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11 砂漠を越えて

本当は砂漠で一章とか書きたいんですけどね。

「行かせてしまってよろしかったのですか、神官長?」

「不服か、ジェイラン?」


 副官であるジェイランは語尾を濁して言った。アーディルの代理は務められるだろうが、肝が細いところがあり、後継者としてはまだまだ未熟であると思わざるを得ない。


「エフェスやだけならばともかく――」

「ヴァリウスやマーベルまでついていってしまったな。弱い者を見捨てられぬ、それは騎士には欠くべからざる資質でもある」


 ジェイランが少しアーディルの眼を見つめてきた。


「何か?」

「……あの娘、本国のユーディル様の肖像画に似ておりました」

「お前も気づいていたか」

「妹君ユーディル様――あの方は人間(ホミヌス)と我らエルフの婚姻の貴重な一例ですから」


 ジェイランはユーディルと出会ったことがなかったはずだ。彼女は大陸各地を放浪し、故郷であるエレルフォム本国に帰ることも稀だった。そして、結局帰らなかった。


「……我らと定命者(モータル)の婚姻は、我らの方があちら側に寄ることになる。永遠に等しい命を捨ててまで、たかだか人間の狩人に嫁ぎ、故郷に帰ることなく死んだ。不束かな妹よ」

「御心配ですか」

「名代としてアルジェを同行させた。齢百六十七歳の向こう見ずではあるが、いざとなれば役立とう」

「――獣神騎士の闘いに、彼女らの身の置き場や果たすべき役目があるのでしょうか?」

「それは、彼女らの器量次第であろう。不可能ということはあるまい」


 神官長は更に声を低め、呟いた。それはジェイランの耳にも届かないほどの呟きだった。


「……それに、マーベルはアズレアの血を引いているという。あのオスカーの娘であるならば、あるいは――」


× × × × × 


 一面の砂原であった。見渡す限り白い砂の平原、空には雲ひとつ無い。刺すような日光が降り注ぎ、時折吹く乾いた風が砂を舞い上げる。


 エフェス、ヴァリウス、マーベル、アルジェの四人はゆきすがりの旅の行商人から購ったマントをすっぽりかぶり、眼だけを出し、駱駝(ラクダ)でも難儀するこの砂漠で馬を駆っていた。

 

 否、馬ではない。四人が騎乗するのは神官長アーディルより貸し与えられた精霊獣エアレーである。軍馬並の大きさではあるが頭部に生え出ている二本の角は背中側に湾曲しており、二股の偶蹄からもわかるように姿形はむしろ山羊に似ている。また何より、無数の木の幹や枝を上手い具合に絡ませ撚り合わせたような外見からも、その本質は物質よりも霊に近いことは明らかだった。

 

 エアレーは通常の馬のように獣神騎士に怯えることもなく、また疲れも知らない。速度こそ並の馬とさほど変わらぬが、魔力が供給され続ける限り走り続け、却って騎手の方が自分らの体力の心配を考えるほどだった。

 

 この〈惑乱の砂漠〉は旅慣れた巡礼者たちも迂回を選ぶ難所である。風によって刻々と変え続ける砂の全景に加え、何と羅針盤すら効かぬ。また正体不明の奇怪な生物が数多く跋扈する独自の生態系を持ち、中には旅人を捕食する凶暴なものも存在する。

 白虎平原を超えた東にあるという広大極まる〈白絹の砂漠〉と比べれば猫の額ほどだが、危険に満ちた旅程には違いあるまい。


 行商人は無謀だと言ったが、一行は迂回を選ばなかった。事は一刻を争うのだ。迂回ならば目的地まで七、八日はかかるが、まっすぐ突っ切れば三日足らずである。


 エアレーの存在も、〈惑乱の砂漠〉横断という無謀に挑むことを後押ししたと言っていいだろう。エアレーの超常の蹄は雨にぬかるんだ泥や大量の砂にもつれることもなく、平地や荒野でも、そして砂漠ですら変わることのない速度で疾駆出来た。


 砂の丘陵に差し掛かったところで、先頭をゆくヴァリウスの手が上がり、ついで急ぐように前に振られた。獣神騎士の本能か、何らかの異変を感じたらしい。三人が馬腹ならぬエアレーの腹を蹴り、速度を上げた。

