剣呑そのものの光を宿し、グラーコル・ドゥークスが言った。
「万一にもかの男に面妖な動きがあらば、このグラーコルへ一番に誅戮の勅を頂きたく存じます。すぐに素首叩き落として御覧に入れましょう」
「頼もしきことかな。独孤派天龍剣の冴え、知らぬバンゲルグではない。汝の言、覚えておくとしよう」
「有難きお言葉」
グラーコルが頭を垂れた。
「陛下、まず私から一つ申し上げてもよろしいでしょうか」
一呼吸を置いて、声を発した者があった。ユアン・タオバーである。
「何か、ユアン」
「遷都をお考えと文官共より伺いました」
「覇都シャンドゥは中原より遠く、大陸全土を統べる都とするには不便である。長らくそのことは我も気づいておった」
「陛下、御再考の程を」
「あいや待たれよ」
玉座の左手に、身を屈めるようにして侍っていた男が片手を上げた。
「主上陛下の裁可に異論を述べるとは僭上でありましょう、ユアン殿」
幻魔騎士たちがその男に対して一斉に胡乱な視線を投げた。声の主はジャストン・メリヴである。
「僭上はどちらだ! 場を弁えぬ」
ローデヴァイクが一括した。大喝が玉座の間に響き渡り、ジャストンは一瞬怯むような表情を見せた。彼が反論するより早く、鷹揚と覇王が制止した。
「両者、諍うでない」
ローデヴァイクもジャストンも、互いを睨み合ったまま口を閉ざした。
「中原の王の真似をして、道化を侍らせてみた。道化は言いたい放題に言うが、その発言には一切の責任は無い。言うなれば犬や猫と変わらぬ。畜獣に腹を立てて何となろう。しかし癪に障ったならば、このバンゲルグに免じて赦せ、ローデヴァイク」
「……主上の仰せであれば」
ローデヴァイクは傷だらけの顔に無表情を保って見せたが、一方で道化扱いのジャストンは何とも形容し難い表情をしていた。
彼の脳内にはラッセナの陥落工作の立役者として、覇王の覚えめでたく重用される未来図が多少なりとも描かれていたことだろう。しかしジャストンは全く失念していた。自分が故郷を売って覇国にすり寄ってきた外様の裏切り者であり、かつ文官であることを。そしてそのような男が武威を重んずるガウデリス覇国に於いては、蔑まれこそすれ決して尊ばれもしないことを。
ジャストンは己が軽んじられることに慣れていない訳でもなかったが、突きつけられた現実の前には流石に困惑や怒り、恥辱を覚えたものと見える。――道化扱いをこの場の者以外の誰かがしていたならば、彼は満面を紅潮させて激昂していたかも知れぬ。
「ユアンよ」
覇王がユアンの顔に視線を定めた。
「は」
「何も今すぐ遷都を致す、という訳ではない。元より我も我らも虎の民。生まれ育った白虎平原を離れることなど、便不便を理由に容易に片付けて良い問題ではない。十年二十年――あるいは五十年や百年の後、将来的に都の機能を遷すことも考えねばならぬ――文官どもにはそういう意味で我が考えを述べたまでのこと」
「成程、可能性の話でしたか。陛下の御深慮、感服致しました」
「ともあれこの件は、機会があればまた汝と語ることもあろう。胸の裡に仕舞い置くがよい」
ユアンは浅黒い顔に一切の感情を込めず、淡々と頭を下げた。
「レイディエン、カリギス遺跡の進捗は?」
「ようやく最下層に足を踏み入れました」
「随分時をかけたな」
「流石は中原最大の霊脈の要所と言うべきか、幾重にも張り巡らされた探窟者避けの罠に悩まされました。クーヴィッツの魔術師などに気づかれぬように、当初は少人数で探窟を行わねばならなかったこともあります。ラッセナ陥落後は多くの員数を動員出来るようになり、大分楽になりました」