 

 擂鉢状になった砂の底が盛り上がり、柱状に空に屹立する。マーベルは咄嗟に腕を上げ、飛散する砂から顔を守った。

 

 豪、と風が吠える。

 

 砂の柱と見えたのは巨大な長虫である。数百年を経た巨木のように太く、砂上に露出しているだけでも十丈(約三十メートル)もの長さ。全身に隈なく繊毛を生やし、先端の頭部と思しき先端は丸く口腔が開いていた。眼はないがもたげた鎌首は、明確に四騎の方を向いている。

 

 暴風のような音は、そいつの鳴き声と言われていた。いや、そいつの声帯は退化し切っているため、正確には声ではない。身体の各所の気管から呼気と共に、体内に取り込んだおびただしい砂を排出する音だった。


砂長虫(サンドワーム)ってヤツか!」


 ヴァリウスの言葉の語尾を掻き消すように、長虫(ワーム)の頭部が物凄い速度で後方のマーベルとアルジェの二騎に襲いかかった。その丸い口腔の中に生えた無数の歯牙は、あらゆるものを喰らい噛み砕くための剣呑極まりない道具である。その口に飲み込まれれば、人馬諸共にひとたまりもなく、咀嚼され栄養となってしまうに違いなかった。

 

 近すぎた二騎は速度を上げつつ距離を取った。マーベルは左に、アルジェは右に。その中間地点に長虫が飛び込んでくる。砂が弾け、エアレーの表皮に音を立てるが速度は緩まない。


 長虫は再び砂に潜った。ヴァリウスが首を回してそれを見やる。


「あいつら実は竜の遠縁らしいな。wormとwyrmか。フン、エフェス、ここは龍の末裔たるお前がどうにかするべきだと思わんか」

「別に思わん」


 言いながら、エフェスもまた後方を見た。足元が波打っている。長虫の移動により、押しのけられた砂がうごめいているのだ。


「思わんが……振られたからには行かねばならんか」


 エアレーの首をめぐらしながら、エフェスは左手に手綱を握り、右手に背中の剣を執った。鉄鞘からは抜かないまま、馬上で身を低くし、騎槍(ランス)のように(こじり)を前に向け、乗騎の腹を脚で締め付けた。

 

 エアレーが速度を上げ、疾駆する。すれ違ったマーベルとアルジェが目を向ける。

 

 鉄鞘の鐺が届く手前で、長虫がその身をくねらせた。僅かに届かない。エフェスは舌打ちをしながら鉄鞘を薙ぎ払った。弾力のある重く鈍い音が弾けるように響き渡り、砂に吸い込まれてゆく。当たりはした。手応えもある。しかし効いていない。

 

 長虫が今度はエフェスへ向けて牙を剥く。巨岩が襲いかかってくるような圧力を、エフェスは剣でいなした。長虫と鉄塊のぶつかる重低音が再度響く。長虫は後方へ砂に潜り、エフェスは前方へ走る。殺し切れぬ質量の暴力にエアレーがややよろめいたが、すぐに姿勢を立て直す。

 

 やや速度を緩めたヴァリウス騎がエフェス騎に並んだ。


「エフェス、どうだ?」

「分厚い革の水袋を殴ったかのような感触だ」

「なら、俺の出番だな」


 拳を固めたヴァリウスが言った。口元を覆う布の下では、発達した犬歯を剥いて笑っていることだろう。戦いとあらば、どうにも血が騒いで仕方ないらしい。


 アルジェ騎の足元が盛り上がった。それに気づいて慌てて左に移動するのと同時に、砂の柱が屹立する。長虫がアルジェを食おうとしたのだ。


 長虫が顔を突き出した瞬間、マーベルが射込んでいる。三本の矢が深々とその首か胴かつかぬ部位に埋まった。しかし痛痒すら感じていないのか、前進の速度は決して落ちなかった。緑色の体液を吹き出しながら、上向いた口腔が次の獲物を定めんと動く。

 

 ヴァリウスが鞍の上に立ち、後方へ跳躍した。

 

 鎌首をもたげる長虫へ、強烈な痛打が見舞われる。ヴァリウスの鉄拳は、分厚い革の水袋の如き長虫に対して破裂音を響かせた。直後はびくともしなかった長虫だが、次第に全身をわななかせ、のけぞるように打ち震え、砂の上に倒れるように紛れた。ヴァリウスは砂に潜ろうとする長虫を蹴り、その反発力で再びエアレーの鞍上に戻った。

 

「あいつ……本当にただの人間なの?」


 唖然と呟くアルジェの言葉に、マーベルはただ肩を竦めた。鉄鞘の一撃を受けても平然としていた長虫を、この黒髪の男は殴り飛ばした!