「あと一息と言ったところか」
「御意。そろそろ敵方の魔術師が気づきましょうが、その頃にはもう手遅れになっているはずです」
「決して敵を侮るでないぞ。我が方でも、獣神騎士が西へ向かっているという話を聞く」
「御心配いただき恐れ入ります。念には念を入れ、バイロンの調整が済み次第私もカリギスへ向かいましょう」
「此奴め、既に決めておったな」
「は――遺跡からそう遠くない場所に、龍巣村の生き残りが集落を構えているという情報もあります。これを以てバイロンの最後の調整としましょう」
覇王の濃密な髭に覆われた口元が歪んだ。笑声が漏れ、声が次第に大きくなった。獣を思わせる獰猛な笑みだった。ひとしきり笑った後、覇王は表情を引き締めて告げた。
「やれ、レイディエン。ただし優先するのは遺跡の方であるぞ」
「畏まりました、陛下」
レイディエンはいささか完璧過ぎる挙措で一礼した。
「私からも陛下のお耳に入れたいことがございます」
「メディッサ、何だ」
「重要度自体は低い情報なのですが――ヤーク諸島の一部が消し飛んだそうです」
「……ほう?」
ヤーク諸島は西方、へブリッド王国に属する。島民は少ないが漁船の往来は多く、漁師たちには中継地としてそれなりに重宝されていた。「消滅」というにわかにはありえぬ情報に対し、メディッサ自身も困惑を隠せぬようだった。
「七日前の未明に起きた模様です。現場となった海域は高濃度の魔力汚染により接近不可能らしく詳細は不明。これは複数の勢力の斥候や魔術師を捕らえて得た情報です」
覇王は顎に手を当て、しばし沈思した。
「……主上陛下?」
「引き続き、我にのみ報告をせよ」
覇王が細めた眼を見開いた。その視線に力強さが増す。常人ならばまともに受ければ気絶しかねないような視線を、次に受けたのはグラーコル出会った。
「グラーコル・ドゥークス、レイディエンに同行せよ。汝の独孤派天龍剣、正調の天龍剣使いに揮う好機である」
「御気遣い、感謝致します」
グラーコルは静かに、しかし力強く応えた。
「――ところで天龍剣エフェス・ドレイク、遭遇の際には斬ってもよろしいのですかな?」
「構わぬ」
覇王は断じた。斬れるものならば斬ってみよ――そう告げるような口調でもあった。
覇王の視線が別の者を向く。
「ローデヴァイク・ザンテ、メザ城を陥として参れ」
「メザと仰ると、ムナモロスですな。まだ抵抗を続けていたのですか」
「後のない籠城なのはわかっていたことだ。城内では糧食を食い尽くし、今や人すら食らっておるという。城自体にも価値はない。ただ地理的に目障りである。洗って参れ」
「洗城――ですな」
ローデヴァイクの声が微妙な震えを帯びた。洗城――それは即ち城と付随する街全域の虐殺を意味する。そして幻魔騎士の力を用いての虐殺とは――それを想像し、思わずローデヴァイクは震えたのだ。武者震いだった。
覇王は再び五名を見渡した。
「六名の幻魔騎士、十万の幻魔兵、それらを含めた総計百万の覇国軍はまさしく我が宝である。特に汝ら幻魔騎士はそれこそ百万の軍勢に匹敵しよう。だが、そのまま百万の兵と役割は置き換えられぬ。また汝らの役割を百万の兵が果たすことも出来まい」
「無論、承知しております」
幻魔騎士を代表し、レイディエンが応えた。
「我らの命は覇王の物。決して無為に喪失うべからず。また毀損すべからず。――努々忘れは致しませぬ」
「ゆけ、幻魔騎士団よ」
それは覇王自身が半ば戯れにつけた、集団としての彼らへの呼称だった。幻魔騎士たちは闇へ融けるように、音一つなく玉座の間を立ち去った。
 