 ヴァリウスは人間であるが、「ただの」という形容には議論の余地がある。獣神騎士として選ばれた者である以上、心技体共に並外れた者であることは間違いない。そして彼は王虎拳法の免許皆伝なのだ。あの覇王バンゲルグを産んだ王虎拳法の。

 

 そして王虎拳法には人体を水袋と見立てて、血や内臓、脳などの器官を揺さぶる技も存在する。その一撃は見た目こそ派手ではないが、重く伝わり、分厚い鎧や衣服の護りをも無効にする。ヴァリウスはそれを用いたのだ。体液を流すならば効果はあるだろうと。


 しかして砂長虫は死んだ訳でも、ましてや捕食を諦めた訳でもなかった。体勢を立て直した長虫はより激しく音を立てて砂を噴出した。

 

「もしかして怒ってる?」

「怒ってるわね、間違いなく」


 一方でヴァリウスは猛々しく吼えた。


「さあ! かかってきなさい!!」


 少し前にエフェスをけしかけたとは思えない男の態度である。女子二人は物言いたげに視線を交わした。


 砂丘の坂を、凄まじい勢いで横切っていく影がある。エフェスだった。長虫がそれに砂を吐きかけた。体内の砂による砲弾である。その勢いに砂丘が抉れる。エフェスは速度を保ったまま鞍の上に立った。砂の砲弾が三度放たれるも、エアレーは蛇行と直進を組み合わせ躱していった。


「横取りかよ! ずるいぞエフェス!」


 ヴァリウスの非難の声にエフェスは振り返りもしなかった。四度目の砂弾は真っ向から放たれた。エフェスはそれを鉄鞘で打ち砕くや、エアレーを限界まで加速させた。

 

 そして鞍を蹴り、長虫の口腔へ飛び込んだ。

 

 長虫はのたうち回った。エフェスの乗っていた空のエアレーも含めた四騎がごく自然に遠ざかる激しさだった。

 

 やがて長虫の背(なのか腹なのか、全く区別はつかないが)から、緑色の体液にまみれたエフェスが飛び出してきた。その瞬間、長虫は苦悶をやめて砂の下に潜り込んだ。盛り上がった痕跡に体液が沁みていた。

 

 エフェスの元にエアレーが近づいてゆくのを見て、長虫が逃げ去ったことにようやく皆が気づいた。


「……酷い臭いだな」


 エフェスはかぶっていた布を脱ぎ捨てた。幸い厚手の布は体液を全て吸い取り、返り血は殆どない。


「仕留めたの?」

「あの程度で死んだとは思えん。歯を軒並み叩き折って鐺で出口を作っただけだからな」


 アルジェの言葉に、エフェスはエアレーの鼻面を撫でながら応えた。

 

「少なくとも、狩りはしばらく出来ないだろうな」

「少なくとも、あの個体はな」


 ヴァリウスの言葉に対し、アルジェはうんざりしたような表情を見せた。誰もがあんなものが複数いるなどという想像はしたくもなかった。


「ま、長居は無用だ。奴の臭いを嗅ぎつけて、またぞろ別の厄介な連中が寄ってこないとも限らん」

「いい加減砂は飽きたわ……」

「もう少し我慢して、アルジェ」


 アルジェが溜息をつく。エフェスはエアレーに跨り、その腹を蹴った。エアレーがゆっくりと走り出す。三騎がそれに気づいて後に続く。

 

 砂塵を含んだ風が吹いて、すぐに止んだ。日もまた傾き始めたばかりだった。目的地、カリギスへはまだ遠い。

 


     第五話「戦雲の行方」了

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